要介護5の祖母の在宅介護記録。

要介護5の祖母を在宅介護している。在宅介護の記録。

今日の正午過ぎまでの時系列。

2024-02-08 19:43:00 | 日記
2月8日(木)
・朝7時 パルスオキシメーターで血中酸素濃度を測ると91。低い。酸素を1.5リットルから1.75リットルに上げる。

・オムツ交換

・朝食はちらし寿司、鯛の照り焼き、豆腐のお味噌汁☞魚を少し残したものの食べた。




・11時 血中酸素濃度95〜96
カフェオレ完飲。
・12時 オムツ交換
・12:20〜お昼ごはん 
軽めに入れた茶碗一杯分のちらし寿司と大きめの苺4粒、メイバランス1本☞完食

引き継ぎ、私は外出🏃‍♀️🧳

【メモ】
・祖母の体調は良くない
☞覇気がなく元気もない
・血中酸素濃度が低い
・右脚は幻肢痛
・お水はよく飲んでいる
・祖母のメンタルが特に夜、不安定
☞退院時には想定していなかったことで、対応するのが大変。


✍️TO DO LIST
(私が忘れないためのメモ)

・ペットボトルのお水を買って帰る
☞雪の影響で次に届くのが遅くなった
・帰宅したら祖母の爪を切る
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祖母の体調が悪い。

2024-02-07 18:55:00 | 日記
昨日、祖母は凍結する前に施設の車で送ってもらい帰宅した。そして、昨日から祖母の体調が悪い。食欲もない。胸のあたりが苦しいとのこと。色々と家の機器で測定するも数値は、ほぼいつも通り。様子を見るしかない。


傾向として施設から帰ってくると、疲れていることが多い。気疲れ、不眠、食欲不振など慣れない場所での生活は負担なのだと思う。それから最近、祖母は精神的にしんどそうである。実は、ブログの記事にするのが追いつかないほど、毎日めまぐるしく色々なことが起きている。


元気がなく苦しそうなのを見ているのは辛い。感情移入しすぎないようにした方がいいそうだ。肝に銘じる。

写真:2024年2月3日
元気だった。




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祖母から学ぶこと。

2024-02-03 14:11:00 | 日記
祖母と一緒にいる時間が長くなって、気がついたことがたくさんある。特に「物を大切にする」こと。

①痰が絡んでどんなに苦しくても、ティッシュを1枚(正確には1組)ずつしか使わない。
☞私が一度に2枚(2組)渡すと、もったいないと言う。苦しいのにもかかわらずだ。

②祖母は裁縫をするのだが、糸も最後の最後、短くなるまで使う。☟特に左側は残り2cm程度。



③木綿糸を巻きつけている用紙(少しだけ厚手)は、私が以前もらった化粧品のサンプルの紙だ。こういう使い方ができるのか・・・。



④裁縫をしていると、針を髪の毛にもっていき脂をつけて摩擦をなくしている。
☞昔話に出てきそうな世界観を令和6年に目の前で見ていることに胸打たれた(感激)。


⑤脚を切断したためベッドから自分では動けない祖母に「そこの箱を取って」と言われて中身を開けると、フェルトや布の切れ端、折り畳んだティッシュ、綿棒入れの丸いケース、牛乳パックを洗って乾燥させた後に切った型紙などありとあらゆる物が出てきた。
☞私だったら捨てているものばかりだった。

など。これはほんの一部の例だ。

そして私は思った「自分がなんだか偽者のような気がする」と。SDGs、エコ、リサイクルなど色々な言葉をこれまで並べてきたが、自然にできている人がいるんだと。しかもこんなにも身近にいた。

川崎市はゴミの分類でミックスペーパーの日がある。私が家の紙袋に捨てた綺麗な紙の箱を祖母が取っていたことがある。以前は「そんなことしないでよ」と思っていた。でも、今となっては、その紙箱ひとつに祖母の知恵や経験が詰まっている気がして、そのとき怒った自分を恥じると共に祖母に対して申し訳ない気持ちになった。


祖母はよく「昔は貧乏でモノが無かったから」と言う。たしかに祖母は戦争を生き抜いた一人だ。私は人から見たら介護を「している」立場ではあるけれど、「介護」も含めて祖母からアイデアや生き様、人生など色々と教えて「もらっている」のだ。
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【時系列】血圧が高くなって錯乱状態に陥った日。

2024-02-02 10:08:00 | 日記
1月30日(火)
この日、私はオフ。祖母と長い時間を過ごした。朝ごはんの提供までは母が担当し、あとは私にバトンタッチ♩


