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戦争 学習

2012-02-17 09:37:12 | きになるニュース
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%82%B9
より

Flying Tigers

フライングタイガース(Flying Tigers)(中国語繁体字:飛虎隊、簡体字:飞虎队、ピン音:Fēi Hǔ Duì)は日中戦争時に中国国民党軍を支援したアメリカ合衆国義勇軍(American Volunteer Group; AVG)の愛称であるが、戦闘機(100機)やパイロットは米国政府が用意しており、実質、義勇軍の名を借りた米国の対日戦闘部隊であった。 

【加瀬英明】アメリカはなぜ対日戦争を仕掛けたのか[桜H23/12/5]


Flying Tiger newsreels


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%8E%E3%83%8A
より
ベノナないしベノナ計画(英: Venona project、ただし一部機関では、VENONA と大文字表記する)は、1943年から1980年までの長期にわたって、アメリカ合衆国とイギリスの情報機関が協力して極秘裏に行ったプロジェクトである。主要任務は当時のソ連が第二次世界大戦後半に発信した暗号文を解読することであった。アメリカ合衆国とイギリスがこの作業に用いたコードネームは少なくとも13あったことが知られている。「ベノナ」はその最後のものである。「ベノナ」の意味は現在も不明。先立っては「JADE」、「BRIDE」、「DRUG」という名が使用されていた[1]。この計画に関連した日本における出版物では、ベノナをヴェノナと表記したり、解読されたファイルを指してベノナファイルと表記されることがある。
極めて高度の機密とされていたが、1995年7月に原爆研究やマンハッタン計画へのソビエトのスパイに関する文書が公開され、さらなる公開で約3000に上る解読文書が公開された。

http://srachai.blog.wox.cc/entry95.html

より
Hull note (ハルノート)
ノートというにはあまりにも小さな数行のメモ、これが日本に開戦を決断させるとは。
当時、外交戦術においてはアメリカは日本の数段先を進んでいました。
日本はとうとう痺れを切らして負け戦に引きずり込まれた訳です。
それでも4年間ほど持ちこたえた日本軍の底力は相当なものであったと推察されます。
(スラチャイ記)

cite from wikkipedia (日本語翻訳 by srachai)

Hull note
ハルノート

From Wikipedia, the free encyclopedia
無料百科事典ウィキペディアより

The Hull note or officially Outline of Proposed Basis for Agreement Between the United States and Japan was the final proposal delivered to the Empire of Japan by the United States before the attack on Pearl Harbor and the declaration of war between the two nations. The note was delivered on November 26, 1941; it is named for Secretary of State Cordell Hull.
ハルノートは日本と米国との外交関係の基本的合意事項に関する米側の案で日本のパールハーバー奇襲、引き続き行われた両国の戦闘開始宣言に先立って米国より日本帝国に提出された最後の通達となっている。
このメモ(ハルノート)は1941年11月26日に提出されているが、作成者の米国秘書官コーデルハルにちなんでその名前が刻み込まれている。

http://www.nsa.gov/public_info/declass/venona/index.shtml
より
VENONA

The U.S. Army's Signal Intelligence Service, the precursor to the National Security Agency, began a secret program in February 1943 later codenamed VENONA. The mission of this small program was to examine and exploit Soviet diplomatic communications but after the program began, the message traffic included espionage efforts as well.

Although it took almost two years before American cryptologists were able to break the KGB encryption, the information gained through these transactions provided U.S. leadership insight into Soviet intentions and treasonous activities of government employees until the program was canceled in 1980.

The VENONA files are most famous for exposing Julius (code named LIBERAL) and Ethel Rosenberg and help give indisputable evidence of their involvement with the Soviet spy ring.

The first of six public releases of translated VENONA messages was made in July 1995 and included 49 messages about the Soviets' efforts to gain information on the U.S. atomic bomb research and the Manhattan Project. Over the course of five more releases, all of the approximately 3,000 VENONA translations were made public.


