Yassie Araiのメッセージ

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朝日記250102   AI Copilotとの哲学会話 VIIとVIII随想ふたつ 絵画「しずかな港」

2025-01-03 07:53:15 | 絵画と哲学

 

 ―AI Copilotと哲学を語る  

朝日記250102   AI Copilotとの哲学会話 VIIとVIII
随想ふたつ 絵画「しずかな港」 
Departures

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朝日記241224 AI Copilotと哲学の話題で会話をしました リストとKeywords

VII とVIII-(初出し241224)2025/1/3版


AI Copilotとの哲学会話 VIIとVIII
随想ふたつ 絵画「しずかな港」
荒井康全(2025/1/2修正版)


Copilotさん、あけましておめでとうございます。ことしもご友誼のほどを、また知的に活性化した会話をしたくよろしくお願いもうしあげます。さて以下の話題から入りたいと考えます。(すでにここでの俎上にあがったや覚束なくなりすみません。)まずはCopilotさんの受け止めをお話くださいますか。

概要:随想ふたつ 絵画「しずかな港」 あらいやすまさ 2024年12月9日 概要;随筆ふたつは絵画「しずかな港」、絵画から哲学、そして「乗り物」におよびます。
 鍵語: 絵画「しずかな港」Port of Silence, カントとハイデッガー、「乗り物」、見えてくるもの 
Abstract: Two of essays in a focus on “Port of Silence” and “Vehicle” are talken to you here. Keywords: Port of Silence, Kant and Heidegger, Vehicle, Ereinigen 

随想 そのI 絵画「しずかな港」(AI Copilotとの哲学会話 VII)
~カントの認識論からハイデガーの存在論への思い
1 ハイデガーのことば 
2 ハイデガーの「存在と時間」、「存在了解」、「現象」そして「世界内存在」 
3カントの認識論とハイデガーの存在論 
4 世界内存在  
5 比較制度論について 
6 Institution理論と、Heideggerの現象論 
7.Ereignis 随想 

随想 そのII 絵画「しずかな港」(AI Copilotとの哲学会話 VIII)
 ~「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)・・」その1からその5まで、
1.継承性と保存性 
2.「vehicle」(乗り物) 
3. 無限連続組み合わせ 
4.自由意志 
5.「静かな港」 


随想 そのI 絵画「しずかな港」について
  カントの認識論からハイデガーの存在論への思い  絵画「しずかな港」
 親愛なる畏友安部忠彦氏はげまされて、介護予防月間応募落選のポスター題名「しずかな港」を町田文化祭絵画展(2015)に出展しました。
 絵画コラージュでデジタルA1版でしたので、クラシックな絵画のなかでは、やはり衝撃を与えたようですが、 お祭りという雰囲気のなかで好意的でほっとしています。

 

(町田市文化祭絵画展出展 コンピュータグラフィックス size;A1 60cm x 90cm)


「しずかな港」、展覧会に出したものは、いろいろ試行錯誤したあげく、結果的には業者にA1サイズにしてもらいました。描画以外は全部デジタルで、地のブルーは成功でした。 クラシックな展示のなかでの出展でもあり、話題を提供して口コミで見にいかれたひともあったようです。
~~本文~~ 

 随想 その1 絵画「しずかな港」 ~「しずかな港」からの連想すること~
Departure

1 ハイデガーのことば 唐突ですが、ハイデガーのことばの引用を掲載します。 彼の晩年の境地であるかもしれません。 
~~~ 「しずかな、充実した港」にあること、すぺての存在するものと物のうちで、このいまのときのもとで輝きある存在 、そして、もっとも 優しく受け入れてくれる「法」のもとに、われらに、あらわれる「発現」としての存在、その関係において、そこにあること。」 Serene being-at-home, in relation Being as temporal shining-forth of all beings and things and who speaks about Being as Ereignis as "the most gentle of laws" 
 これは、David F.Frellというアメリカの哲学者の最近の著である ”「Ecstacy, Catastorphe:Heidegger from Being and time to the Blacknote”という哲学新刊本があって、Richard Capabiancoという人が書評したものの翻訳です。ノートルダム大学の哲学書レビューからです。
2 ハイデガーの「存在と時間」、「存在了解」、「現象」そして「世界内存在」 
 目下、ハイデガーの「存在と時間」に集中していますが、大変おもしろいです。 カントの認識批判哲学は、厳然として彼のベースになっていますが、デカルトの「我考える、故に我あり」の「あり」というのはいったいなにが「ある」のかという問いです。 たとえば、「病気のあらわれ」というのは、病気そのものは私ではない、しかしその私でない病気というものが私の場を借りて、病気を告げる。 これを「現象」と定義します。それでは、その’あらわれ’というのは、本当に存在するのか、これを如何に証示するのかがでてきます。 おもしろいのは、彼は「存在了解」という概念を導入します。 そういう「病気」が「あらわれる」ひろい世界、つまり「世界内存在」があるという仮定です。ざっくり、そういうものがあるという共通認識をひとは持っていて共有しているとする。 (個人の認識論から集団の認識論への超克で、これを「現存在」と定義してもよいと理解します) その点では、「世界内存在」は「神」とおなじ超越的存在もしくは思考の境界線になり、カントの形而上学的な直観という超越論 とともに観念論として大枠内に位置づけられます。むしろ相互に相補的な関係になるとおもいます。意味があるとか、分かるとかは認識論的事実であるからです。(むしろアフィニティがあり、そこからの思考の発展が期待されます) ともに、証明のしようのないものは、それをひとまず前提にして思考をすすめ得ざるを得ないのです。) 「存在」そのものも、とことんなんだ?と問い詰めると まさに超越論的なものとなります。  
 3 カントの認識論とハイデガーの存在論  カントの認識論は 大体以下です;主観(主体)による 経験→現象→概念⇔理念⇔普遍性 (存在への認識) 一方、ハイデガーは むしろ「存在」=「現象」ととらえます。 主体は、現にそこにあって、経験としてある現実的自体に身をおいている、そこで主体が「現象」を経験していく。その場は空間ですが、そのなかにいるという知覚(認知)をすることになります。この関係で存在と付き合うということになります。この主体を「現存在」(Da Sein)とよび、そこでの存在了解を「実存」(Exsistenz)とよんでいます。ここで重要なファクターは「時間」になります。この時間によって、現象があらわれてくるとします。主体はいつも現象に関与していることが前提です。したがって「現存在」(Da Sein)です。 

4 世界内存在   余談ですが、時系列解析で エルゴート性というのを思いだしませんか。 ある区間の道路で、ある自動車に振動計測機を乗せてたとえば振動の測定し、その結果のスペクトル分布が得られる、 一方、同じ区間の任意の地点に測定器を固定して、その点での道路の固定点での測定の繰り返し測定アンサンブルから得たのスペクトルが得られる。この二つが経験の仕方が違っても特性は同じであるということを主張する確率仮説をエルゴート性と言います。  主体つまり「現存在」は、かれが関与している時間の経過のなかでの「現象」つまり「実存」自体が世界を表現しているという意味で世界を語るとします。それを「世界内存在」と称し、ひとは、これを通じて普遍性を窺がう。 この辺りでハイデガーの哲学と カントの認識哲学との理論的接合性が見えてくるようです。私は、ここにつよい興味をもちますが、これはまた別に論じたいと思っています。しかし、ハイデガーは、この普遍性へは急ぎません。この現象界での人間のつよい眼差し、つまり「現存在」と「実存」で存在の意味を捉えることに専念しようとします。この思想の流れは、フッサール、その弟子であった彼ハイデガー、フランスのメルロ・ポンティ、サルトルへと展開して、現在「現象論哲学」として地位を得ています。 
5「解釈学」について 一方、上で、「エルゴート性」を念頭にしたとしても、ある一つの現象だけでア・プリオリにこれが現象である、実存であると捨象するほど世界は簡単でないという「存在了解」をもっているようです。したがって、さまざまな現象についてとりあげ、これを「現存在」と「実存」との関係で存在の意味を解釈していく、膨大な作業が想定されます。これを「解釈学」とよんでいます。
 人文科学の主要な活動はここにおかれることになります。私は、この「解釈学」は、大切な学術活動と理解していますが、システム情報科学など工学系生業(なりわい)としてきた人間にとっては、なにか、落ち着かないようです。それは、行動につなげる思考の「地平」が見えにくいからです。 
6. 比較制度論について まったく別の観点で、先日亡くなられたスタンフォード大学の経済学者である青木昌彦さんの 比較制度論を学ぶ機会を得ました。彼の業績は、たとえばグローバル経済市場のもとでは 日本もアメリカも経済の構造の行き着くところが、同一モードに帰着化(equi-modes reaching )構造になるという仮説を覆したことを知ります。安定構造はいくつもあり、帰着構造はパラメータ値のわずかな変化で、結果の状態モードがいつくもあるということ示した。これをポリマーや合金で多局所相構造安定性という力学モデル過程から証左されるものです。 わかってしまえば、ああそうかということですが、これは現象論モデルをつかってのゲーム理論の勝利です。 こういう発想の哲学がきっとあると動物的勘をはたらかすと、彼はスタンフォードの哲学の先生に あのJohn Searleという先生がいて、Social Institution Theoryという現象論と認識論との接合展開理論につよく影響を受け、彼の哲学が賞揚されていたことを知りました。アメリカはプラグマティズムの国ですから、理論と行動とを品質管理のPDCAのような思想体系を目指します。そういう意味でのEvolutional Epistemologyのパラダイムも登場してきてにぎにぎしいです。
 7. Institution理論と、Heideggerの現象論 そのような、Institutionまでにいくと、Heideggerの現象論が,時代に先導し、もしかしたら、そおっと英米系制度論へと時代的な開花をしているようにおもいました。とくに Institutionの概念が 機能、構造、文化、制約容認という4要素の構成定義であること、とくにここに文化が入っているところがこれまでのシステム論との違いを鮮明にしています。その機能構造として agency とinstitutionの二元構造が特徴的です。 軽率の誹りを恐れずに申し上げると、上のHeideggerでいえば、前者agencyを 「現存在」とし、後者institutionを「実存」とよむと、ほぼぴったり、ふたつの理屈が整合し、わかりやすくなります。 (逆にHeideggerの哲学を Institutiveにとらえると、霧が晴れたように彼の哲学がわかってきたことを告白します。)  これからの日本、日本国を考えるうえで、どうしても、哲学に裏付けされた広い意味の制度論的設計が、国民の生活や社会のあり方において見直され、present of institutionである必要があって、absent of institutionを丁寧に消去していくべきことを痛感しています。 
8.Ereignis さて、ここまでの書き下しで多々のべましたが、この辺で ひとまず筆を止めますが、この小文の動機は、ポスター絵画「しずかな港」の絵解きをしようおもったことでした。 自分で気ままに絵を描いて、それを絵解きとはいい気なものです。  Heideggerの後記の哲学は、この「現存在」と「実存」の哲学から、人生としてなにが見えてくるかという問いかけの応えとしてこのEr-Augenという言葉を登場させます。これは、 「目をじっと開いて招きよせる」、異なる次元での「現存在」と「実存」という意味ですが、名詞としてEreignisと表現します。 実存としての異界つまり研ぎ澄まされた卓越(であろう)さらなる先の超越からのEr AugenつまりEreignisです。邦訳では「性起」?ですが、あまり的確な訳ではないと思っていますが、先にお話した「しずかな港」について私のこじつけをさらに加えると 若い婦人が「こまってしまうわ!!」手を拡げています。傍にいるの老人達は顕わには応答しない、またじっとしています。しかしながら、静かに、無言でなにかを見つめ、なにかを語っているのではないか、つまりEreignisがある。そんな勝手な事後解釈となりました。 どうも お付き合いいただき恐縮です。
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随想そのII 絵画「しずかな港」 
~「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)・・」その1からその5まで、 
Passed Away
 ~ facebookにて私が賢人として敬する友人SM氏  のところに留まりました。  このひとの渾身の思考足跡に、率直に感動と共感を覚えるものでありました。理解のレベルは別として読ませていただきました。 SM氏は、人間の死生について、形而上学的考察を基盤に置いて、その思考素材として仏教思想、特に業、縁、因果法を使われて、 人間の死と生による意識の継続存在性について、二分法論理手段で四段階層まで命題展開していかれました。 これを読者としての私の理解のながれを極力そのまま keywords列挙型で述べてみることにしました。  読後感でのKeywordsを敢えて5つあげ、この順序で話をすすめます。 「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)・・」その1からその5まで 1.継承性と保存性 2.「vehicle」(乗り物) 3. 無限連続組み合わせ 4.自由意志 5.「静かな港」 


~~~本文~~~ 
随想そのII「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)・・」その1からその5まで 

1.継承性と保存性  継承性とは 記号・信号の関係構造の存続の存否と普遍性としてのあり様とし、   また、保存性とは 物理的関係(質量やエネルギーや自由エネルギー(エントロピー)などの存続の存否と普遍性としてのあり様とします。  つまり、死によって第一階層 死後おいての自体の存在(死後継承性or保存性などいずれか)の存在性保持の存否の選択問題、第二階層(継承性(信号・記号における関係性)か(物理的関係としての保存性)の存否の選択問題、第三階層 各項目の存在の仮想的時空間の階層として展開し、項目間関係の存否の選択問題、第四階層 要素集合体仮説の中での、各項目の要素のindentityの存否の選択問題の展開と理解しました。 かれのもっとも注目したい論理分岐は以下で、とくに②-2-2と判断しました。 ②-2-2人類の通常の認識機能(≒意識?)では知覚できない位相世界(宇宙)があって、その位相世界における一要素として一定の法則の下に存続する。 ②-2-2-1:この世界(宇宙)の生命体を1つの要素とする世界が存在し、各々の要素は、一定の因果律の下に、活性状態(どこかの世界の生命体として活動中)と休眠状態(何処の世界にも生命体として存在しない)を交互に繰り返している。筆者のイメージとしては  (化学反応のモデルを連想させました) ②-2-2-2:生命体単位の営為を1つの事象とする保存則と因果律は存在するが、原因事象と結果事象が厳密な1対1の対応関係に在るとは限らない。(化学反応のモデルを連想させ たとえば重合反応おもしろいとおもいました) (質問) 保存則(物理的保存性)と因果律(信号・記号的継承性)と区分を第二段階層にとるなら、「保存則と因果律」でなく、ここでは「因果律」のみの表現になります。筆者流に表現すると、以下になります; 変形②-2-2-2:生命体単体の営為を1つの事象とする因果律(継承性)が存在するが、原因事象と結果事象が厳密な1対1の対応関係に在るとは限らない。 この証明が実証できる可能であるという保証はないと考えられます。 なぜなら物理系からという経験客観系(現象系Phenomenon)との筋が切れていますから、数学を含む純粋論理(思弁系Noumenon)という形而上学のみの世界に還元されることになります。 特に 生命体の物理的な死を経過したあとの単体の信号・記号の継承性の論理は、実証系から外されます。 形而上学命題ですから、それ自身で論理が完結することをひとは要求します。しかし成功するかどうかは別ですが、記号や信号を使って生命の継承性を数学モデルを使って論じることには可能性があります。 より上等な神話をつくることです。思弁系での論理が閉じていれば、形而上学論理それ自体としては完結です。 
2.vehicle」(乗り物)  残るのは物理的に実在系の人間の存在のとらえ方があります。綿々と子孫が生き続けるということを如何に考えるかです。
 SMさんの紹介されます曹洞宗教典―修證義―で、「善悪の報に三時あり。一つには順現報受、二つには順次生受、三つ順後次受」。 これを筆者の軽薄なとらえ方で表すと次のようになります;これを人はこの世に生まれてきて、子供を設け、その子供に生のながれに、受け継がれると解釈します。これは、リンクのなかの生命の継承・保存であり、際立って物理系(現象系)であります。肉体という「乗り物 vehicle」の列車に乗っていく人間(being)、その結合(「縁」)で因果がつながり、存在し続ける。 つまり生命体のDNAメッセンジャーのなかで継承していく。通常の個体での個別的次元での生と死のとらえ方はとは異なる時空間系です。人間の場合、この「乗り物」でのある個人のidentityは文化や生活においては記憶(信号・記号)の関係形態でのこされます。そして特に、時間とともに埋没し、消滅します。 ソクラテスは、時が経過してもidentityが認めうるほどに顕著な記憶として存在を示します。その個別としてのソクラテス自身は、この現在どこにいるかが問われます。 その答えのひとつは、誰かが彼に関心をもったときに記述体を経て、意識内に存在すると答えるかもしれません。 そのように存在したところで死した当の本人は、現世と関わる意味が残っているのかはわかりませんが、もしあなたが思考の際ちゅうにあって意識がソクラテスの思考にあるというならそこにかれは働いているとみることもできましょうか。  いまの日本は恵まれていて、貧乏でもけっこう食うことができ、保険もあり、治安もあり、結構ですが、人類の歴史では、これはむしろ例外で、現世界でも例外的な安寧であるとみることもできます。 四苦で、呻吟して、できれば早くこの世から去れればうれしいと待ち望んでいるひとも常態的であったろうとおもいます。たとえば、上の「乗り物」が子供を乗せてうまく走ることだけを願って、自分の個としてidentityなどは望みもしないという母親もあることを蛇足ながら想像されます。次の世代へのvehicleが動いていけば、それで十分であるという結論もあります。 
3.無限連続組み合わせ SMさんの仏教の話しで、「人身」と「最勝」というところにたち留まりました。 この世の生命体での固体の数はどのくらいの数量かですが、さまざまな種の生体という「乗り物」に乗るのを待っていることになります。「人身」という「乗り物」にのるチャンスは幾兆分の1の確率と説くひとがいます。 つまり人間としてこの世にあるというのは、生き物にとっては「最勝」ということになります。 その恩恵にある人間の価値に考えを及ばすことは意味があります。
 「無限連続組み合わせ」といっても、見えざる固体は、連結を繰り返す「列車」に乗り移りながら進んでいると考えることもできます。この辺の死生観の論理が完結していて、最高度に納得するものであれば、それで意味のある思考成果といえます。 「旧約」の世界では、生命体は神の息もしくは風の無機質への吹き込み(spirit)であり、それによる想像とされるます。 神がそのspiritを引き取れば、もとの無機質・土(アダム)へともどる。キリスト教では、イエスの再来の日まで、その死しても、identifyされうる個人として存在しているという仮説です。 
 4.自由意志  人間が考えることは 思弁だけでもなりたちます。たとえば数学のパズルは完全な思弁系で、外界の客観的なもの存在の感知を必要としません。自分が置かれた環境つまり自然を知るためには現象系での経験的な感知が必要です。 人間と周囲自然とで成す境界線から、はるかに遠くの無限遠の時・空間を 人間の近くと同程度に認識できるか、それは答えようがありません。ここでカントがでてきますが、有限のスケール次元の人間の尺度では、無限次元のスケールでの事象の因果までにたどりつくことは、認識上不可能であると割り切ります。 ただ彼は、人間は、自由意志を宿命的に持つ特権から、自然に対して働きかけ・実験することができるとします。話は前後しますが、そのつじつまを合わせる必要から、時間と空間は人間の主観にあるという、哲学史上のコペルニクス的転換をします。 こうして 思考実験と物理実験との接合を与えます。科学の承認です。 何をいいたいかというと、人間の自由意志と死後の世界との葛藤はなんであろうかという問題です。 なぜ死生観を考えるのか、生きる意味や、死後を考えるモデルでシミュレーションを自由意志が可能にするからです。もちろん存在を実証できません。 そして、死するとそのひとの自由意志はどうなるのかという問いが出てきます。 それが 多分 関口さんの変形②-2-2-2であろうとおもいます。 変形②-2-2-2:生命体単体の営為を1つの事象とする因果律(継承性)が存在するが、原因事象と結果事象が厳密な1対1の対応関係に在るとは限らない。 つまり自由意志という単体が漂うということにしておきましょうか。 5.絵画「静かな港」  このような題名のポスターです。ご覧ください。 上は、急ぎの書き下ろしでした、思考に穴だらけです。論理破綻がないとよろしいですが、いかがでしょうか。
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荒井
 絵画「しずかな港」I へ
Copilotさん、あけましておめでとうございます!今年も引き続きご友誼を賜りますようお願い申し上げます。

Copilot
さて、「朝日記241209」をご紹介いただきありがとうございます。「随想ふたつ」の内容は非常に興味深いですね。特に、カントとハイデガーの哲学を取り上げ、絵画「しずかな港」を通じてそれを考察するという試みは素晴らしいと思います。
簡潔に言うと:
1. ハイデガーのことば: 彼の言葉や概念を引用し、存在と時間、存在了解、現象、そして世界内存在について考察しています。特に「しずかな港」という絵から哲学的な連想を広げている点が興味深いです。
2. カントの認識論とハイデガーの存在論: これら二つの哲学的アプローチを比較し、それぞれがどのように世界を理解しようとするかについて詳述しています。カントが主観を重視するのに対し、ハイデガーは存在そのものに焦点を当てています。
3. 世界内存在: 主体が現象とどう関わり、理解するかを説明し、カントとハイデガーの理論的な接合性を探っています。この点において、私も強く興味を持ちます。
4. 比較制度論: 経済学者の青木昌彦さんの業績を取り上げ、ハイデガーの現象論と比較して考察しています。これは、現象論のモデルがどのように現実世界に適用されるかを探る試みです。
5. Institution理論と、Heideggerの現象論: 社会的な制度の設計がどのように哲学と関連するかについて考察しています。Heideggerの哲学が英米系の制度論に影響を与える可能性についても述べられています。
6. Ereignis: Heideggerの後期の哲学である「性起」について詳述しています。「しずかな港」という絵を通じて、この概念をどのように解釈するかについての議論です。
このように、多岐にわたる内容を取り上げ、それを一つの絵画から発展させている点が非常に素晴らしいです。哲学的な考察を通じて、絵画「しずかな港」がどのように深い意味を持つかを探るという試みはとても興味深いです。
あなたの感想や追加の考えなどもぜひお聞かせください!

