思わぬ収穫がありました。
それは、私の記憶が今は少しずつあやふやになってきている昭和52年当時の出来事を書き留めた文書デイタが見つかったのです。
読み返してみると「なるほどなるほど、そうそう、そう言えばこうだったよ」と納得できる文書デイタだった。
もちろん、その後に思い出したこともあるので、それも付け加えるとなお真実に近づくだろう。
昭和52年。
大学2年だった私が夏休みに帰省した時の思い出。
それと、昭和54年。
大学4年だった私に父からの問い合わせがあった夜のこと。
古い文書デイタで欠落していたのは、父からMARYの発音を問われ、直ぐには自信を持って回答できなかったので、その同じ夜に私から父へ電話をして「MARY」ではなく「MARLY」だったのではないのかと父に確認した事である。
それ以来、私はMARLY説を頑固に主張し続け「おやっさんの見間違いか、記憶違いだろう」とかたく信じ切っていた。
それがころりとMARY説に替わるのは、おやっさんの最期の入院の朝の、あのオヤジのカッと見開いて力強く私をにらみつけながら「お前。絶対にMARYだからな。」と言い切った時点。
Google翻訳でMARYは「メアリ」と発音されている。
一気に私はMARLY説信者に宗旨替えしたのだ。
えっ?何の話かって?
MARYですよ。
k校長の元で名前が削り取られていたとk校長が言う「白人小学校の青い目の人形」の名前のことですよ。
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