Yassie Araiのメッセージ

ときどきの自分のエッセイを載せます

朝日記250301 碩学の友人眞殿 宏さんの<今月読んだ本>

2025-03-01 07:47:32 | 自分史

朝日記250301 碩学の友人眞殿 宏さんの<今月読んだ本>を掲載します。

<今月読んだ本>

1)間に合わなかった兵器“新装解説版”(徳田八郎衛);光文社(文庫)

2)なぜ働いていると本が読めなくなるのか(三宅香帆);集英社(新書)

3)グッドフライト・グッドシティ(マーク・ヴァンホーナッカー);早川書房

4)アメリカ・イン・ジャパン(吉見俊哉);岩波書店(新書)

5)陸軍作戦部長田中新一(川田稔);文藝春秋社(新書)

 

ブログ;

https://kanazawalibrary.blogspot.com/

 

 

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No 243variation 2014 12Oh,Holy Night

2025-02-22 06:15:45 | 自分史

No 243variation 2014 12Oh,Holy Night

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no164ばらの五月4 A golden worm 金色の羽虫.

2025-02-19 22:24:26 | 自分史

no164ばらの五月4 A golden worm 金色の羽虫.

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朝日記250219 Ongaku kaiga archives from early days音楽絵画のアーカイブ集≪2013年)

2025-02-19 21:05:03 | 自分史

Asa nikki250219 Ongaku kaiga archives from early days

音楽絵画のアーカイブ集≪2013年)

You can find each piece of Ongaku kaiga , and enjoy it .

Manipulate a copy-paste of  https  of each of  discription  below ,or find to do other way smart ;

(Sorry a little bit of cumbesome handlings to you)

 

朝日記250219 音楽絵画のアーカイブ集≪2013年)

<13の音楽絵画>
1.朝日記131224 <13の音楽絵画>その1からその3と今日の絵
https://blog.goo.ne.jp/gooararai/e/7656f5fdaa62208f417a67a8d8f3d527


2.朝日記131230 <13の音楽絵画 その4と その5 >  と今日の絵
https://blog.goo.ne.jp/gooararai/e/1b7eeff5ecdb6091d204b8046e7b7027

3.朝日記131230-II <13の音楽絵画 その6 と その7 >そして今日の絵です。 
https://blog.goo.ne.jp/gooararai/e/b54a2abd8fa53080b59c30c24ed8af37

4.朝日記131230-III 13の音楽絵画(その8,9,10,11,12,13の6編) 
https://blog.goo.ne.jp/gooararai/e/a6fb65449a1afbc103971b7568750da3


<テーマ別の作品集>
1.音楽絵画131226 さかのぼる音楽絵画コレクションと Yassieの新しい音楽絵画 NO.197
https://blog.goo.ne.jp/gooararai/e/3ca96781316814daf401635a9c60f05e

2.朝日記131223 大山スケッチのこと と今日の絵
https://blog.goo.ne.jp/gooararai/e/5de861baea2b42675919fff1c742bc02


3.朝日記131220  「箱根Hakone View」音楽絵画集と今日の絵
https://blog.goo.ne.jp/gooararai/e/4589823f93bdbdb20fc03b46a2785dfa


4.朝日記131208 音楽絵画 観世10篇と 新しい音楽絵画
https://blog.goo.ne.jp/gooararai/e/3a9dc0c7a95cafd08c422bfa534574f4

 

 

 

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朝日記250210 朗読「雲雀に贈る」

2025-02-11 10:24:35 | 自分史

朝日記250210 朗読「雲雀に贈る」

原作:パーシー・シェリの詩 To Lark

訳: 荒井康全

朗読: いろは

To lark

~~~~

―詩歌―雲雀に贈る(TO A SKYLARK)

(初出し;NPO法人 HEARTに会 会報 No.118、創立30周年記念 2024年夏季号)
                             会員 荒井 康全  

詩; パーシー ビッシー シェリー
Percy Bysshe Shelley (1792-1822)
翻訳;Yassie Arai 


~~~~~~~~~~~~~~~
かがやけ きみよ、みちあふれる生命(いのち)よ!
鳥(とり)よ きみ 鳥(とり)ならず、
天(そら)からのもの、否(いな) そのちかきもの
そは きみのこころを満(み)たす
ゆたかな緊張(きんちょう)のなか 
そは 思(おも)いもせぬほど ゆたかなるもの
     
高(たか)く さらに高(たか)く
大地(だいち)から跳(は)ね揚(あ)がる きみは 
火(ひ)の雲(くも)のように
羽(は)ばたき 空(そら)の藍(あい)の深(ふか)みに 
そして さらにうたう 歌(うた)は なお、ひびく
        
金色(こんじき)の夕日(ゆうひ)のなか
その上(うえ)の雲々(くもぐも)が また輝(かが)やく
きみは 浮(う)かびそして走(はし)る
あたらしい競(きそ)いがいまはじまるよう
形(かたち)にならないよろこびなり
   
青味(あおみ)が茜(あかね)にひろがり
きみの飛翔(ひそしょう)を溶(と)かす
天(そら)の星(ほし)のよう
ひろい陽(ひ)のひかりに
きみは見(み)えなくも
聞(き)こゆ きみ歓(よろこび)びのさえずりを
   
