要介護5の祖母の在宅介護記録。

要介護5の祖母を在宅介護している。在宅介護の記録。

在宅介護を始めて初めて知った仕組みや制度。

2024-04-30 14:10:00 | 日記
2024.4.29 に書いたものを4.30に追加編集。
時系列は4.29のまま。


祖母、母、私の3人でドライブに行きました。行く前からご機嫌な祖母。レンタカーの車種は、この間はトヨタのVOXY、今日はダイハツのHIJET CARGO(軽自動車)でした。それぞれの良さがあり、今日のダイハツの軽自動車は車椅子のスペースが広く車椅子を少し倒しても乗せられました。軽ということで車体が小さいことから小回りが効き、動きやすかったです。
(とは言え、今日運転したのは母。私は祖母のお世話係)


携帯用酸素ボンベを新しいのに替えて出発し、4ℓを選択。自宅のコンセントに繋ぐタイプの機械では3.5ℓの設定にしていますが、携帯用だと3ℓの上が4ℓなのです。そのため、取り付けたものとは別に新しいボンベを2本積んでいきましたが、自宅に着いた頃、使い切りました。4ℓだと本当はカニューレではなく、酸素マスクレベルなので、恐ろしいほどにすぐに無くなります。


***

本当は今日、携帯用酸素ボンベの空が4本、使えるものが1本になってしまったので、すぐに電話して取り寄せしたいところです。災害の多い国、停電が起きれば携帯用酸素ボンベが命綱です。しかし、今の酸素ボンベの会社に変わってから「土日祝に電話しないように」と言われているため、明日電話をかけます。


***

ここからは、介護を始めてから知ったことです。本当はレンタルする酸素ボンベの会社をこちらが選びたいです。しかし、病院なら病院、施設なら施設とそれぞれ決められたところからのレンタルになります。


昨年9月に病院から借りていた会社は説明の時から親切で対応も良く、それが初めてだったのでその会社の対応が普通だと思っていました。しかし、退院とともに施設を通して借りることになった会社は、少し前から不信感が募るばかりです。


まず、酸素ボンベが心許ない数になり、土日のどちらか、たしか土曜日に一度かけたことがありました。電話もつながり、特段何かを言われず承諾してくれました。しかし、持って来られた際に「電話は土日ではなく平日にしてほしい」と言われました。施設への送迎だけでも携帯用酸素ボンベは使いますし、土日祝にも施設に行きます。そもそも、土日祝は休みだとは説明でおっしゃっていませんでした。ましてや、持ってくるのも以前の会社より日数がかかります。


別日、金曜日。花粉や黄砂などもあり、ベッドで過ごしていても、鼻のカニューレがすぐに詰まってしまいます。それでは酸素が行き渡らないので、頻繁に交換する必要があります。そのため5本お願いしました。電話では「承知した」との返事でした。しかし、月曜日に持ってきたのは3本。5本というのは常識的な本数(確認済)ですし、なぜ3本だったのか、今後のためにも問い合わせました。


そうしましたところ、担当者が数を持っていなかったか、云々かんぬんと、よく分からない回答。施設でお世話になる2泊3日を控えていたので、数が必要だとお願いし、残り2本をポストに入れておくように頼みました。そしてポストで確認したのは翌々日の午後のことでした。


命に関わる医療機器を扱う会社として、そうでなくても一企業として、不信感が募っています。繰り返しになりますが「選べるなら会社を選びたい!」これが本音です。


ちなみに、レンタカーについても書いておきます。福祉車両のレンタカーは、ごくごく街中にある民間の会社で自費で借りています。これにも理由があります。社会福祉協議会やその他、ケアマネさんから聞いて借りられそうなところをあたってみましたが、手続きに時間がかかること(借りられるようになるのには何ヶ月という期間を要しそうでした)、通院ではなくレジャー目的では不可能なこと、などがわかりました。


また川崎市は7つの「区」があるため、メリットもあると思うのですが、今回の場合はデメリットを感じました。祖母の現住所がある「区」の社会福祉協議会に問い合わせたところ、平日の木曜日、金曜日に担当者が2日連続で会議のため不在とのことで、たった一人?の担当者以外は全くわからないとのことでした。