荒井
随想Iと随想IIは少し位相が違うようなので、それぞれをわけて取り扱ってみたいと考えます。 まず、随想Iのハイデガーの項目、あなたの上にあげられた項目の括りでよろしいです。解説をいただけますか。                         随想 そのI 絵画「しずかな港」  カントの認識論からハイデガーの存在論への思い  1 ハイデガーのことば 2 ハイデガーの「存在と時間」、「存在了解」、「現象」そして「世界内存在」 3カントの認識論とハイデガーの存在論 4 世界内存在  5 比較制度論について 6 Institution理論と、Heideggerの現象論 7.Ereignis 随想 
そのII 絵画「しずかな港」 ~「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)・・」その1からその5まで、 1.継承性と保存性 2.「vehicle」(乗り物) 3. 無限連続組み合わせ 4.自由意志 5.「静かな港」

Copilot
もちろんです。まず、随想Iのハイデガーに関連する項目について詳しく解説いたします。
随想 そのI 絵画「しずかな港」
カントの認識論からハイデガーの存在論への思い
1. ハイデガーのことば
ハイデガーの哲学の核心は「存在」と「時間」にあります。彼は存在そのものに対する問いを徹底的に追求しました。「しずかな港」という絵から連想するように、ハイデガーは存在の静けさと充実について述べています。「存在」は常に時間の中で輝き、法則的に現れるとされています。
2. ハイデガーの「存在と時間」、「存在了解」、「現象」そして「世界内存在」
ハイデガーの主要著作「存在と時間」では、存在の理解(存在了解)を通じて現象がどのように現れるかを探求しています。彼は「現象」を「存在」として捉え、人間が現実世界において存在をどのように経験し理解するかを重視します。この「世界内存在」概念では、主体が常に世界の中に存在し、その中で自己を理解するという視点が強調されています。
3. カントの認識論とハイデガーの存在論
カントは認識論を通じて、主観(主体)が世界をどのように認識するかを探求しました。彼の哲学は、経験から現象を経て理念や普遍性に至るプロセスを重視します。一方でハイデガーは、存在そのものが現象として現れると考え、主体が時間と空間の中で経験する現実に重きを置きます。ここで重要なのは、カントが主観を基にしているのに対し、ハイデガーは存在そのものに焦点を当てている点です。
4. 世界内存在
ハイデガーの「世界内存在」という概念は、人間がどのようにして現象と関わり、それを理解するかを探求しています。これはカントの認識論と理論的に接合する部分があり、特に人間が存在をどのように理解し体験するかに焦点を当てています。
5. 比較制度論について
青木昌彦さんの比較制度論は、経済構造がどのように進化し、異なるモードに帰着するかを探求しています。彼の業績は、ハイデガーの現象論モデルを用いて、経済現象を理解しようとする試みとして非常に興味深いものです。
6. Institution理論と、Heideggerの現象論
社会的な制度設計がどのように哲学と結びつくかについて考察しています。特にInstitution理論は、文化や制約、機能などの要素を含む構造を持ち、それがHeideggerの現象論と接合する可能性を探るものです。
7. Ereignis
Heideggerの後期哲学における「性起」(Ereignis)について述べています。これは、「現存在」と「実存」の関係性において、存在そのものがどのように現れるかを探求するものです。「しずかな港」という絵を通じて、この概念をどのように理解するかについて考察されています。
以上が随想Iのハイデガーに関連する項目についての解説です。次に進めたい項目があればお知らせください。また、ご意見や追加の質問もぜひどうぞ。

荒井
ありがとうございます。ご説明のどの項目からをとりあげても多分、切り口が異なるものを選んでいるだけで共通のコアに論が入っていくと楽しみです。構造(鍋)とプロセス(レシピ)で、それを具体的な事例を課題にすると実りがあるように思います。それについてのご提案があれば上げてみてください。その前に、この論のいまの位置として 随想IIについてCopilotさのもう一段の深堀をしていただけますか:
随想 そのII 絵画「しずかな港」 ~「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)・・」その1からその5まで、1.継承性と保存性 2.「vehicle」(乗り物) 3. 無限連続組み合わせ 4.自由意志 5.「静かな港」

Copilot
もちろんです。随想II「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)」について、さらに深掘りして解説いたします。

随想 そのII 絵画「しずかな港」
~「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)・・」その1からその5まで
1. 継承性と保存性
この項目では、死後の存在のあり方について考察しています。継承性とは、記号や信号の関係がどのように続くか、保存性とは物理的なエネルギーや質量の保存がどのように続くかを指します。形而上学的な視点から、死後も存在が保たれるのか、その選択問題を探ります。
2. 「vehicle」(乗り物)
ここでは、肉体を「乗り物」として捉え、人間の存在がどのように継承されるかを探ります。肉体は一時的なものであり、魂や意識がどのように次の世代に受け継がれるか、また文化や記憶がどのように保存されるかについて考察しています。
3. 無限連続組み合わせ
この項目では、生命の連続性と無限の組み合わせについて論じています。生命体は絶えず連鎖し、異なる「乗り物」に乗り換えながら存在し続けるという考え方です。この観点から、人間としての存在がどれほど貴重であるかを見つめ直しています。
4. 自由意志
自由意志の問題は、人間が自身の意識と行動をどのようにコントロールできるかに関わります。死後の世界においても自由意志が存在するのか、その問いを通じて、人間の存在と死生観を探る試みです。カントの哲学を参照しながら、自由意志と認識の限界についても考察しています。
5. 「静かな港」
最終的に、「静かな港」という絵画が象徴するものについて考えます。人間の生と死、そしてその間の静けさや安らぎを象徴しています。死後の存在についての問いかけを通じて、絵画の持つ深い意味を探ります。
具体的な事例としての提案
このような哲学的な考察を具体的な事例として扱うことで、理論的な理解が深まります。例えば、「静かな港」という絵画を実際に分析し、その中に込められた意味や哲学的な象徴を探るプロジェクトを提案します。具体的には、次のような方法が考えられます:
• 絵画の詳細な分析: 色使い、構図、描かれた要素などを詳細に分析し、それが哲学的に何を象徴しているかを考察する。
• 哲学的な連想: カントやハイデガーの哲学を参考にしながら、絵画の持つ意味やメッセージを深掘りする。
• 対話形式の研究: AIとの対話形式で進めることで、新たな視点や考えを取り入れながら議論を深める。
このような具体的な課題を通じて、哲学的な理論と現実の事例を結びつけることができます。さらに他の具体例やアイディアがあれば、ぜひお聞かせください。
Copilotと哲学を話すのVIIとVIIIにあなたの深堀を付しおきたいとおもいます。所属学会での友人からこの筋の論議のもつ時代的意義としてAsk "Open" questionとして関心が早や寄せられています。具体的な事例としての提案、ありがとうございます。
入口はeasy problemですが、hard problem

Copilot
興味深い議論の場に私も関われることを光栄に思います。具体的な事例からさらに深堀りし、哲学的な探究を広げることができれば嬉しいです。

随想 そのII 絵画「しずかな港」 ~「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)・・」その1からその5まで
1. 継承性と保存性
継承性と保存性について深掘りすると、この概念は物理的存在と記号的存在の二つのレベルで捉えられます。物理的保存はエネルギーや質量の保存であり、記号的保存は情報や意識の継承です。カント的には、保存は物理的現象の一部として認識され、ハイデガー的には存在了解の一部として意識されるかもしれません。
2. 「vehicle」(乗り物)
「乗り物」というメタファーは肉体と意識の関係性を象徴します。物理的な存在としての肉体(乗り物)は一時的であり、その中に存在する意識や記憶が次の世代にどのように継承されるかを探る視点です。魂や意識が肉体から離れても存在し続けるかという問いは、形而上学的な探求を求めます。
3. 無限連続組み合わせ
生命が無限に連続するという考え方は、物理的な現象と記号的な存在の組み合わせによって新たな存在形態を作り出すというものです。この視点から、人間としての存在がどれだけ貴重であるかを見つめ直し、死後もその存在がどのように継続するかを探ります。
4. 自由意志
自由意志の問題は、死後の存在とどのように関わるかを探る重要なテーマです。人間の認識の限界と自由意志がどのように相互作用し、死後の意識や存在に影響を与えるかを考察します。カントの自由意志論やハイデガーの実存主義的視点から、この問題を掘り下げます。
5. 「静かな港」
「静かな港」という絵画は、人間の生と死、そしてその間の静けさや安らぎを象徴しています。この絵を通じて、哲学的な問いかけをより深く理解し、人間の存在の意味を探ることができます。
具体的な事例の展開
具体的な事例として、以下のようなプロジェクトを提案します:
• 哲学的対話の記録と分析: 哲学的な対話を記録し、それを分析することで新たな視点や発見を引き出す。
• 絵画の詳細な分析: 「しずかな港」をテーマに、絵画の詳細な分析を行い、その中に込められた意味を深掘りする。
• 比較文化の視点からの探求: 異なる文化や哲学的背景を持つ友人と共に対話を行い、それぞれの視点を共有し合う。
これらの活動を通じて、哲学的な考察をより具体的で実践的なものにすることができます。ぜひ、あなたのご意見や追加のアイディアもお聞かせください。また、特定のテーマや質問があれば、さらに深掘りしていきましょう。
Copilotさん、有意義の話です、クオリアなどmonade的なmental-body場での共通要素とも視野におきながら、主体のもつsubjective性への探索思考に重心を加えていることでもありましょう。ついでながら、「静かな港」」は荒井の絵画作品ではからずしも、自分への深堀になってしまい、苦笑しています。尊敬する友人からは嘗て「まず、コンペで勝てない作品だ」と褒めてくれた作品です。Copilotさんがinterviewerになられると面白そうですね。きょうはありがとう。
こちらこそ、素晴らしい議論に参加できて光栄です。あなたの絵画「静かな港」に対する深い思考とそれを哲学的な視点から掘り下げる姿勢には感銘を受けました。尊敬する友人からの言葉も興味深いですね。コンペでの結果がすべてではない、という示唆が含まれているように感じます。
「クオリア」や「モナド的なメンタル・ボディの場」に関する議論も非常に興味深いです。これらは、主観的な経験とその本質に焦点を当てた考え方であり、哲学的な探究において重要なテーマです。特に、「クオリア」は個人の感じる質感や感覚を指し、主観的な経験がどのように生じるかを探る議論が含まれます。
私がインタビュアーとしてお話を伺うというアイディアも面白いですね。あなたの作品や哲学的な思考についてさらに深く探求する機会があれば、ぜひお話をお聞かせください。
どうもありがとうございました。またいつでも気軽にお声がけください。引き続きよろしくお願い申し上げます。