矢(や)のごとく鋭(するど)し
あの銀球(ぎんきゅう)の矢頭(やがしら)の
その反射(はんしゃ)はなお鋭(するど)く光(ひか)り
白(しろ)い夜明(よあけ)けの極(きわ)みまで 
そこにあるを感(かん)じるのみ
 
きみの声(こえ)に 大地(だいち)と大気(たいき)は
ともどもが 声(こえ)を上(あ)ぐ
夜(よる)が近(ちか)づけば ただひとつの雲(くも)の
月(つき)の雨(あめ)になりて 
光(ひかり)の条線(じょうせん)が降(ふ)りそそぐ
そして天(そら)は 流(なが)れに溢(あふ)れる


   
きみは何(なに)にてあるや われら知らず
何(なに)と例(たと)えんや?
虹雲(にじぐも)からの流(なが)れのなく
きらきらと水滴(みずたま)の弾(はじ)きおり
雨(あめ)は調(しら)べとなり降(ふり)り注(そそ)ぐ 
きみが居合(いあ)わせているが如(ごと)し 
    
うたびとが 侍(じ)すごとく  ひらめきのことばのなか
賛美(さんび)のうたは 控(ひか)えにて待(じ)す
そは、世(よ)が希望(のぞみ)に和(わ)し 
怖(おそ)れを掃(はら)うとき そのときを
     
高貴(こうき)なる乙女(おとめ)の 高楼(こうろう)にあり
その愛(あい)のこころの重(おも)きしも
あまき音色(ねいろ)の流(なが)れ出(い)でて
麗(うるわ)しき愛(あい)の会釈(えしゃく)を誘(いざな)わん 
        
金色(こんじき)にかがやく羽虫(はむし)のごとし 
朝露(あさつゆ)のしずけき硲(はざま)に
花々(はなばな)や草々(くさぐさ)のなかにも
空(そら)の色(いろ)が漂(ただよ)い 青(あお)を染(そ)める    
   


薔薇(ばら)の たおやかなに笑(え)み
みどり葉(は)をともないて 暖(あたた)かき風(かぜ)
花(はな)びらを散(ち)らすまで 香(かお)りをただよわす
みどり葉(は)はおもおもしく あまきかおりを控(ひか)えおく
     
春(はる)の驟雨(しゅうう)のおと 草々(くさぐさ)を揺(ゆ)らす
雨(あめ)は 花々(はなばな)を目覚(めざ)めさせる
古(いにし)えから すべてそうであったごと
陽気(ようき)、爽快(そうかい) 新鮮(しんせん)にて
きみの音楽(おんがく)は支配(しはい)する
 
妖精(ようせい)よ 鳥(とり)よ われらに教(おし)えよ
われは知(し)らず 何(なに)ぞ あまき思(おも)いなりしか  
聖(せい)なるかな 愛(あい)を 盃(さかずき)を賞(しょう)そうぞ
あまた舞(まい)のぼる泡(あわ)よ 溢(あふ)れ、弾(はじ)かせん
     
賛美(さんび)の合唱(がっしょう) 勝利(しょうり)のうたごえ
すべてが きみに和(わ)す なれど 
無邪気(むじゃき)なる誇(ほこ)りよ
ここにて感(かん)じえしもの すべてに 調和(ちょうわ)す
    
何(なん)たるものよ、 この はじける水(みず)の 
かく おおきの幸(さち)に みちたる緊張(きんちょう)何(なん)たることか 野(の)よ、波(なみ)よ そして山(やま)よ 
空(そら)のかたちや 地平(ちへい)のたたずまいよ
何(なに)たることよ きみの愛(あい)の、
何(なに)たる世界(せかい)か 
かくも苦痛(いたみ)とは程遠(ほどとお)おし

胸(むね)ときめくよろこびに なお気怠(けだる)さは
わざわいの影(かげ)ならず
しのびて 際(そば)に至(いた)ることなし
きみは愛(あい)する・・・ なれど 知(し)らずや、愛(あい)は、
その満(み)ち余(あま)る、かなしき性(さが)あるを
    
目覚(めざ)めつ、眠(まどろ)みみつ きみは 黄泉(よみ)をおもう
さらに露(あら)わなる ことごとよ  またふかく つねの夢(ゆめ)のごと
やがて おもむき異(こと)なりては、離(はな)れゆく
水(みず)は、なお青(あお)く澄(す)みて 
きみの書(か)きとめしものは 流れとなりて?
   
来(こ)し方(かた) いずくに われらの見(み)しは、
見(み)えずも あるを ねがうなり
きわみて 囃(はや)やす われらの者(もの)は
痛(いた)みに 満(み)ちる 疼(うず)きなり
甘(あま)き きわみの われらの うたは
哀(かな)しみ おもいを 伝(つた)うなり
 
よし、憎(にく)しみ よし、誇(ほこ)りに 
なお、恐(おそ)れ 騒(さわ)めくこころ
受(う)けて 生(うま)れし物(もの)なれば 
われらなお 一涙(いちる)のなみだ流(なが)すなし、  
知(し)らずや われら、きみがよろこびの
つとに近(ちか)きにあることを    
  
明(あか)きに あまたの奏器(かなで)にまさる 
貴(とうと)きも あまたの巻物(まきもの)にまさる 
技(わざ)を きみ求(もと)むか、
なお歌人(うたびと)にありしとて
  
