要介護5の祖母の在宅介護記録。

要介護5の祖母を在宅介護している。在宅介護の記録。

人を信じられなくなっていた1ヶ月間。

2024-06-03 21:57:00 | 日記
6/1(土)〜2(日)
祖母は施設で久しぶりの一泊2日。
2日目に祖母が大好きな介護士にお風呂に入れてもらう予定。
☞この介護士だと祖母が喜び、ニコニコ楽しそう。家族の介助も必要なし。この方は最初の出会いからとても丁寧で、耳の聞こえない祖母に一つひとつこれからする作業を筆談して伝えてくれる。祖母も安心感があるようで、こちらも助かる。



祖母が帰宅すると私は以下2点を必ずチェックする。
・筆談ノート
・連絡帳ファイル


様子がよくわかった。以前より、全身状態も悪くなり認知症も進み、目も少しずつとろんとしてきた。そのため、施設からお迎えが来た時もほぼおとなしく行き、概ね施設でも静かに過ごしているようだ。移乗など祖母の体に負荷がかかるときは、痛がり怒るようだ。尿の管も替えてくださったようで、その時は痛みから悪態をついたのかな?と記述はなかったものの想像した。


どこにぶつけているのか、手のあざも新たに作って帰ってきた。高齢になると血管がもろく、すぐに内出血してしまう。帰宅したら手がむくんでいることに気がついた。




この滞在期間、祖母と同郷の看護師が1日目、祖母が大好きな介護士が2日目とシフトの関係でいらっしゃった模様。この2人が祖母のことを決して嫌がらず、疎まず、最もよく見てくれていると感じる。


帰宅後、祖母と話していると施設で泊まったことを時々忘れている。すぐに思い出すが、再び忘れていた。私のことを孫の手で柵を叩きながら呼んだかと思えば、すぐにいびきをかいて寝始める。



それにしても、約1ヶ月ぶりの一泊2日。この1ヶ月で祖母の体調が悪くなったことは、明らかだ。酸素も4.5ℓ〜5ℓ。時々酸素マスクが必要。ドライブはおろか、お散歩も行けなくなった。リビングに行きたいとも車椅子に乗りたいとも言わなくなった。オセロをしていても途中で疲れて横にしてほしいと言う。


認知面では朝、昼、夜がわからなくなった。外が明るくても「まだ夜?」と聞いてくる。夕食後も「ごはんをもう食べたんかな?」と聞いてくる。ちなみに、日にちや曜日感覚は入院時からなくなった。


【ここからは私の思い】
この1ヶ月、食べ物を喉に詰まらせて顔が真っ赤になって吐き出させること、何度もあった。酸素マスクが外れてしまうから、心配で夜も眠れずに何度も何度も戻した。そうこうしているうちに、私は施設で預かってもらうことに対して不安が募った。


もし、誤嚥を気づいてもらえなかったら。

カニューレが抜けていることに気がついてもらえなかったら。
(マスクは外れるのでよっぽど低酸素の時以外は使用せず。)


など。他人を信じる力が喪失していた。施設で何かあったら、私は恨んでしまいそうと思った。祖母が施設を嫌がっているし、暴言も吐くし、私たち家族もスタッフによってはチクリと嫌味を言われることもある。施設に行くと人によっては「祖母は疎まれているんだな、嫌われているんだな」と母も私もそれぞれ感じることがある。そんなことがつづき、祖母の容態が悪い日はもちろんだけれど「祖母に無理はさせたくない」との思いが強まり、私は自分を追い込んでいた。
*施設自体はとてもいいところです。


デイサービスも利用せず、お風呂だけのために行ってすぐに帰らせる。これが祖母の一番の希望でもあるから。祖母は「お風呂も行かなくていい。行きたくない。家のお風呂がいい。」と言うが、機能面で自宅では無理だし、汗でかぶれてすぐに湿疹ができるので清潔にしてもらう方がいい。だから、入浴のみでなんとかやっていた。


私は「祖母や母にくらべたら若いし、肉体的に疲れて倒れてもいいや」とまで思っていた。でも、倒れる前に体が悲鳴を上げ始めた。元々胃腸に来る体質なので、とにかく胃腸の調子が悪く、倦怠感も出てきた。常に疲れている。それから睡眠不足。


でも、私は祖母を施設に預けることが色々な意味で悪いような気がしたし、もし施設で何かあって施設で祖母が旅立ってしまったら母は後悔しないのか、素直に母に聞いてみた。ちなみに、母はこの1ヶ月の間も預けようと言っていた。「祖母だけでなくそれぞれに生活があるから」と。正論だと思う。


そして母は「現状、やれることはやっているから、もう後悔はない」と言っている。そのように自分を納得させて、気丈に振る舞っているようにも見えるけれど。。

でも、祖母の娘の母が今回はそう言うのだから、私も施設とスタッフを信じて、祖母の一泊2日をお願いした。私は祖母のことも考えるけれど、母が後悔なく祖母を天国へ送り出せることも大事。祖父(母の父)の時は、心残りがあったようで一層のこと、母の気持ちを考えてしまう。先日も書いたように時々、母と介護でぶつかってしまうけれど、まずは母の意思を最大限に尊重したいと思っている。


一泊2日の間。私は朝10時ごろまで寝て、ゆっくりと起き上がってボーッとしていた。そして、久しぶりの場所に気分転換にも出かけた。1日目にいたっては、後ろの時間を気にしなくていいので、何時までに帰らなければという縛りがなく気も楽だった。ただ、やっぱり祖母が大丈夫かは心配だし、どこか落ち着かないのは祖母が旅立つまでつづくと思う。それでも、束の間、体と心を解放できた。


祖母の病状についていえば、間質性肺炎は徐々に祖母の体を蝕み、認知症は急速に悪化。私も初めてみる祖母の姿に頭が追いつかない。でもたしかなのは、祖母が「あーみーちゃん」とずっと呼んでいること。コーヒーを淹れると喜んでくれること。スイカをおいしそうに食べること。オセロをしようと言ってくること。


自分だって完璧ではないのに、人を信じられなくなるくらい介護は追い込まれるんだなと身をもって知った。在宅介護、介護、認知症、これらのキーワードに最近はものすごく敏感である。


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