バス放火事件の被害者の女性を
取り上げていた。
被害者の気持ちは
わかってもらえない。
「大変でしたね」という言葉の裏に、
自分でなくてよかった、
という気持ちがみえる。
「(傷が小さくて)幸運でしたね」とか
「良かったですね」というような言葉は、
自分でそう思うものであって、
人から言われたくはない。
ぎりぎりのところでの
コミュニケーションの難しさ。
それはほとんど不可能にも思われる。
事件の被害者でなくても、
がんなどの病気にかかった知人に、
どんな言葉をかければよいのか
悩んでしまうことは多い。
だから、本当は、だれでも、
そういうぎりぎりのところで生きているのだし、
お互いがわかりあうことなど不可能なのだ。
それでも、伝えようとする、
誰かとつながりたいと思う。
お互いを傷つけ、
傷つけられながら。
必死になって、
「つながったかのような気持ち」
を求めてやまない。
私たちはそういう生き物だ。
最新の画像もっと見る
最近の「雑感」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事