Background:
背景:

The United States objected to the Second Sino-Japanese War and the occupation of part of China by Japanese troops. In protest, the United States sent support to the Nationalist government of Chiang Kai-shek. In July 1941, Japanese military units occupied southern French Indochina, violating a gentlemens' agreement. Japanese bombers quickly moved into bases in Saigon and Cambodia, from where they could attack British Malaya. As a result, immediately after the Japanese military occupation, the US government imposed trade sanctions on Japan, including the freezing of Japanese assets in the United States, and an embargo of oil exports to Japan.
米国は日本軍の(日清戦争に次ぐ)第二次日中戦争の開始と中国を部分的に占有するのを快しとしなかった。それで米国は蒋介石率いる国民党を支援していた。1941年7月、日本軍は仏領インドシナの南部を占領したが、これは各国間で結ばれている紳士協定に違反するものであった。日本軍の爆撃機はすぐに(仏領インドシナ南部の)サイゴンとカンボジアの基地に移送された。これらの基地から英領マラヤに出撃できる体制にあった。その結果、日本軍のこの(仏領インドシナ南部)占領直後に米国は日本に対して貿易禁止の措置をとった。この措置には米国内の日本の資産の差し押さえや日本に対する化石燃料の輸出禁止が盛り込まれていた。

On 5 November 1941, Emperor Hirohito approved, in Imperial Conference, the plan for the attack on Pearl Harbor. At the same time, his government made a last effort to arrive at a diplomatic solution of their differences with the United States. Ambassador Kichisabur? Nomura presented two proposals to the American government.
1941年11月5日、昭和天皇は帝国議会にて真珠湾奇襲作戦を敢行することを決定した。
同時に、この時期帝国議会は米国との意見の食い違いについて外交政策で解決する道を模索していた。
当時の米国駐在大使kitchisaburo nomuraが米国との和解に向けて米国議会に二種類の和解案を提示していた。

The first, proposal A, he presented on November 6, 1941. It proposed making a final settlement of the Sino-Japanese War with a partial withdrawal of Japanese troops. United States military intelligence had deciphered some of Japan's diplomatic codes, so they knew that there was a second, follow-up proposal in case proposal A failed. The United States government stalled and then rejected proposal A on November 14, 1941.
第一の提案、提案Aは1941年11月6日に米国議会に提出された。侵攻中の中国からの日本軍の部分的撤退がその和解案には記されていた。当時の米国軍事示唆機関は外交文書に固有の印を見破っていた。それで彼らはこの和解案Aが受け入れられないときには次の和解案Bの提示があるのを見破っていた。米国議会は和解案Aへの返事を引き延ばしやがて拒否することになった。1941年11月14日のことだ。

On November 20, 1941, Nomura presented proposal B, which proposed that Japan stop further military action in return for one million gallons (3,800 m3) of aviation fuel from the United States. The United States was about to make a counteroffer to this plan which included a monthly supply of fuel for civilian use. However, President Franklin D. Roosevelt received a leak of Japan's war plan and news that Japanese troopships were on their way to Indochina. He decided the Japanese were not being sincere in their negotiations and instructed Secretary Hull to drop the counter-proposal.
1941年11月20日、nomura大使は和解案Bを提出した。和解案Bには米国からの飛行機の燃料100万ガロン (3,800 m3) 相当の日本への輸出を条件としてさらなる軍事活動を停止する旨が記されていた。
そのとき米国では和解案Bに対する返答をしたためているところであった。この返答には民間使用を目的とする化石燃料の日本への輸出月間スケジュールが記載されていた。ところが、当時の米国大統領フランクリンルーズベルトは別ルートで日本政府の戦争の計画とインドネシアに向けて日本軍が侵攻している情報を得てしまった。大統領は日本との一連の和解交渉の過程で日本が誠実でないことを見破って、秘書官のHull氏に和解案Bに対する回答をしたためるように以来した。こうして出来上がったのがHull Noteである。

The note:
ハルノート:

On November 25 Henry L. Stimson, United States Secretary of War noted in his diary that he had discussed with US President Franklin D. Roosevelt the severe likelihood that Japan was about to launch a surprise attack, and that the question had been "how we should maneuver them [the Japanese] into the position of firing the first shot without allowing too much danger to ourselves.'"
1941年11月25日、米国の戦争担当大臣ヘンリースチムソンは彼の日記の中にこう記録している。日本がまもなく米国に対する奇襲攻撃をかけてくることをルーズベルト大統領に伝えた。「問題はどうやって日本に最初の攻撃を誘発させるのか、願わくは我方に最小の被害で。」