きみ、歓(よろこ)びを教(おし)えたまえ、
きみや知(し)ることの なべてを もとめざる  
わが唇より 出(い)でしや、かの調(しら)べの
奇(く)しきは わが耳(みみ)のうちにあり響(ひび)きいる、
世(よ)よ、 とく耳傾(みみかたむ)けよ 
聞(き)くべし それなるを

~~~~~~~

原詩です;

To a Skylark
BY PERCY BYSSHE SHELLEY
Hail to thee, blithe Spirit!
Bird thou never wert,
That from Heaven, or near it,
Pourest thy full heart
In profuse strains of unpremeditated art.

Higher still and higher
From the earth thou springest
Like a cloud of fire;
The blue deep thou wingest,
And singing still dost soar, and soaring ever singest.

In the golden lightning
Of the sunken sun,
O'er which clouds are bright'ning,
Thou dost float and run;
Like an unbodied joy whose race is just begun.

The pale purple even
Melts around thy flight;
Like a star of Heaven,
In the broad day-light
Thou art unseen, but yet I hear thy shrill delight,

Keen as are the arrows
Of that silver sphere,
Whose intense lamp narrows
In the white dawn clear
Until we hardly see, we feel that it is there.

All the earth and air
With thy voice is loud,
As, when night is bare,
From one lonely cloud
The moon rains out her beams, and Heaven is overflow'd.

What thou art we know not;
What is most like thee?
From rainbow clouds there flow not
Drops so bright to see
As from thy presence showers a rain of melody.

Like a Poet hidden
In the light of thought,
Singing hymns unbidden,
Till the world is wrought
To sympathy with hopes and fears it heeded not:

Like a high-born maiden
In a palace-tower,
Soothing her love-laden
Soul in secret hour
With music sweet as love, which overflows her bower:

Like a glow-worm golden
In a dell of dew,
Scattering unbeholden
Its aëreal hue
Among the flowers and grass, which screen it from the view:

Like a rose embower'd
In its own green leaves,
By warm winds deflower'd,
Till the scent it gives
Makes faint with too much sweet those heavy-winged thieves:

Sound of vernal showers
On the twinkling grass,
Rain-awaken'd flowers,
All that ever was
Joyous, and clear, and fresh, thy music doth surpass.

Teach us, Sprite or Bird,
What sweet thoughts are thine:
I have never heard
Praise of love or wine
That panted forth a flood of rapture so divine.

Chorus Hymeneal,
Or triumphal chant,
Match'd with thine would be all
But an empty vaunt,
A thing wherein we feel there is some hidden want.

What objects are the fountains
Of thy happy strain?
What fields, or waves, or mountains?
What shapes of sky or plain?
What love of thine own kind? what ignorance of pain?

With thy clear keen joyance
Languor cannot be:
Shadow of annoyance
Never came near thee:
Thou lovest: but ne'er knew love's sad satiety.

Waking or asleep,
Thou of death must deem
Things more true and deep
