同じく Eテレでやっていた
欲望の経済史の第1回も視た。
タイトルは「利子の誕生」。
以前にも少し書いたが、
ずっと昔、高校生の頃から、
「利子を取る」というのは
どうして許されるのか?
というのが疑問だった。
お金を貸すだけで、何もせずに
利子がもらえるというのは、
不合理な感じがして、不思議だったのだ。
番組によると、利子の起源は古く、
メソポタミア時代にも遡れるという。
人間の割引率、つまり、
現在の1万円のほうが、
未来の1万円よりも価値が高い、
ということから来ているので、
それは自然だとは思う。
しかし、多くの宗教では、
高い利子を取ることを禁じているという。
これは我が意を得たりと言う感じ。
たとえばキリスト教は
全面的に禁止。
ハムラビ法典は
高い利子は禁止。
おもしろいのはユダヤ教で、
ユダヤ人同志では禁止だが、
異邦人には構わないらしい。
だから、ユダヤ人は
高利貸の代名詞になっているのか・・・
そうした禁止をかいくぐって
莫大な富を蓄積したのが
イタリアルネサンスのスポンサーでもあった
メディチ家だということだった。
空間の差を利用して、
多国間の資金の移し替えによって、
利子とは見えない形で
上手に利子を取ったらしい。
ふーむ・・・
その結果として、今みんなが感動している
芸術作品が生まれたわけなので、
富の集中には良い面もあるのだが・・・
ある程度は変化がないと、
完全平等では熱力学的な死だが、
やはり程度というものがあるのだろう。
でも、「みんなの資本論」と同じで、
すぐにそれを超えて暴走するような
仕組みになっているのが問題ということだ。
好循環があれば、悪循環がある。
好循環ができるということは、
悪循環が起こるということでもある。
どちらかを防ぐということは
できないのだろうか?
「お金2.0」を読んでみようかなぁ。
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