On the following day, November 26, 1941, Hull presented the Japanese ambassador with the Hull note, which as one of its conditions demanded the complete withdrawal of all Japanese troops from French Indochina and China. It did not refer to Manchukuo, in which hundreds of thousands of Japanese civilians were already living. Japanese Prime Minister Tojo Hideki said to his cabinet, "this is an ultimatum."
次の日1949年11月26日、ハル氏は駐米日本大使にハルノートと呼ばれるメモを手渡した。ハルノートには日本軍のインドシナ半島と中国からの完全撤退が条件の一つとして明記されていた。だが、満州国については何も条件が示されていなかった。当時満州国には数十万人の日本の民間人が入植して生活していた。日本国首相、東条英機は、このハルノートに記載されている事項は米国からの最終通告であると帝国議会で述べた。

The strike force which attacked Pearl Harbor had set sail the day before, on the morning of November 26, 1941, Japan time. It could have been recalled along the way, but no further diplomatic progress was made and on 1 December, Emperor Hirohito approved, in Imperial Conference, the war against United States, Britain, and the Netherlands, which began by the attack on Pearl Harbor, Malaya, and the Philippines.
日本軍による真珠湾奇襲艦隊は帝国議会の開催日の前日(日本時間1949年11月26日早朝)には日本を出発していた。途中で引き返すよう指示することもできたはずだがそうはしなかった。それから(ハルノート受諾日)より目立った外交上の進捗はまったくなかった。そして1949年12月1日、昭和天皇が帝国議会で米国、英国、オランダに対する宣戦布告を許諾した。それから直ちに真珠湾、マラヤ、フィリピンの攻撃を開始した。

Jonathan Daniels, President Roosevelt's administrative assistant at the time, noted Roosevelt's subsequent reaction to the Japanese attack on Pearl Harbor - "The blow was heavier than he had hoped it would necessarily be. ... But the risks paid off; even the loss was worth the price. ..."
当時ルーズベルト大統領の顧問をしていたジョナサンダニエル氏は次のように記録している。日本軍の真珠湾攻撃に対する報復に関して次のように記録している。「日本軍の真珠湾奇襲攻撃による損害はルーズベルト大統領の予想をはるかに超えるものではあった。この償いは日本にしてもらう、今回米国が真珠湾奇襲攻撃で受けた被害にみあうほどに。」

Some modern Japanese commentators say the note was designed to draw Japan into war and thus claim Japan was not the aggressor nation in the Pacific War. Toshio Tamogami, who was the Japan Air Self-Defense Force chief of staff, was sacked by the Japanese government in 2008 for taking this position.
日本の記者の中にはハルノートは日本を戦争に引き込むために意図的に作成された、それで太平洋戦争の中では日本はアジアの侵略国としては描かれていない(アメリカが意図的に引きずり込んだので)と主張している。
航空自衛隊の士官Toshio Tamogamiは2008年に日本政府によりこの問題で罷免されている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88
より
ハル・ノート(Hull note)は、太平洋戦争開戦直前の日米交渉において、1941年11月26日にアメリカ側から日本側に提示された交渉文書である。正式にはアメリカ合衆国と日本国の間の協定で提案された基礎の概要(Outline of Proposed Basis for Agreement Between the United States and Japan、日米協定基礎概要案)と称する。
日米交渉のアメリカ側の当事者であったコーデル・ハル国務長官の名前からこのように呼ばれている。ハル・ノートに関しては、「(事実上の)最後通牒であった」とする解釈と、「最後通牒ではない」とする解釈とがある