11時:祖母が楽しみにしている珈琲タイム☕️
→香りも楽しめるように祖母の前でドリップでコーヒーを淹れることにしている。「いい香りだねぇ☺️」と言って二人で楽しむ。コーヒーのおともは、ひなあられ。


11時30分:祖母の手芸時間 
☞針や糸を使って縫い物。針の管理は私がきちんとする。その間、お昼ごはんの用意。




13時:少し遅めのランチ
☞一緒に食べることを心がけている。炊き立てのごはんにふりかけ、カボチャの煮物、お豆腐のお味噌汁、アロエヨーグルト。大したものはないけれど、祖母は喜んで食べてくれる。「1人やなくて、一緒に食べるとおいしいね〜」とも。

☞お昼の薬を服用し、口内環境を綺麗にしてお互い休憩。食欲はあり完食する、SpO2も大丈夫。しかし、いつものことながら脈が速い。祖母の息がハアハアしているので、「横になろうね」と書いた。


15時:オムツ交換後、再び手芸🧵

16時:遅めのおやつタイム🍓
☞祖母が好きなもの、イチゴ、バナナ、ヤクルトなどをたくさん並べて、一緒に食べる。バナナは食べなかったので、イチゴとヤクルト。それから祖母が希望するホットミルクティー♩


18時30分:夜ごはん
☞この時もメニューは別だが一緒に食べた。祖母は魚、私は肉。祖母の食べるスピードが速くて、何度も「ゆっくり、よく噛んで、食べよう」と書いた。呼吸も速い。少し嫌な予感がする。それでもデザートのポンカンまで完食。

オムツ交換と清拭、着替えなどをしようと思っていた矢先、

21時前:祖母に呼ばれた。様子がおかしい。まず「綿棒が欲しい」と言われ渡すが、心臓のあたりをさすって苦しいという。体温やSpO2は大丈夫、でも血圧が高かった。

1回目:195-105

2回目:154-104

さらに、急に「歩きたい、歩きたい」と言ってベッドの手すりを握り、起きあがろうとする。

「足を切ったのを知ったのは自分が一番最後だった」
「自分で座れたらいいのに」
「せめて膝があれば義足をつけられるのに」

など、ありとあらゆることを矢継ぎ早に言う。錯乱状態のようだった。その間も涙を流しながら、呼吸はひどく荒い。


そのあと、しばらく一緒にいた。夜も更けてきて付き添っている私に「悪いな」と言う。私は朝か夜かでいえば、断然、夜の方が得意なので大丈夫。「大丈夫よ、ババ抜きする?」と言ったら「する、する!!」。温かいくず湯を入れ、二人で飲みながらババ抜きタイム。気を紛らわせるのにババ抜きが功を奏した。精神状態は落ち着いたように見えた。


深夜1時25分
3回目の血圧測定
170-109


まだ高いなと思いつつ、祖母も横になりテレビを見始めたので、私も眠りについた。祖母の声が聞こえる位置に布団を敷いて寝ている。そして朝。

1月31日(水)
オムツ交換をしたのち、朝ごはん
血圧は135-86 良くなった。


7時:朝ごはんの際、上体を起こすと祖母が寒いという。電気毛布を少し強くし、暖房もつけた。体温は左側が37.4度、右側が37.1度。呼吸は前夜とは比べ物にならないくらい落ち着いている。様子を見ることに。


10時:今日は施設で一泊2日でお風呂に入れてもらう予定。ただし、いつもより体温が高いので施設に電話し、看護師が来てくれることに。熱も36.4度に戻っていて、落ち着いている。

11時30分:血圧も正常で118-79。大丈夫との判断で施設に行かせてもらうことに。今日は穏やかに出発♩




【メモ】
・その後、私は2回様子を見に行った。落ち着いていて安心した。そして、2月1日の19時過ぎ、無事に一泊2日の滞在を終えて帰宅した。祖母が好きなスタッフさんにお風呂も入れてもらって気持ちよかったそうだ。


・1月30日(火)の夜
血圧が高いし、呼吸が非常に苦しそうで恐ろしかった。私は寄り添うことしかできない。在宅介護を始めてから、常に生と死と向き合っている感じ。特に死と隣り合わせの生活。覚悟はしているつもりでも、どのようになるか分からない最期を看取るというのはやっぱり怖い。


・1月31日(水)
看護師を通して医師に高血圧の薬の処方がオーダーされたはず。祖母曰く、施設に医師も来て、血液検査も行ったようだ。祖母の腕は血管が見つけにくいそうだが、この日は痛くなかったと言っていた。



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