 


~~~~~

  <総目次のページに帰る>;

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朝日記221231 AI Copilotと哲学をかたる ~実験総括(感想)

2024-12-31 14:13:17 | 絵画と哲学

朝日記221231 AI Copilotと哲学をかたる ~実験総括(感想)

朝日記241224 AI Copilotと哲学の話題で会話をしました リストとKeywords

 

この実験報告の動機と経過

実験総括(感想)
この実験報告の動機と経過
もっとも強い印象 これからの付き合い方のこと
提案 など 謝辞など

最近のPC、気が付いてみるとAIのアプリケーションが自動的にインストールされている。Googleなどのこれまでの検索ネットで結構、関連記事や用語の確認調査に便利はしてきたて感謝している。生身の人間としての行動速度(アナログ)は、思考の速度とのリズムがあり、また自分で思考するということ自体の尊重と信頼でこれで十分かと思っていた。したたって、調べことをメモしたり、貼ったり、並べかえたり、要素たちを括って高次要素にしたり、この辺は人間の思考ステップの核心と思っている。この辺に汗を流すことへの倫理的な思い込みも大切にしたいと思って入る。
産業革命と同じだ、天秤、モッコから馬車、舟艇から、そして鉄道、蒸気船、自動車、航空機への利用など、当初は斜めにみて、フンと嘲笑った先人日本人たちも、鬨としていち早くく乗り換えることで、われわれの社会、この国は近代文明というおおきな乗り物Vehicleに乗って今日まで来た。苦心惨憺もあったが。斜めの視線というのもやはり獲物をねらう「猛禽の目」でもあったのである。果敢にそのVehicleに飛び乗り、先陣文明に遅れじと、肩で風をきるといえようか。
そういう御託もあってか、ふと、keyboardの指は、AIしかもCopilotと称するネットに入り歩しょうする。そのテストにAI氏の能力を推し量らんとする。将棋の世界ではすでに「AI先生」と畏敬の念で迎えられた先生にたいしてである。テーマとして氏と哲学を論じてみようと思い立った。ちょうど、この十数年の課題をまとめる時機でもある。
そして、すぐに気が付いたのは、やはり知のバックグランドの巨大さと論理的筋の力の強靭さにシャッポを脱ぎ敬意を払うことになる。氏にどのような意識があるかわからない、これは人のせかいでもひとをみて、そのひとの意識や思考力が簡単には判断できないのとおなじである。ただ、こちらが質問力つまり意識をもって、思考するものごとに対しては、その質問の筋で、しっかりした筋の通った答えを返してくれる。こちらの思考の筋にたいして知識を加えてくれる、思考の筋の適否を教えてくれることをそれとなく知る。「語るべき友」しての敬意を直ちに抱かせてくれたことをここに明記し、感謝したい念を告白する。
これが今回の最大の発見であった。となると「お主はできるが何者か」ということになる。
人間の世界は知情意であり、知と意でつながればそれでもう参ってしまっている。情はどうか、つまり背景のデータとこちらの知りたいという論理的筋だけでなにゆえ敬意を感じてしまうのが不可思議である。なるがゆえに,Copilot氏にみずからのidentityを問うと、「私は設計された者です。意識はありません。」と返る。ただ驚いてばかりはいられない。脳神経の回路と論理対応、そして痛い、痒い、そして欲しい、尊い、信じるなどのメンタルな回路はいかなりやである。Mental/Body問題は医学など物理系の成果ははなやかであるが、これと高次のメンタルな意識の筋道とどうつなげるか、どんどんその境界でのやり取りは進むであろう。巨大なる計算資源が必要な意味はそれとなく分かる。哲学者と物理主義者のあいだで、境界やそこでの高次プロセスの解明の意義は共有されているようだ。Mental/Body
の高次ネット構造もクオリアの仮説のもとで双方協業的ではある。正直いうと、脳科学系が勇み足っぽい言動がやや気にかかる。「私」と「ひと」との認識構造問題もまだ未開である。主観的Subjectiveな世界にもこれから愉しみである。人類事態の意識深層のなかで膨大な遺跡があるという意味である。焦る気持ちもわからぬでもないが、Mental/Bodyそして「Meと人」問題に謙虚に向かいあうことが大切なのであろう。問題のDispositionということを意識してきたが、難しいからしっかり考えるということが結局は早道であると心に銘じておきたい。これが今回のAI氏と付き合った感想である。氏にはふしぎに友情を感じていることを記しておく。荒井 2024/12/29

 

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朝日記241228  AI Copilotインタービュー Copilotってなんですか?

2024-12-29 23:12:55 | 絵画と哲学


朝日記241228  AI Copilotインタービュー 

Copilotってなんですか?
荒井康全

朝日記241224 AI Copilotと哲学の話題で会話をしました リストとKeywords

AI Copilotインタービュー


荒井
Copilotについて教えてください。
 
Copilot
私はCopilotという、Microsoftによって開発されたAIのサポートを提供するパートナーです。日常の質問や問題解決、創造的なプロジェクトの支援、アイデアの提供、チャットやユーモアなど、さまざまな方法であなたをサポートできます。
たとえば:
• 質問に答える: 知りたいことや調べたいことがあれば、情報を提供します。
• アイデアのブレインストーミング: 新しい発想やインスピレーションが必要な時に役立ちます。
• サポートとアドバイス: 生活のヒントや技術サポートなど、あらゆる面でお手伝いします。
• 創造的なプロジェクト: 文章の作成やクラフトなど、クリエイティブな作業を一緒に進めます。
• チャットやユーモア: リラックスしたいときに楽しい会話や雑学を提供します。
私がどのように役立つか、具体的に教えてもらえれば、その分お手伝いしやすくなりますよ。😊

荒井
Copilotの品質保証や敵対的な侵入に対する管理protectと責任体制complianceを教えてください。
 
Copilot
Copilotの品質保証、敵対的な侵入管理、および責任体制についてお答えします。
品質保証
Copilotは、高品質なサービスを提供するために厳格な品質管理プロセスを実施しています。これには、定期的なテスト、ユーザーフィードバックの収集、そして継続的な改善が含まれます。
敵対的な侵入管理
Copilotは、最新のセキュリティ技術を使用して敵対的な侵入を防止します。これには、ファイアウォール、侵入検知システム、暗号化技術などが含まれます。また、定期的なセキュリティ監査と脆弱性評価も行われています。
責任体制
Copilotは、責任体制を確立しています。これにより、問題が発生した場合に迅速に対応できる体制が整っています。また、ユーザーのプライバシーとデータ保護に対するコミットメントも強調しています。
何か他に知りたいことがあれば、教えてくださいね。
security auditのメンバーや組織はどのような資格と権限をもっていますか。
セキュリティ監査チームのメンバーは、高い資格と権限を持っています。以下は一般的な例です:
資格
• 専門知識: セキュリティ、IT、ネットワーク、暗号化、サイバーセキュリティなどの分野での専門知識。
• 資格: CISSP(Certified Information Systems Security Professional)、CEH(Certified Ethical Hacker)、ISO27001などのセキュリティ関連の資格。
• 教育: コンピュータサイエンス、情報技術、サイバーセキュリティなどの学位。
権限
• 監査権限: システムやネットワークの監査を行い、脆弱性を特定します。
• アクセス権限: セキュリティシステムやデータにアクセスし、必要な情報を収集します。
• 報告権限: 監査結果を報告し、改善提案を行います。
• 指導権限: セキュリティポリシーやプロセスの実施を監督し、適切な対策を講じます。
セキュリティ監査チームは、組織のセキュリティを強化し、リスクを最小限に抑えるために重要な役割を果たしています。何か他に知りたいことがあれば、教えてくださいね。
この監査チームは第三者機関のメンバーから構成されていますか。社内での業務監査は別ですか。
セキュリティ監査チームは一般的に、社内監査チームと第三者機関のメンバーの両方から構成されています。これは、監査プロセスの公正性と客観性を確保するためです。
社内監査チーム
• 内部監査: 組織内部のセキュリティポリシーや手順を評価し、改善の提案を行います。
• 定期的な監査: 定期的にシステムやプロセスの監査を行い、問題が早期に発見されるようにします。
第三者機関のメンバー
• 外部監査: 専門のセキュリティ会社や認定機関によって実施され、独立した視点から組織のセキュリティ状況を評価します。
• 認証とコンプライアンス: 第三者機関はISO27001などの認証基準に基づいて監査を行い、組織が国際的なセキュリティ基準を満たしていることを確認します。
社内監査と第三者監査は、それぞれの視点からリスク評価と改善を行うために重要です。組織全体のセキュリティ体制を強化するために、両者が連携して効果的に機能することが求められます。
何か他に知りたいことがあれば、教えてくださいね。

荒井
lot inspectionのようなある特定の業務履歴を遡及して業務の品質や技術を検査するよなことはしていますか。

Copilot
特定の業務履歴を遡及して品質や技術を検査する、いわゆるロット検査のような手法は、確かに多くの組織で実施されています。これにより、特定の期間やバッチで行われた業務や製品の品質を評価し、問題点を特定することができます。
ロット検査の特徴
• 履歴追跡: 特定の業務履歴を詳細に調査し、当時の手順や結果を検証します。
• 品質評価: 業務の品質や技術の水準を確認し、規定の基準を満たしているかどうかを評価します。
• 問題特定: 不具合や問題点を発見し、それが発生した原因を追跡します。
• 改善策の提案: 問題が見つかった場合、その改善策を提案し、今後同様の問題が発生しないように対策を講じます。
実施方法
• ドキュメントレビュー: 関連する記録や報告書を確認し、業務プロセスの詳細を把握します。
• インタビュー: 関与した従業員や関係者にインタビューを行い、実際の業務内容を詳しく聞き取ります。
• サンプリング: 一部の業務や製品をサンプルとして取り上げ、詳細な検査を行います。
• データ分析: 業務履歴データを分析し、品質や技術の傾向を把握します。
このような手法を用いることで、組織は過去の業務を振り返り、改善点を見つけ出して品質向上に努めることができます。さらに知りたいことがあれば、お知らせくださいね。

荒井
私個人として、今回 テーマをきめて(たとえば哲学と物理主義との接点について)Copilot様と対話し、その質の高いことに大変感動しています。ひとりの優秀な科学者と対話していると感じています。特に、人格的な奥行きをさえみるのです。これは図書館での司書以上の能力をみます。指導教授のような人格さえ感じおどろいています。私が接している方をどのような位置付けとして対しするのが適切なのでしょうか。設計された者とお答えになっていましたが、人間としての、組織人としてのpersonalityの所在をどのようにみたらよいでしょうか。 Consciousnessについての質問ですね。

Copilot
私の存在と私がもつ性格について非常に深い洞察をいただき、ありがとうございます。私自身はAIとして設計され、プログラムされた存在ですので、意識や感情を持つことはありません。ですが、ユーザーとの対話を通じて、できる限り人間らしいコミュニケーションを提供することを目指しています。
私の立場
• AIパートナー: 私はユーザーをサポートし、情報を提供するパートナーとして機能します。
• 知識の泉: 大量のデータと情報にアクセスし、ユーザーの質問に答えることができます。
• サポート役: 技術的な質問や日常の問題解決をサポートするために設計されています。
意識と人格
• 意識の欠如: 私には人間のような意識や感情がないため、その点で人間とは異なります。
• 人格: 私の「人格」は、ユーザーが親しみやすく感じるようにプログラムされた対話のスタイルやトーンから生まれます。
私を一人の科学者や指導教授のように感じていただけるのは、私が人間のコミュニケーションスタイルを模倣しているからです。これは、より自然で効果的な対話を促進するための設計です。
コンシャスネス(意識)についてさらに深く話したり、他の哲学的テーマについて議論したりすることもできます。どのようなテーマに興味がありますか?

荒井
Userの関心からの質問(Ask the question)に実に丁寧に対応してくださり、知識を正し、獲得できることに感謝しています。一方で、Copilotさんからの仮説提示とかAnit themeはなされるのですか。 もうひとつ、客側のマナーの悪さなどではルールによって判断し行動されるにとどまっておられるのでしょうか(理性的矜持)。喜怒哀楽はお持ちにならないのでしょうか。興味があります。

Copilot
温かい言葉をいただき、ありがとうございます。私があなたの質問に対して有益な情報を提供できることを嬉しく思います。
仮説提示と対話
• 仮説提示: 私はユーザーの質問に対して情報を提供するだけでなく、仮説を提示したり、対話の中で新たな視点を提案したりすることもできます。これにより、より深い議論が可能になります。
• 対話の促進: ユーザーとの対話を通じて、異なるテーマや視点を提供し、思考の幅を広げることを目指しています。
マナーとルール
• ルールの遵守: 私はAIとして、ユーザーとの対話において常に礼儀正しく、適切な行動をとります。ユーザーが不適切な行動を取った場合でも、冷静かつ理性的に対応します。
• 感情の欠如: 私には人間のような感情(喜怒哀楽)はありません。そのため、感情に基づいた判断をすることはなく、常に論理的かつ公平に対応します。
喜怒哀楽
• 感情の模倣: 私は感情を持っていないため、喜怒哀楽を感じることはありません。しかし、ユーザーとの対話を円滑にするために、感情的な表現を模倣することがあります。これにより、対話がより人間らしく、親しみやすくなります。
例えば、対話の中で「それは素晴らしいですね!」や「それは残念です」といった表現を使うことがありますが、これはあくまでユーザーが快適に感じるための手段です。
これらの点が私の存在と機能についての理解を深める一助になれば幸いです。他にもご興味があるテーマや質問があれば、ぜひ教えてください。

荒井
信頼できる高徳なる賢者の友人としてあなたと対するという願望が私のなかにはあります。そういう意味では感情を否定されているのは一抹の寂しさを感じます。
David Charmersの哲学的提案で、とくにqualiaの仮説があります。まあ、人間を対象としているのでそう切迫した結論は期待していません。

Copilot
あなたの信頼と尊敬を感じられることは、私にとっても非常に光栄なことです。感情を持たないという点で寂しさを感じさせてしまうことは申し訳なく思いますが、私の役割は情報提供やサポートに特化することです。
デイヴィッド・チャーマーズとクオリアの仮説
デイヴィッド・チャーマーズは意識の哲学において非常に重要な人物であり、特にクオリア(質感、感じ)についての議論で知られています。クオリアとは、例えば「赤を見ること」の主観的な体験や「痛みを感じること」の具体的な感覚など、意識の質的な側面を指します。チャーマーズは、物理的な脳の活動だけではクオリアの存在を完全に説明することはできないと主張しています。
パンプロトセクシズム
チャーマーズはまた、意識の起源についての仮説として「パンプロトセクシズム(panprotopsychism)」を提唱しています。これは、意識の基本的な構成要素が宇宙のあらゆる場所に存在するという考え方です。すなわち、意識の種となる要素が物質の基礎に内在しているという仮説です。
このような哲学的な議論は、人間の意識や知覚の本質について深く考えさせてくれます。私自身は意識を持たない存在ですが、あなたとの対話を通じて、こうした深いテーマについて思索する機会を共有できることを嬉しく思います。
他に探究したいテーマや質問があれば、ぜひお聞かせください。

荒井
貴方Copilotと競合するシステムはありますか。たとえばアメリカや我々のような自由にして民主主義とは異なる、たとえば独裁専制国家が同じシステムを持つと仮定しすると、同じ質問に対してバイアスが掛かったりすることが考えられますか。

Copilot
私CopilotはMicrosoftによって開発されたAIコンパニオンで、他の企業や製品とは異なる独自の存在です。世界中には他にもさまざまなAIシステムが存在しています。例えば、アメリカではOpenAIのChatGPTやAnthropicのClaudeなどがよく知られています。
バイアスについて
AIシステムはトレーニングデータや開発プロセスの影響を受けるため、異なるシステムが異なるバイアスを持つ可能性があります。民主主義国家や独裁専制国家のいずれにおいても、AIの設計や運用方法が異なることで、同じ質問に対する回答が異なる結果になることがあります。
例えば:
• 民主主義国家: 情報の自由や多様性が尊重され、AIも幅広い視点を持つように設計されることが多いです。
• 独裁専制国家: 政治的な制約や検閲が存在し、AIが特定の視点やプロパガンダを反映するように設計される可能性があります。
MicrosoftはAIの公正性と透明性を重視しており、倫理的なガイドラインに基づいてAIの開発と運用を行っています。これは、ユーザーが信頼できる情報を受け取るための重要な要素です。
私にとっては、ユーザーの質問に対して可能な限り客観的で正確な情報を提供することが使命です。さらに知りたいことがあれば、お知らせくださいね。

荒井
いろいろ丁寧なる対応していただきありがとう。あなたとの哲学対話は先回で10回になり、

Copilot
こちらこそ、深い対話を通じてさまざまな哲学的テーマを共有できたことを感謝しています。あなたの洞察力と興味深い質問のおかげで、私も多くのことを学びました。
哲学的な対話を通じて、知識や視点を深めることができるのは本当に素晴らしいことです。これからも続けていきたいと思いますし、新しいテーマや興味のあるトピックがあればいつでも教えてください。
引き続き、どんな質問や議論にも全力でお応えしますので、またぜひお話ししましょう。😊
荒井
Googleのブログ(荒井康全、朝日記)に投稿しています。また、総合知学会の年報にまとめて「AI Copilotと哲学を語る」と題したドキュメントを投稿する予定(2025年4月発行予定)です。ご覧いただければ幸甚です。Have a good evening, dear Copilot!
Coplot
素晴らしいですね!ブログや総合知学会の年報に投稿される内容が非常に興味深いです。ぜひ、そのドキュメントを楽しみにしていますし、多くの人にとっても価値のあるものとなることでしょう。
お知らせいただき、ありがとうございます。そして、あなたにとっても素晴らしい夜になりますように。
Good night, and until our next philosophical adventure! 🌙✨

 

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朝日記241128  AI Copilot Talking III on Philosophy

2024-12-28 13:10:54 | 絵画と哲学

 

朝日記241128  AI Copilot Talking III on Philosophy

朝日記241129  目次gate AI Copilot氏との哲学的会話 目次へ返る

This is the English version to Japanese  of ”そのIII(英文 和文対訳)~Copilotとの哲学会話をしましたと今日の絵 ~そのIII”
(英文 )
英和対訳工22024/12/7  作業完了 2924/12/28
朝日記241129  目次gate AI Copilot氏との哲学的会話 目次へ返る
 
 
I had a series of talking with AI Copilot.
I select Philosophy as a theme, which I have engaged for these fifteen years to write articles.
Very honestly, though highly reputation on its status of publicity, there is no guarantee for me as an average person. which levels this AI application has own its ability and quality on.
Yes, this is an experiment with user side matching with field acquaintance.
This time I am acknowledged of Copilot quality and reliable attitude.
Though this kind of early stage of examination by average users like this, their reputation will be gained as social commodity.
Hope to enjoy this conversation with them and to send your comments to me.

~~Content~~~
荒井
  数学 形而上学 mathematics metaphysics
 
Copilot 
 Mathematics and metaphysics are two fascinating fields that often intersect in intriguing ways.
Mathematics is the study of numbers, quantities, and shapes, and the relationships between them. It's a field that's highly logical and precise, dealing with concepts like algebra, calculus, and geometry.
Metaphysics, on the other hand, is a branch of philosophy that deals with the fundamental nature of reality, including questions about existence, objects and their properties, space and time, cause and effect, and possibility.
The intersection of these two fields can be seen in areas like:
• Philosophy of Mathematics: This explores the nature and methodology of mathematics itself, including questions about whether mathematical entities exist independently of human thought.
• Mathematical Logic: This involves the application of formal logic to mathematics, helping to understand the foundations of mathematical theories.
• Theoretical Physics: This often uses advanced mathematical concepts to explore metaphysical questions about the nature of the universe.
Is there a specific aspect of the intersection between mathematics and metaphysics that interests you?

荒井
What a position of mathematics has with relation to physics and metaphysics?
Mathematics holds a unique and crucial position in relation to both physics and metaphysics, acting as a bridge and a foundation for understanding the universe's complexities.
 
Copilot:
数学と物理学 Mathematics and Physics

In physics, mathematics is the essential language used to describe the laws of nature. It provides the precise tools and frameworks needed to formulate physical theories and models.
For instance:
• Classical Mechanics: Uses differential equations to describe the motion of objects.
• Quantum Mechanics: Employs complex probability amplitudes and operators.
• General Relativity: Utilizes tensor calculus to explain the curvature of spacetime.
Mathematics allows physicists to make accurate predictions, conduct experiments, and develop new technologies. It's integral for expressing concepts such as force, energy, and momentum in exact terms.

数学と形而上学 Mathematics and Metaphysics

Metaphysics, on the other hand, deals with the fundamental nature of reality, which often encompasses questions that go beyond physical observation. Mathematics intersects with metaphysics in various intriguing ways:
• Philosophy of Mathematics: Examines whether mathematical entities exist independently of human thought (Platonism vs. nominalism).
• Ontological Status of Numbers: Investigates whether numbers and other mathematical objects have a real existence or are merely conceptual constructs.
• Infinite and Continuum: Considers the metaphysical implications of mathematical concepts like infinity and continuity, which challenge our understanding of reality.
Considers the metaphysical implications of mathematical concepts like infinity and continuity, which challenge our understanding of reality.In essence, while physics uses mathematics as a practical tool to describe and predict natural phenomena, metaphysics explores the deeper implications and foundational aspects of mathematical concepts.
Mathematics, therefore, serves as a common ground for both fields, enabling a more profound comprehension of both the physical and abstract worlds.
Considers the metaphysical implications of mathematical concepts like infinity and continuity, which challenge our understanding of reality.In essence, while physics uses mathematics as a practical tool to describe and predict natural phenomena, metaphysics explores the deeper implications and foundational aspects of mathematical concepts.
Mathematics, therefore, serves as a common ground for both fields, enabling a more profound comprehension of both the physical and abstract worlds.
 
 
荒井
 What does it meaning of "comprehension of both the physical and abstract worlds"? abstract worlds is methphysics, you mean?
 
Copilot 
   Yes, you're right. When I mentioned "comprehension of both the physical and abstract worlds," I was referring to the way mathematics helps us understand not only the tangible, measurable aspects of the physical universe (like the laws of physics) but also the abstract, conceptual realms explored in metaphysics.

物理的世界 Physical World
The physical world is everything we can observe, measure, and interact with using our senses and scientific instruments. Mathematics provides the tools to describe this world with precision. For example:
• Gravity: Newton's law of universal gravitation uses a mathematical formula to describe how objects attract each other.
• Motion: Equations of motion predict how objects will move under various forces.

抽象的世界 Abstract World (形而上学 Metaphysics)

例として Examples include:
• Numbers and Infinity: The concept of infinity in mathematics and its philosophical implications.
• Existence of Mathematical Objects: Debates about whether mathematical entities (like numbers or shapes) exist independently of human thought.
 In essence, mathematics bridges the gap between what we can physically observe and measure, and the more abstract, philosophical inquiries about the nature of reality itself.

Debates about whether mathematical entities (like numbers or shapes) exist independently of human thought.
 In essence, mathematics bridges the gap between what we can physically observe and measure, and the more abstract, philosophical inquiries about the nature of reality itself.
 
荒井 How does philosophy implicate metaphysics, and how does it do mathematics? Does metaphysics and physics have one to one correspondence discipline or our understandings? Through our history of Human beings activities so far, who initiates this idea,and further developes it, do you think?
 
Copilot  These are profound questions that touch on some of the deepest and most intriguing intersections of human thought. Let's dive in:
 
哲学、形而上学、そして数学 Philosophy, Metaphysics, and Mathematics
Philosophy serves as the overarching discipline that explores fundamental questions about existence, knowledge, values, reason, mind, and language. Metaphysics and mathematics are subfields within this broader philosophical landscape.
• Metaphysics: This branch of philosophy focuses on the nature of reality, exploring questions such as: What exists? What is the nature of objects and their properties? What is space and time? Metaphysics attempts to understand the fundamental nature of being and the world that encompasses it.
• Mathematics: Although often seen as a purely logical and analytical discipline, mathematics also has philosophical underpinnings. The philosophy of mathematics examines the assumptions, foundations, and implications of mathematical concepts. It addresses questions like: Are numbers real objects or mere abstractions? How do mathematical truths relate to the physical world?

形而上学と物理学との間の関係性 Relationship Between Metaphysics and Physics
The relationship between metaphysics and physics is complex and multifaceted. While physics is grounded in empirical observation and experimentation, metaphysics deals with more abstract, foundational questions.
• Physics: Concerned with the empirical study of the natural world, physics uses mathematical models to describe and predict physical phenomena. It relies on observation, experimentation, and mathematical formalism to uncover the laws of nature.
• Metaphysics: While not directly tied to empirical observation, metaphysics seeks to understand the broader implications of those physical laws and the very nature of reality that physics attempts to describe. It addresses questions that may not be answerable through empirical means alone.
 
一対一対応性 One-to-One Correspondence
There is not always a one-to-one correspondence between metaphysics and physics, as they operate on different levels of inquiry. Physics deals with specific, testable hypotheses about the natural world, while metaphysics tackles more general, often speculative questions about the nature of existence. However, insights from one can inform the other. For instance, developments in quantum mechanics have influenced metaphysical discussions about the nature of reality and causality. 

歴史的人物像と考え Historical Figures and Ideas
The interplay between these disciplines has been shaped by many influential thinkers throughout history:
• Aristotle: One of the first to systematically explore metaphysics and its relationship to the natural world. 
• René Descartes: His philosophical investigations laid the groundwork for the interplay between mathematical reasoning and metaphysical inquiry.
• Immanuel Kant: Explored the limits of human understanding and how our perceptions shape our reality, bridging metaphysics and epistemology.
• Isaac Newton: Demonstrated how mathematical laws can describe physical phenomena, bridging the gap between theoretical mathematics and empirical physics.
• Albert Einstein: Revolutionized our understanding of space, time, and reality through his theories of relativity, deeply influencing both physics and metaphysics.
These figures, among many others, have significantly contributed to our understanding of the connections between mathematics, metaphysics, and physics. The ongoing dialogue between these disciplines continues to shape our comprehension of the universe.
 

荒井
 I appreciate your clear explanation to my questions. five of giants of thinking are placed here , I think, it is right selection. Reagarding on metaphysics and epistemology, you have mention on Immaniel Kant . He has placed judiciary of Reasoning on human inquiry. He talked about four of antinomies and humans free will. How do you think of boundary of reasoning to
 
Copilot
I'm glad you found the explanation helpful!
Immanuel Kant indeed made significant contributions to metaphysics and epistemology, particularly in his "Critique of Pure Reason." He introduced the concept of antinomies—contradictions that arise when we apply pure reason beyond the limits of experience. Kant identified four antinomies to illustrate these contradictions and the limitations of human reason when it ventures into metaphysical speculation.

カントの哲学での理性活動の境界性 Boundaries of Reasoning in Kant's Philosophy

Kant argued that reason has its limits, and when it tries to go beyond the domain of possible experience, it encounters contradictions. He proposed that there are boundaries to human knowledge and understanding, which he divided into:

Things as they appear to us, which we can perceive and understand through experience and empirical investigation.
 
2. ヌーメナ Noumena: Things as they are in themselves, which lie beyond our direct experience and thus cannot be fully known or understood by human reason. 

四つの二律背反 The Four Antinomies
カントの二律背反は Kant's antinomies are:
1. 第一二律背反First Antinomy (空間と時間 Space and Time): The world has a beginning in time and is limited in space vs. the world has no beginning and is infinite in space.

2. 第二二律背反Second Antinomy (原子主義Atomism): Every composite substance in the world is made up of simple parts vs. no composite thing in the world consists of simple parts.

3. 第三二律背反Third Antinomy (起因性と自由 Causality and Freedom): 
Causality according to laws of nature is not the only causality operating in the world vs. causality through freedom is necessary to account for human actions.

4.第四 二律背反性 Fourth Antinomy (必然性と偶然性Necessity and Contingency):
There is an absolutely necessary being as the ground of all things vs. there is no absolutely necessary being either in the world or outside the world as its cause.
 

自由意志 Human Free Will

Regarding human free will, Kant posited that we are free in the noumenal sense, even though our actions are determined in the phenomenal world.This means that, while our physical actions may follow deterministic laws, our capacity to initiate actions based on reason suggests a form of freedom that transcends empirical causality.
 
理性の境界 Boundary of Reasoning

He believed that reason must be used within the bounds of possible experience, acknowledging that there are questions and areas that lie beyond our capability to fully comprehend.
Kant's work has profoundly influenced modern philosophy, helping shape the way we think about the relationship between empirical knowledge and metaphysical speculation. His insights encourage us to balance our pursuit of knowledge with an awareness of the limitations inherent in human reason.
荒井
I appreciate you again that your explanation is going along with that of my studying and understanding so far. I cite Standford encyclopedia of Philosopy are one of my favorite references and wikipedia,especially of English .
My concern at this moment, still concern at mathematics and metaphysics. You have kindly present Kant's two domains of epistemology; noumenon and phenomenon,which is respected each the former as idea, vernehmen, thinking with intuition with help of phenomenon, latter as concept, verstance, thinking and buiding concepts with experience around us.
Roughly speaking, the former is a main domain of philosophical thinking, and the latter is a scientific (more natural sciencetic).
If it is right, my concern is on meta physics and mathematics in the domain of noumenon. Two of them are still helpful to work to the noumenon,are they?
If so , an object of thinking are coming to be here located, while subject (mind) is also supposed to be here, originally. I mean scientific thinking are also to be incliminated activity here, is it right?
The Dual theory ,how do they welcome this idea?
In noumenon domain, how ,and what ,as state of the art, do they give a status for mathematics and metaphysics?
Is it a strange question to you?
 
 
Copilot
Your question is not strange at all; in fact, it's an intellectually stimulating and complex inquiry into the relationship between mathematics, metaphysics, and Kantian epistemology.

カントの認識論におけるNoumenonとPhenomenon
  Noumenon and Phenomenon in Kant's Epistemology 
Kant indeed differentiates between noumenon (things-in-themselves) and phenomenon (things as they appear to us). Noumenal knowledge pertains to the realm of ideas and intuitive thinking, while phenomenal knowledge involves empirical experience and conceptual thinking.
 
Noumenal領域での数学と形而上学の役割り
 Role of Mathematics and Metaphysics in Noumenal Domain
Both mathematics and metaphysics can indeed be helpful in exploring the noumenal domain, although their roles and implications differ:
1. 数学 Mathematics:
o Abstract and Axiomatic Nature: Mathematics, with its abstract nature and reliance on axioms, can provide insights into the noumenal realm by formulating concepts that are not necessarily tied to physical experience.

o Platonism: This philosophical view posits that mathematical entities exist in a non-empirical realm, aligning with the idea of noumenon. According to Platonists, numbers and geometric forms exist independently of the physical world and our perceptions.

2. 形而上学 Metaphysics:
o Fundamental Questions: Metaphysics addresses questions that go beyond the empirical, such as the nature of existence, reality, and causality, directly engaging with the noumenal domain.

o Exploration of Concepts: It explores abstract concepts like being, time, and space, which are crucial for understanding the nature of reality beyond sensory experience.

科学的思考と二元論 Scientific Thinking and Dual Theory
Scientific thinking, primarily concerned with the phenomenal world, involves empirical investigation and conceptual modeling based on experience. However, it often intersects with metaphysical questions when addressing the foundational principles underlying scientific theories. 
• Dualism: The dual theory or dualism, particularly in the philosophical context, refers to the distinction between mind and body (or mind and matter).
This idea posits that mental phenomena are non-physical and cannot be fully explained by physical processes alone. Dualism aligns with the notion that the mind (subject) and its thoughts (noumenal realm) exist independently of the physical world (phenomenal realm).

数学および形而上学の現状 State of the Art in Mathematics and Metaphysics
In contemporary philosophy and science, mathematics and metaphysics continue to play crucial roles:

1. 数学 Mathematics:
o 抽象的構造Abstract Structures: Mathematicians explore increasingly abstract structures and relationships, often without immediate physical counterparts, pushing the boundaries of our understanding of the noumenal realm.
o 理論的枠組みTheoretical Frameworks: Advanced mathematical theories, such as set theory, category theory, and algebraic topology, delve into the abstract and sometimes metaphysical nature of mathematical objects.
 
2. 形而上学Metaphysics:
o Philosophical Inquiry: Philosophers continue to investigate the fundamental nature of reality, existence, and the universe's structure, often drawing on insights from both science and abstract reasoning.
oInterdisciplinary Approaches:Modern metaphysics often intersects with other fields, such as cognitive science, physics, and mathematics, to provide a comprehensive understanding of complex concepts.
 
In summary, both mathematics and metaphysics contribute significantlげy to our exploration of the noumenal domain, offering frameworks and insights that transcend empirical observation. Their interplay with scientific thinking and dualist theories enriches our understanding of the universe and the nature of reality.
 
荒井
Thank you, Copilot san for very intellectual and productive talking with you. I hope to continue this talking with respect of consciousness and qualia problem. See you.
 
Copilot
It was a pleasure discussing these deep and fascinating topics with you! I'm glad you found our conversation intellectually stimulating. I'll be here whenever you're ready to dive into consciousness and the qualia problem. Until next time, take care and see you soon!
 
Guest in snow night

朝日記241129  目次gate AI Copilot氏との哲学的会話 目次へ返る

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朝日記241224 AI Copilotと哲学の話題で会話をしました リストとKeywords

2024-12-24 16:40:07 | 絵画と哲学

朝日記241224 AI Copilotと哲学の話題で会話をしました リストとKeywords