ハル・ノートは、日米交渉において日本側の当事者野村吉三郎駐米大使と来栖三郎特命大使が提示した日本側の最終打開案(乙案)に対する拒否の回答と同時に、アメリカ側から提示された交渉案である。その内容は、アメリカが日本とイギリス、中国、日本、オランダ、ソ連、タイ、およびアメリカ合衆国の包括的な不可侵条約を提案する代わりに、日本が日露戦争以降に東アジアで築いた権益と領土、軍事同盟の全てを直ちに放棄することを求めるものである。と、当時は解釈され伝えられた。概要は以下の10項目からなる。
アメリカと日本は、英中日蘭蘇泰米間の包括的な不可侵条約を提案する
日本の仏印(フランス領インドシナ)からの撤兵
日本の支那(中国)からの撤兵
日米が(日本が支援していた汪兆銘政権を否認して)アメリカの支援する中国国民党政府以外のいかなる政府を認めない
[日本] 英国または諸国の中国大陸における海外租界と関連権益を含む1901年北京議定書に関する治外法権の放棄について諸国の合意を得るための両国の努力
通商条約再締結のための交渉の開始
アメリカによる日本の資産凍結を解除、日本によるアメリカ資産の凍結の解除
円ドル為替レート安定に関する協定締結と通貨基金の設立
第三国との太平洋地域における平和維持に反する協定の廃棄 - 日独伊三国軍事同盟の廃棄を含意する、と日本側は捉えていたようである。
本協定内容の両国による推進
ウィキソースにハル・ノートの原文があります。
原文の和訳はウィキソース参照。英語原文は英語版ウィキペディア「Hull note」のページを参照

「私が危険人物のタモガミです」田母神元幕僚長記者会見1/4


「白人国家が有色人種を侵略してきた」田母神元幕僚長記者会見2/4


タモガミ謀略史観の全容! 田母神元幕僚長記者会見3/4


「日本はいい国だと言ったらクビになった」田母神元幕僚長記者会見4/4


http://www.geocities.jp/torikai007/japanchina/avg.html

参考


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%88

より
ハリー・デクスター・ホワイト(Harry Dexter White,1892年10月9日 – 1948年8月16日)は、アメリカ合衆国の官僚。フランクリン・ルーズベルト政権のヘンリー・モーゲンソー財務長官のもとで財務次官補をつとめた。

「コミンテルンのスパイ」説

一部の論者は、ホワイトをソ連コミンテルンのスパイであると主張している。それによれば、次のような「事実」があったという。
1941年、ルーズベルト大統領時代のアメリカ合衆国の財務次官補としてハル・ノートの草案作成に携わった。この頃、ソ連の工作員と接触し「スノウ(snow)作戦」(ホワイトの名による)という工作に関係したとされる。
スノウ作戦の際、ソ連スパイのイサク・アブドゥロービッチ・アフメロフ(Iskhak Abdulovich Akhmerov)がホワイトと接触した後、ビタリー・グリゴリエッチ・パブロフはアフメロフの友人としてホワイトに接触、メモを見せたという[8]。ホワイトの関与については次のような諸説がある。
パブロフの証言からスパイとする説[9]
パブロフの証言からスパイではなかったとする説[10]
機密文書に依拠する諸説
ホワイトをコミンテルンのスパイであると主張する論者は、ベノナ文書[11]で彼がソ連のスパイであったことが確認されたとも主張している。
ホワイトはGRU(ソ連赤軍参謀本部情報総局)の在米責任者ボリス・バイコフ(Boris Bykov、Boris Bukov)大佐指揮下の工作員の一人であったが、後にその所属はGRUからNKGB(国家保安人民委員部、KGBの前身)に移管されたという。1953年11月6日、ハーバード・ブラウネル司法長官は彼を名指しで、ソ連のスパイであり、米国の機密文書をモスクワに渡すために他の秘密工作員(連絡要員)に渡していた、と述べている。



ジム ロジャース 米国連銀、国際通貨基金, 世界銀行 制度疲労 全部潰せ

お金の勉強中

2012-02-17 03:58:07 | お金
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Maria Callas - Un Bel Di Vedremo - Madama Butterfly - Act 2




http://www.yume-gaitame.com/factor.html
より
為替の変動はどんな時に起こるのか?

大きく分けて4種類ありますが紹介します。

ファンダメンタルズ要因(経済的条件)
需給関係
政策要因
その他
●ファンダメンタルズ要因(経済の基礎的諸条件)

インフレや国の経済などが大きく関係しますが、以下の数値などが影響します。

・貿易収支
外国との物品の輸出入の収支のことを言います。「貿易黒字」「貿易赤字」
・経済成長率
GDP(国内総生産)が代表的。GDPは国の経済成長率を表す指標で、一定期間内に国内で新たに作り出されたされたモノやサービスの付加価値を集計したもの。
・雇用統計
失業率(労働人口に占める失業者の割合)。
・物価
インフレ傾向、デフレ傾向を知るための指標。
・金利政策
金利が高い方に資金が流れる。
金利が上昇すると、その国の通貨が買われ、高くなる。
●需給関係

