*大きなアザの写真を載せます。それから、弱音も吐きます。
祖母がぼそっと「香川県から誰もお見舞いに来ないなぁ」と言いました。祖母が思い浮かべる顔は想像できますが、現状を知らないのでお見舞いに来るはずがありません。そのようななか、少しずつ祖母のびまん性間質性肺炎の病状が悪化しているのか、血中酸素飽和度が低くなってきました。つまり、酸素吸入の量を増やしています。
・退院する頃☞酸素無し
・退院した日12/5☞悪化、酸素吸入
☞暫く1.0ℓ〜1.5ℓで大丈夫だった
・この一週間☞1.75ℓ〜2ℓ
・2/17は朝から2ℓ
2/18(日)☞酸素2ℓで祖母を施設に送り出しました。看護師にも祖母の状況など伝達事項を直接伝えに行きました。
SpO2は特に朝が悪く、90〜92です。そのため酸素を1.75リットルから2リットルに上げて様子を見ています。ちなみに、オムツを替えたあとは、昼夜問わず80台に落ちます。今日は弱音を吐きます。
祖母の弱っていく姿を見ているのがとても辛いです。食欲も減り、声も一段階、弱々しくなりました。寝ている時の呼吸が特に苦しそうです。
そして、15日の夜。私自身の気疲れや身体的疲労がピークに達したのか、夜ご飯を食べる元気もなく、シャンプーする気力も起きず、湯船にだけ浸かって泥のように眠りました。この日、諸事情により私が急いで施設に駆けつけた日でもあり、虚しさやもどかしさ、孤独など言葉にしようがない「疲れ」が一気に出ました。
施設の看護師には、よく祖母の病状のことで相談させていただいています。特に2人の看護師に相談しているのですが、すごくいい方で救われています。それでも、自宅に帰って誰かと共有できないってすごく辛いです。話してもズレた受け応えだと余計に疲れるし。たとえ家族でも、やはり生で見ているのとそうでないのとでは雲泥の差があります。さらに、父も母も車椅子の操作や携帯用酸素ボンベの使い方、替え方を中々覚えません。
父はできないままの状態、母は「自信がない」と言います。でも、私だって最初は何もできませんでした。オムツの交換にも時間がかかったし、尿の管を抜いてしまわないか不安だったし、拭き取れていなかった部分で替えのオムツを汚してしまって、やり直したこともあります。酸素の鼻のカニューレを交換した後、酸素がしっかり届いているか不安で不安でパルスオキシメーターで頻繁に確認したり、耳を立てて酸素の音を聞いたりもしました。
とにかく覚えるしかなかったから、必死に覚えて練習もしたし、分からないことは施設に行って聞いたし、より効率よく行うための手順(たくさんの管やコードをどの手順で処理して稼働させるか、移動させるかなど)も考えました。だから「いい加減、覚えてよ」というのが本音です。
話を戻しますが、この日は祖母も帰宅してから静かで深夜1時だったか2時ころには私も寝て、睡眠は十分にとれました。そして、翌日からはまたポジティブに介護に取り組んでいます。
人間、生まれたら死に向かっていく、それは皆同じ。ただ「看取る」という、文字にすると'たったの3文字"のことが、刻一刻と近くなってきているのかもしれず、より一層現実味を帯びてきたことで今の私に重くのしかかり始めました。こればかりは医師にもわからないそうです。
*不謹慎かもしれないけれど、身内のことなので。
さて、冒頭で書いた祖母にできた大きなアザの写真を載せます。苦手な方もいらっしゃると思うので、苦手な方はここまででお願いいたします。紫の画像の次に載せます。
祖母の右腰に15日(木)に大きなアザができていました。
13日(火)の夜にはなかったのですが、その数日前から腰が痛いとは言っていました。その際、祖母の腰を見ても特に変わりはありませんでした。そのため「寝違えたかな?」くらいに思い、湿布を貼っていました。祖母は出血しやすいです。どこかに打ったのかな?移乗の際にぶつけてしまったのかな?と推測しています。ただ、原因不明の大きなアザを見ていたら悲しくなりました。ちなみに、アザの大きさは長い辺では人差し指ほどで、縦にも横にも大きいです。
今日は、お風呂に入れてもらい一泊2日するので、湿布も看護師に渡してきました。
*ブログに書けるくらいなので、私は大丈夫です。そして、私が書いているので私だけが疲れているように聞こえるかもしれませんが、母も疲れています。これはあくまで家庭内での話ということでお願いします。だから、当たり前だけれど私が優秀なわけではなく、オムツ交換は母の方がうまいし、むしろ欠点だらけです。覚悟を持って始めた在宅介護でも、時に疲れるのが人間なのだと思い知りました。
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