そこで隣の「区」に電話したところ、とても感じがよく、回答も明朗でした。しかも、その時点で私が知らないプラスαの情報も自ら調べてくださり、感動しました。そこで「そちらで借りられないか?」と聞いてみたところ「居住区」でないと不可能とのことでした。


さらに追加で尿パックのことにも触れておきます。在宅医療を行う医師がオーダーしたものが祖母に付けられます。その種類はいくつもあり、祖母の肌に合わないものだと赤く荒れます。それから、使いにくいものもあります。病院に入院していたときは、同じメーカーの1種類だったのでそれは荒れませんでした。これも、こちらが選べたらいいのになという事例です。


***
長々と書きましたが、介護するまでは、知らなかったシステムや仕組み、世界が広がっていました。正直に書きますと、綺麗事だけで介護をやれているわけではありません。腹が立つこと、もどかしいこと、信用ならぬこと、たくさんあります。


自身も小さな会社ですが、経営しているからこそ、会社や組織の事情があることはわかります。しかし、同時に誠実さや信頼なくして何ができるというのか、その会社に未来はあるのか、疑問を感じずにはいられません。


介護ひとつとっても、感謝や感動ももちろんありますが、同時に選択肢の無さ、不要な手間、エネルギーがなければ諦めるしかないこと、などたくさんあることを知りました。実際、私が今90歳で体が不調だったら、たらい回しにされる電話や書類の申請などが煩わしくなり、色々と諦めていると思います。


兎にも角にも、携帯用酸素ボンベが残り1つ(それはすぐに無くなる量)なので、明日の朝イチでお願いしようと思います。
*5/1に5本持ってきてもらうことになりました。これまでは3本。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

色々とありながらも生きています。

2024-04-27 20:16:00 | 日記
ソメイヨシノが開花するまでは「まだかな?そろそろかな?」と待ちわびますが、開花するとあっという間に終わり、何事もなかったかのように過ぎ去る気がします。祖母と桜を見た道を昨日走りましたが、賑わっていた人の流れもなく、花びら一片残っていませんでした。



さて、祖母の闘病や介護のことを記録するためにこちらのブログを開設したにもかかわらず、最近は書く気が全く起きず、久しぶりの投稿になってしまいました。


なぜ、書く気にならなかったというと、日々の生活が目まぐるしく、昨日書いたことは既に【過去】で、祖母の状態も私の気持ちも【今日】とは異なるからです。そのため、いくつか下書き保存をしたままになっています。


それから、自分で言うのも恥ずかしいかぎりですが、疲労が蓄積している状態で綴る文章にはネガティブな要素も含まれ、公に出すことを躊躇していました。祖母の調子も乱高下しますし、その対応に追われること、しかもそれは慣れないことの連続であること、最近は宿泊でなく入浴だけの日帰り、その入浴すら母または私が介助に入っていることなどから、疲れが溜まる一方です。
*ごく最近、なんとか2泊3日できました。


特に4月に入ってからというものの、祖母の認知症が進んだように感じます。自宅にいても「帰りたい」と言うようになりました。どこに帰りたいかと聞くと、祖母の亡き父と母が眠る故郷の香川県だと言います。祖母の父(私の曽祖父)は祖母が5歳の時に戦死(もしかしたら戦病死)、祖母の母(私の曽祖母)は心不全で50代で亡くなっています。実はその曽祖母の命日が本日4月27日です。祖母は「母親が一番。帰りたい。」と、かなりの頻度で言い、先ほども言っていました。


しかし、私たちの生活のこともさることながら、祖母の全身状態から香川県へ連れて帰ることは不可能です。飛行機、新幹線、自家用車、どれをとっても難しいです。携帯用酸素ボンベで酸素吸入をしながら行く車椅子でのお散歩も40分ほどすると、しんどくなるようで「家に帰る」と言います。今の祖母にとって、香川県はあまりにも遠すぎるのです。



写真:祖母とお散歩


さらに、香川県に帰ったところで面倒を見てくれる人は誰もいません。それを酷なことかなと思いつつも祖母にも伝えたら「一人でもいいから帰る。お母さんがいるところがいい。」と言います。しかし翌日には、私が「おばあちゃんが香川県に帰ったら寂しいよ。」と書くと「ごめん。ありがとう。本当にありがとう。」とも言うのです。