ある国の通貨ともう一方の国の通貨を買いたい人のニーズです。

例えば、あるメーカーがアメリカにテレビを輸出した場合、商品を売って、ドルを受け取ることになり、当然、日本企業はドルを円に換えす。これは、ドルを売って、円に買うことになります。つまり、円高ドル安を引き起こします。上記を踏まえて、円安のときを狙って、ドルを売った方が企業としては儲けるのはお分かりでしょう。

逆に肉をアメリカから輸入した場合を考えます。

アメリカから輸入するためには、ドルと交換になります。それゆえ、円を売ってドルを買う必要があるのです。これが、円安ドル高を引き起こます。
輸入のときは、円高のときを狙って、ドルを買った方が、企業としては儲けることができます。

上記の、円売り、円買いがいろんな会社、企業で行なわれますが、トータルで円を買いたい人よりもドルを買いたい(円を売りたい)人が多ければ、ドルが高くなり、その逆であれば円が高くなるといった仕組みです。

●政策要因

1.日本銀行が円買い介入
過去の介入事例は99年の7.6兆円、2000年 3.2兆、2001年 3.2兆、2002年 4兆などです。99年は110円/ドルから100円/ドルでしたが、その後は米国の景気後退により日本の経常収支が悪化したこともあり、順調に円安が進行、2002年春には135円/ドルまで円安に戻すことに成功したこともあります。
2.政治の安定性
政治が不安定になると円安につながります。 クーデターが起こりそうな国はもちろん、政権交代なども相場変動の要因になることがあります。
3.通貨政策
中国の人民元の切り上げ問題などが代表的な例。アメリカのドル高政策、ドル安政策なども。アメリカ側で輸出企業を優遇するための政策が発表されるということは、ドル安政策となることもあります。
●その他
サラ・ブライトマン「Time To Say Goodbye(2003Version)」

■テロ、戦争の為替への影響
テロや戦争が起こった場合にはその国の通貨は大きく値下がります。
2005年7月のロンドンでのテロの直後も、英ポンドは大きく値下がります。

逆にどこかの国で戦争が起こればアメリカドルが買われドル高に動くのが一般的です。
有事の際は、資産はより安全な所にシフトするからだと考えられています。

ただし、当然のですが、アメリカでテロや政情不安を引き起こすような事件があればアメリカドルは下落します。


http://rich-ojisan.com/fx64.html
FX初心者の方の入門

http://fx.minkabu.jp/indicators/01017
米・住宅着工件数

http://www.accj.or.jp/doclib/advocacy/FCWP_J.pdf
金融センター白書

http://www.jiji.com/jc/v?p=ve_eco_bop-balance
【図解・経済】経常収支の推移(最新)
財務省が8日発表した2011年の国際収支速報によると、海外とのモノやサービスの取引状況を示す経常収支の黒字額は、前年比43.9%減の9兆6289億円となった。東日本大震災の影響で貿易収支が赤字に転じたのを主因に、過去最大の減少率を記録した。10兆円割れは1996年以来15年ぶり。

アメージング グレース/歌/英語、日本語字幕

http://www5.cao.go.jp/keizai3/shihyo/index.html#nen2012
内閣府資料

Fifth Element Diva song - full version. SINGING - EVGENIA LAGUNA.


http://manabow.com/qa/balance_payments.html
より
日本の国際収支は今後、どのように推移していくと考えられますか?
2012年2月8日
未成熟な債権国から成熟した債権国へ

財務省の発表によると、2011年における日本の「貿易収支」(輸出額-輸入額)は2兆4,927億円の赤字を記録しました。第2次石油危機後の1980年以来、31年ぶりに貿易赤字へ転落したことになります。ただし、日本の国際収支全体の状況を表す「経常収支」は、いまだに黒字を保っています。
以前(Q&A「貿易収支赤字の影響」)にも紹介したように、日本が貿易赤字になっても経常収支で黒字を維持できているのは、日本の企業や個人が海外に保有する資産から得られる配当金や利子などの「所得収支」が、他の赤字を補って黒字だからです。例えば2011年1月~11月の合計でみると、所得収支は13兆3,290億円の黒字でした。貿易収支など他の3つの収支項目はすべて赤字でしたが、それらを差し引いても経常収支は9兆3,254億円の黒字となっています。
今後の懸念は、貿易赤字の定着・拡大や海外保有資産の取り崩しなどによって、いずれは経常収支も赤字になるのではないかということです。悲観的な専門家は、貿易赤字の慢性的な拡大傾向はもはや避けがたく、早ければ2015年ごろにも経常赤字に転落して、国債利回りの急上昇が現実味を帯びてくると警告しています。欧州債務危機の例からも分かるとおり、スペインやイタリアのような経常赤字国は市場の標的となりやすいからです。
一方で、貿易赤字や経常赤字に対して、それほど神経質になる必要はないという指摘もあります。ひとつの根拠になるのが、貿易収支や経常収支の動きが一国の経済の成熟度に深く関係していると説く「国際収支の発展段階説」です。
この学説によると、経済の発展段階は「未成熟な債務国」から「債権取り崩し国」まで6つのステージに分類されます。そのうち第4ステージにあたる「未成熟な債権国」では、貿易収支も所得収支も黒字ですが、やがて貿易赤字に転落し、それを所得収支の黒字が補う「成熟した債権国」(第5ステージ)に移行するとされています。ちょうど現在の日本が、未成熟な債権国から成熟した債権国への移行期にあると考えられます。
対外と対内の両面で直接投資を増やすべき
言い換えると、日本はかつての「輸出立国」から「投資立国」への転換を図りつつあるわけですが、その時期が想定より早かった分、投資の中身には少なからず問題が残るようです。日本は所得収支の黒字が外国債など債券からの利子収入に偏っており、海外での工場建設や海外企業のM&A(合併・買収)といった直接投資からの配当収入は少ないのが現状です。
2010年末の対外直接投資残高を名目GDP(国内総生産)比でみると、英国の75%、ドイツの43%、米国の33%に対して、日本は15%に過ぎません。直接投資の収益率も2010年に米国が8.9%、英国が7.5%なのに対して、日本は4.6%にとどまっています。日本が成熟した債権国へと本格的に脱皮を図るうえでは、円高のメリットを生かして新興国への直接投資を増やすなど、所得収支の黒字を量と質の両面からさらに充実させていく努力が必要でしょう。
ちなみに米国と英国は、所得収支こそ黒字ですが、貿易収支と経常収支は赤字です。国際収支の発展段階説によると、米国と英国は最終ステージの債権取り崩し国にあたります。特徴的なのは、いずれも海外から大量の直接投資や証券投資を国内に呼び込み、それをもとに余剰資金を海外に投資して、所得収支の黒字を稼いでいること。米国も英国も、国際収支全体としてみると海外に対する負債が大きい債務国なのですが、いわばその負債に支払う利子よりも、海外保有資産で稼ぐ利回りの方が高いのです。
もちろん、どんな国でも米国や英国の真似ができるわけではありません。米国は基軸通貨国として、英国は世界の金融センターとして、それぞれ外資に魅力的な投資機会を提供し、世界中から投資資金を継続的にひきつけていることが、債権取り崩し国としての振る舞いを可能にしています。
ただ、これから成熟した債権国に向かう日本にとっても、米国や英国の巧みな資産運用と資金調達に学ぶところは多いと思われます。なかでも海外からの直接投資の呼び込みは、所得収支の充実を図ることに加えて、国内経済の空洞化にともなう所得と雇用の問題に対しても、ひとつの解決策を与えてくれます。日本が今後、対外直接投資とともに対内直接投資も増やすことができれば、国際収支の改善にとどまらず、その意義は大きいといえるでしょう。

http://jp.moneycentral.msn.com/investor/partsub/funds/topfunds.asp
投資信託ランキング

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1013639710
より

騰落率の出し方は大変簡単です

{(当日基準価額ー前日基準価額)÷前日基準価額}*100=騰落率

ここに示されている数字に当てはめますと

{(9780-9500)÷9500}*100=2.94% こうなります

前日より当日が下がれば、当然マイナスで出ます
ただ、一ヶ月前とか一年前とかと比較したい場合は、もう少しややこしくなります

http://m-words.jp/w/E9A8B0E890BDE78E87.html
より

投資信託の過去の運用実績(価格推移の動向)を示す事に使われ、2つの時点を比較してファンドの価値が何%上下変化しているのかをみる指標である。リターンともいわれる。例えば過去3ヶ月、6ヶ月、1年、5年など、本日までの一定期間に投資信託の基準価額が何パーセント値上がりしたのか、また何パーセント値下がりしたのかを表す。日々の価格変動よりも、ある程度長い期間(半年、1年、あるいは投資信託の設定時点からなど)での価格の動向を理解するのに便利な指標である。投資信託は運用実績に応じて利益を得られる金融商品あるため、少しでも高い運用実績を上げている投資信託を選ぶために非常に気になる指標のひとつである。騰落率の例では、過去3ヶ月の騰落率は10%であった場合でも、過去1年だと-10%、過去5年で見たら-30%であることもある。また、「3年リターン:5%」と表示されていた場合、1年あたり5%のリターンをあげたという意味であり、「騰落率100%」とは、100%分値上がりした(=2倍になった)という意味である。なるべく騰落率の高い投資信託を選ぶことが収益性を上げるポイントではあるが、過去の運用実績は、将来の投資成果を保証するものではなく、今後の確実な予測は誰もすることができないため、騰落率だけをみて商品を選択することは危険である。

http://teiiyone.com/blog/2007/07/etf.html

ETFとは

 株式の市場平均には、日経平均株価とTOPIXがあります。各指標の採用銘柄数は、日経平均株価が225銘柄、TOPIXが1600銘柄以上です。

 これらの指標に採用されている会社は、大きな会社が多く、銘柄数も多いです。そのため、指標と同じ比率で投資をすれば、分散投資効果によって値動きは安定すると考えられます。しかし、それを実行しようとした場合、1銘柄購入に30万円程度は必要なため、莫大な投資資金が必要になります。どうにか安価に実行できないでしょうか?

 ETFを使えば、安価に実行できます。ETFとは、市場平均と連動するように運用する投資信託です。ここでは、以下の解説をします。

●ETFの利点は、値動きが安定していること
●ETFの欠点は、信託手数料がかかること
●ETFの種類は、日経平均株価に採用されている銘柄を買うものと、TOPIXに採用されている銘柄を買うものの2つ
●ETFの購入は、証券会社に口座があればたいてい行える
ETFの利点は、値動きが安定していること
 ここでは、ETFの利点・欠点・種類・購入方法について解説します。まず、ETFは何が優れているのか?を解説したいと思います。ETFの利点は、値動きが安定していることです。
 購入銘柄数が多ければ、個々の銘柄の影響が少なくなるため、値動きが安定します。ETFは、購入銘柄数が非常に多いです。したがって、ETFは、購入銘柄数が非常に多いため、個々の銘柄の影響が少なく値動きが安定します。

http://m-words.jp/w/E59BBDE99A9BE58F8EE694AFE799BAE5B195E6AEB5E99A8EE8AAAC.html
国際収支が経済の発展に伴い、段階を負って変化していくとする考え方。国際収支発展段階説は、国際収支を短期的ではなく、長期的に見て判断するもので、クローサーやキンドルバーガーによって提唱された。

国際収支の発展段階は、(1)国内産業が未発達で資本収支の流入超で経済発展をまかなう「未成熟の債務国」の段階、(2)資本収支は引き続き流入超だが、輸出が発達することで貿易、サービス収支が黒字になった「成熟した債務国」の段階、(3)貿易、サービス収支が大幅な黒字になり、債務返済が進むため、資本収支は赤字になる「債務返済国」の段階、(4)対外純資産が増加し、所得収支が黒字になるため経常収支の黒字、資本収支も赤字の幅が大きくなる「未成熟の債権国」の段階、(5)対外競争力が低下して貿易、サービス収支が赤字になるが、所得収支の大幅な黒字に支えられ経常収支は黒字のままとなる「成熟した債権国」の段階、(6)貿易、サービス収支の赤字幅が大きくなり、経営収支が赤字になるため対外債権を取り崩すことになる「債権取崩し国」の段階、以上6段階を踏む。


