日々の寝言~Daily Nonsense~

【宮台真司×波頭亮】現代社会をRethinkせよ。

前篇:【宮台真司×波頭亮】現代社会をRethinkせよ。


後篇:【宮台真司×波頭亮】現代社会をRethinkせよ。


YouTube のお薦めから。

宮台さんの「クズ、ゴミ」は
心が痛むが、この対談は
ホスト側の佐々木さんや波頭さんやの
影響もあってか、
比較的建設的だ。

一言でまとめれば、波頭さんの
心が通った交流のない人生は
生きる価値があるのか?

あるいは、宮台さんの
閉ざされから開かれへ!
ということに尽きる

以下は見ながらのメモ
他の動画からのものも
入っているかもしれない

ーーー
安全・安心・便利が前提になると個が孤立する
そうでないは場所で、連帯が必要になる

大人が仲が良く、多様な出自の子供がいる
環境でないと、感情の交流を学習する場がない
人を育む共同体が消えている

所属集団の中で戦ってポジション
取りをすることが最大価値になっている
子供に、勝ち組になれ、と言って、
AI以下の人間を育ててしまう

近代の公は、内外ともの基盤を守ること
日本は内輪だけで、市民社会的公がない
日本には社会はないが世間があった(柳田国男)
袖すり合うは多少の縁
それがなくなったので、三島由紀夫が言ったような
キョロ目ヒラメの意識高い系だらけになっている

エロス・セックスから
「超越」を考えられるのは
基本的には女性

経済指標の前に社会指標
家族の空洞化と自尊心の低さ
近代の本質は、自己決定権(と恋愛)のはずだが
日本ではそれがどんどん減っている
それにもかかわらず自己責任ばかり言われる

欧米では、自己決定して、
失敗したら公的救済がある
今やアメリカよりも人間性が忘れられている

既得権益を防衛して、
それ以外はゾーニングと分断させることが
政治や社会の最大の優先事項になっている

相手が悦ぶのを悦ぶ、健全な贈与と交換が失われて
贈与が上から目線になっている
母親の自己愛の投影でしかない供与が多い

GIFT のもともとの意味は毒
受けたままだと負担になるので反対贈与がある
しかし、それはまた
それは人を愛する力、幸せにする力でもある

贈与は交換ではない
一方、交換は瞬時に対等性を回復する
今行われている交換契約は地位の優越に結びついている
マルクスの資本論では労働者は奴隷よりも悲惨とされている
奴隷は使いつぶされなかったが、労働者の替えはいくらでもいる

アダムスミスの道徳感情論
市場が見えざる手を働かせる前提は、
Sympathy と Fellowfeeling(仲間意識)があること

ルソーの政治論 民主制がうまくゆく前提は、
ある決定で他の人がどうなるかが気にかかる
=ピティエが働くこと

マルクスは、資本主義の下では
Sympathy と Fellowfeeling が
必然的に失われていくと主張した

資本主義には外部がなくなる
すべてが商品化、市場内化される
→ アソシエーショニズムを唱えた

汎システム化、市場内化によって
人間が感情的に劣化することは
19世紀に言われていた。
そのとおりのことが起こっているだけ

資本主義、民主主義ともに、
人間性にもとづいて成り立つが、
それ自身が人間性を侵す、
非人間化してゆくという逆説

マックスウェーバーの鉄の檻
単に損得、食えるか食えないかで
右往左往する末人しかいなくなる
鬼滅の刃の鬼と同じ

コロナ対策に対するアガンベンの問いかけ
ロックダウンに従うな
生きているだけでいいのか?尊厳のある生が必要
不要不急のことが尊厳を支えている

Honesty は多数を取ったものが、
意見の違いを踏まえたうえで
相手の眼を見て協力を願うこと
理解と同意を分けて、理解はできないが、
意見は違うが、従ってあげようと考えられることが重要

村とお上を頼るキョロ目とヒラメの自粛警察化が
日本の劣化をよく示している

共同体=同じ世界を生きている
アソシエーション=共同利害を共にする
これらに対して、全人格的アソシエーション
=同じ世界を生きていると感じられる

感情の劣化から回復しようとする
性愛する能力、絆をつくる能力を
高めようとする活動をすると
そのこと自体に排除されたと感じる人たちが
とても増えている

リア充攻撃的な人々
委ね、明け渡しを拒絶する人がとても増えている

話をするのは知り合い
悩みを話せるのが友達、
悩みに一肌脱ぐのが親友

焚火を囲むのは同じ世界を生きている感を作る
線香花火をみんなで見守るのも同じ
火を囲むことの重要性、マントルピースの必要性

決まりを破ることで同じ世界に入る
若いときのリビドー
→性愛経験
→愛に至るというパスの回復が必要

男のほうが早く感情劣化する
まともな男は貴重な公共財

コスパやリスクマネジメントを
考えるなら恋愛より風俗になるのは当然

遊動社会にはお祭りはなかった
定住によって、生きるためには
規範、損得、言葉に従うことが必要になった

その外に出るためのものがお祭りと性愛
閉ざされから開かれへ

人間にも閉ざされない
アニミズム的な感受性、
おてんとうさまが見ている
という感受性も貴重

下を向いてスマホだけ眺めて
誰の視線も感じない状態で
まともに育ち、生きられるわけがない
ーーー

実践、行動できているかは別として、
基本的には同意できることが多い

しかし、こういうことを話すときに、
柄谷行人さんについて一言も触れない
というのは何かあるのだろうか?
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