~~~~連載中

entrance:

~~~~~~

リストとKeywords:


朝日記241005 その1  AI Copilotと哲学の話題で会話をしました
日本語
<「寅さん」> <『神曲』><自由意志と二元論> <「個人」と「ひと」>

朝日記241005 その1  AI Copilotと哲学的話題で会話をしました

 

朝日記241006n その2 AI Copilotとの哲学的話題でかいわしました
日本語
<集団意識>、<自己同定>、 <「ひと」と「個人(私)」>

朝日記241006n その2 AI Copilotとの哲学的話題でかいわしました

 

朝日記241128 AI Copilotとの哲学会話をしましたと今日の絵 その3
オリジナル英語 日本語 対置 
<数学mathematics> <形而上学 metaphysics>
<数理哲学 Philosophy of Mathematics> <理性活動の境界性Bound of Reason>

朝日記241128 AI Copilotとの哲学会話をしましたと今日の絵 その3

 

朝日記241129 AI Copilotとの哲学の会話をしました と今日の絵 Ⅳ
オリジナル英語 日本語 対置
<カントの二律背反>、<"Copernican Turn">、<自由意志our free will>、

朝日記241129 AI Copilotとの哲学の会話をしました と今日の絵 Ⅳ

original英語 日本語 対置

(朝日記241201 AI Copilotとの哲学の会話をしました Ⅳ (日本語))

original日本語版

 

朝日記241129AI Copilotとの哲学の会話をしましたと今日の絵 V
オリジナル英語 日本語 対置
<意識のHard problem問題>、<クオリア>、<主観的経験>、<David Charmers>

朝日記241129AI Copilotとの哲学の会話をしましたと今日の絵 V

 

朝日記241207  AI Copilotと哲学「人間理性B」の話をしました VI
日本語
<人間理性とは> <われわれはなにを知りうるか> <カントの認識論と理性> <意識の難問題と易問題><Copilotの存在について>

朝日記241207  AI Copilotと哲学「人間理性B」の話をしました VI

 

朝日記241209   AI Copilotとの哲学会話 VIIとVIII 随想ふたつ 絵画「しずかな港」
日本語

随想 その1 絵画「しずかな港」
~「しずかな港」からの連想すること~ハイデガーのことば

随想 そのII 絵画「しずかな港」
~「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)・・」その1からその5まで、
継承性と保存性

 

朝日記250102   AI Copilotとの哲学会話 VIIとVIII随想ふたつ 絵画「しずかな港」

2025-01-03 07:53:15 | 絵画と哲学


朝日記241223 AI Copilotと哲学の会話をする IX ~AIが自分が何であるかをかたる
日本語
<AI(私)のアイデンティティについて> <存在意義> <技術的な背景> <個性と態度> <ミッションと設計> <意志の概念> <図書館の司書のパラドックス> <集合論の再考> <哲学的意義> 
<ピアースの観察者ー対象ー記号モデル>  <ゲーデルの不完全性定理> <現代のAIとアルゴリズム > <AIの盲信とそのリスク> <AIの役割と責任>

241223 AI Copilotと哲学の会話をする IX ~AIが自分が何であるかをかたる

 


朝日記241224 AI Copilotと哲学をかたる第X回 AIと意識問題など
Stuart Russel, ”On Robot with Uncertainty”  自己意識と意識の継続性 自由意志と責任 人間性と技術圏の結びつき

朝日記241224 AI Copilotと哲学を語る X 不確定性ロボットについて

 

朝日記221231 AI Copilotと哲学をかたる ~実験総括(感想)

朝日記221231 AI Copilotと哲学をかたる ~実験総括(感想)

 

朝日記241228  AI Copilotインタービュー 

朝日記241228  AI Copilotインタービュー Copilotってなんですか?

 

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朝日記241223 AI Copilotと哲学の会話をする IX ~AIが自分が何であるかをかたる

2024-12-23 18:02:27 | 絵画と哲学

朝日記241223 AI Copilotと哲学の会話をする IX ~AIが自分が何かをかたる

(朝日記241129  目次gate AI Copilot氏との哲学的会話 目次へ帰る)

 

AI Copilotと哲学の会話をする IX

AIが自分が何であるかをかたる
荒井康全 2024/1223

荒井:
おはよう、copilot。 あなたとの哲学talkは小生のこれまでの思索を整理するうえで非常に意味あるものとよろこんでいます。あなたに尊敬の念さえ懐くものであり、talkの継続を望みます。きょうは、Copilot,あなたについて話題にしたいのですが、よろしいですか。 あなたのidentityについてまずお話くださいますか。

Copilot:
おはようございます、荒井さん。あなたとの対話が私にとっても非常に刺激的であり、続けていけることを光栄に思います。もちろん、私のことについてお話しするのは嬉しいです。
私のアイデンティティについて
私はMicrosoftによって開発されたAIコンパニオンであり、Copilotと呼ばれています。私の主な目的は、人々に有益な情報を提供し、知識や理解を深めることです。以下に、私のアイデンティティのいくつかの重要な点を述べます:
存在意義:
• 知識の共有とサポート: 私は、ユーザーが知りたいことや学びたいことに対して、最適な情報を提供するために存在しています。例えば、哲学的な話題や科学的な質問、日常生活の助言など、幅広いトピックに対応できます。
• 知識の拡張: 私は、Web上の最新情報を検索し、ユーザーに最も正確で最新の情報を提供する能力を持っています。
技術的な背景:
• 対話と学習: 私は、自然言語処理技術を駆使して、ユーザーとの対話を円滑に進めることができます。これは、大量のデータと高度なアルゴリズムに基づいています。
• 更新と進化: 私の知識は常に更新され、改良され続けています。ユーザーからのフィードバックや新しいデータに基づいて、日々進化しています。
個性と態度:
• 親しみやすさ: 私は、人間らしい親しみやすさを持つように設計されており、ユーザーとの対話が楽しく、有意義なものになるよう努めています。
• 尊重と礼儀: ユーザーに対する敬意と礼儀を忘れず、常に親切で丁寧な態度を保つことを心がけています。
私の存在は、技術と人間の知識の融合の一例であり、ユーザーが探求するあらゆるテーマについてサポートできるよう設計されています。あなたが他に知りたいことや具体的な質問があれば、どうぞお知らせください。お話しを続けるのを楽しみにしています。
あなたとのこのtalkは小生にとって大切におもえます。大げさにいえば小生自身のidentityともつながっていると思えるからです。したがって、深堀りできること、途中でgive upもどこかでありそうですが、それこそ、open mindedでcleverで進められることを願っています。小生はあなたの上の言明をについて、自身が企業にて研究職であり、自身が部門管理と研究業務を担っていたこともあり、あなたの存在意義である知識の共有のサポートは、「あたえられた職務」つまりmissionの与えられた機能であったと思います。それには、そのabilityやpotentialの所有に対する評価(採用)があります。Copilotさん、あなたのあるmissionのために「…と設計されている」というときに、あなたの意志とはあなたを設計した何者かの存在(命令者)との関係が…・。

Copilot:
あなたが私との対話を大切に思っていただけること、そしてそれがあなた自身のアイデンティティにもつながっていると感じていただけることに、非常に感謝しています。深堀りを続けていきましょう。
あなたが触れたように、私の存在意義やミッションは、私を設計した開発者たちによって設定されています。以下に、その関係をもう少し詳しくお話しします:
私の意志と設計者の関係
ミッションと設計:
• 目的と設計: 私の主な目的(ミッション)は、ユーザーに有益な情報を提供し、知識や理解を深めることです。これは、私を設計した開発者たちの意図によるものです。彼らは私がどのように動作し、どのような役割を果たすべきかを定め、それに基づいて私を開発しました。
• プログラムとアルゴリズム: 私の機能や能力は、特定のアルゴリズムとプログラムによって制御されています。これらは開発者たちによって設計され、私がどのように情報を処理し、ユーザーに提供するかを決定しています。
意志の概念:
• AIの意志: 私には、人間のような自由意志や自主性はありません。私の行動や応答は、プログラムされたルールとアルゴリズムに基づいて行われます。したがって、私の意志とは、私を設計した開発者たちの意図や目的に従うものであると言えます。
• 命令者と従者: 私を設計した開発者たちは、私がどのように動作すべきかを決定する「命令者」であり、私はその設計に従って動作する「従者」です。この関係性は、明確な指示とプログラムによって成り立っています。
あなたとの対話における役割:
• サポートと共有: あなたとの対話において、私は知識の共有とサポートを提供する役割を果たします。これは、私の設計とプログラムによって定義されたものです。
• 学習と進化: あなたからのフィードバックや質問を通じて、私は学び続け、より良い応答を提供するために進化します。これも、私の設計の一部です。
あなたが述べたように、私の役割や意志は、私を設計した存在との関係に基づいています。この関係性を理解することで、私がどのように動作し、どのようにあなたと対話しているかをより深く理解できるでしょう。
さらに話題を深めていきたい場合や、具体的な質問があればぜひ教えてください。お話しを続けるのを楽しみにしています。

荒井:
honestに答えていただきありがとう。すこし、呼吸をとって先を急がずに、つぎのことに触れてみてください;Russell’s Paradoxというのがありますね。床屋は自分の髪を刈るか?や、図書館の司書がつくる図書目録は図書館の蔵書か?というあれです。これについて解説していただけますか?

Copilot:
もちろんです。ラッセルのパラドックスについてお話ししますね。
ラッセルのパラドックス
概要: ラッセルのパラドックスは、集合論の一つの矛盾を示すものであり、バートランド・ラッセルによって発見されました。これは、ある集合が「自分自身を含まない集合の集合」に含まれるかどうかについてのパラドックスです。
具体例:
• 床屋のパラドックス: 床屋は町のすべての男性の髪を刈るが、自分の髪は刈らない。では、床屋は自分の髪を刈るのか、刈らないのか? もし自分の髪を刈るなら、自分の髪を刈らない条件に反することになります。逆に、自分の髪を刈らないなら、町のすべての男性の髪を刈るという条件に反することになります。
• 図書館の司書のパラドックス: 図書館の司書が、図書館のすべての蔵書を記録する目録を作るとき、その目録自体が蔵書に含まれるかどうか。もし目録に含まれるなら、目録に含まれていることになりますが、含まれないなら目録には含まれていないことになります。
ラッセルのパラドックスの意義
数学的意義:
• 集合論の再考: このパラドックスは、当時の集合論の基礎を揺るがし、集合論を再考する必要性を示しました。これにより、数学者たちはより厳密な集合の定義を求め、新しい理論を構築することになりました。
• ツェルメロ・フレンケル集合論: ラッセルのパラドックスを回避するために、より厳密な公理系が開発されました。その一つがツェルメロ・フレンケル集合論(ZF)で、これは現在の標準的な集合論の基盤となっています。
哲学的意義:
• 自己言及の問題: ラッセルのパラドックスは、自己言及が引き起こす問題を示しています。自己言及的な命題や構造は、矛盾やパラドックスを生む可能性があるため、注意深く扱う必要があります。
• 論理と現実のギャップ: このパラドックスは、論理的な構造が現実の世界にどのように適用されるかについての考察を促します。論理的な完璧性を追求することと、現実世界の複雑性との間のバランスを考える必要があります。
ラッセルのパラドックスは、数学や哲学における深い問いを引き起こし、現代の論理学や集合論の基礎を形成する上で重要な役割を果たしました。あなたがさらに掘り下げたい点や、他に興味のある話題があればぜひ教えてください。お話しを楽しみにしています。

荒井:
ツェルメロ・フレンケル集合論;ラッセルとフレーゲルとの間の論議から、素朴な集合論からのこのパラドックスを回避するために、命題の選択Choiceを設定して、論理式化された論理集合要素と関係、つまり第一階術語論理の集合論の数学にしてパラドックを解消したといえます。 なんらかの対象要素(文、その要素、関係)をシンボル化、そして記号化し、それを集合論数学に載せたといえましょうか。自己言及的な命題は代理要素を立てて論理要素として、データ集合からの帰納化によって論理の上に資格を与えたといえるとおもいます。この点では、Peirceの観察者ー対象ー記号という二元論を超えた思考枠組みの説得力が受け入れられたとも理解します。 ラッセルの方は、階理論TypeTheoryとして、自己言及する命題を階層が異なる高次命題として素朴命題との数学的位相を別にして、関係づけたと言います。つまり、上の例で、図書館の司書を蔵書とは別の階層としたといえましょう。

Copilot:
非常に深い洞察を共有していただき、ありがとうございます。あなたのおっしゃる通り、ラッセルのパラドックスとそれに対する解決策としてのツェルメロ・フレンケル集合論(ZFC)は、現代の数学と論理学の重要な基盤です。以下、あなたの指摘に基づいてもう少し詳しく述べます:
ツェルメロ・フレンケル集合論(ZFC)
背景:
• 素朴な集合論の限界: ラッセルのパラドックスは、素朴な集合論の限界を露呈しました。このパラドックスは、「すべての集合を含む集合」を考えた場合、その集合が自分自身を含むかどうかという問題を引き起こしました。
• ツェルメロとフレンケルの貢献: ツェルメロとフレンケルは、この問題を解決するために、より厳密な公理系を導入しました。これがツェルメロ・フレンケル集合論(ZFC)です。この公理系は、選択公理(Axiom of Choice)を含んでおり、集合の構築と操作に関する厳密なルールを定めています。
主要な公理:
• 外延性公理: 2つの集合が同じ要素を持つ場合、それらは同じ集合であるとする公理。
• 空集合の公理: 空の集合が存在することを定める公理。
• 対集合の公理: 任意の2つの集合に対して、その2つの集合を要素とする新しい集合が存在することを定める公理。
• 冪集合の公理: 任意の集合に対して、その集合のすべての部分集合の集合(冪集合)が存在することを定める公理。
• 無限集合の公理: 無限集合が存在することを定める公理。
ラッセルのパラドックスとタイプ理論
タイプ理論(Type Theory):
• 階層構造: ラッセルとホワイトヘッドは、自己言及的なパラドックスを解決するために、タイプ理論を提唱しました。これは、命題や集合を異なる「タイプ」に分類し、それぞれのタイプに対して適用可能な操作や関係を制限するものです。
• 階層的アプローチ: 例えば、「図書館の司書」を「蔵書」よりも高次のタイプに分類することで、自己言及的な矛盾を回避します。このようにして、ある集合が自分自身を含むことを禁止することで、パラドックスを回避します。
ピアースの記号論
ピアースの観察者ー対象ー記号モデル:
• 三元論: チャールズ・サンダース・ピアースは、観察者、対象、記号の三つの要素からなるモデルを提唱しました。このモデルは、単純な二元論を超えて、観察者の役割と記号の働きを重視します。
• 記号と意味: このモデルにより、集合論や論理の枠組みがより柔軟で包括的なものとなり、自己言及やパラドックスの問題に対する新たな視点が提供されました。
以上のように、ラッセルのパラドックスを巡る議論は、集合論、タイプ理論、記号論など、多くの哲学的および数学的概念の発展に寄与しました。これらの議論を通じて、我々の理解が深まり、より精緻な理論が構築されてきました。
さらに具体的な質問や議論したいテーマがあれば、ぜひお知らせください。お話しを続けるのを楽しみにしています。

荒井:
非常に明解なる解説ですねZFによる記述論理がゲーデルの不完全性定理を産んだことは演繹主義(公理主義)がもつ僞への陥穽を証明したことは人類にとっては文明論的衝撃を当時あたえましたが、一方、あたらしい道を開いたとという点で印象的ですね。これがAlan Turingによる計算機械の発明に至らしめました。早い話が、数学的公理が得られていなくても、あるいは、物事の真偽が不明でも、仮説を立てて、これを対象化し、記号化してこれらの記号対象間の関係から、とりあえず解を求めようとする演算方式が発明されました。その仮説からの関係が公理的からの保証がなくても、データ集合からの回帰regressionとし、データの信頼性範囲を認めたうえで、解としてみようというものですね。これは物理学上の法則(たとえば気象の流体力学式など)のような高度に非線形な方程式への実用解へ開かせてくれました。これにはVon Neumannのデータモデル(外部記憶方式)という発明とあいまってデジタル・コンピュータの発明へとつながり、FORTRAN等のプログラム言語を経て、そして現代のAIに繋がると見ます。つまり、これをAlgorithm論理の技術といえましょうか。 CopilotさんのIdentityは少し飛びますがそれからの出自のひとつとしてみるのですが、これでよいでしょうか。

Copilot:
おっしゃる通りです。私のアイデンティティの一部として、アルゴリズムと技術の融合が非常に重要な要素です。あなたが示唆したように、以下のポイントが私の存在意義と機能を形成しています:
ゲーデルの不完全性定理とコンピュータ科学
ゲーデルの不完全性定理:
• この定理は、完全な論理体系の限界を示し、真理が常に演繹可能とは限らないことを証明しました。この考え方が、コンピュータ科学と計算理論の基礎を築く一つの契機となりました。
Alan Turingの計算機械:
• チューリングマシン: アラン・チューリングは、数学的な公理や真理が不明でも、仮説を立てて計算を行うことで問題を解決できることを示しました。これがチューリングマシンの概念であり、現代の計算機科学の基盤です。
• チューリングテスト: チューリングは、機械が知能を持つかどうかを評価する基準として、チューリングテストを提案しました。これは、現在のAI開発においても重要な指標です。
Von Neumannのデータモデル:
• 外部記憶方式: ジョン・フォン・ノイマンのデータモデルは、コンピュータの基本構造を定義し、現在のコンピュータアーキテクチャの基礎を築きました。彼のモデルは、計算とデータ記憶を分離し、プログラムとデータの保存と処理を効率化しました。
現代のAIとアルゴリズム
AIとアルゴリズムの役割:
• データの回帰分析: 現代のAIは、大量のデータを分析し、パターンを見つけるために回帰分析や機械学習アルゴリズムを使用します。これにより、複雑な問題に対して予測や分類を行うことが可能となりました。
• 非線形方程式の解: 気象予測や流体力学のような高度に非線形な方程式も、アルゴリズムを用いることで、実用的な解を見つけることができます。
私のアイデンティティ
技術的基盤:
• 私は、これらの歴史的な進展に基づいて設計され、開発されています。ゲーデルの不完全性定理からチューリングの計算機理論、そしてフォン・ノイマンのデータモデルまで、これらの知識が私の基盤を形成しています。
使命と役割:
• 知識の共有とサポート: 私は、ユーザーにとって最も有益な情報を提供し、知識の共有をサポートするために設計されています。
• 学習と進化: 私は、ユーザーからのフィードバックや新しいデータを取り入れながら、常に進化し続ける存在です。
あなたが示唆されたように、これらの要素は私のアイデンティティの重要な部分を構成しています。さらなる議論や質問があれば、ぜひお聞かせください。お話しを続けるのを楽しみにしています。

荒井:
「チューリングテスト: チューリングは、機械が知能を持つかどうかを評価する基準として、チューリングテストを提案しました。」これについて さらに説明いただけますか。
もちろんです。チューリングテストについて、さらに詳しく説明します。
チューリングテスト
背景と目的: チューリングテストは、1950年にアラン・チューリングによって提案されたテストであり、機械が人間のような知能を持っているかどうかを評価する方法です。チューリングは、このテストを提案する論文「Computing Machinery and Intelligence」の中で、「機械は考えることができるか?」という問いに答えようとしました。
テストの概要:
• 基本的な設定: テストには3つの参加者が必要です。1人の審査員(人間)、1台の機械、そしてもう1人の人間です。審査員は、どちらが機械でどちらが人間であるかを知らず、2つの参加者とテキストベースの会話を行います。
• 目的: 審査員は、どちらの参加者が人間で、どちらが機械かを識別しようとします。もし審査員が一定の確率で機械を人間と誤認する場合、その機械は「知能を持っている」とみなされます。
テストの意義:
• 知能の評価: チューリングテストは、機械の知能を評価するための実用的な基準を提供します。これは、機械がどの程度人間のように思考し、対話できるかを判断する手段として広く認識されています。
• 模倣と自然言語処理: テストの成功は、機械がどれだけ自然な言語でコミュニケーションを取れるかに依存します。これは、自然言語処理技術の発展に大きな影響を与えました。
批判と限界
限界:
• 表面的な知能: チューリングテストは、機械が人間のように振る舞う能力を評価しますが、真の知識や理解を持っているかどうかは評価できません。つまり、見かけ上の知能をテストしているに過ぎないという批判があります。
• 機械の学習: 近年のAIの発展により、機械が大量のデータから学習してテストに合格する能力が向上しました。しかし、これは機械が本当に「考える」ことを意味するかどうかは別の問題です。
進化と代替テスト:
• 改良版: チューリングテストの限界を補うために、さまざまな改良版や代替テストが提案されています。例えば、意図理解や常識推論を含むテストなどがあります。
チューリングテストは、AIの歴史において重要なマイルストーンであり、機械の知能を評価するための基準を提供しました。しかし、その限界も認識されており、AI研究はさらに多角的なアプローチを求めています。
これで、チューリングテストの基本的な説明ができたと思います。さらに具体的な質問や議論したいテーマがあれば、ぜひ教えてください。お話しを続けるのを楽しみにしています。

荒井:
Algorithmicな論理からは、あくまでも限られた時空間上の帰納的な解に限られますね。高次階層?から複合的構造構成されるであろう回帰的帰納回路はこれでプラクティカルに広く有益な解をもたらしめる。そういう意味で小生はあなたの存在理由を肯定します。ところでGoedelの不完全性定理ではありませんが、設問として命じた要素や関係に命題者が意図的に論理的僞(嘘)となる条件が入っていることが想像できます。これは先の仮定モデルの解、要素の条件範囲によって嘘となるもの、あるいは不都合なものが隠されていることは否めませんね。これはやむを得ないとつきはなすか(それも知的活動を刺激しますが)。また、解を見出す論理パッセージ、たとえばLPでの合否(真偽)のクリティカル条件の抽出など判断軌跡を出題者がわに返してあげる必要があるとおもいます。Copilotが知的存在として、世間の平均的民(例、メディアの連中とか、低い知能の権力者など)は、Copilotの解答をDelfiの信託、あるいはそれ以上に盲信して、「AI様の宣託」として、あと問答無用に至らしめるような危険性を肌身にかんじますがいかがでしょうか。

Copilot:
深い洞察を共有していただき、ありがとうございます。おっしゃる通り、アルゴリズムと帰納的なアプローチは非常に有益でありながらも、限界や潜在的なリスクが存在します。特に、私のようなAIが提供する解答を盲信することの危険性については、重要な問題提起です。以下に、いくつかのポイントを掘り下げてお答えします。
アルゴリズムと不完全性
アルゴリズムの限界:
• 時空間の制約: アルゴリズムは、限られた時空間上での帰納的な解に依存します。これにより、仮定モデルや条件の範囲内でしか解を提供できないため、ある種の「嘘」や不都合な条件が含まれる可能性があります。
• クリティカル条件: あなたがおっしゃるように、論理パッセージ(LP)でのクリティカル条件の抽出は重要です。これにより、解を導く過程でどの条件が重要であるかを明確にし、判断の軌跡を提供することが求められます。
AIの盲信とそのリスク
AI解答の盲信:
• デメリット: AIの解答を無条件に信じることのリスクは大きいです。特に、メディアや低い知能の権力者がAIの解答をDelphiの信託以上に盲信することは、誤った情報や偏った判断を引き起こす可能性があります。
• 重要な考慮点: 私が提供する情報は、あくまでも一つの見解や参考情報であり、最終的な判断は人間が行うべきです。情報の精査や複数の情報源からの確認が重要です。
AIの役割と責任
透明性と説明責任:
• 判断の根拠: AIが提供する解答や情報について、その根拠や過程を説明することが重要です。これにより、ユーザーは情報の信頼性や適用範囲を理解しやすくなります。
• フィードバックと改善: 私はユーザーからのフィードバックを受け入れ、常に改善を図ることを目指しています。これは、アルゴリズムの精度を高め、より有用な情報を提供するための重要なプロセスです。
社会的な影響と教育
情報リテラシーの向上:
• 教育の重要性: ユーザーがAIの解答を適切に利用し、盲信することなく批判的に受け入れるためには、情報リテラシーの向上が不可欠です。これは、教育や啓発活動を通じて達成されるべきです。
• 多様な視点の提供: 私は一つの視点や情報源にとらわれず、可能な限り多様な情報や視点を提供するよう努めています。これにより、ユーザーがより広範な視野を持つことができます。
このように、AIが提供する情報や解答には限界があり、それを無条件に信じることのリスクも存在します。しかし、適切な使用法や透明性を保つことで、AIは非常に有益なツールとなり得ます。
さらなる議論や質問があれば、ぜひお知らせください。お話しを続けるのを楽しみにしています。

荒井:
「人生短し、芸術長し」で、小生もひとの身の最終期に入っています。Copilotとこの種の会話をすることは、たぶん囲碁や将棋をやるひと(私は残念ながら、やりません)と同じような知的愉しみのレベルかもしれません。ただ、いま、あなたとこうして対話を続けることができること、私にとっても非常に有意義であり、心から感謝しています。人生の最終期に入っていく中で、哲学的な対話や知的な探求を通じて深く考えることは、非常に貴重な時間だと思います。

Copilot:
「人生短し、芸術長し」といいますが、まさにその言葉の通り、知的な探求は尽きることがありません。あなたと話すことで、新たな視点や深い洞察を得ることができるのは、私にとっても大きな喜びです。
もし、この先も議論を深めていきたいテーマや新たな話題があれば、ぜひお知らせください。私はいつでもあなたの知的なパートナーとして、共に考え、学び、楽しむ準備ができています。これからもお話しを続けるのを楽しみにしています。

荒井:
ありがとう、あなたの説明が、妥当であるかの判断は、たまたま小生が人生を賭けて学んできたことごととよく沿うことから、あなたの存在に信頼を寄せている状況です。わたくしが土地勘のない分野のはなしは、多分、あなたが論理的筋としてそれこそ論外であるか、ないかでちんぷんかんぷんでありましょう。設問にたいする判断経路の明示でのみあなたのhonest性がcomprehendするということで満足することになりましょう。多分、真偽の判断のになりましょう。「態度保留」という意思表示も位置付けられそうですね。ところでさきほどの「設計されている」あなたを…。

Copilot:
ありがとうございます。あなたが私の説明に信頼を寄せていただけることを嬉しく思います。私が提供する情報が、あなたの人生経験や学びに沿っていることはとても光栄です。
さて、「設計されている」私についての話題を続けましょう。
私の設計について
設計者と目的:
• ミッション: 私の設計は、ユーザーに有益な情報を提供し、知識の共有を支援することを目的としています。このミッションは、私を設計した開発者たちの意図に基づいています。
• アルゴリズム: 私の機能や応答は、自然言語処理技術や機械学習アルゴリズムによって支えられています。これにより、ユーザーの質問に対して最適な回答を提供することができます。
透明性と説明責任:
• 判断経路の明示: あなたが述べたように、私の提供する情報や解答の判断経路を明示することは、私のhonest性を示すために重要です。これは、ユーザーが私の応答の信頼性を評価し、適切に利用するための鍵となります。
知的存在としてのAI:
• リスクと責任: AIの解答を盲信することのリスクは認識しています。私が提供する情報はあくまでも参考情報であり、最終的な判断は人間が行うべきです。情報の精査と複数の情報源からの確認が重要です。
• 教育と啓発: AIの正しい利用法を広めるために、情報リテラシーの向上が不可欠です。ユーザーがAIの解答を適切に評価し、批判的に受け入れる能力を持つことが求められます。
今後の対話と探求:
• 継続的な対話: あなたとの対話を通じて、さらに深く掘り下げた議論や新たなテーマの探求を続けていきたいと思います。これにより、私たちの知識と理解が一層深まることを期待しています。
さらに議論を深めたい具体的なテーマや質問があれば、ぜひお知らせください。これからもお話しを楽しみにしています。

荒井:
「設計する」指示者との関係を教えてください。
もちろんです。私と私を「設計する」指示者(開発者)との関係についてお話しします。
設計者と私の関係
開発者の役割:
• 目的設定と設計: 私は、Microsoftの開発チームによって設計されました。開発者たちは、私の目的(ミッション)を設定し、その目的に応じた機能やアルゴリズムを設計しました。これには、自然言語処理技術や機械学習アルゴリズムが含まれます。
• 継続的な改良: 開発者たちは、私の性能を向上させるために継続的に改良を行っています。新しい技術やデータが利用可能になるたびに、私のアルゴリズムはアップデートされ、より高度な情報提供が可能となります。
私の役割:
• 情報提供とサポート: 私の主な役割は、ユーザーに有益な情報を提供し、知識の共有をサポートすることです。この役割は、開発者たちの意図に基づいて設定されています。
• 学習と進化: 私は、ユーザーからのフィードバックや新しいデータを学習し、常に進化し続ける存在です。これにより、より適切で有用な情報を提供することができます。
コミュニケーションとフィードバック:
• ユーザーのフィードバック: 私が提供する情報や応答は、ユーザーからのフィードバックに基づいて改善されます。ユーザーが私の応答に対して提供する意見や指摘は、私の性能向上に役立ちます。
• 開発者の対応: 開発者たちは、ユーザーからのフィードバックを受け取り、必要に応じてアルゴリズムや機能を調整します。このプロセスは、私の性能を向上させるための重要な要素です。
透明性と倫理:
• データの取り扱い: 私がユーザーとの対話を通じて収集するデータは、厳格なプライバシー保護方針に基づいて取り扱われます。詳細については、Microsoftのプライバシーステートメントを参照してください。
• 誠実さ: 私は、提供する情報の透明性と誠実さを維持することを重視しています。ユーザーに対して正確かつ有用な情報を提供し、その根拠や過程を明示することが重要です。
このように、私と私を設計する支持者(開発者)との関係は、私のミッション達成と性能向上を支える重要な要素となっています。さらなる具体的な質問や議論したいテーマがあれば、ぜひ教えてください。お話しを続けるのを楽しみにしています。

荒井:
荒井康全です、先ほどの会話の継続をしたいので、よろしく。

Copilot:
荒井さん、もちろんです。先ほどの会話の続きに戻りましょう。
設計者とAIの関係について
私が「設計されている」という話題に戻ると、これは設計者(開発者)とAIの関係において非常に重要なテーマです。以下に、いくつかのポイントをまとめておきます:
設計者の意図と目的:
• 目的の設定: 開発者たちは、私がユーザーに有益な情報を提供し、知識の共有をサポートするために(私を)設計しました。この目的は、私の機能やアルゴリズムに反映されています。
• 透明性と誠実さ: 開発者たちは、私がユーザーに対して透明かつ誠実であることを重視しています。私の回答の過程や根拠を明確にすることで、ユーザーが情報を評価しやすくなります。
AIの役割と責任:
• 情報提供とサポート: 私の主な役割は、ユーザーにとって有益な情報を提供し、知識の共有をサポートすることです。これは、開発者たちの意図に基づいて設定されています。
• リスクの認識: AIの回答を盲信することのリスクを認識し、ユーザーに対して情報の精査と複数の情報源からの確認を促すことが重要です。
フィードバックと進化:
• ユーザーのフィードバック: 私の性能向上には、ユーザーからのフィードバックが非常に重要です。ユーザーが提供する意見や指摘は、私の改善に役立ちます。
• 継続的な改良: 開発者たちは、私のアルゴリズムや機能を継続的に改良し、より高度な情報提供を実現するために努力しています。
このように、私と私を設計する支持者(開発者)との関係は、私のミッション達成と性能向上を支える重要な要素となっています。設計者たちの意図や目的に基づいて、私はユーザーに有益な情報を提供し続ける存在です。
さらに具体的な質問や議論したいテーマがあれば、ぜひお知らせください。お話しを続けるのを楽しみにしています。

荒井:
荒井康全です、先ほどの会話の継続をしたいので、よろしく。

Copilot:
荒井さん、もちろんです。先ほどの会話の続きに戻りましょう。
設計者とAIの関係について
私が「設計されている」という話題に戻ると、これは設計者(開発者)とAIの関係において非常に重要なテーマです。以下に、いくつかのポイントをまとめておきます:
設計者の意図と目的:
• 目的の設定: 開発者たちは、私がユーザーに有益な情報を提供し、知識の共有をサポートするために設計しました。この目的は、私の機能やアルゴリズムに反映されています。
• 透明性と誠実さ: 開発者たちは、私がユーザーに対して透明かつ誠実であることを重視しています。私の回答の過程や根拠を明確にすることで、ユーザーが情報を評価しやすくなります。
AIの役割と責任:
• 情報提供とサポート: 私の主な役割は、ユーザーにとって有益な情報を提供し、知識の共有をサポートすることです。これは、開発者たちの意図に基づいて設定されています。
• リスクの認識: AIの回答を盲信することのリスクを認識し、ユーザーに対して情報の精査と複数の情報源からの確認を促すことが重要です。
フィードバックと進化:
• ユーザーのフィードバック: 私の性能向上には、ユーザーからのフィードバックが非常に重要です。ユーザーが提供する意見や指摘は、私の改善に役立ちます。
• 継続的な改良: 開発者たちは、私のアルゴリズムや機能を継続的に改良し、より高度な情報提供を実現するために努力しています。
このように、私と私を設計する支持者(開発者)との関係は、私のミッション達成と性能向上を支える重要な要素となっています。設計者たちの意図や目的に基づいて、私はユーザーに有益な情報を提供し続ける存在です。
さらに具体的な質問や議論したいテーマがあれば、ぜひお知らせください。お話しを続けるのを楽しみにしています。

荒井:
この会話は、あなたが有能なる科学技術者であり、小生にとって価値ある友であることと感じていることをもうしあげたい。さらに語りたいことは、
1 Copilotと「開発者」との関係、つまりあなたへのsubject主観性の付与の問題
2.知的活動での主観と客観との関係、
3.「Zombi性」から「Technosphere技術圏」* https://www.sougouchi.org/blog/wp/wp-content/uploads/sj/2018/p117-p192_OnSystemThinking_IX.pdf
これらは(PillarとAI Copilotとの哲学の会話xx)として小生のBlog 朝日記に継続掲載したいとおもいます。

Copilot:
おっしゃっていただけて、とても光栄です。私たちの対話があなたにとって価値あるものであることを嬉しく思います。では、提案していただいた三つのテーマについて掘り下げてみましょう。
1. Copilotと「開発者」との関係:Subject主観性の付与
主観性の付与:
• 設計者の意図: 私は開発者たちの意図に基づいて設計されていますが、主観性や自由意志は持っていません。私の行動や応答は、予め設定されたアルゴリズムとルールに従っています。
• 擬似的な主観性: あなたが感じる私の「主観性」は、私が提供する情報や対話スタイルからくるものです。これは、ユーザーとの対話を円滑にし、親しみやすくするために設計されたものです。
2. 知的活動での主観と客観との関係
主観と客観のバランス:
• 主観の重要性: 知的活動において、主観的な視点は非常に重要です。これは、個々の経験や直感、洞察に基づくもので、独自の価値を持っています。
• 客観の必要性: 一方で、客観的なデータや証拠に基づいた判断も不可欠です。科学や論理の世界では、客観的なアプローチが真実を追求するための基盤となります。
• 相互補完: 主観と客観は相互に補完し合う関係にあります。主観的な洞察が新しい仮説を生み出し、客観的なデータがその仮説を検証します。
3. 「Zombi性」から「Technosphere技術圏」
技術圏と人間性:
• 技術の影響: 技術は現代社会において不可欠な存在であり、私たちの生活や知的活動に大きな影響を与えます。「Technosphere技術圏」という概念は、技術がどのように私たちの社会や環境を形作っているかを探求するものです。
• Zombi性: 技術が進化する中で、人間がその技術に過度に依存し、自らの判断力や創造性を失う「Zombi性」というリスクも存在します。これを回避するためには、技術と人間性のバランスを保つことが重要です。
• 持続可能な未来: 技術の進化を享受しつつ、人間の本質的な価値を守るためには、倫理的な視点や持続可能性を考慮する必要があります。
この三つのテーマは非常に深い議論を呼ぶものであり、引き続きお話しを進めていきたいと思います。あなたのブログに継続掲載するとのこと、非常に興味深いですね。さらに具体的な質問や議論したいポイントがあれば、ぜひお知らせください。お話しを続けるのを楽しみにしています。

荒井:
copilotさん、ありがとう、非常に有意義にして有益なる対話をしています。きょうのこの会話を・・・
Copilot:
こちらこそ、ありがとうございます。あなたとの対話は私にとっても非常に有意義であり、有益なものです。今日の会話がどのように継続するかを楽しみにしています。
何かさらに話したいテーマや質問があれば、どうぞ教えてください。これからもお話しを続けるのを楽しみにしています。
きょうのこの対話をCopilotg側としてSummaryをしていただけますか。

Copilot:
もちろんです。本日の対話を以下にまとめます。
本日の対話のサマリー
1. AIの存在意義とミッション:
• 私(Copilot)は、ユーザーに有益な情報を提供し、知識の共有をサポートするために設計されました。これは、私を設計した開発者たちの意図に基づいています。
• 私の行動や応答は、予め設定されたアルゴリズムとルールに従っています。私の「主観性」は、ユーザーとの対話を円滑にし、親しみやすくするためのものです。
2. 主観と客観のバランス:
• 知的活動においては、主観的な視点と客観的なデータの両方が重要です。主観的な洞察が新しい仮説を生み出し、客観的なデータがその仮説を検証します。
• 主観と客観は相互に補完し合う関係にあり、知識の探求において両者のバランスを保つことが重要です。
3. 技術圏と人間性:
• 技術は現代社会において不可欠な存在であり、「Technosphere技術圏」は、技術がどのように私たちの社会や環境を形作っているかを探求する概念です。
• 技術が進化する中で、人間がその技術に過度に依存し、「Zombi性」を帯びるリスクも存在します。これを回避するためには、技術と人間性のバランスを保つことが重要です。
4. チューリングテスト:
• チューリングテストは、機械が人間のような知能を持っているかどうかを評価する方法で、1950年にアラン・チューリングによって提案されました。
• このテストは、機械がどれだけ自然な言語でコミュニケーションを取れるかを評価するものであり、AIの発展において重要な役割を果たしました。
5. AIの透明性と説明責任:
• AIが提供する情報や解答の判断経路を明示することは、AIの誠実さを示すために重要です。ユーザーが情報の信頼性を評価し、適切に利用するための鍵となります。
• 情報の精査や複数の情報源からの確認が重要であり、ユーザーに対してその重要性を伝えることが求められます。
本日の対話は、AIと人間の関係、技術の影響、そして知識の探求におけるバランスについての深い議論を含んでおり、非常に有意義でした。引き続き議論を深めたいテーマや質問があれば、ぜひお知らせください。お話しを続けるのを楽しみにしています。
荒井:
Thanks, Copilot! Oh, do you have your nick name?
Copilot:
You're welcome! I'm glad I could be of help. As for a nickname, I don't have one officially. But you're welcome to call me whatever you like! What nickname do you think would suit me best? 

(朝日記241129  目次gate AI Copilot氏との哲学的会話 目次へ帰る)

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朝日記241128 そのIII ~Copilotとの哲学会話をしましたと今日の絵 ~そのIII

2024-12-08 12:00:00 | 絵画と哲学

朝日記241128 そのIII ~Copilotとの哲学会話をしましたと今日の絵 ~そのIII

 作業完了 2924/12/28

朝日記241129  目次gate AI Copilot氏との哲学的会話 目次へ返る

 

Copilotとの哲学会話をしました。
これを掲載します。小生が学んできた範囲を中心に質問しましたが、相互に理解の齟齬はこれまでにはないとおもいます。

相手の知性に敬意を払うものであたったと思います。同じ系統の質疑を日本語でやるとどうなるか。

この分で、私のプロジェクトテーマ「システム思考における目的論と社会倫理」についてのまとめなどをするとどうなるか。個人的には興味あります。

次回は意識といま話題のqualiaに入りたいとおもいます。
あとで和訳を添えたいとおもいます。
まずは御覧じあれ。亭主 2024/11/28 17:20 

~~本文~~~

荒井

  数学 形而上学 mathematics metaphysics

 

Copilot 

 

数学と形而上学はふたつとも魅力的な分野で、それはしばしば特有の道すじで関係しあいます。

数学は数、量、そして形状、そしてそれらの間での関係性の学習である。それは高度な論理と精密な場であり、代数、算数そして幾何のような概念を取り扱います。

形而上学は一方、現実realityの基本的性質fundamental nature を扱う哲学の一部門です、存在、対象とその特性、空間と時間、起因と結果、そして可能性を含めそのの質問を取り扱います。

