日々の寝言~Daily Nonsense~

小平奈緒さんの「知るを愉しむ」とスピノザの哲学

このところ、國分功一郎さんと
千葉雅也さんの本を
いくつか読んでいる。

きっかけは、amazon で
お二人の対談を本にした
「言語が消滅する前に」を
お薦めされたこと。
偶然であり必然だ。

「言語が消滅」?
と思ってちょっと興味を持って読んだら
割と面白かった。

しかも、昔読んで、投げ出してあった
ドゥルーズなどのフランス現代思想の
解説にもなっていたりする。

それで続けて、國分さんの
「暇と退屈の倫理学」
「はじめてのスピノザ」
千葉さんの「現代思想入門」
を読んだ。

「中動態の世界」も読みたいのだが、
残念ながら、Kindle になっていない。

それぞれの感想はまた書くとして、
今日は「はじめてのスピノザ」を読んでいて、
小平奈緒さんの「知るを愉しむ」
を連想したということを書いておきたい。

スピノザは、名前は知ってはいたが、
そもそも「倫理」にあまり興味がなくて、
「エチカ」も手に取ったことすらなかった。

そういう入門(の入門)者にとって
「はじめてのスピノザ」の
國分さんの解説はとてもわかりやすく
(分かりやす過ぎるのが難点かもしれないが)、
とてもありがたい。

著者のわかりやすく書こうという強い意志が
行き届いていて素晴らしい。もちろん、
行き過ぎると説経臭くなってしまうのが
難点ではあるが。

こういう雰囲気は、外観も含めて、
ちょっと、齋藤 孝さんを
連想させるところがある
(実際にお会いさいたら
全然違うかもしれないが)。

スピノザは、17世紀のオランダの人で、
フェルメールなどと同時代人だ。

17世紀は、近代の国家や
科学、芸術、哲学といった
インフラ、枠組みが作られた時代で、
スピノザの少し年上に、
近代哲学の祖であるデカルトがいる。

デカルトの哲学が、心と身体、
主観と客観を分離することで、
近代科学、近代の思考の OS
の基盤になったのに対して、
スピノザの哲学は別の OS、
「ありえたこもしれない、もうひとつの近代」
を示す哲学だという。

「エチカ」で語られているのは、
「人間の自由」についてなのだ、
というのも既に目から鱗だが、
スピノザの「自由」とは、
「自分に与えられている条件のもとで
自分の力をうまく発揮できる状態」
というなのだ。

私たちはみなすべて、神である宇宙の一部、
神の属性を表現する様態なので、
その可能性を最大限に発揮することが「善」である、
という考え方が基本にあるという。

ここからして、既に、小平さんの
「(スケートにおいて)自分の身体の
可能性を最大限発揮させる」
という考え方と近いものがある。

そして、人をより自由にするためには、
実験(試行錯誤)を重ねる中で、
自らの身体の必然性(条件)を知るとともに、
自分の外から多くの刺激を受け取れるように学び、
その中から自分にあう刺激の組み合わせを知り、
自分の可能性を拡張してゆくことが重要、
ということになる。

「賢者とは楽しみを知る人、いろいろな
物事を楽しめる人のことです」

これはまさに「知るを愉しむ」
そのものだ。

小平さんはスピノザを
読んでいたのだろうか?

そうは思えないので、
親しい人の影響なども含めて、
自分で考えて、同じところに
至ったのではないかと思う。

「小平奈緒、スピノザ」
で検索しても何も出てこないので(笑)、
ご本人に聞いてみたいところだ。

「はじめてのスピノザ」では
このほかにも、自由意志の問題や
真理やエビデンスの問題、
などがわかりやすく解説されていて面白い。

その中で、AI についても
ついでに触れられているのだが、
そこの議論でちょっと気になった
ことがあった。

「自分がなく、他者感覚や身体も、
欲望もない現在の AI が人間に近づくことは
できない」というのはそのとおりだし、
「人間がアルゴリズムのように扱われて
人間の AI化が起こっている」
という懸念も重要だと思うのだが、
「そもそも「自分」をもつとは
どういうことかについて理論が確定
していないので、人間がそれを AI に
搭載させることもできない」
という部分は、よくある誤解だと思う。

今の AI はデータ(経験)からの学習
をするので、理論が確定していなくても、
大量のデータで学習させることで作れてしまう、
というのは、ChatGPT などのシステムが
示しているとおりだ。

國分さんが、現在の生成 AI について
どう考えられているのかは
興味深いところだ。

ChatGPT には哲学はできるのか?
できないと思うが、
哲学の道具としては使えるのか?

それにしても、スピノザや 1990年代の
フランス現代思想がまた復活してきているのは、
「近代のインフラ」の問題点が、
何度目かに顕在化している
ということの表れなのかもしれない。

こうしたときに、小平さんの
「自由さ」は一つの希望に
なり得るのではないだろうか?
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