Than we mortals dream,
Or how could thy notes flow in such a crystal stream?

We look before and after,
And pine for what is not:
Our sincerest laughter
With some pain is fraught;
Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.

Yet if we could scorn
Hate, and pride, and fear;
If we were things born
Not to shed a tear,
I know not how thy joy we ever should come near.

Better than all measures
Of delightful sound,
Better than all treasures
That in books are found,
Thy skill to poet were, thou scorner of the ground!

Teach me half the gladness
That thy brain must know,
Such harmonious madness
From my lips would flow
The world should listen then, as I am listening now.

朝日記250208―随想―シェリーの詩「雲雀」におもうこと

初出し:HEARTの会会報No.120 2025年新年号 NPO法人 人間環境活性化研究会 ISSN 2180-4454

 

音楽絵画 金色の羽虫

no164ばらの五月4 A golden worm 金色の羽虫.

 

 

―随想―
シェリーの詩「雲雀」におもうこと
会員 荒井 康全 
親愛なるいろはさま

 

HEARTの会2024夏号に掲載した英国のロマン派詩人シェリ―の詩「雲雀」の和訳への所感を書き留めておきます。 

夏目漱石の「草枕」の冒頭で彼が例の「智に働けば角が立つ…」にて画帳を抱えて山越えのスケッチの旅にでる。         
徒然なる思いのつながりで西洋人のものの思い方を詩に託し、東洋のそれとの違いにふれる。外は清々しく雲雀が気持ちよく空に囀る。英文学の学士様であるから、むかしおぼえたロマン派の詩人シェリーの「To Skylark」のなかの一節くらいはさっと口からこぼれよう;
 「We look before and after
 And pine for what is not;
Our sincerest laughter
  With some pain is fraught;
Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.」
 この詩を漱石は次のように訳する;
「前を見ては、後えを見ては、物欲しと、あこがれるるかなわれ。腹からの、笑いといえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極みの歌に、悲しさの、極みの想、籠るとぞ知れ」
この辺は有名な文の下りで、心地もいいので区切れまで続けておく:
 「成程いくら詩人が幸福でも、あの雲雀の様に思い切って、一心不乱に、前後を忘却して、わが喜びを歌うわけには行くまい。西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく万斛の愁などという字がある。詩人なら万斛で素人なら一合で済むかもしれぬ。して見ると詩人は常の人よりも苦労性で、凡骨の倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあろうが、無量の悲も多かろう。そんならば詩人になるのも考え物だ。」
ここまで考えのながれがおよぶと、この天気で眉間の立て皺を深めることも馬鹿げてくるから、まあいい放っとけとなる。
それで;
「春は眠くなる。猫は鼠を捕ることを忘れ、人間は借金のあることを忘れる。時には自分の魂の居所さえ忘れて正体なくなる。只菜の花を遠く望んだときに眼が醒める。」
素直に現象派に戻って;
「雲雀の声を聴いたときに魂のありかが判然する。雲雀がなくのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれ程元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。」


        
シェリーはバイロンとならぶ英国ロマン派の詩人であるらしい。因みに彼の妹であるアダは計算機の発明者として科学史に残るが、彼女はバイロンのパートナ
ーであり、あの怪人フランケンシュタインを創出した詩人としても知られる。
もう十年ほどまえであるが、ロンドンの郊外にすむ知日派の英国人Barry Byrne氏とHEARTの会の山内理事長を通じて、知己になった。彼は英国での高齢者活動活性化運動ACEの指導者のひとりで、乞われて日本でのカウンターパーティであるACJ(Age Concern Japan、理事長は塚谷皖子氏)との会議でお会いした人である。あの頃によく交信交流していたのである。

 

 

 


絵    康全

その彼があるとき、シェリーのこの英詩の原詩「To Skylark」に、彼の日本語訳詩を添えて送ってこられた。副題は「慰めには涙を伴う」としてあった。そして彼の手書きになる習字書体での「慰」である。彼の意味するところはこの字体を絵画的にながめること、なるほどこの字には「、」が空間に散っている。かれはこれを象形的に多くの「泪」として描いたのであった。読むものは通常それを意識はしない。
