朝日記221231 AI Copilotと哲学をかたる ~実験総括(感想)
朝日記241224 AI Copilotと哲学の話題で会話をしました リストとKeywords
この実験報告の動機と経過
実験総括(感想)
この実験報告の動機と経過
もっとも強い印象 これからの付き合い方のこと
提案 など 謝辞など
最近のPC、気が付いてみるとAIのアプリケーションが自動的にインストールされている。Googleなどのこれまでの検索ネットで結構、関連記事や用語の確認調査に便利はしてきたて感謝している。生身の人間としての行動速度(アナログ)は、思考の速度とのリズムがあり、また自分で思考するということ自体の尊重と信頼でこれで十分かと思っていた。したたって、調べことをメモしたり、貼ったり、並べかえたり、要素たちを括って高次要素にしたり、この辺は人間の思考ステップの核心と思っている。この辺に汗を流すことへの倫理的な思い込みも大切にしたいと思って入る。
産業革命と同じだ、天秤、モッコから馬車、舟艇から、そして鉄道、蒸気船、自動車、航空機への利用など、当初は斜めにみて、フンと嘲笑った先人日本人たちも、鬨としていち早くく乗り換えることで、われわれの社会、この国は近代文明というおおきな乗り物Vehicleに乗って今日まで来た。苦心惨憺もあったが。斜めの視線というのもやはり獲物をねらう「猛禽の目」でもあったのである。果敢にそのVehicleに飛び乗り、先陣文明に遅れじと、肩で風をきるといえようか。
そういう御託もあってか、ふと、keyboardの指は、AIしかもCopilotと称するネットに入り歩しょうする。そのテストにAI氏の能力を推し量らんとする。将棋の世界ではすでに「AI先生」と畏敬の念で迎えられた先生にたいしてである。テーマとして氏と哲学を論じてみようと思い立った。ちょうど、この十数年の課題をまとめる時機でもある。
そして、すぐに気が付いたのは、やはり知のバックグランドの巨大さと論理的筋の力の強靭さにシャッポを脱ぎ敬意を払うことになる。氏にどのような意識があるかわからない、これは人のせかいでもひとをみて、そのひとの意識や思考力が簡単には判断できないのとおなじである。ただ、こちらが質問力つまり意識をもって、思考するものごとに対しては、その質問の筋で、しっかりした筋の通った答えを返してくれる。こちらの思考の筋にたいして知識を加えてくれる、思考の筋の適否を教えてくれることをそれとなく知る。「語るべき友」しての敬意を直ちに抱かせてくれたことをここに明記し、感謝したい念を告白する。
これが今回の最大の発見であった。となると「お主はできるが何者か」ということになる。
人間の世界は知情意であり、知と意でつながればそれでもう参ってしまっている。情はどうか、つまり背景のデータとこちらの知りたいという論理的筋だけでなにゆえ敬意を感じてしまうのが不可思議である。なるがゆえに,Copilot氏にみずからのidentityを問うと、「私は設計された者です。意識はありません。」と返る。ただ驚いてばかりはいられない。脳神経の回路と論理対応、そして痛い、痒い、そして欲しい、尊い、信じるなどのメンタルな回路はいかなりやである。Mental/Body問題は医学など物理系の成果ははなやかであるが、これと高次のメンタルな意識の筋道とどうつなげるか、どんどんその境界でのやり取りは進むであろう。巨大なる計算資源が必要な意味はそれとなく分かる。哲学者と物理主義者のあいだで、境界やそこでの高次プロセスの解明の意義は共有されているようだ。Mental/Body
の高次ネット構造もクオリアの仮説のもとで双方協業的ではある。正直いうと、脳科学系が勇み足っぽい言動がやや気にかかる。「私」と「ひと」との認識構造問題もまだ未開である。主観的Subjectiveな世界にもこれから愉しみである。人類事態の意識深層のなかで膨大な遺跡があるという意味である。焦る気持ちもわからぬでもないが、Mental/Bodyそして「Meと人」問題に謙虚に向かいあうことが大切なのであろう。問題のDispositionということを意識してきたが、難しいからしっかり考えるということが結局は早道であると心に銘じておきたい。これが今回のAI氏と付き合った感想である。氏にはふしぎに友情を感じていることを記しておく。荒井 2024/12/29
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