他にも昼夜問わず「ごめんなさい、ごめんなさい」「すみません」「助けてください」「殺さないでー」「脚をくれー」などと突然大きな声で叫びます。数日前は深夜2時にその状況になり、母と対応しました。


このようなことが続いているため、4月の初旬に新たに薬を処方していただきました。興奮状態に陥ったときの頓服です。しかし、その薬は用量を半分にしても副作用のほうが深刻だったので、やめました。その後は、施設で泊まる時は他の薬を夕食後に服用、自宅で雲行きが怪しくなった時はその半分を服用するなどして、祖母が夜寝られるようにしています。


このような日々で、睡眠をしっかりとれず、疲れも抜けず、自分の限界がどこなのかわからなくなっています。普段なら体を動かしてリフレッシュ、温泉に入って疲れをとるなどで対応できるのですが、今の私は「横になってゆっくりと眠りたい。張り詰めている気持ちを休めたい。」というのが望みです。でも、結局のところ、祖母が自宅にいても施設にいても気が休まることはありません。

目の下のクマも日に日に濃くなり、コンシーラーで隠したいのですが、花粉や黄砂の影響でまぶたが赤く、ファンデーションを塗ることすらできません。好きなメイクをできないというのも今の状況下、非常にストレスです。


写真:家族にアイシャドウを塗っていると勘違いされました。写真は光で色味が飛んでいるので、実際の方が赤いです。

話が逸れましたが、祖母が生きてくれていることはとても嬉しいことです。天国に旅立ったら寂しすぎます。でも、それはいつか来る。覚悟をしていなければならないこともわかっています。


祖母はオセロをすれば相変わらず強いですし、コーヒーを飲みながら楽しそうに話し、ケラケラと笑い、洗濯物のタオルは畳んでくれます(少し前までは綺麗に畳めていたものの、今はそうではなくなりました)。やることがある方がいいと言うので、洗濯物はなるべく一緒に畳んでいます。限りある命のなかで、祖母と共に過ごせる時間は、かけがえのないものです。


写真:4/26 オセロ対戦
1回戦:私の勝ち
2回戦:引き分け

しかし、毎日がこのような感じなので、次はいつ更新するか、分かりません。私が祖母に願うことは、穏やかに過ごしてくれたらいいな、苦しくないといいな、楽しくいられたらいいな、です。福祉車両のレンタカーも予約してあるので、祖母とドライブに行くまでの日数をカウントダウンして、お互い楽しみにしています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祖母とソメイヨシノを見た2024年の春。

2024-04-15 21:36:00 | 日記
私のメインブログの方で書いた記事を載せます。よろしければご覧ください。



祖母とソメイヨシノを見た2024年の春。 - 神奈川県川崎市のセレクトショップAmie(エイミー)の代表が綴る徒然日記です。

祖母とソメイヨシノを見た2024年の春。 - 神奈川県川崎市のセレクトショップAmie(エイミー)の代表が綴る徒然日記です。

こんばんは。今週の木曜日に目黒川沿いを通った時に撮った写真です。ソメイヨシノの季節、あっという間に終わりました。こちら☟は車窓から。祖母と見た桜は目黒川では...

goo blog

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祖母とお散歩♩

2024-04-04 11:22:00 | 日記
再び書ける時に更新します。私が「更新しない=祖母が天国に旅立った」とご心配をおかけするのが嫌でブログを休むと宣言しました。何があってもおかしくない状況なので、私の単なる記録としてご覧ください。


では本題に入ります。


一昨日、「早く楽になりたい」と祖母が言った。こういうのを聞くのが在宅介護の辛いところだ。


しんどいだろうな。酸素も3ℓで血中酸素濃度が92〜94くらい。調子よければ97。


そういえば、祖母がずっと「外に行きたい。」「天井を見ているだけ。」と泣くので、手術後、初めてお散歩に出た。祖母、母、私の三世代のお散歩。一昨日は貴重な晴れの日だった。車椅子と祖母を合わせると重さは約80kg。そこに携帯用の酸素ボンベ(これが意外と重い)を肩からかけるのでなかなかの重さだ。ここは私の出番だ。やる気にみなぎる。


勾配のあるところに住んでいるので、車椅子でなくても普段から坂道が大変。それから車椅子移動にとっては玄関の段差が障害だ。時々、施設の方でも力が足りなくて持ち上げられないことがある。しかし、ここまで来たら私は執念でやり遂げたかった。そしたら、玄関の段差は「あら。」と拍子抜けするほど、難なくクリアできた。


道中、上り坂は自分の体重をかけながら押し、下り坂は私が後ろ向きになってゆっくりと降り、祖母が車椅子から滑り落ちないように気をつけた。初めてのお散歩にしては、まあまあの出来だった気がする。自画自賛?



