11/29(水)
・15時〜
看護師の指導の下、オムツ交換や陰部の洗浄などを習う。この日は母のみ。
・私が用意した差し入れの「いなり寿司」は3つ食べたとのこと。それから看護師さんに預けてあるメイバランスも間食として1本飲んだ。
・アルブミン値2.3
前回よりも栄養状態が良くなっている。
・主治医の話によると、面会時ではないときに以下の会話があったそうだ。
祖母「脚を切ったんやな〜」
主治医「そうですよ」
→祖母が認識したのかな?私は祖母に直接聞くことがない・聞けないので、分からない。人の心のうちをすべて分かることはできないが、祖母を見る限り深刻に捉えてはなさそう。私自身、祖母が深刻に捉えてなければ、もしくは捉えることができていないのなら、それはそれでいいと思っている。
・退院日が決まった。12月上旬の某日。退院後は、一旦、施設でお世話になるが、様子を見ながら祖母は週に1〜2日ほど自宅で過ごす予定。祖母が「自宅に連れて帰って」とずっと言うので、私がどうしても叶えてあげたかった。母も同じだった。
そのため、希望する施設に受け入れてもらうためには、施設と病院(看護師)の話し合いの結果となる。そのため、その話し合いの日にどの看護師が面談を行うか分からなかったので、看護師全員と主治医に伝えたい内容を便箋2枚で渡したことがある。1枚目は読むのに苦痛にならない字数のメモのようなお手紙、2枚目は差し入れで食べられているものや量を写真にして添付したものである。
*仕事の合間に「目を通してもらう時間」をいただいたこと、お手数をおかけしたこと、感謝しています。
正直なところ、一時は祖母の状態では一時帰宅も無理だと思っていた。しかし、今は食べられるようになったので、祖母の最後の願いだと思われる自宅に帰りたいを叶えるために少しばかり奔走した。そして、老健(介護老人保健施設)や有料老人ホームは選ばなかった。つまり、祖母は多機能型の施設でのショートステイと一時帰宅での生活となる。
そして今後は、
✔️オムツ交換と尿の管の管理
✔️褥瘡(じょくそう)にならないように体位交換
✔️その他はショートステイや訪問看護、訪問医療など
が必要になる。つまり、この先、仕事との折り合いも含めて、スケジュール調整を綿密にしていかないとならない。
・ある日、面会に行くと、主治医が私の写真付きのお手紙を持って来てくださった。素直に「伝わったんだ」と嬉しかった。そして、ある日には、主治医から母にたとえ少ない日にちでも自宅で診ることはそれなりに大変なので「大丈夫ですか?」と労る言葉をかけていただいたようだ。さらに祖母には「よくがんばりましたね」と声をかけてくださったそうだ。
→その言葉と光景を思い浮かべるだけで目に涙が浮かんだ。その先生は、本当に血の通った温かい先生なのだ。職を全うするのに性別は関係ないと思って生きているので、あえて書いてこなかったが女性の医師だ。私も何度もお会いし、電話もこまめにかけてくださってお話してきた。
1ヶ月前だったか2ヶ月前だったか、先生が「お孫さんもがんばっているから」と母に伝えてくれたことが母を通して私に伝わってきた。その時、祖母の病状も悪く、かつ多忙で非常にしんどい時だったので、「とりあえず、私は祖母のために何とかやれているんだ」と思えて、その言葉に救われた。
祖母が病気になってしまったことは悲しかったけれど、その先生が主治医になってくれた奇跡、人としての温かさ、素人の私の素朴な質問にも誠実に答えてくださる人柄、すべてにおいて心から感謝している。
同時に、これからはその先生の指示書はあるものの、先生の元を離れて私たち家族、訪問医療、在宅看護などになるので、不安は尽きない。まだまだ気を抜けない、新たな局面を迎える12月となりそうである。そして、祖母は12月が誕生月だ。
写真:2年前の米寿のお祝い🎂お誕生日には一時帰宅できるといいな、と思っている。