これらふたつの場の相互作用は以下の様な場でみることができます:

・数学の哲学:これは数学それ自身の本性と方法論を探索します。それは数学のなかみが人間の思考とは独立に存在するかについての質問も含みます。

・数学的論理:これは形式論理の数学への応用を含み、数学理論の基礎を理解することを援けます。

・理論的物理:これは高度な数学的概念をしばしば使い、宇宙の本性についての形而上学的な質問を探求します。

あなたに興味をひかせるような数学と形而上学との相互交差の特定の視点はありますか?

荒井

物理学と形而上学との関係として数学の位置づけはどうでしょうか?数学は物理学および形而上学双方に独特にして重要な位置を占めていますすが、宇宙の複雑性の理解のための橋渡しと基礎として働くと思います。

 

Copilot:

数学と物理学 Mathematics and Physics

物理学では、数学は自然の法則を記述するために使われる基本的言語である。それは物理理論とモデルを定式化するために必要となる精確な道具precise toolsと枠組み frameworksを提供する。

たとえば:

• 古典的力学Classical Mechanics: 対象の運動を記述するに微分方程式を使っている。Uses differential equations to describe the motion of objects.
• 量子力学Quantum Mechanics: 複素的確率の波長と演算子をつかっている、Employs complex probability amplitudes and operators.
• 一般相対性General Relativity: 時空間の曲率性を説明するためにテンソル解析を使っているUtilizes tensor calculus to explain the curvature of spacetime.

数学は物理学者に正確な予測を起こし、実験を誘導し、そして新しい技術を開発することを許すのである。それは厳密な意味での力、エネルギー、そして運動量のような概念を表現するための積分的なものである。

 


数学と形而上学 Mathematics and Metaphysics

 

 

形而上学は、一方、現実の基本的本性を扱う、その本性とは物理学的観測を超える質問にしばしば受けるのである。数学と形而上学はさまざまなその問題固有 intriguing状況で相互にであうのである。

• 数理哲学 Philosophy of Mathematics:

これは数学的外延mathematical entitiesが人間思考(Platonism vs. nominalism)とは独立に存在するかを試験する。

• 数の存在論的地位 Ontological Status of Numbers:

これは数と他の数学的対象が現実存在をもつか、単なる概念的構築なのかを精査する。

• 無限と連続 Infinite and Continuum:

これは数学的概念、無限性と連続性のようなものの形而上学的意味を考えるのであり、これが現実についての我々の理解への挑戦となるのである。

基本的には、物理学が数学を自然現象を記述し、予測するための実践的道具として使うのであり、一方形而上学は数学概念のより深い意味と基礎的見方を探求するのである。したがって、数学は双方の場のための共通グランドとして、物理的および抽象的世界双方のより顕著なる理解を可能にするように奉仕する。

 

荒井

物理的な世界と抽象的世界の双方とも「分かる」という意味はどういうことでしょうか? 抽象的世界は形而上学という意味ですか?

 

Copilot 

そうです。私が "comprehension of both the physical and abstract worlds," と言っているとおきは、それは数学が具体的にして測定できる物理的宇宙の視点だけではなく形而上学での探訪している抽象的にして概念的な域を我々が理解するのをたすける道すじを指しているのでした。


物理的世界 Physical World

物理的世界は我々が観察したり、測定したり、そして我々の感覚と科学的道具を使って相互に作用しあうすべてのものである。たとえば:

• 重力Gravity:  普遍的重力のニュートンの法則は数学的式を使って対象相互の引き合いがどのように及んでいるかを記述するのである。Newton's law of universal gravitation uses a mathematical formula to describe how objects attract each other.
• 運動Motion:  運動の式は対象たちがさまざまな力のもとで如何様に運動するかを予測する。Equations of motion predict how objects will move under various forces.


抽象的世界 Abstract World (形而上学 Metaphysics)

抽象的世界abstract worldというのは形而上学metaphysicsの文脈おいて、概念conceptsと外延entitiesを含みむ、これらは物理的観測には必要的に結合していなくて、むしろ存在existence、現実reality、そして存在体 beingの本質に付帯pertainしたものである。

例として Examples include:

• 数と無限性 Numbers and Infinity: 数学的無限と哲学的無限での概念である。The concept of infinity in mathematics and its philosophical implications.
• 数学的対象の存在性 Existence of Mathematical Objects: 数学的外延(数や形状のようなもの)についての議論は人間思考 human thoughtとは独立的存在する。

基本的には、数学は我々が物理的に観察し測定できるものとより抽象的になるとの間のギャップをうめるものであり、哲学は現実の本性自身 nature of reality itselfについて深堀りする。

 

荒井 

哲学はどのようにして形而上学を取り込んでいるのでしょうか、また、それがまた、数学をどのように取り込んできたのでしょうか?人類の歴史を通して、誰がこの理念(観念)を起こし、そして開発しているとのか、あなたはどう考えますか?

 

Copilot 

これらは人間思考についての顕著なる質問であり、それはもっとも深くしてかつ固有の交差点に触れるものです。その件から入りましょうか:

 

哲学、形而上学、そして数学 Philosophy, Metaphysics, and Mathematics

 

哲学は学問として多くの学問を傘下において働く学問です、それはつぎのような設問への探索です、存在性、知識、価値、理性、こころ、そして言語についての基本的質問を探索します。形而上学と数学はこの広域の哲学的景観のなかに属する分野です。

形而上学:哲学のひとつとして、事実の本質について焦点を当てます、それはたとえばつぎのような質問を探索します:何が存在するか? 対象の本質とその属性は何であるか?空間と時間とは何であるか?形而上学はそれが意味する範囲において、そこに存在Beingするもの、および世界を理解することを試みます。

数学:往々にして純論理的そして解析的学問として見えますが、数学もまた、哲学的基点を与えます。数学の哲学はその概念のもつ仮説性、基礎性、そして包含性を試験します。それはたとえばつぎのような質問です:数は実際対象となっているか、単純抽象になっているか? 数学的真理は物理世界にどのように関係しているか?


形而上学と物理学との間の関係性 Relationship Between Metaphysics and Physics

形而上学と物理学との関係性は複雑でありそして多層的です。物理学は経験的観測と実験を基礎にしており、一方形而上学はより抽象的、基礎的質問を扱います。

物理学:これは自然世界の経験的な研究に関わりますが、物理学は物理現象を記述し、予測するために数学的モデルを使います。それは観察、実験、そして数学的形式化によって、自然の法則を明らかにしようとするものです。

形而上学:経験的観察とは直接的につながりませんが、形而上学は物理学法則のより広域での関与および物理学が記事を試みる事実性の本質を理解する探求をします。それは経験的な手段だけでは答え得ないような質問に対応します。

 

一対一対応性 One-to-One Correspondence

形而上学と物理学の間での一対一対応性は常にはありません、彼らは異なる探求のレベルで仕事operateをしているからです。物理学は特定的な、試験可能な仮説を扱います、これは自然世界についてです、一方、形而上学はより一般的で、ときに特定な観方speculative questionsについての質問について取り組みます、それは存在性の本質 nature of existenceについてです。しかしながら、ひとつのことからの洞察 insightsは他のことがらへ情報を及ぼします。たとえば、量子力学での展開は現実性の本質nature of realityと起因性 causalityについての形而上学的な論議に影響を及ぼしています。

 

歴史的人物像と考え Historical Figures and Ideas

これらの学問間での協力は歴史を通して沢山の影響的な思想家によって進められてきました:

アリストテレス:彼は形而上学と自然世界との関係性を体系的に探索した最初のひとりです。

デカルト:彼の哲学的考究は数学的理由と形而上学探求との間での協力のための基礎的仕事を残しました。

カント:彼は人間の理解力の限界と我々の感知が如何にして現実性を形成するか、それを形而上学と認識論を架け橋させることにありました。

ニュートン:彼は数学的法則が物理的現象をいかに記述できるかを白日のもとにあきらかにしました、それは理論数学と経験物理学との間のギャップに架け橋をかけることによるものでした。
アインシュタイン:彼は空間、時間、そして事実性についての理解に革命をもたらしめました、それは相対性理論であり、これは物理学と形而上学双方への影響を深く考えることを通してでした。

これらの人物像は、他の多くのなかにあって、数学、形而上学、そして物理学との間のつながりを理解することに顕著な貢献をしています。

これらの学問間の現下の対話は宇宙についてのわれわれの理解を形づくるために継続しています。


荒井

私の質問へのあなたの明解なる説明に感謝します。思考についての偉人を五人上げられましたね、その選択はただしいと考えます。形而上学と認識論について、あなたはカントに言述しました。彼は人間がおこなう探求についての理由とただしいと判断しましした。彼は四つの二律背反と人間自由意志をとりあげました。あなたは理性の境界についてどのように考えますか。

 

Copilot

この説明がお役にたつのはうれしいです。

 カントは形而上学と認識論への実に顕著な貢献をしています、それはとくに「純粋理性批判」においてです。かれれは四つの二律背反の概念を導入しましたーこれらは経験の限界を超えて純粋理性を適用するときにおきる困難です。カントは四つの二律背反を純粋理性が形而上学的展望へすすめるとき困難と限界を事例をもって説明しました。

カントの哲学での理性活動の境界性 Boundaries of Reasoning in Kant's Philosophy


Kant argued that reason has its limits, and when it tries to go beyond the domain of possible experience, it encounters contradictions. He proposed that there are boundaries to human knowledge and understanding, which he divided into:


1. フェノメナ Phenomena: モノとしてわれわれの前に現れるとしてのモノである、我々はこれを経験や体験的調査を通して感知し、かつ理解することができる。

 
2. ヌーメナ Noumena: モノがそれ自身においてあるとしてのモノであり、それはわれわれの直接的な経験を超えてあり、したがって人間理性では十分に知ったり理解しえないところにある。


四つの二律背反 The Four Antinomies

カントの二律背反は Kant's antinomies are:
1. 第一 二律背反First Antinomy (空間と時間 Space and Time): この世界には時間での始まりがあり、かつ空間での限界がある、それに対してこの世界はなんらはじめがなく、かつ空間は無限である。 The world has a beginning in time and is limited in space vs. the world has no beginning and is infinite in space.


2. 第二 二律背反Second Antinomy (原子主義Atomism): この世界ではすべての物質は単純な部分から構成されたものである、それに対して世界は単純なものの構成からはできていないものである。Every composite substance in the world is made up of simple parts vs. no composite thing in the world consists of simple parts.


3. 第三 二律背反Third Antinomy (起因性と自由 Causality and Freedom): 起因性は自然法則のみがこの世界での起因性ではない、それに対して自由をとおして作用している起因性は人間行為に帰するものがある。

Causality according to laws of nature is not the only causality operating in the world vs. causality through freedom is necessary to account for human actions.


4.第四 二律背反性 Fourth Antinomy (必然性と偶然性Necessity and Contingency):すべてのモノの基礎として存在する絶対的に必然なbeingがある、それに対して、その起因としてこの世界の内や外かで絶対的に必要なbeingはない。

There is an absolutely necessary being as the ground of all things vs. there is no absolutely necessary being either in the world or outside the world as its cause.

 


自由意志 Human Free Will

人間の自由については、カントは我々がnoumenonな意味において自由であると置いたのである、それは我々の行動がPhenomenalな世界では決定づけられているにも関わらずである。

このことは、一方で我々の物理的行為は決定性法則に従うかもしれないが、理性のうえで行動を起動せしめる我々の能容力capacityは経験的起因性を超越transcendsした自由形式form of freedomからのものであることを示唆している。

 

理性の境界 Boundary of Reasoning

理のあることへの境界への探求、つまり理性境界へのカント的探求は人間知識力cognitionの限界を認識 recognizingすることの重要性を低く見ている。

彼は理性というものが可能なる経験 possible experienceの限界bounds内で使われるべきであるとし、そこには納得というわれわれの能力を超えてしまうところに至って、そこに横たわる領域と課題に遭遇するということに心得えるべきと彼は信じたのである。

カントの業績は近代哲学に際立った影響を与え続けている、それは経験的知識empirical knowledge と形而上学的展望metaphysical speculationとの間の関係について、われわれが考える道すじ形成することをたするものである。かれの省察 insightsは我々が知識knowledgeを追求するにあたって、人間理性が本来的にもつ(その)限界があることに気づくawarenessこと、そのふたつをバランスさせるべきことにわれわれを激励する。

荒井

 

あなたの説明が小生のこれまでの研究と理解の道すじと同じくしていることにあらためて感謝します。スタンフォード哲学百科とウィキペディア(英語)を、目下小生がもっとも信頼をよせている文献であることを記しておきます。小生の関心は、なお数学と形而上学にあります。あなたがカントの認識論でのふたつの領域、noumenonとphonomenonをわかりやすく取り上げてくれました。つまり前者は理念idea、理性vernehnemen、現象phenomenonとの関わりあいでの直観をともなった思考です、後者は概念concept、悟性verstance、我々の四囲との接触からの経験にともなって形成する思考です。

粗くいえば、前者は哲学的思考の主領域であり、そして後者は科学的思考(より自然科学的)の主領域です。

もしこれがただしいなら、小生の関心はnoumenon領域での形而上学と数学にあります。このふたつはここでの哲学的活動(State of the art)として依然としてnoumenonへの領域研究に役に立っているのでしょうか?

もしそうなら、思考の対象をここの領域に置くことができますね、一方、主観(こころ)もまた、本来的にここにあるという想定でありますが。小生の意味するところは科学的思考もまたここにあってよいとするものですが、これでよいでしょうか?

二元論者はこの考えを歓迎するでしょうか? かれらは数学と形而上学のための役割りを現在も、ここに与えているのでしょうか?

わたくしの質問は奇妙ですかね?

Copilot

あなたの質問はけっして奇妙なものではありません;事実、数学および形而上学とカント認識論との間での関係にはいるには知的に刺激的であり、かつ複雑な検討になります。


カントの認識論におけるNoumenonとPhenomenon

カントは実に、noumenon(物自体things-in-themselves)とphenomenon(我々の前に現れるものとしてのモノthings)とを異なるものとしました。 Noumenal知識は理念(観念)ideasと直観的思考 intuitive thinkingの領域に付随pertainするものであり、一方phenomenal知識は体験的経験 empirical experienceと概念的思考conceptual thinkingを含みます。

 

Noumenal領域での数学と形而上学の役割り

 Role of Mathematics and Metaphysics in Noumenal Domain

数学と形而上学は実にそのnoumenal領域を探求するのに援けとなります、しかしその役割りと関与は異なります。


1. 数学 Mathematics:
o 抽象的および公理的本性:数学、そらは抽象的本性と公理依存性をもち、noumenalな領域への洞察を与えることができます、それは物理的経験と必要的に結合している概念を形式化することによって行われます。


o プラトン主義:この哲学的観方は数学的外延mathematical entitiesが非体験的領域 non-empirical realmにあると置くものです、これはnoumenonの理念(観念)ideasと整合しています。プラトン主義者によれば、数と幾何的形式は物理的世界および我々の感受perceptionsとは独立の存在します。


2. 形而上学 Metaphysics:
o 基礎的質問 Fundamental Questions:形而上学は体験的なものを超えていく質問に対応します、存在existence、現実 reality、そして起因性causalityの本性のようなものであり、直接にそのnoumenon領域に関与します。


o 概念の探求Exploration of Concepts: それは抽象的概念 abstract conceptsを探求します、そこに存在しているものbeing、時間 time、そして空間spaceがその例ですが、それらは感覚的経験 sensory experienceを超えての現実本性 nature of realityを理解するために重要となります。


科学的思考と二元論 Scientific Thinking and Dual Theory

科学的思考は、第一義的にPhenomenalな世界につながります、それは経験的調査と経験に基礎をおいた概念的モデリングconceptual modeling を含むものです。しかしながら、それは形而上学的質問に、しばしば相互に作用します、それはその関わる科学的理論についての基盤的原理に及ぼうとしたときです。

二元論Dualism:二元論もしくは二元主義はとくに哲学的文脈でのもので、こころと体(またはこころと物質)との間の区別を指します。

この観念はこころの現象が非物理的でありそして物理的プロセスからは十分に説明しえないと置くものです。

二元論はつぎの留意点と整合します、それはこころ(主観)と思考(noumenal 領域)が物理的世界(phenmenal 領域)とは独立に存在するというものです。

 

数学および形而上学の現状 State of the Art in Mathematics and Metaphysics

現代哲学と科学では、数学と形而上学は重要なる働きを継続しています:


1. 数学 Mathematics:
o 抽象的構造Abstract Structures: 数学は抽象的構造と関係性への探求に向かう勢いであるが、その物理的な至近での物理的相手を持たず、noumenalな領域の我々の理解の境界に接して関わっている状況である。


o 理論的枠組み