お散歩をして痛感したことがある。それはバリアフリーとは程遠い道路事情についてだ。


歩道や道路は、ボコボコしている箇所が多々あり、時にアスファルトが剥がれていて車輪が穴にハマりそうになった。銀色の排水溝の穴は斜めに進まないと車輪が取られるので注意。さらに歩道で歩みを進めたいにもかかわらず、電信柱が歩道に立っていることで幅を狭めており、車椅子では通れなかった。車道を通らなければならないなんて危険すぎる。これには唖然とした。


そして、ところどころ歩道にも謎の傾斜があり、踏ん張って押さないと車道の方に車椅子が流れてしまうのだ。車もバイクも自転車も「法定速度を守っていますか?」というくらい飛ばしている人たちがいて恐ろしかったし、改造車はただただ騒音だった。


祖母の場合、右脚を切断し、現在は左脚が棒のようになって踏ん張りが効かないため、車椅子に座っていても下に下にとずれてしまう。落ちないように相当気を遣ったけれど、それでも途中で一度、祖母の下に敷いているバスタオルで母と上に引っ張った。


家に帰ると、祖母はまだ帰りたくなかったからグズついたが、そのあとは珍しくスヤスヤと寝ていた。いつもは、ウトウトしてはすぐに起きてしまうので、これはとても珍しいことだった。やっぱりお日様に当たることって大切なんだなと思った。同時にお散歩なら、さほど大変ではないことがわかったので、もっと早くお散歩に出ればよかったと胸が痛んだ。とにかく最近は雨が多いので、せめて曇ってほしい。



そして、夜ごはんの時間。「お散歩がすごく楽しかった。また行きたい。」と言った。


♩指切りげんまん〜
祖母が歌い出し、私と約束した。


夜ごはんもお米、スープ、いちごをパクパクと食べた。祖母が「外に出たあとのごはんはおいしい」と言っていた。桜が満開の頃、介護タクシーを利用してドライブする予定。お散歩は晴れまたは曇りの日に。雨が多く、祖母の移乗用のバスタオルや介護パジャマ、シーツなどを必死に乾かす毎日である。



写真:祖母とお散歩



追伸
3月31日(日)
前日に施設で交換した尿道カテーテルがきちんと入っていなかったので、看護師に来ていただいた。30日の帰宅後、尿パックに尿が排出されておらず、オムツがビチョビチョに濡れているのですぐに気がついた。これが初めてではないので思うところはあるけれど、口にしないで心に留めた。

なお31日は看護師の指導の下、私が左脚を押さえて横に倒してカテーテルを入れていく。痛くて叫ぶ祖母を見ていたら、私が貧血を起こしそうになった。途中でヘルプと母を呼んだが、母も目をつぶっていた。そういえば、母も私も採血時、針も血液も見られないタイプであった🥲
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もう長くないかもしれない。

2024-04-02 12:06:00 | 日記
4/2(火)深夜3時

祖母がごめんなさいと言っていたので見に行った。

顔が白かった。

トントンと肩を叩くと、目を少し開けてうつろ。

なんだか今までと本格的に違うと思った。

そして、初めて祖母の口から

もう長くないかもしれない

と出た。

辛すぎる。

覚悟しなさいと母に言われているけれど、私は感情が入り過ぎていて涙腺が弱々。



ここ数日、急に血中酸素濃度が低くなり、酸素を3ℓにした。

それでも90台前半。

肺も心臓も苦しいだろうな。

満開の桜(ソメイヨシノ)を見に行く約束をしているのに、今年に限って桜遅い。

そして週間天気予報は、ほとんど雨。

自然はいかなるときも容赦してくれないんだよな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする