エントリーは、刺激的だ。
西欧が長い期間をかけて達成した近代化。
近代的な個人の成立。
日本もやっと今、そのフェーズに
さしかかっているのだという。
夏目漱石は、どこかの講演で、
日本人は100年たっても今のままだろう
というようなことを言っていた(と思う)。
第二次世界大戦前には、
「(西欧)近代の超克」という運動もあったのだが、
省みればたしかに、日本が精神的な意味で「近代化」
したことは、未だ無かったのかもしれない。
心のどこかで「お上」を頼り、
心のどこかで「お上」をなじる。
年功序列を守り、
家族的なつながりを重んじる。
公務員の天下りが問題にされているが、
大企業だって、子会社をたくさん持ち、
本社で出世に破れた人がそこの役員に
下ってきたのだ。
あるいは、大企業からいわゆる公益法人に
天上がる人も多かった。
こうした、もちつもたれつの雇用慣行が、
日本の巨大な中流層を支えてきた。
しかし、それではもう戦えないのだ。
この変化と、世界の地政学的な変化、
すなわち、中国とインドの台頭とが
重なってしまったのが、
日本の経済的な収縮を加速している。
長期的な関係に寄りかからず、
短い契約を重ねてゆくしかない社会。
絶えず、評価と選別にさらされる社会。
全体が膨張していれば、それでもまだ
余裕はあるわけだが、全体が収縮している中で
厳しい選別が起こるとなると大変だ。
何かひとつかふたつ、他人から頼りにされて、
他人に教えられるくらいのレベルの技術を持たないと、
相手にされない時代が来るのだろうか。
働き者のプロフェッショナルにとっては生き易くても、
怠け者で凡庸な人間にとっては、生きにくい社会だ・・・
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