当時、隣国はかの女性大統領での大変な反日路線で「慰安婦」を大々的に国際世論に訴え、その像を韓国日本大使館の前をはじめ、サンフランシスコなど米欧の都市に設置する活動があったことはまだ記憶にあたらしい。もちろんまだ済んでいない。彼はそっと、日本人である君はそれを如何にとらえるかという問いかけにあったとおもう、そして、なんとシェリーのこの「雲雀」の詩とも添えてきたのであった。この「慰安婦」問題とその像撤去の問題のその後は、周知のとおりであるが、「Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.」の表現の部分が、直接「慰安婦」の問題の信憑性とは別に、何ものもなきこの社会の普段の人の根底へ、意識の目覚めをうながしているようにおもえてならなかったのであった。だから、何だと問われて、その説明は散文的説明 乾燥にすぎて意を喚起し伝えないが、詩文であるからこそ潤いのなかで意が動くとみたが、それ以上のことは語れない。  
筆者の日本語訳「雲雀に捧ぐ」は、自然と文語表現になってしまった。手をたたいて拍子をとり、舞い囃す歌がつたえる何かなのであろう。
なお、この時は「草枕」に使われた英詩が、シェリーの「雲雀」であることに全く記憶のそとで、そもそも碌々読んでいなかったことを告白する。ところで最近はネットで文学朗読など、イージーリスニングで昼寝の折に、敬愛する漱石先生のこの文脈でさらっと脳裏に入って、そしてあらためて心にとめたと付記しておく。

康全さまへ      いろはより
雲雀は日本全国どこにでもいる鳥としてなじみ深く、歌にもよく詠われています。
万葉集の歌人大伴家持の誰もがそらんじることのできる歌
・うらうらに照れる春日に雲雀あがりこころ悲しもひとりしおもへば
歌人佐佐木幸綱にひばりのお歌がたくさんあり
・ひばりひばりぴらぴら鳴いてかけのぼる青空の段(きだ)直立(すぐた)つらしき
『夏の鏡』
・靄の底に雲雀の声す茫として見えざることの清しき視界『直立せよ一行の詩』

春のあたたかな明るさのなかにも、郷愁をさそう雲雀の鳴き声が、愁いや慰めを呼ぶのでしょうね。

女性用下着の会社を興した塚本幸一氏は先の戦でインパールに行き、命からがら日本に戻って来たときに、アメリカ兵と腕を組みながら歩く日本の女性たちを目にして呆然とし、むなしさにうちひしがれ、戦をしてはならないと、意を決したのだとか。
慰の字には、なぐさめる・いたわる ・なぐさむ・気が晴れる・もてあそぶなどの意味があるようです。その時代にあって、今のように非難されるものなのかどうか。女たちの生きる方法のひとつの糧であったことはいなめず、名を変えていま尚続いていることをおもえば、ものの善悪では捉えきれない、おたがいの救いでもあったのではと。民族人種の違いはあれど、男と女という性別のくくり(いまは多様性あり)のなかで、永遠に続くテーマを貶めることなく、天高く飛びゆく雲雀のように歌い呼び合う自由さが、命の未来を繋いでいくのではと思います。



絵    康全

ご参考:

朝日記250210 朗読「雲雀に贈る」

朝日記241211 ―詩歌―雲雀に贈る(TO A SKYLARK)と今日の絵

朝日記250208―随想―シェリーの詩「雲雀」におもうこと

no164ばらの五月4 A golden worm 金色の羽虫.

 

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朝日記250208―随想―シェリーの詩「雲雀」におもうこと

2025-02-08 15:54:05 | 自分史

朝日記250208―随想―シェリーの詩「雲雀」におもうこと

初出し:HEARTの会会報No.120 2025年新年号 NPO法人 人間環境活性化研究会 ISSN 2180-4454

―随想―
シェリーの詩「雲雀」におもうこと
会員 荒井 康全 
親愛なるいろはさま

 

HEARTの会2024夏号に掲載した英国のロマン派詩人シェリ―の詩「雲雀」の和訳への所感を書き留めておきます。 

夏目漱石の「草枕」の冒頭で彼が例の「智に働けば角が立つ…」にて画帳を抱えて山越えのスケッチの旅にでる。         
徒然なる思いのつながりで西洋人のものの思い方を詩に託し、東洋のそれとの違いにふれる。外は清々しく雲雀が気持ちよく空に囀る。英文学の学士様であるから、むかしおぼえたロマン派の詩人シェリーの「To Skylark」のなかの一節くらいはさっと口からこぼれよう;
 「We look before and after
 And pine for what is not;
Our sincerest laughter
  With some pain is fraught;
Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.」
 この詩を漱石は次のように訳する;
「前を見ては、後えを見ては、物欲しと、あこがれるるかなわれ。腹からの、笑いといえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極みの歌に、悲しさの、極みの想、籠るとぞ知れ」
この辺は有名な文の下りで、心地もいいので区切れまで続けておく:
 「成程いくら詩人が幸福でも、あの雲雀の様に思い切って、一心不乱に、前後を忘却して、わが喜びを歌うわけには行くまい。西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく万斛の愁などという字がある。詩人なら万斛で素人なら一合で済むかもしれぬ。して見ると詩人は常の人よりも苦労性で、凡骨の倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあろうが、無量の悲も多かろう。そんならば詩人になるのも考え物だ。」
ここまで考えのながれがおよぶと、この天気で眉間の立て皺を深めることも馬鹿げてくるから、まあいい放っとけとなる。
それで;
「春は眠くなる。猫は鼠を捕ることを忘れ、人間は借金のあることを忘れる。時には自分の魂の居所さえ忘れて正体なくなる。只菜の花を遠く望んだときに眼が醒める。」
素直に現象派に戻って;