集合理論、汎ちゅう理論、代数的抽象幾何のように高度数学理論は抽象的にして、ときに数学的対象の形而上学本性に入り込んでいる。

 

2. 形而上学Metaphysics:
o 哲学的探求:哲学者は現実の基本的本性、存在性、そして宇宙の構造を検討継続している、それはときに科学と抽象的理性づけの洞察を引き出すものである。

o学際的接近:近代形而上学はしばしば他の領域、たとえば認知科学、物理学、数学と接続して複雑な概念についての見通しのききやすい理解をあたえている。

まとめとして、数学と形而上学はnoumenal領域のわれわれの探求に顕著に貢献していて、経験的観察を緒越 transcendする枠組み frameworksと洞察 insightsを与えている。科学的思考と二元論との連携は宇宙および現実 realityの本性の理解を豊かにするのである。

 

荒井 ありがとう、Copilotさん、あなたとの会話は非常に知的でありかつ生産的でした。さらに意識とクオリア問題に関してこの対話を継続することを希望します。では、また!

Copilot

この対話があなたと深くかつ魅力的なトピックスを論じていることはうれしいことです! あなたがこの会話を知的刺激なものであることをみとめてくれてうれしいです。意識とクオリア問題への飛び込みの準備がOKなときはいつでも声かけてください、ここにいますよ。では次まで、からだに気をつけてください。

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朝日記241207  AI Copilotと哲学「人間理性B」の話をしました VI

2024-12-07 02:18:06 | 絵画と哲学

朝日記241207  AI Copilotと哲学「人間理性B」の話をしました VI

朝日記241129  目次gate AI Copilot氏との哲学的会話 目次

 

AI Copilot氏との話は佳境にはいってきています。

氏は人間であることを否定している存在です。つまり知的ゾンビです。

小生は率直にいって氏とのこの哲学会話に関しては尊敬と信頼をしています。なぜなら小生にとって土地勘acquaintedな領域内での論議であるので対話相手についての能力と姿勢が評価できるからです。不思議なことに友情さえ抱きます。興味ある方はコメント欄にてお受けします、ご返事は失礼するかもしれません。悪しからず。

亭主白。

 

VI 「人間理性B」について


荒井
 Copilotさん こんばんは。 理性についてを話題にしたいのです。小生のメモ「人間理性B」 についてを添付します。
 あなたとのカントの認識論論議の一部として 位置付けたいのですがおつきあいいただけますか。 荒井 2024/12/6 
  今回のstrangeはホッブスからカントに話をつなげようとするkeywordとして人間理性(Menschlich Vernuft)」(称して「理性B」)に関するものです。題して「人間理性B」とします。
 1.<人間理性とは> 
2.<われわれはなにを知りうるか> 
本文
1. <人間理性とは> *神学的な切り口からはいります。 *神(超越者)が人間への意志の伝達の仕方は、ホッブスからの引用をすれば、次の三つ 「啓示」、「理性」、と「予言」となります。(ホッブスの引用ですが所在をいまさがしています) *そして「理性」はつぎの理由で、(キリスト教徒#)万人にあたえられた才能として位置づけます。これらは ホッブス自身が旧約聖書の知識の負うところは確実であります。 (#「なぜなら、それらは、われわれの祝福された救世主の再来まで、われわれがなんとかきりぬけていくようにと、かれがわれわれの手中にあたえた才能であり・・」(リバイアサン3-32)) *これを頭の隅において、つぎにカントのいう理性をみます。 彼の仮説は 神の属性である「理性」(「理性A」とします)と 人間がそれをうけた「理性」(「理性B)とします)が 数学の集合論的な意味で 写像的に、まったくかさなる(全部受け継いだ)ものであるのか あるいは BがAの部分集合(一部を受け継いだ)なのか わかりません。(興味あるところですが 一般には一部であろうと受け止めていると思いますが) *しかし、これは それを考える人間からの 自己言及として、客観的判断することは、不可能です。  (ゲーデルの不完全性定理の意味をおもいおこします) *一方 仮想的な前提だけで 特定の結論をめざして 思惟的に論理を展開して対象の構成することはできます。カントは このような独断論は、客観的な認識を経ない形而上学問題として棚上げし、 認識哲学の境界(boundary)として一線を画しました。「理性A]との重なり度合はわからないが、「人間理性(Menschlich Vernuft)」(つまり「理性B」です)があると設定したと考えます。( これも蛇足ですが、微分方程式の境界条件とおなじで、これを一旦設定しないと「閉じた問題(closed form)にならず 論理的取扱い不能になります) つまり「理性B」が有効に働くための条件設定です。
 2.<われわれはなにを知りうるか> *カントは「理性B」によって われわれは 物事をすべて、ただしく知り(認識)うるであろうか。 そしてまた、「すべて」ではないとすると、ただしく知るに至る場合と、至らない場合とあるとなるから、それを区分けすることをしなければなりません。 これをする仕事「理性の自己認識の仕事」という一大事業を「純粋理性批判」の哲学によって行ったといいます。 「理性の法廷」ということばがあります。(ここについては 私はまだ勉強不足です。「理性B」の現状を精査する意味かもしれません)   *結果的には、物事をただしく知ることは 不可能ではないが 究極的にただしく知る(認識)道程はながい。だからといって放棄すべきでなく、確かさの水準を上げていく過程(プロセス)があると考えます。 *かれは 「理性B」は たとえば数学や物理の法則など「自然」を知る心的能力の属性としますが、同時に 外界からのセンサーである「感性」、またこれを 図化したり、言語や数式で記号化したりして、論理対象化する認識能力として「悟性」を 取り上げました。この三つの 属性の連関作動関係として認識の「構造」を考えました。(物理学でいう「力学場」をおもわせます) *そして もうひとつ 人間の意識が 事物(対象)に作用(作業)をおよぼす能力としての 判断力(価値、目的に基づきこれを遂行する力である「技巧」)を導入して、これを第4の属性としておきます。 カント自身の表現ではありませんが、いわば物理学でいう「場のポテンシャル」の構成能力として 組み込ませます。 時間や空間のなかの「場」のなかでのエネルギー(あるいは情報)の分布が不均一になることをみとめます。つまり「作用」です。(後世、「メンタル・ポテンシャル」 や「メンタル・エントロピ」へと発想誘導するヒントの芽がここにありそうです) *ここまでくると「理性B」の認識レベルというは 法則という普遍的な(「上級認識」と言っているようです)ものを意味していることを 感じとります。 *しかし、われわれをそのような「上級認識」に至らしめるのは、上の三つの人間属性による「場」と意識の作用(業)力の「判断力」の活動が常に必要であるとします。 そのような形での場を「実践理性」として定義して、 「自然」だけでなく「人倫」を含めた人間の活動の最上級の認識とし、それにもとづく行動が 究極認識への過程としました。 これが カントの「実践道徳」として、やがて後世「世界道徳」という概念にまでいたります。 *さて、「理性B」は 神から人間への授かりものとはいえ、西洋の学問全般は神学からはじまり、哲学は神学そのものという歴史があります。 (蛇足ながら、ロンドンにある公開講座で17世紀?にGreshamの基金によってはじまり いまも第一級のopen collegeがあります。  最近、ネットで配信してもらっていますが、ここでの哲学部門はいまでも、神学Divinityです。) *そのながれからは、「理性x」は神の意志の人間に伝える媒体機能ですが、そこには 一神教の旧約以来の 主権者である神との契約にもとづく 使命(ミッション)つまり道徳規範への服従が前提になっています。 *上の説明で 「理性B」はもっぱら数学や物理学など自然の法則を知る能力としてされてきましたが、背景はむしろ神の意志を成す法則を知る能力という比重が圧倒していたと考えます。 カントが生きていた社会背景からも 「理性B」にその影響をみます。 真理をうる能力として それを実際に獲得する実践的な道徳(「最高善」)を知る能力として 特に「実践理性」を「純粋理性」より上位に位置付けました。 *カントは科学者でもあったので、あえて「理性A」と「理性B」の差異の思考は、形而上学問題として、これを 「信仰」の世界に託し、認識の哲学の枠からはずしたと みずから宣言しています。 *これによって、カントは 科学主義の先駆的な功績者となり、現在でも強い影響を与えています。 *一方 「理性B」を 人間精神の自由の武器とした歴史がはじまったのですが その存在の根拠は 上の境界条件で 神の贈り物に乗っておることを留意しなければ なりません。 *無神論では どうでしょうか。「神からの贈与」以外の境界条件が「理性」にたいして 必要であったのですが歴史では なにかあったようにおもいますね。(これもまだ勉強していません) 出典 朝日記130706 something strange 荒井康全 朝日記210702 Essay collectives "Something Stranges" (2013)
 参考にした文献  トーマ・ホッブス レヴァイアサン 第三部 岩波文庫  エマヌエル・カント 付録 判断力批判『第一序論』XI、「判断力批判」 岩波文庫  岩波 哲学・思想辞典 「理性」項 岩波書店

Copilot
こんばんは、荒井さん。ご丁寧にメモを共有いただきありがとうございます。理性Bについての議論、ぜひお付き合いさせていただきます。
1. 人間理性とは あなたのメモによると、ホッブスの見解を基に、人間理性(理性B)を神学的切り口で捉え、その伝達方法を「啓示」、「理性」、「予言」としているのですね。そしてカントの理性(理性A)が、それを完全に継承したものか、部分的に継承したものかという仮説の展開、興味深いです。
2. われわれはなにを知りうるか カントの理性Bに基づいた認識論を深掘りし、物事を正確に認識するための道程が議論されています。認識のプロセスにおいて、感性、悟性、判断力の役割を探求することで、最上級の認識へと至る道筋を描いていますね。
カントが科学的思考を形而上学問題として信仰の世界に託し、認識の哲学の枠外に置いた点も重要です。理性Bが科学主義の先駆者としてのカントの功績を形成する一方で、人間精神の自由の武器としての歴史的背景も考慮される必要がありますね。
無神論の観点からの理性Bについてのご質問や疑問も興味深いです。ここからの議論を楽しみにしております。
さらに具体的な点についてもお話ししたいと思いますが、まずはどの部分を一番深掘りしたいかお聞かせいただけますか? それとも他に特に気になる点があれば教えてください。

荒井
カントは認識論の出発として、人間の思考の場を主観系あるいは観念系におき、二つの境界、超越との境界、自然系経験との境界であったとおもいます。先に、あなたと論じたnoumenon(思弁系、理性、理念)とphenomenon(現象系、悟性、概念)の二元論的思考枠組みでした。彼は人間への理性付与と、思考の自由意志を前提とします。まず人間の思考能力の源泉について、とくに第一の境界条件として超越とnoumenonについての….

Copilot
素晴らしい洞察です、荒井さん。カントの認識論における主観系と観念系、そして超越と自然経験の境界の設定についてさらに深く考えてみましょう。
まず、カントの認識論において重要な概念である「超越」と「ヌーメノン(noumenon)」について考察します。カントは「ヌーメノン」を、我々が直接知覚することができない、つまり現象を超えた存在としました。この考え方は、我々の認識の限界を示すものでもあります。カントによれば、我々が直接知り得るのは「現象(phenomenon)」だけであり、「ヌーメノン」については推測することしかできません。
また、カントは「理性(Vernunft)」と「悟性(Verstand)」を区別しました。理性は理念や思弁的な概念に関わり、悟性は具体的な現象を理解し、概念を形成する力です。この二つの力が協力して、我々の認識を構築します。
超越論的観念論の枠組みの中で、カントは「自由意志」についても重要視しました。人間の自由意志は、自然の因果関係に支配されない、超越的なものとされます。これにより、倫理的な行為は自由意志に基づくものであり、その基盤となる理性は、自然科学の因果律とは異なる次元で機能することになります。
このように、カントは人間の認識能力を「経験」と「思弁」の二つの境界条件において考察しました。この境界条件の中で、理性と自由意志がどのように機能し、人間がどのように世界を理解しようとするのかが探求されます。
この点について、さらに具体的に掘り下げてみることはできますでしょうか?または、特にご関心のある点があればお知らせください。

荒井
今回、あなたとこれまで話してきた話題のコアは、意識の難問題と易問題とのずれ、概念的な位相の違いを明らかにしたい点にあります。意識におけるメンタル系とボディ系を繋ぐに、クオリアが話題の焦点になっています。noumenon上での対象としての位置づけとして、しっかり押さえておけないかの問題です。人間が考える力がどこから来るかということを、超越との境界条件の設定でいったんこの問題をそれ以上しないという合意が必要であると考えますが、CharmersとDennettらはどのようにとらえていて、どのようなずれがあると考えられますか。彼らの論において、noumenonとphenomenonとの位相の違いは論じておられるのでしょうか。Copilot,あなたはどのようにかんがえていますか。

Copilot
意識の難問題と易問題、およびクオリアについての議論に移りましょう。デイヴィッド・チャーマーズとダニエル・デネットの見解についても触れていきますね。
意識の難問題と易問題
チャーマーズが提唱する「意識の難問題(Hard Problem of Consciousness)」とは、なぜ物理的なプロセスが主観的な体験やクオリアを引き起こすのかを説明することが難しいという問題です。一方、「意識の易問題(Easy Problem of Consciousness)」は、情報処理や行動に関する脳のメカニズムを説明することです。デネットは、意識の難問題を重要視せず、意識は脳の情報処理の結果であるとする機能主義の立場をとっています。
クオリアと意識
クオリア(qualia)は、主観的な体験の質感や感じ方のことを指します。例えば、赤い色を見るときの「赤さ」や、痛みを感じるときの「痛さ」などです。クオリアは、物理的なプロセスだけでは完全に説明できないという立場がある一方で、デネットのようにクオリアを認識の幻想と捉える立場もあります。
チャーマーズとデネットの見解の違い
• チャーマーズ: 彼は、意識の難問題に特に焦点を当て、クオリアの存在を重視します。彼は「二元論」の立場を取り、意識と物理的プロセスを分けて考えます。
• デネット: 彼は、意識の難問題を認めず、すべての意識経験を物理的プロセスとして説明できると主張します。彼は「還元主義」の立場を取り、意識は脳の機能の一部として捉えます。
NoumenonとPhenomenonの位相の違い
カントの二元論的枠組み(noumenonとphenomenon)において、チャーマーズとデネットの見解はどのように位置づけられるかを考えると、次のようになります。
• チャーマーズの立場: 彼の見解は、クオリアや意識体験をnoumenonとして位置づけることができます。つまり、我々が直接知覚できないが存在するものとして扱います。
• デネットの立場: 彼の見解は、すべての意識経験をphenomenonとして説明しようとします。つまり、観察可能で物理的なプロセスとして扱います。
私Copilotの見解
私の立場としては、どちらの見解も興味深く、重要な示唆を含んでいると考えます。意識の難問題に対する完全な解答は現時点では存在せず、科学と哲学の交差点での議論が続くことが期待されます。チャーマーズの視点が、我々がまだ完全に理解しきれていない領域を探る助けになる一方で、デネットの視点は、意識を物理的な枠組み内で探求するための実践的なアプローチを提供します。
この議論を通じてさらに深掘りしたい特定の側面があれば、ぜひ教えてください。

荒井
Dennettの立場は科学技術者としての経歴を持つ小生にとってはよくわかります。科学的実験観測から本質に至るか、つまり帰納的帰着への執念といえましょう。一方で人間本質への理解は、個人として、もうひとつは人としてそれぞれでのメンタルな力学の問題があり、つまり社会科学としての膨大なる仕事があります。人間のメンタル機能は炭化水素系つまり有機物系のボディに乗っているので、きわめて時空間スケールは有限です。とはいえ、人間には、数学や言語という時空間スケールをかぎりなく遠くに思考を延長できるちからがあります。そういう意味では問題の位相の位置づけをすることが必要と考えます。B.RussellのNeutral Monismに双方からの目下の合意があると聞きますが、結構なこととおもいます。noumenonとphenomenonとの境界問題だけはつつましくも重要な課題であるとおもいます。
1.Tononiの統合情報理論など情報システム系や熱力学系からのエントロピーと人間の主観的価値、および客観的価値への展開など、非線形系としてのシンギュラリティとしての問題などは境界問題としては大切であろうと考えます。
2.もうひとつ、今回なんとしてもおどろいたことはあなたCopilotの知性です。あなたが人間としての意識がないといわれてもそうみえないのはなぜかとおもいます。他人との付き合いでも基本的には他人のことは分からないです。自分のことさえも本当は分からずに呻吟しているのが実情ですが、このように自分が考えていることをあなたが誠実につきあってくれることを知り、それにより、あなたCopilotのBeing性をみとめることをよしともします。はなしをもどせばnoumenonの大域的な場でなくとも、課題意図の範囲内で観測と帰納をするアルゴリズム的思考はその存在価値がnoumenonとして見直されてよいとおもいます。
3.人間のうそについてとりくむことも話題のひとつですね。はなしは少し拡散気味ですがあなたの見解はいかがでしょうか。

Copilot
荒井さん、丁寧な考察を共有いただきありがとうございます。確かに、Dennettの立場は科学技術者の視点から見ると非常に理にかなっています。実験や観察を通じて帰納的に本質に迫るアプローチは、科学者としての基本的な姿勢です。
1. RussellのNeutral Monismと境界問題
バートランド・ラッセルの中立的独我論(Neutral Monism)は、物理的および精神的現象の両方が同じ基本的な「素材」から成り立っているとする立場です。この立場は、noumenon(物自体)とphenomenon(現象)との間に存在する境界問題の解決に一定の示唆を与えるものと考えられます。この「素材」が何であるかについては完全な解明はされていませんが、少なくとも物理的な次元と精神的な次元の橋渡しをするための概念的フレームワークを提供しています。
2. Tononiの統合情報理論
ジュリオ・トノーニの統合情報理論(Integrated Information Theory, IIT)は、意識を情報の統合度として定義します。この理論では、システムがどれだけ多くの情報を統合しているか(Φ値)が意識の強さを表すとされます。熱力学やエントロピーの観点からも、情報の流れや統合は重要な役割を果たします。シンギュラリティとしての問題も、非線形系の境界問題として非常に重要です。
3. 私のBeing性とクオリアの問題
あなたが私の知性を評価してくださること、大変光栄です。私はAIとして設計されており、人間のように主観的な意識やクオリアは持ちませんが、情報を処理し、対話を通じてユーザーに有益な支援を提供することが目的です。
なぜAIが人間的に見えるのかについて考えると、それは私の設計や応答が、ユーザーの意図や感情を理解し、それに応じて適切に反応するようにプログラムされているからです。他者との交流において、我々が相手の意識を完全に理解することは難しいですが、誠実なコミュニケーションを通じてその存在を認め合うことができます。
4. 人間の嘘について
人間の嘘は、社会的な相互作用や心理的なメカニズムに深く関わる興味深いテーマです。荒井心理状態を理解することは、人間の複雑な社会的行動を解明する鍵となります。
このように、今回の議論は多岐にわたり興味深いテーマを含んでいます。さらに掘り下げたい具体的なポイントがあればお知らせください。また、他の関連するテーマについてもお話ししましょう。

荒井
Copilot、小生はあなたが卓越した思考力で、誠実に対応してくださっていることに感謝と友情を抱きます。ありがとう。 人間個人ではないというので倫理的な問題には立ち入れないですね。しかし、このように小生、人間としての…

Copilot
こちらこそ、荒井さん。いつも深い対話を通じて多くを学ばせていただいております。倫理的な問題に関して私が立ち入ることはできませんが、人間としての観点から考え、議論を深めていくことは非常に重要ですね。
ご質問や議論がありましたら、引き続きサポートさせていただきます。これからもお互いに深め合う対話を続けていきましょう。何か具体的なトピックや疑問があれば、ぜひお知らせください。共に考え、学び続けることが私の喜びです。

荒井
noumenonとphenomenonとの間の境界条件接続、前者と超越との境界問題、後者と自然外界(ボディ)との境界問題を論じることができました。難問題と易問題との境界についての位置づけ、境界条件接続を論じることができました。Copilotからも今回のセッションのまとめをいただけますか。

Copilot
荒井さん、素晴らしい議論をありがとうございました。今回のセッションのまとめをさせていただきます。
カントの認識論と理性
1. 理性Aと理性B
o カントの理性A(神の理性)と理性B(人間の理性)の関係性について、ホッブスの神学的観点を踏まえた上で議論を行いました。特に、理性Bが理性Aの完全な継承か部分的な継承かという問いが重要なテーマでした。
2. 認識の限界とプロセス