http://manabow.com/qa/exchange_hedge.html
為替ヘッジとは、私たち日本人が海外資産で運用する際に、為替変動リスクを回避(ヘッジ)する手段のことです。海外の株式や債券に投資するファンド(投資信託)の中には、為替ヘッジをおこなうコースを用意しているものもあり、それらを選択することで、私たちのような個人投資家でも手軽に為替ヘッジを実現することができます。
為替ヘッジでは一般に「為替予約」という方法が用いられます。これは海外資産に投資する段階で、将来の換金時における為替レートを同じ水準に確定することにより、運用から為替変動の影響を取り除く仕組みです。ただし、為替予約では投資先の国と日本の金利差分だけ割高なレートで円を買い戻すことになるため、結果としてその金利差分が為替ヘッジのコストとしてかかってきます。
例えば、私たちが豪州(オーストラリア)の国債に投資して為替をヘッジしたと仮定してみましょう。2010年1月22日現在、為替レートは「1豪ドル=83円」です。為替予約の適用金利には、いわゆる短期金利(政策金利)が採用されます。政策金利は日本が0.1%、豪州が3.75%です。
1年後に「1豪ドル=83円」で豪州国債を換金して円を買い戻す為替予約をおこなったと考えます。日本は金利がほぼ0%であり、1年後も当初の83円はそのままですが、豪州では金利が3.75%なので、当初の1豪ドルは1年後に1.0375豪ドルまで増える計算になります。つまり、1年後の換金時には「83円÷1.0375豪ドル=80円」しか戻ってこないことになり、3円分のコストがかかるわけです。
このように、為替ヘッジにあたっては基本的に2国間の短期金利差がコストとして生じるため、とくに海外の国債など安定資産に投資して為替ヘッジをおこなうと、結果として日本の国債に投資したのとほぼ同じ運用成果になるのが一般的です。現在、豪州10年国債の利回りはおおむね5%ですが、そこから日本と豪州の短期金利差に相当する3.65%を差し引くと、残るのは1.35%。これは日本の10年国債の利回りである1.34%とほぼ一致します。
米ドルに対してはコストがかからない珍現象
一見すると海外資産での運用において、為替ヘッジはあまり意味をなさないようにも思えますが、実はそうとも言い切れません。
例えばここ数年、海外の株式は総じて日本株を上回る騰落率を示していますが、一方で為替は円高が進む局面が目立ちます。海外の株式でせっかく高い運用益を上げても、為替差損によってトータルの収益が目減りしてしまうケースも少なくないわけです。あくまでも海外の株式など、期待できる収益率が国債よりも十分に高いことが条件になりますが、そのような海外資産への投資にあたっては、あえて短期金利差のコストを負担してでも為替変動リスクをヘッジする意義は大きいかもしれません。
とくに最近では、世界の基軸通貨である米ドルに対して、為替ヘッジのコストがほとんどかからないという珍しい状況が続いています。米国の政策金利は0.00~0.25%なので、日本と米国の短期金利差はほぼゼロです。そのため米国株はもちろん、米国のハイ・イールド債(低格付け社債)などに投資して為替ヘッジをおこなえば、相対的に高い利回りを丸ごと享受することが可能です。
2009年の登場以来、人気の高い「通貨選択型ファンド」においても、これを応用したような動きが見られます。通貨選択型ファンドは、最初に米ドル建てでハイ・イールド債や新興国債券などに投資し(米ドル買い・円売り)、さらに為替予約を用いて通貨を米ドルから他の高金利通貨に切り替える(米ドル売り・他通貨買い)仕組みです。その際、多くのファンドでは切り替え先の通貨として円も用意しており、実際に円を選ぶ投資家も結構いるようです。
円を選んだ場合は「米ドル売り・円買い」となるため、事実上、コストゼロで為替ヘッジをおこなったと同じことになるのです。こうした為替ヘッジの活用法は、あくまでも米国の短期金利が歴史的に低いことが前提であり、この先、米国が出口戦略として利上げに動けばメリットは消えてしまいます。
しかしながら、最近はFX(外国為替証拠金取引)などを通じて、個人投資家がどちらかといえば為替変動リスクに鈍感になりつつあると思われます。時と場合に応じて、為替ヘッジを選択する手もあることは、ぜひ覚えておいてほしいところです。



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