「雲雀の声を聴いたときに魂のありかが判然する。雲雀がなくのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれ程元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。」


        
シェリーはバイロンとならぶ英国ロマン派の詩人であるらしい。因みに彼の妹であるアダは計算機の発明者として科学史に残るが、彼女はバイロンのパートナ
ーであり、あの怪人フランケンシュタインを創出した詩人としても知られる。
もう十年ほどまえであるが、ロンドンの郊外にすむ知日派の英国人Barry Byrne氏とHEARTの会の山内理事長を通じて、知己になった。彼は英国での高齢者活動活性化運動ACEの指導者のひとりで、乞われて日本でのカウンターパーティであるACJ(Age Concern Japan、理事長は塚谷皖子氏)との会議でお会いした人である。あの頃によく交信交流していたのである。

 

朝日記250210 朗読「雲雀に贈る」

 

朝日記241211 ―詩歌―雲雀に贈る(TO A SKYLARK)と今日の絵

 


絵    康全

その彼があるとき、シェリーのこの英詩の原詩「To Skylark」に、彼の日本語訳詩を添えて送ってこられた。副題は「慰めには涙を伴う」としてあった。そして彼の手書きになる習字書体での「慰」である。彼の意味するところはこの字体を絵画的にながめること、なるほどこの字には「、」が空間に散っている。かれはこれを象形的に多くの「泪」として描いたのであった。読むものは通常それを意識はしない。
当時、隣国はかの女性大統領での大変な反日路線で「慰安婦」を大々的に国際世論に訴え、その像を韓国日本大使館の前をはじめ、サンフランシスコなど米欧の都市に設置する活動があったことはまだ記憶にあたらしい。もちろんまだ済んでいない。彼はそっと、日本人である君はそれを如何にとらえるかという問いかけにあったとおもう、そして、なんとシェリーのこの「雲雀」の詩とも添えてきたのであった。この「慰安婦」問題とその像撤去の問題のその後は、周知のとおりであるが、「Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.」の表現の部分が、直接「慰安婦」の問題の信憑性とは別に、何ものもなきこの社会の普段の人の根底へ、意識の目覚めをうながしているようにおもえてならなかったのであった。だから、何だと問われて、その説明は散文的説明 乾燥にすぎて意を喚起し伝えないが、詩文であるからこそ潤いのなかで意が動くとみたが、それ以上のことは語れない。  
筆者の日本語訳「雲雀に捧ぐ」は、自然と文語表現になってしまった。手をたたいて拍子をとり、舞い囃す歌がつたえる何かなのであろう。
なお、この時は「草枕」に使われた英詩が、シェリーの「雲雀」であることに全く記憶のそとで、そもそも碌々読んでいなかったことを告白する。ところで最近はネットで文学朗読など、イージーリスニングで昼寝の折に、敬愛する漱石先生のこの文脈でさらっと脳裏に入って、そしてあらためて心にとめたと付記しておく。

康全さまへ      いろはより
雲雀は日本全国どこにでもいる鳥としてなじみ深く、歌にもよく詠われています。
万葉集の歌人大伴家持の誰もがそらんじることのできる歌
・うらうらに照れる春日に雲雀あがりこころ悲しもひとりしおもへば
歌人佐佐木幸綱にひばりのお歌がたくさんあり
・ひばりひばりぴらぴら鳴いてかけのぼる青空の段(きだ)直立(すぐた)つらしき
『夏の鏡』
・靄の底に雲雀の声す茫として見えざることの清しき視界『直立せよ一行の詩』

春のあたたかな明るさのなかにも、郷愁をさそう雲雀の鳴き声が、愁いや慰めを呼ぶのでしょうね。

女性用下着の会社を興した塚本幸一氏は先の戦でインパールに行き、命からがら日本に戻って来たときに、アメリカ兵と腕を組みながら歩く日本の女性たちを目にして呆然とし、むなしさにうちひしがれ、戦をしてはならないと、意を決したのだとか。
慰の字には、なぐさめる・いたわる ・なぐさむ・気が晴れる・もてあそぶなどの意味があるようです。その時代にあって、今のように非難されるものなのかどうか。女たちの生きる方法のひとつの糧であったことはいなめず、名を変えていま尚続いていることをおもえば、ものの善悪では捉えきれない、おたがいの救いでもあったのではと。民族人種の違いはあれど、男と女という性別のくくり(いまは多様性あり)のなかで、永遠に続くテーマを貶めることなく、天高く飛びゆく雲雀のように歌い呼び合う自由さが、命の未来を繋いでいくのではと思います。



絵    康全

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朝日記250208―随想―相模国に鎮座する丹沢の峰々

2025-02-08 15:08:39 | 自分史

朝日記250208―随想―相模国に鎮座する丹沢の峰々

初出し:HEARTの会会報No.120 2025年新年号 NPO法人 人間環境活性化研究会 ISSN 2180-4454

 

―随想―
相模国に鎮座する丹沢の峰々

会員 荒井 康全
『性霊集』身は花とともに落つれども心は香とともに飛ぶ ~空海

 

景0 朝の丹沢・大山

 

景1 トーラス気流の丹沢・大山

 

景2 黒い丹沢・大山

 

景3 青い丹沢・大山

 

景4 早暁の丹沢・大山

 

景5 赤い丹沢・大山

 

景6 三峰山の見える丹沢・大山

 

景7 葵い丹沢・大山

 

景8 See you, Mt. TANZAWA -OHYAMA

 

     

景10 A Deep Fall Scape    景11GRANBERRY 's

 

覚悟して山の稜線を追ってみる。晴れの朝には、あさ雲の時々刻々のうごきで山の前景と後景が浮かびあがり、朝日に照らされて前景の影が、後景の山並みに形を投影しているのがわかる。山並みの凹凸の、かすかな凸でもひとつの山と知る。雨雲のときも姿がわかり、山肌を這う白い霧がおもしろい。そうなると、あの頂きは何であろう、名のある山に違いないと地図をながめ、いま見える山を描きながら名を重ねあわせてみる。
