要介護5の祖母の在宅介護記録。

要介護5の祖母を在宅介護している。在宅介護の記録。

祖母とお散歩♩

2024-04-04 11:22:00 | 日記
再び書ける時に更新します。私が「更新しない=祖母が天国に旅立った」とご心配をおかけするのが嫌でブログを休むと宣言しました。何があってもおかしくない状況なので、私の単なる記録としてご覧ください。


では本題に入ります。


一昨日、「早く楽になりたい」と祖母が言った。こういうのを聞くのが在宅介護の辛いところだ。


しんどいだろうな。酸素も3ℓで血中酸素濃度が92〜94くらい。調子よければ97。


そういえば、祖母がずっと「外に行きたい。」「天井を見ているだけ。」と泣くので、手術後、初めてお散歩に出た。祖母、母、私の三世代のお散歩。一昨日は貴重な晴れの日だった。車椅子と祖母を合わせると重さは約80kg。そこに携帯用の酸素ボンベ(これが意外と重い)を肩からかけるのでなかなかの重さだ。ここは私の出番だ。やる気にみなぎる。


勾配のあるところに住んでいるので、車椅子でなくても普段から坂道が大変。それから車椅子移動にとっては玄関の段差が障害だ。時々、施設の方でも力が足りなくて持ち上げられないことがある。しかし、ここまで来たら私は執念でやり遂げたかった。そしたら、玄関の段差は「あら。」と拍子抜けするほど、難なくクリアできた。


道中、上り坂は自分の体重をかけながら押し、下り坂は私が後ろ向きになってゆっくりと降り、祖母が車椅子から滑り落ちないように気をつけた。初めてのお散歩にしては、まあまあの出来だった気がする。自画自賛?



お散歩をして痛感したことがある。それはバリアフリーとは程遠い道路事情についてだ。


歩道や道路は、ボコボコしている箇所が多々あり、時にアスファルトが剥がれていて車輪が穴にハマりそうになった。銀色の排水溝の穴は斜めに進まないと車輪が取られるので注意。さらに歩道で歩みを進めたいにもかかわらず、電信柱が歩道に立っていることで幅を狭めており、車椅子では通れなかった。車道を通らなければならないなんて危険すぎる。これには唖然とした。


そして、ところどころ歩道にも謎の傾斜があり、踏ん張って押さないと車道の方に車椅子が流れてしまうのだ。車もバイクも自転車も「法定速度を守っていますか?」というくらい飛ばしている人たちがいて恐ろしかったし、改造車はただただ騒音だった。


祖母の場合、右脚を切断し、現在は左脚が棒のようになって踏ん張りが効かないため、車椅子に座っていても下に下にとずれてしまう。落ちないように相当気を遣ったけれど、それでも途中で一度、祖母の下に敷いているバスタオルで母と上に引っ張った。


家に帰ると、祖母はまだ帰りたくなかったからグズついたが、そのあとは珍しくスヤスヤと寝ていた。いつもは、ウトウトしてはすぐに起きてしまうので、これはとても珍しいことだった。やっぱりお日様に当たることって大切なんだなと思った。同時にお散歩なら、さほど大変ではないことがわかったので、もっと早くお散歩に出ればよかったと胸が痛んだ。とにかく最近は雨が多いので、せめて曇ってほしい。



そして、夜ごはんの時間。「お散歩がすごく楽しかった。また行きたい。」と言った。


♩指切りげんまん〜
祖母が歌い出し、私と約束した。


夜ごはんもお米、スープ、いちごをパクパクと食べた。祖母が「外に出たあとのごはんはおいしい」と言っていた。桜が満開の頃、介護タクシーを利用してドライブする予定。お散歩は晴れまたは曇りの日に。雨が多く、祖母の移乗用のバスタオルや介護パジャマ、シーツなどを必死に乾かす毎日である。



写真:祖母とお散歩



追伸
3月31日(日)
前日に施設で交換した尿道カテーテルがきちんと入っていなかったので、看護師に来ていただいた。30日の帰宅後、尿パックに尿が排出されておらず、オムツがビチョビチョに濡れているのですぐに気がついた。これが初めてではないので思うところはあるけれど、口にしないで心に留めた。

なお31日は看護師の指導の下、私が左脚を押さえて横に倒してカテーテルを入れていく。痛くて叫ぶ祖母を見ていたら、私が貧血を起こしそうになった。途中でヘルプと母を呼んだが、母も目をつぶっていた。そういえば、母も私も採血時、針も血液も見られないタイプであった🥲

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