知ってる人は知っています(・ω・)b
もう肉も卵も牛乳もいらない!
完全菜食主義
ヴィーガニズムのすすめ
【もう肉も卵も牛乳もいらない!】240p 目覚め より
~1987年に初めてヴェジタリアンに出会ったとき、彼はすでに14年間、肉を食べていないと語った。
私は、この人は一生、こうして禁欲的に過ごすつもりなのかと思った。
今では、肉を抜いた食事をすることは何一つ厳しいことでも奇妙なことでもないと思っている。
この12年間、私は植物性の食品だけで健やかで幸せに暮らしている。~
大半の米国人同様、私も動物性食品をふんだんに食べて育った。
しかし私はヴィーガンになった。その経緯を説明したい。
私の両親は、健康の価値を教えてくれ、健康に目配りして長く幸せな生涯を送るよう教育してくれた。
さらに動物を傷つけてはいけない、差し迫った理由もない場合はなおさらだと教えてくれた。
しかし青年期になると、私は両親が教えてくれた食卓がそうした価値にそぐわないことに気づき始めた。
17歳になった頃、私は友人の母親に肉を食べるのを止めようかと思っている、と話した。
「まあ、だめよ」とニューマン夫人は私を諭した。
彼女はその20年も前に大学で栄養学を習っただけに食品の専門家を自負しており、人間が健康的に暮らしていくためには絶対に肉が必要だと、きっぱりと言うのだった。
その語調に圧倒され、私はヴェジタリアンとは虚弱で貧弱な人たちなのかと思った。
しかしハンバーガーこそやめなかったが、靴は革靴からキャンパス地のものに代えた。
健康は靴の素材には関係ないが、動物を殺すことにやましさを覚えていたからだった。
大学1年の時、私はとうとう肉食をやめる決心をした。
きっかけは二つあった。
一つは、まったく偶然に目にした映像だった。
私は当時寮に住んでおり、隣室の男はビデオデッキを持っていてしばしば映画のレンタル・ビデオを観ていた。
ある時、私が隣室を訪ねると彼らは食肉処理場で撮影されたシーンを観ていた。
血を流しながら死んでいく牛が映っていた。
その牛は、画面からじっと私を見つめているようだった。
私は身震いしながら部屋を後にした。
それでも、その日の夕食はハンバーガーで、私はさらに数ヶ月間、肉を食べ続けた。
しかしだんだんと肉食への嫌悪はつのり、健康のために肉食は必要であるという通念に安住する自分に、食肉処理場で死んでいく牛の映画のシーンを重ね合わせながら、軽い苛立ちを覚え始めた。
動物にひどい仕打ちをしながら健康な食事をするということに、どうしても納得できなくなっていたのだ。
数ヵ月後、二つ目のきっかけが訪れた。
これも、ポップ・カルチャーからの影響だった。
私はロックバンド「ボストン」の大ファンで、ちょうどサード・アルバムを買ったところだった。
ライナーノーツを何気なく眺めていると、ギタリストのトム・ショルツをはじめ数人のメンバーがヴェジタリアンであり、菜食主義について興味があれば「家畜のための改革運動(FARM)」に問い合わせてほしいとのメッセージが載っていた。
私は目を疑った。
身長は優に180センチを超し、ステージで強烈なエネルギーを発散するあのトム・ショルツがヴェジタリアンだって?
どうやらニューマン夫人の言う事実とやらを疑うべきときのようだった。
私は30分もただぼけっと座り込んで考えを巡らしていたあの日をいまも忘れられない。
食事法を変えてみることに、わくわくしたとは言わない。
それはまるで仕事か何かのように思えたし、あたかも妙なカルトかクラブに入会するような気分だった。
ヴェジタリアンの何たるかはともかく、自分がそれになるのはぞっとしなかった。
私はただ、動物を食べたくなかっただけなのである。
しかし、それでは何を食べればいいのか? まさかレタスと豆腐だけ?
私は当時20歳ごろで、ちょうど精神的、哲学的な考えが固まりつつあるころだった。
自分の生き方については、何よりもできるだけ迷惑をかけないようにしたかった。
そしてそのためには、動物を食べるのを止めるべきだと感じた。
動物に手をかけながら生きていくことはできないと思った。
となれば、自分の命を支えるために動物を殺して食べることがどうしてできるだろう?
しかし、それまでの自らの食事は、まさしくそういうものだった。
そらが文化的に容認されていたから、その習慣を、どうやって断ち切ったらいいのか、わからなかったから・・・。
1995年の〈エコノミスト〉のある記事が、このことを実に端的に言ってのけている。
「卵を産み続けられる間、雌鶏一羽を自分のために靴箱に押し込めていることを自覚している人はほとんどいない。しかし、これこそケージで飼育される鶏の”農場直送新鮮卵”を食べているすべての人がやっていることだ。」
私はFARMに短い手紙を書いて、資料を請求した。
その翌週、ビラが送られてきた。
それには、ヴェジタリアンは非ヴェジタリアンと同様に健康に生活でき、肉食を止めることはまったく難しくないと書かれていた。
さらに、日常的な食品のなかにどれほど植物性のものが多いかにも気づかされた。
ベーグル、野菜スープ、フルーツ入りオートミール他、枚挙にいとまがない。
この資料には、多くの家畜の生育環境や解体法についても記されていた。
いつも食べているハンバーガーパティの向こう側や鶏肉の出所が見え始めた。
ちょっと計算をしてみると、標準的なアメリカ式の食事を生涯続けると、2000羽の鶏、七頭の牛、十二頭の豚を食べることになるとわかった。
こうした動物はすべて、工場農場の非人間的な環境で育てられ、自分のために殺されるはずなのだった。
こうした物事の連鎖に連なるのは嫌だった。
さらに、単純に肉を食べないだけでは不十分であることにも気づいた。
卵や乳製品も食べるわけにはいかなかった。
完全なヴィーガン食以外は、やはり動物を苦しめ続けるからだ。
もし70歳まで1日1つの卵を食べ続けていたら、私のために30羽の鶏が殺されることになる。
一羽に雌鶏は、殺されて若い雌鶏に交換されるまでに、平均して500個にも満たない卵しか産めないからだ。
こうした鶏たちが私のために狭苦しいカゴに閉じ込められる期間は、延べ35年。
卵を私が一つ食べるために、雌鶏は狭い鳥かごに30時間監禁され続けなければならない。
私は食事の大部分を菜食にした。
しかし旅行中や友人宅で食事をご馳走になるときなど、時折は妥協して肉を食べた。
そうしてすぐに気づいたことの一つは、従来の肉を中心とした食事は、実に単調でつまらないことだった。
ハンバーガー、鶏の胸肉、ライス・プディング、ヨーグルト、ポットパイ。
特に好きだったわけではない。
単に慣れ親しんでいたから、それらを食べ続けていただけである。
ヴィーガン食のバラエティ、たとえばパスタや穀物、野菜、豆、ソース、果物、ナッツ、スパイス、その他を楽しんでいるうちに、動物性食品を完全にやめてもいいと思った。
素晴らしい自然食品店をいくつか見つけた。
それらはさまざまな食品を揃え、焼きたての香ばしいパンやヴェジタリアン食の惣菜や弁当も売っていた。
忙しい学生の身とあって、ずいぶん助かったものだ。
やがて、時折の鶏や魚さえ気持ち悪く感じるようになった。
外出する際は弁当を持っていくようにし、サラダバーや良いヴェジタリアン食のメニューを揃えたレストランのひいきにもなった。
ヴェジタリアン料理本もどっさりと揃え、素晴らしい新料理の数々を発見し続けた。
肉食を止めてヴィーガンになるのは、素晴らしい経験だった。
それは予想していたような難行苦行とはほど遠かった。
選択の幅を限定するどころか、私の食事はより美味しく、バラエティに富んだものになっていった。
おそらく、あれもこれも諦めなければと力んでいたら、渇望感や喪失感に襲われていたことだろう。
私は食事の幅を制限するのではなく、むしろ拡げ続けていった。
失ったものを嘆くのではなく、新しい好物を見つけるのが楽しかった。
ヴェジタリアンになるために必要なのは克己心ではなく、むしろ喜んで新しい何かを取り入れる意志である。
菜食文化が進むにつれて、最後のステップ、つまり牛乳や卵もやめる準備が整ったと思った。
卵を止めるのはまったく簡単だった。
しかし乳製品となれば話は別だ。
チーズ・ピッツァのない人生なんて、生きるに値するだろうか?
この頃、私は新しい家に引っ越し、これを機に完全なヴィーガン生活を送ろうと決心した。
もう、植物性食品以外は、一切家に持ち込むまいと思った。
もっとも街に出たときには、一、二切れのピッツァは食べていた。
しかし、”カシュー(ナッツ)・チーズ”・ピッツァのレシピを覚えたとき、普通のピッツァと縁を切る覚悟ができた。
あるヴェジタリアンではない友人がこの料理を評していわく、「名前はぞっとしないが、味はチーズ・ピッツァよりも旨い」。
この大発明のおかげで、私は完全なヴィーガンになった。
その時、食事法を変えたいと思ってからすでに2年が経っていた。
最初の頃は、確かに好きだったさまざまな食べ物の多くが恋しかった。
なにしろアイスクリームもパンケーキもプディングもチーズ・ピッツァもだめなのだから。
しかし折しもヴィーガン食品が出回り始め、アイスクリーム・クッキー・サンドイッチ、プディング、ブラウニー、ドーナッツまであった。
ヴィーガン料理本も出版されて、好物のヴィーガン版もすべて見つけることができた。
完全に植物性食品だけでつくったマフィン、パンケーキ、ケーキ、パイなどである。
今日ではヴェジタリアンやヴィーガンになる人はいや増し、さまざまな会社が美味しく栄養のあるヴィーガン食品を開発している。
それはもはや海図なき航海ではない。
ヴィーガンが一人増えて自然食品市場が発展するにつれて、他の人にとっても食生活の変更が楽になっていくのである。
私がヴィーガンになった本来の理由は動物愛護という倫理的なものだったが、他にも予期せぬメリットがあった。
大学に入った年、私は10キログラム前後も太ってしまった。
しかしヴィーガンになったとたんによけいな死亡は消滅し、高校卒業時と同じ体重になった。
健康状態も総じて良くなった。
かつてはいつも風邪を引いていたが、いまでは1年に1度ひくかひかないかだし、ひいても以前よりずっと穏やかだ。
また、花粉症にも1年に2度ひどく悩まされたものだったが、乳製品をやめると同時に、それらは徐々におさまっていった(ヴィーガン食と風邪の関係は科学的にはまだ解明されていないが、私の知るヴィーガンはほとんど全員、動物性食品をやめてから風邪やアレルギーの発症回数も減り、程度も軽くなったと口を揃えている)。
ヴィーガンになった1年後にコレステロール値を測ると128だった。
いずれ心臓病になるのでは、という恐れは、ずいぶん軽くなった。
また、ガンや他の病気の心配も軽くなった。
安心そのものが励みになるものだ。
第3章で紹介したヴィーガン減量法を考案したシンタニ博士は、26歳でヴィーガンになった。
ここでもう一度、彼の転身ぶりについて、少し掘り下げておきたい。
「私はいまも、ヴィーガンになったことが知的・精神的な目覚めの場をしつらえてくれたと信じています。」と彼は言う。
食事法を変えるまで、シンタニは平凡な成績を取っていた。
ロー・スクールの1年生の時、彼は友人に、やる気が起こらない、学業に身が入らないとこぼしていた。
「そりゃ、うまくいかないはずさ」とその友人は言った。
「自分の食べてるものをよく見ろよ。肉、卵、ジャンクフード、そんなものを食べていて、どうやって自分の力を引き出すつもりだい?」
シンタニは、食べ物の重要性を説く友人の言葉に耳を傾けた。
そこで、疑いながらもヴィーガニズムを試してみることにした。
「私にとってその変化は驚くべきものでした。しかもそれは、ほとんど一夜にして起こったのです。これまでにない活力を感じ、考えもすっきりしました。成績もあがり、学術雑誌に投稿もしました。ついでながら、4ヵ月間で15キログラム以上も体重が減り、かつてないほど爽快でした。」
ロー・スクールを卒業したシンタニは、食事法の大切さに目覚めて医師になろうと思った。
メディカル・スクールでは初年度に優秀学生に選ばれ、素晴らしい成績を維持した。
「自分でも信じられないほどの変わりぶりでした」とシンタニは言う。
「ヴィーガンになって、それまでの26年間は五里霧中だったと思いました。私は生まれて初めて、自覚さえしていなかった能力を引き出せるようになったのです」
世界中でもっとも複雑な臓器である人間の脳が、何を食べても同じように働くと考えるのは、まっとうな考え方だろうか?
牛、鶏、アイスクリームを食べるのと、果物、野菜、全粒穀物を食べるのとで、感じ方や考え方がまったく変わらないと考えるのは合理的だろうか?
ヴェジタリアンを弱々しい、女々しいとなじりたがる人がいる。
私とて変わったヴェジタリアンがいることを認めるのにやぶさかではないが、それは他の食事法をする人に変わった手合いがいるのとまったく同じことだ。
しかし、人によって女々しいと難じるヴェジタリアンの特徴こそ、新しい世界観の出発点である。
ヴェジタリアン哲学の核心には、自らの健康、環境、世界飢餓、そして動物への配慮がある。
そしてそれらは、ベテラン動物愛護活動家ヘンリー・スパイラが「非暴力ディナー・テーブル」と呼ぶもので変えられるのだ。
〈エコノミスト〉誌は、次のような社説を掲げた。
「たいていの人にとって、動物が苦しんでいるのを見るだけで同情するのに十分である。そんな同情は、少しもおかしなことではない。それは人間の道徳心が働いている証拠であり、嘲る(あざける)どころか大切な感情である」
著名なヴェジタリアンの名をあげただけでも、もっとも偉大な思想家や優しい心根の持ち主のリストができる。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ジョージ・バーナード・ショー、アイザック・バシェヴィス・シンガー(ノーベル文学賞作家)、マハトマ・ガンジー、レオ・トルストイ、その他無数である。
世界で最も偉大な人々が2千年に渡ってこの食事法に惹きつけられてきたし、それは社会全体でヴェジタリアニズムを危険とか奇妙と
している間も止まなかった。
いまや菜食は著名人だけのものではない。
あらゆる年齢層や分野の人々がヴェジタリアンやヴィーガンになっている。
おそらく、栄養についての知識が増しているためでもあるだろう。
あるいは徐々に同情心が強まってきたからかもしれない。
典型的なアメリカ式食事は、人々を動物や自然や自らの健康に対する戦いに駆り立てている。
どんな理由でヴィーガンになるのであれ、根底にあるのは同情であり、同情は大きな変化をもたらす。
人となりが食べ物でわかるなら、食べ物を変えることは大きな変化をもたらすはずだ。
多くの人がヴィーガンに転向し、健康を増進している。
おそらくこうした健康増進が、精神的目覚めを伴うことが多いのだろう。
こうした目覚めには長い時間がかかることがあるが、やがては食事法を変える前とは違う自分になっていることに気づくはずである。
そしてこの目覚めは、誰に対しても開かれているものと、私は信じている。
何を食べるかほど大切な選択はない。
しかし多くの人は、自分が食べているものと自らの信条との関係に気づいていない。
世の中を良くしようとして教師やソーシャル・ワーカーになりながら、日に三回の動物性食品を食べることによってその正反対をなしている人もいる。
コレステロールや飽和脂肪、動物性蛋白質を含む食事を放置したまま痩身計画を立てる人もいる。
何を食べればどうなるかを考えるのは、かつては偉大な思想家たちだった。
今日では、ほぼどんな人でも食品選択の結果を見直せるようになっている。
いまや、目覚めの時である。
動物性なし!ヴィーガンOK
桜井食品 ベジタリアンのためのカレー粉
本製造工場では、卵、乳を含む製品を製造しています。
精進料理っていい響きですねー。
良いお酒と阪神と生き物の解放のために行動する人が増えればいいですね。
私は明治生まれの祖母に育てられたので
精進料理の食生活でした。
だから学校の給食が食べれませんでした。
学校で、ひとりだけお昼休みは家に帰って祖母と食べていました。そんな事が、許される時代でした。今も、夫や友人達とは食事が違います。でもお酒と阪神タイガースといきもの解放が一番大切なことです。