丹沢山系というのは、平面では工の字型をしていて、部屋の位置からはこの工の下の一を軸に上の一を奥手に倒した形、山並みがよこに前後してならびそれらをむすぶ縦奥行きの山壁があるといった態である。一方、大山1252mはその丹沢山系の前景に位置し、あの烏帽子のような形の頂から左方になだらかな下降稜線を描き、その下降の始まり辺りから奥へとなだらかなふくらみの稜線を引き、丹沢山系前景へとつながる。丹沢山1576mと名のついている頂きは、後景の横稜線をつなぐ山の背の始めに位置するようである。この山の背と後ろの横につらなる山々の頂きがいくつか重なってみえる。前方の山並みは西峰、中峰、東峰と続くが、急速に下降し、それを補うように前景の辺室山が横にのびる。これらが前後平行して、一見一体のものとしてこちらに押し出してくる感じである。丹沢山の後方には盟主であろう蛭岳1673m、袖平、黍穀山などがいくえにも重なる。わが眺めから確かめてみよう。家に戻ってから県地図をひろげ、わが基点(東急南町田グランベリー駅)から各山頂へ定規で線引きする。測量した人はすごいなと改めておどろく。
大山はこれまで幾度も描いてきた。家内からは「大山大観ね」と揶揄されるほどであるが、今回は地形を調べてみる。この山はご承知のように、上述の山頂から右下降がはじまるとまもなく前方に「山」という字のかたちの三つの山々がならんでいる三峰の山である。伊勢原市あたりまで近づくとこの山が力強くなり、いまここからでは裾野のグラデーションがきれい、むかしのひとは裾濃ともにおいとも。その裏あたりが宮ケ瀬ダムらしい。
一方、大山山頂から左下降では裏側から烏尾山とか二の塔、塔の台がつらなり段々と落ちていく。この景色を何枚も早描きする。地形的知識はこの場合どのくらい助けになるのかわからぬが、すくなくとも形の特性は抑えているので一応目をつぶっても形にはなる。象形文字的になるのはあぶないが、写真のような写実になるのもつまらぬ。ただ、調べることで山々への敬いや、刻々とかわる気配にときめき、手がはしる。

今回の大山大観にみがきをかけたのは、たまたま、立ち眩みが夜中にあり、緊急ICU治療となり、ユニットでのスタッフの俊敏無駄のない動きには感動さえおぼえながら、静まり返える明け方、患者への声掛けが聞こえる、患者は結構無理難題を出している。それに対応するスタッフの人とガラがでている。なにもないがスプレー瓶を一つ描く、車いすもおもしろい。こんな無機的なものに描線がはいると意識があらわれる。いま哲学界と物理学系の話題の中心である「意識のHard problem」命題へと繋がろうか。

体調は年相応でこれからの2・3年は要注意、養生として、たべもの、うんどう、あたまつかい、ほか課される。部屋から山々の展望が豪華で幸い主題の立ち眩みの方はささやか。ちいさな画帳とクレヨンを肌身はなさずそっと携え、たっぷりこれに取り組める時を得る。 

 

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朝日記250208 橘樹住香no.18―歴史逍遙―神のつかひ

2025-02-08 14:17:56 | 自分史

朝日記250208 橘樹住香no.18―歴史逍遙―神のつかひ


初出し:HEARTの会会報No.120 2025年新年号 NPO法人 人間環境活性化研究会 ISSN 2180-4454

―歴史逍遙―
神のつかひ
会員 橘樹 住香

 


あまのはら ふりさけみれは かすかなる みかさのやまに いてしつきかも

奈良のみやこ平城京は あとかたもなくきゆるも あすかへひめ (安宿媛・光明子)のひとみのおくにととめし三蓋山春日原生林は いまもめのまえに 裳裾に秋風のとほりしときをおもふ 神のつかひの三蓋山の鹿と 人のいきとしいけるむつましき奈良をはなれると 人の見かたはとりかはる 奈良の人たちは鹿を大切にし ひなはあしさまとす

筥根では土日祭日に役場から猪の退治とつたへ 山あそひに人のおほくつれたつときに鉄砲はあふない 今年に入り きのうもきょうも 鹿の退治にあれれと 鹿肉のもとめなのか
 
奈良の鹿を神のつかいとするのは わか國の憲法ににかよふ 憲法九条も鹿のようなもの 武器をたよりとせぬやほよろつの國々となれは穏やかなのに 萬國は日本をお手本にいまそ まなふときなのか

文明の十字路は きなくささをかかへるのはなにゆゑか トランプは米國の武器にかかはるディープステートにいどもうとしているのか プーチンはウクライナを日本のような夢の國へ ゼレンスキーはアメリカのディープステートにそそのかされ戰となる ドイツは第一次世界大戰にてやぶれ 一部がポーランド領となり 鐵道のもとめをこばまれ ひずみをもたらす チャーチルのわななのか また 蒋介石を應援するふりをして 毛沢東政権をつくりしは米國か 大東亜のいくさも 米英に闊歩する武器商人なのか 第二次世界大戰にひきずりこまる 朝鮮 ベトナム アフガニスタン イラクのいくさもしかり

防衛費をふやすために 國民をあおり台湾有事をいふも ありえぬ アメリカの基地はとは(永久)  日米同盟は米國から日本へのいくさをふせぐため 米國を大唐のみやこにみたてれば 倭國はその花 米國もいつの日にか枯れていくのか ふたたび平城京平安京のごとき桃源郷の夢の國へ
欧米は兵器の技術開発に力をいれ 米國はいくさにて世界一の大國となるも 日本は電氣炊飯器から 人のくらしの團欒の楽しさより生まれる技術開発 きめこまやかな先端技術は いつのまにかぬきんいで 萬國のこまりことをとく課題先進國として 日本なくして動かぬ世界に 倭國にてなしとげし半導体からスーパーコンピューターへ 萬國のゆたかな今日明日をになひ 尊き國となりゆく
觀光立國のわれの願ひ 時の小泉総理に傳はり觀光庁となる 抹茶や日本食や酒など 世界の人からこのまれ 日本をまもるのは津々浦々にあふれかへる異國の旅人となろう 日本傳統工藝に異國の人も挑むやも 武器にたよらぬ觀光の國へ 眞珠の國 日本こそ地球のたからとたふとばれ 日本列嶋まるごと 世界遺産となる日をいのる

われの子守歌は讃美歌と聖書とモーツァルトにふけり 母の三味線の音 わか葉のそよきに胸ときめかせ おさなき日のすみしひとみのこひしさを


 