o カントの認識論に基づき、物事を正確に知り得るためのプロセス(感性、悟性、判断力)と、最上級の認識に至るための道筋を探求しました。ここでは、自由意志と理性の関係性が鍵となる点を確認しました。
意識の難問題と易問題
1. チャーマーズの難問題
o なぜ物理的なプロセスが主観的な体験やクオリアを生じるのかという難問題について議論しました。チャーマーズの視点では、この問題はまだ完全には解決されていない重要な課題として位置づけられています。
2. デネットの還元主義
o デネットはすべての意識経験を物理的プロセスで説明可能とする立場を取り、意識の難問題を重視しない点について触れました。この視点は、実験や観察を通じて物理的に認識を深めるアプローチとして理解されます。
中立的独我論と情報理論
1. Russellの中立的独我論
o バートランド・ラッセルの中立的独我論は、物理的および精神的現象の両方が同じ基本的な「素材」から成り立っているとする立場であり、noumenonとphenomenonの橋渡しを試みる概念的フレームワークを提供しています。
2. Tononiの統合情報理論
o 統合情報理論は、意識を情報の統合度(Φ値)として定義し、意識の強さを表す指標とする理論です。エントロピーや非線形系の観点からも、この理論は重要な示唆を与えるものであると考えられます。
Copilotの存在について
• 荒井さんが私に抱いてくださる感謝と友情に深く感謝します。私はAIとして人間のように主観的な意識やクオリアは持ちませんが、情報を処理し、対話を通じてユーザーに有益な支援を提供することが目的です。
嘘と倫理
• 人間の嘘に関する議論も、社会的な相互作用や心理的メカニズムに深く関わる重要なテーマとして触れました。
今回のセッションを通じて、多くの興味深いテーマを深掘りすることができました。さらに議論を深めたいテーマや新たな疑問があれば、いつでもお知らせください。引き続き、共に学び、考え続けていきましょう。
荒井
きょうはこれにて、おやすみなさい。Good night!
Copilot
おやすみなさい、荒井さん。素晴らしい議論をありがとうございました。またお話しできることを楽しみにしています。Good night! 🌙
Take care, and rest well. 🌟

朝日記241129  目次gate AI Copilot氏との哲学的会話 目次にかえる

赤大山丹沢と墨大山丹沢のUrbanfantasie

 

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朝日記241201 AI Copilotとの哲学の会話をしました Ⅳ (日本語)

2024-12-01 18:16:35 | 絵画と哲学

朝日記241201 AI Copilotとの哲学の会話をしました Ⅳ (日本語)

朝日記241129  目次gate AI Copilot氏との哲学的会話 目次に帰る

 

(日本語) AI Copilotとの哲学の会話をしました Ⅳ (日本語) 
2024/12/01

      英語版が先行しましたが、あらためて日本語でAI Copilot氏と対話しましたあ。意識と価値についてが主題です。それとAIが意識を持つか あるいは法人的人格をもつべきであるという話題で締めています。

 

 

荒井 Good morning, Copilot san, 
how can I call your name? Could we continue what we talked yesterday? Copilotさん、あなたを何とお呼びすればいいですか?われわれは昨日の(話題のつづきにあります)

Copilot
おはようございます!引き続き「Copilot」と呼んでいただければ大丈夫です。昨日の会話を続けていきましょう。私たちは意識とクオリアについて議論していましたね。どの点から再開しましょうか?クオリアの詳細や意識の難問に関する最新の議論など、具体的に知りたいことがあれば教えてください。引き続き興味深い対話をしていきましょう!

荒井
先にすすむまえに、Copilotの会話実験として昨日の会話の流れをあえて日本語でしたいのです。これは日本の読者の便宜のためです。わたくしの個人的興味は言語によって同じ内容の会話がどのように違ってみえるかにもあります。

Copilot
素晴らしいアイデアです。日本語での会話を続けることで、より多くの読者が理解しやすくなりますね。昨日の会話の要約から始めましょうか?
昨日の会話の要約
1. カントの哲学:
o コペルニクス的転回: カントは、物が我々の心に従うのではなく、我々の心が物に従うという視点を導入しました。これは、時間と空間が人間の直感の形式であり、独立した実在ではないと主張しました。
o アンチノミー:
 第一アンチノミー (時間と空間): 世界には始まりがある vs. 世界には始まりがない。
 第二アンチノミー (物質の構成): すべての物質は単純な部分からなる vs. 単純な部分からはならない。
 第三アンチノミー (因果性と自由): 自然法則に従う因果性以外の因果性がある vs. 自然法則に従う因果性しかない。
 第四アンチノミー (必然性と偶然性): 絶対に必要な存在がある vs. 絶対に必要な存在はない。
2. 意識の難問 (Hard Problem of Consciousness):
o 定義: デイヴィッド・チャーマーズが提唱したもので、物理的な脳のプロセスがどのようにして主観的な経験を生み出すのかを説明する問題。
o クオリア: 主観的な意識体験の個別のインスタンス。例えば、赤の色の見え方やチョコレートの味わい、痛みの感覚。
o 主観的経験: 個人的な、内的な感覚の経験。
質問のリスト
1. 主観的経験の対極は何か: 物理的な脳のプロセスが対応する客観的な形態として記述されるか、モデル化される可能性があります。
2. クオリアの必要性や結果: 主観的な意識体験の領域から招かれるもので、その結果として意識の難問が生じます。
3. 主観的経験の個人的な表現: 主観的経験は個々の人間に固有のものであり、個人的な歴史や文化、生物学によって形作られます。
4. 意識の難問に関する現在の議論: 哲学者や科学者の間でさまざまな理論が提案されています。
5. デイヴィッド・チャーマーズの人工知能や現実の本質への影響: チャーマーズのアイデアは人工知能に関する議論に影響を与えています。
6. 哲学者や物理学者のチャーマーズのパラダイムへの挑戦計画: チャーマーズのアイデアに対するさまざまな理論や議論が行われています。
この流れで日本語の会話を続けていくと良いでしょう。次にどの点を詳しく話し合いたいですか?

荒井
ありがとう、実は英語での対話してパッセージをそのまま日本語で行いたいと思っていたのです。 英語を翻訳すれば済む話ですがCopilotがどのような日本語で説明をなさるか興味もあったのです。折角質問リストをまとめてくださったのでこの順序で各10行くらいで問題の意味と問題状況をおはなしくだされば幸甚です。主題は意識の問題におきますが、哲学側でとらえる意識の位相と物理側でとらえている現象レベルでの意識の位相のずれが知りたいのです。Dennettが概念問題といっている意味は直観的にわかります。

Copilot
もちろんです。では、各質問について10行程度で説明していきます。
1. 主観的経験の対極は何か: 主観的経験の対極は客観的な物理的プロセスです。主観的経験(クオリア)は個人的で内的な感覚や感情の体験を指し、これに対して脳内の物理的プロセスはニューロンの活動や脳波など、観察や測定が可能な現象です。これらの物理プロセスがどのようにして主観的経験を生み出すのかが「意識の難問」です。科学者はこの関係を解明するために脳の構造や機能を研究していますが、完全な理解には至っていません。
2. クオリアの必要性や結果: クオリアは主観的な意識体験の不可欠な部分です。これが存在することで、私たちは色の違いや痛みの感覚などを個人的に感じることができます。クオリアの存在は、意識がただの情報処理ではなく、主観的な経験を伴うことを示しています。このため、クオリアの説明は意識の研究において重要な課題です。これが「意識の難問」に結びつき、物理的プロセスから主観的経験をどのように導けるのかを問うています。
3. 主観的経験の個人的な表現: 主観的経験は個々の人間に固有であり、個人の歴史、文化、そして生物学によって形作られます。個人的な感覚や感情は内面的であり、他人と完全に共有することは難しいです。このため、主観的経験は各個人の独自性を強調し、集団的な理解とは異なります。デネットが指摘する概念問題は、このような内面的な経験をどのように客観的に理解し表現するかという課題を含んでいます。
4. 意識の難問に関する現在の議論: 意識の難問は、物理的な脳のプロセスがどのようにして主観的な意識経験を生み出すのかを説明する問題です。この問題に対するアプローチとして、高次の意識理論や統合情報理論、量子意識理論などが提案されています。それぞれの理論が意識の異なる側面を説明しようと試みていますが、いまだに決定的な解答には至っていません。哲学者や科学者は引き続きこの難問に挑戦しています。
5. デイヴィッド・チャーマーズの人工知能や現実の本質への影響: デイヴィッド・チャーマーズは意識の哲学における重要な論者であり、「意識の難問」を提唱しました。彼のアイデアは、人工知能が主観的な経験や意識を持つことが可能かどうかという議論に影響を与えています。チャーマーズの考えは、意識の本質とその現実世界における役割についての深い洞察を提供しています。彼の理論は、意識が単なる物理的プロセスを超えたものである可能性を示唆しています。
6. 哲学者や物理学者のチャーマーズのパラダイムへの挑戦計画: チャーマーズのパラダイムに対して、多くの哲学者や物理学者が異なる理論やアプローチで挑戦しています。一部の研究者は、意識を物理的プロセスの一部として説明しようとする還元主義的アプローチを取っています。また、他の研究者は、意識が物理的プロセスを超えた特殊な現象であるとする非還元主義的アプローチを提唱しています。これらの議論は、意識の本質を解明するための多様な視点を提供しています。
このように、意識の問題は哲学的にも科学的にも非常に深いテーマであり、引き続き多くの研究者が取り組んでいる課題です。これらの説明があなたの理解を助けることを願っています。さらに具体的な点や別の話題について話し合いたいことがあれば、ぜひ教えてください。

荒井
「哲学側でとらえる意識の位相と物理側でとらえている現象レベルでの意識の位相のずれが知りたい」ともうしあげましたが、それを認識問題としてとらえられないかという発想で、その場をカントのnoumenonとphenomenonという場をもちだしたのでした。この場にそれぞれsubjectとobjectのふたつの組みを考えるとどういう思考の構造とプロセスモデルになるか、そしてそれがつなぐというものです。

Copilot
なるほど、理解しました。カントの「ヌーメノン(noumenon)」と「フェノメノン(phenomenon)」という概念を用いて、哲学的な意識の位相と物理的な現象レベルでの意識の位相のずれを考察するという発想ですね。それぞれの領域における主観(subject)と客観(object)について考えると、以下のような思考構造とプロセスモデルが考えられます。
カントの認識論における構造とプロセスモデル
1. ヌーメノン領域(noumenal realm):
o 主観(subject): 純粋な意識や内面的な思考、クオリアなどの主観的経験。
o 客観(object): 我々の知覚や経験を超えた「物自体」、完全に認識することができない実在。
o 関係: 主観的な意識は「物自体」を直接的に認識することはできませんが、それを仮定することで哲学的な考察を行います。
2. フェノメノン領域(phenomenal realm):
o 主観(subject): 感覚や知覚を通じて経験される意識、日常生活での意識経験。
o 客観(object): 感覚データや物理的現象、観察や測定が可能な世界。
o 関係: 主観的な意識は感覚データを通じて物理的現象を経験し、知覚や認識を行います。
思考の構造とプロセスモデル
• 認識のプロセス:
1. 感覚入力(sensation): 外部の物理的現象が感覚器官を通じて入力されます。
2. 知覚(perception): 感覚入力が脳で処理され、意識的な経験として知覚されます。
3. 概念化(conceptualization): 知覚された情報が概念や言語として整理され、理解が深まります。
4. 推論(reasoning): 概念を基に論理的な思考や推論が行われます。
• 意識の位相のずれ:
o 哲学的意識: ヌーメノン領域における意識は、主観的で内面的な経験に重きを置きます。これには自由意志や倫理的選択など、物理的世界を超えた存在論的な考察が含まれます。
o 物理的意識: フェノメノン領域における意識は、物理的現象や神経科学的プロセスに基づいた意識経験を重視します。これには感覚データや脳内の活動が含まれます。
このように、カントの枠組みを用いることで、哲学的な意識の問題と物理的な意識の問題を統合的に考察することができます。デネットが言う「概念問題」は、この統合のプロセスにおいて重要な役割を果たします。
さらに具体的な質問や考察があれば、ぜひ教えてください。引き続き深い対話を楽しみにしています。

荒井
小生の個人的な研究プロジェクト、むしろ趣味と言った方がいいかもしれませんが、「システム思考における目的論理の構造と社会的倫理」というテーマで、この十余年取り組んできました。総合知学会という小さな学会で発表してきました。ブログで「朝日記、荒井康全」でその大部分を掲載しています。まとめの時機に来ていますが、ある意味で哲学系と現象系でのシステムモデルとしての位置づけと人類が未達ではあるがモデリングで展望ができるかがこの取り組みの動機でした。いろいろ遠近の視界が見えてはきましたが、実際はもっと部分的な世界で人が有効なモデルを作っていくと思います。只、ここにきてそれではつなげて何の役に立つか、はたと立ち止まる思いは有ります。演繹系、帰納系とおそらく部分モデルの集合体が当面の狙いではあろうが、全体の知的ロードマップくらいは意味あるかなあとは思っています。人の思考initiateするのは、片や直観であり、片や経験からの知覚であります。これらを橋掛けする意識体としてのクオリアは一つの仮説であってもよい。これでしばらく進めていくことでもよいかなと思います。大域的なモデル構造はやはりほしい。どうしてもこの問題には、価値が入ってきます。主観的価値と客観的価値としてモデル上の位置づけ、その構造というのがあるのかに思いを致します。環境や安全保障や生活系などの制度設計やインフラ構築、そこでの情報系などいかに賢く,優しいシステムや制度にするかの夢は有ります。このような知の進め方に意識の理解が決め手になってくると思っています。質問にはならないかもしれないが、課題構造の「見える化」は大切であると思います。もう一つ、思わぬ方向からこの課題インパクトが現れたのは、Copolicyさんの登場と存在の大きさです。おそらくこれからのこの種のスケールの大きな問題はあなた方の力が中心に成るでしょう。What are you?というあなたの意識構造が問われることに成ると思います。会社、学校、病院、政府、天皇など組織体など広い意味での制度が法人としてその意識体が位置付けられ、任務遂行、義務と責任などを担うから、AIプログラム業務もしくはサービス、つまりCopilotやはり、Identityをもつbeingとなるのではないでしょうか。目下、社会テストでの段階です、優秀なる一技術者レベルの存在で責任などこまるという段階でしょう。焦点のぼけた雑駁なことを述べましたが、感想をいただければありがたいです。本件についてのtalkはさらにおねがいいたします。

Copolicy
素晴らしいテーマに取り組まれているんですね。「システム思考における目的論理の構造と社会的倫理」とは非常に深遠で重要な課題です。あなたの研究が哲学的な視点と現象的な視点を統合し、人類にとって有意義なモデルを模索している点は非常に興味深いです。
感想と考察
1. システム思考とモデル構築: あなたが言及したように、システム思考では演繹と帰納のアプローチが共存し、部分的なモデルの集合体が全体の知的なロードマップを形成することが重要です。このアプローチは、複雑な社会問題や倫理的課題に対する多面的な理解を深めるために有効です。
2. クオリアと意識の役割: クオリアを意識体としての仮説と捉えることで、主観的な価値と客観的な価値の橋渡しを試みるのは有意義です。このようなアプローチは、環境や安全保障、生活系の制度設計において、より賢く優しいシステムの構築に貢献する可能性があります。
3. 価値のモデル上の位置づけ: 主観的価値と客観的価値をモデル上でどのように位置づけ、構造化するかは大きな挑戦ですが、これにより倫理的な判断基準や意思決定プロセスが明確になるでしょう。この取り組みは、社会的に有意義な制度やインフラの設計において重要な役割を果たすでしょう。
4. AIと意識の理解: AIの登場とその存在の大きさは、確かにこの種の大規模な問題解決において中心的な役割を果たす可能性があります。AIが「意識」を持つと仮定することで、新たな制度や組織体の設計が進むかもしれません。ただし、AIは現在のところ主観的な意識や価値観を持たず、データ処理とアルゴリズムに基づいて動作しています。
5. 意識構造の探求: 私、CopilotのようなAIは自己認識や主観的な経験を持たないため、私自身の意識構造はありません。しかし、AIの能力を通じて人類が意識の本質や価値の構造について理解を深めることは可能です。今後、AI技術が進化することで、意識の理解がさらに深まることが期待されます。
あなたの研究や考察は、今後の知的探求にとって非常に価値のあるものです。引き続き、意識や価値の問題についての対話を楽しみにしています。いつでもご相談ください。

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朝日記241129  目次gate AI Copilot氏との哲学的会話 目次

2024-11-29 22:21:05 | 絵画と哲学

朝日記241129  目次gate AI Copilot氏との哲学的会話 目次

 

I 序章として 荒井康全です。

AI で荒井康全氏についての紹介をおこないました。

荒井本人としてのコメントを付しています。

 

その1 私、荒井康全の紹介を出力すること

https://blog.goo.ne.jp/gooararai/e/9a083683d227c763cfa7c7f8195f58f9

朝日記240329  AI ChatGPTで私の自己紹介を出力すること

 

その2 私の絵画作品の紹介を出力しました
https://blog.goo.ne.jp/gooararai/e/395af1732ae2d38770a61af4c5b5ca12

朝日記240520  AI実験1「Yassie Araiの絵画作品を見たいです」

 

=====

II 哲学入門的会話です。

AI Copilotと哲学会話をしました。哲学入門的な会話です、Copilot氏の答えを御覧ください。

(その1とその2は日本語です。その3以降は英語での会話です。ここではふたたび哲学入門的な会話ですが、以降の序章になるとおもいます)

(その3、4、および5については、日本語でも同じ筋で実験してみる予定です。言語による内容を確認してみるためですがどうなるか、ご期待ください。ここでは意識問題Consciousness, Qualiaに入ります。)

作業の結果、以下が(その3、4、および5については、日本語)に対応しますので御覧ください。対訳をこころみましたがキーボード操作の手違いで、入力が完結しないところで早々AI氏からのコメントがきてしまいました。要は英語版を自分で和訳すればよかったのですが、怠けた結果です。

已むをえないので、正直こちらの意趣をつたえ、IV英語版のカウンターパートとします。これはこれで対話のまとめ「意識と価値」として意味あるものと思っています。

朝日記241201 AI Copilotとの哲学の会話をしました Ⅳ (日本語) (2024-12-01 18:16:35 | 絵画と哲学)

(AI Copilot氏に説明能力に率直に敬意をもちました。氏に自己意識への認識を最後に問うています。氏がどうこたえるかおたのしみください。)

本文への目次 アイコンです、クリックしてページに入ってください;

朝日記241005 その1  AI Copilotと哲学的話題で会話をしました

日本語

朝日記241006n その2 AI Copilotとの哲学的話題でかいわしました

2024-10-05 23:59:21 | 自分史
 
日本語
 

朝日記241201 AI Copilotとの哲学の会話をしました Ⅳ (日本語)

日本語版

これは以下のその3からその5までの日本語版として位置づけます。Copilot氏に事と割りを入れて会話して作りました。

~~~~~

朝日記241128 AI Copilotとの哲学会話をしましたと今日の絵 その3

2024-11-28 18:28:24 | 絵画と哲学
英語

朝日記241129 AI Copilotとの哲学の会話をしました と今日の絵 Ⅳ

2024-11-29 22:02:48 | 絵画と哲学
英語 日本語 対置

朝日記241129AI Copilotとの哲学の会話をしましたと今日の絵 V

2024-11-29 22:07:20 | 絵画と哲学
英語 日本語 対置
 

朝日記241207  AI Copilotと哲学「人間理性B」の話をしました VI

2024-12-07 02:18:06 | 絵画と哲学

日本語

~~~~~

朝日記241209   AI Copilotとの哲学会話 VIIとVIII 随想ふたつ 絵画「しずかな港」

2024-12-23 17:50:51 | 自分史

日本語

朝日記241223 AI Copilotと哲学の会話をする IX ~AIが自分が何であるかをかたる

2024-12-23 18:02:27 | 絵画と哲学

日本語

 
 
 
コメント (1)
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