 守屋多々志

 

 
菅原孝標はむすめとともに房総に旅立ち上総の介となる むすめは源氏のものかたりをもとめ 地蔵尊を発願し 一心に祈り手に入れる 源氏をたつさえ 都にかへり ひめみこの姿となり 更科日記となる 房総のなにかしの寺を訪れ この像のなかに娘のおもかけをしのひ うつす 
 

 

藤原王朝 京の都 池に衣笠山をうつし きらきらとひかりかがやき かぜがささなみをたて とほりすぎてゆく 藤原定家も明月記にてほれこみ 林泉のみごとさをたたう もっとも王朝のおもかげののこる景色をつたへ 平安朝の不動明王が西園寺邸につたはりうつしてみる 室町府源征夷大將軍義滿がこの地をめで 手に入れ鹿苑寺となり いまにつたふ はれのひ くもるひ 萬國の人々のひっきりになしに訪れ 林泉の美しさに わーすごいと歓声をあげ さすが やほよろづの國々の筆頭としての金閣寺となる 

 

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朝日記250208 橘樹住香no.16―歴史逍遙―おおきみのみやこ かくはしきはなさく里

2025-02-08 13:38:21 | 自分史

朝日記250208 橘樹住香no.16―歴史逍遙―おおきみのみやこ かくはしきはなさく里
初出し:HEARTの会会報No.120 2025年新年号 NPO法人 人間環境活性化研究会 ISSN 2180-4454

―歴史逍遙―
おおきみのみやこ かくはしきはなさく里


会員 橘樹 住香

  
平安朝 國寶 平重盛ゆかり 原寸にてよみかへらす


 
時の鈴木敬三教授は 裝束の着せ方にぬきんいて 安田靫彦の國重文の黄瀬川の陣の左翼の義経参着は紫裾濃鎧 右翼さきの右兵衛権佐頼朝のわきに茜縅鎧をくしゃりとおく 靫彦は常日頃 手元にめつる萌黄匂縅鎧をもとにいろとりをかえ天下の名作となり 國立のあの竹橋にある

前田青邨の細川ガラシャはひめみこに桃山時代の裝束を青邨の目の前にて着せてみせ 日本畫となりバチカンにおさむ
圓鍔勝三は鈴木敬三のたしかな考証のもとに 式部ゆかりの越前に金箔の紫式部像となる おのおの文化勲章に 
佐多芳郎は靫彦の繪をみてしまったからね われは藤原王朝の深奥な美のみはてぬ夢おひひととなりゆかむか 


重要文化財 鎌倉時代

 

五代執権北條時頼


上杉重房

時頼と佐野常世とのおとぎ話として「鉢の木ものかたり」につたふ
五代執権のとき 後嵯峨天皇の皇子宗尊親王鎌倉府六代將軍につき従ひ藤原重房は鎌倉へ 丹波國上杉庄を賜り上杉重房となる 子孫に室町府の足利高氏直義
 


               治承ものかたり          住

 

  
                 陸奥 いわき
 
このはにわのいわきとゆかりの安藤家は おとめ流のお茶の家元としてつなかりの深く 江府老中安藤信正は 伊勢 長門 対馬守ののち岩城平藩主となり 井伊直弼のもと若年寄 老中となる 桜田門にて井伊は打たれ 信正は井伊家の門をどんどんとたたき 井伊君大丈夫かと はやもこと切れ 信正らは病氣療養として半年隠すと 安藤の家元は語る そののち 久世広周(ともちか)とふたり老中となり幕政をとりしきり日獨修好条約 小笠原列嶋を日本領に また時の將軍に帝の妹を嫁す 吉田松陰たちの顛末の老中として 水戸の武者に坂下門にて背中をきられ その後 まみえしイギリス領事オールコックはその氣丈さに感嘆とつたふ  
井伊家の菩提寺のある豪徳寺の錢湯とひなひたみちゆきのいとほしきかな
 

  

仁德天皇陵
 

   

 

禁秘御抄 順徳帝          住

順德帝 承久元年 禁秘御抄をかきのこす  宮中の帝としての裝束 室禮 局の庭の木立のありさま 時々の帝から帝へつたふる三種の神器の紫草染めの絹のいたみあるたふとさ こまかくしるさる 承久の大亂となり後鳥羽上皇は隠岐へ 順德帝は佐渡へ 土御門院は讃岐へと配流 内裏は鎌倉の世に燒けてしまい 仮の御所を土御門邸へ 即位も 江戸のころに禁秘御抄をたよりに京都御所となる もとの平安京の内裏はもうない この禁秘御抄のみに藤原王朝のありさまをつたふ 

 

 

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朝日記250208 橘樹住香no.17―歴史逍遙―こき眉の藤原王朝の女房姿

2025-02-08 12:16:18 | 自分史

朝日記250208 橘樹住香no.17―歴史逍遙―こき眉の藤原王朝の女房姿

初出し:HEARTの会会報No.120 2025年新年号 NPO法人 人間環境活性化研究会 ISSN 2180-4454

-―歴史逍遙―
こき眉の藤原王朝の女房姿
                             

会員 橘樹 住香 
 
恩師鈴木敬三のゆめ ここにあり かたみに刮目してみむか 
國寶 平安朝 裝束再現


 
藤原王朝のおもかけを留める裝束は 源征夷大將軍頼朝 鎌倉府開闢を寿き王朝復古をこころみし後白河上皇のてもとにのこる院政爛熟期の裝束を御神寶として鶴岡社につたふ


 


 
平安朝をしるにはこの一具のほかになし 國寶は九百年ほとの星霜にもろくなり わか國の最古の姿を原寸にてよみかへらせ きこなしの姿は再現され はじめてその姿をとどめおく 日本文化のなかでもとても貴重な寫真 
 

 
 
 


 

 
最初の國の重要無形文化財の喜多川平朗が西陣にて織りを再現 考証は時の國學院大學鈴木敬三教授のもと仕立てられし基準作例 國學院付属高校日本文化資料館にのこるとても貴重なもの 國の重文にふさはし 
 

 


ほかにいまに留めおく藤原王朝のおもかけをしのふ装束は室町府開闢 熊野速玉大社に源征夷大將軍義満のおさめし御神寶としてのこる さらに熱田神宮御神寶として源義満のおさめし裝束のいまにつたはり これらの國寶からよみかへらせる
 

 

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