宮台真司、雨宮処凛、中島岳志が
選挙の争点について対談していた。
その中で、司会役の宮台さんが
言っていたのが「小さな政府と大きな社会」
宮台さんは「「小さな政府」でないと
駄目ということは30年前に
結論が出ている。」と断言している。
富の分配を誰がするのか、
という問題についてはそうだろう。
官僚にせよ、政治家にせよ、
選ばれた少数のエリートが、情報を独占して
意思決定を行える時代は既に終わっている。
社会システムは複雑すぎて、
かつ変化が速過ぎるのだ。
地方分権、と言っても、
たかだか知事のレベルに権限が
降りるだけでは、何も変わらない。
かえって悪くなる可能性もあるだろう。
東京を見ればよくわかる。
自由な市場における自由な競争による
超分散的な情報処理が、
その複雑さと変化の速さを支えている
わけだが、問題は、それだけでは
うまくゆかない部分があるということだ。
自由市場以外に「大きな社会」を支えるための
具体的な仕組みが見えていない、のが問題だ。
宮台さんが言うように、
社会のすべての人が「任せる」のをやめて
自分で意思決定を「引き受ける」
ことが必要なのだろうが、
そんなことは本当にできるのだろうか?
自分の物を買うときにはみんなやっている、
これは高過ぎるだろう・・・とか、
これはお値打ちだ、というような判断を、
道路を作ったり、公共施設を作ったり
というときにもできるのだろうか?
すべての政策を、
関係する人のオークションにかける?
その事業に、いくらなら
税金をつぎ込んでもよいか?
でも、自分のお金でないと、
やっぱり真剣さに欠けるだろうし、
自分の買い物だって後悔でいっぱいなのに、
そんなことまで到底考えてはいられないような気もする。
誰かプロフェッショナルに
任せてしまいたい気持ちになる。
それが分業というものでは?
しかし、その一方で、それをしないで、
「世の中良くしてくれ」
「景気を回復させてくれ」
「仕事をくれ」と人任せに言っていても
らちが明かないような気もするのだ。
対談は尻切れで終わっているが、
中島さんの言うように、
顔を見て「任せられる人」を選べば良い、
ということのようには思えない。
しかし、その一方で、
人任せにしない、というのも
あまりにも無理では、
という感じもする。
たぶん、どこかに
バランス点があるのだろう。
人間にはやはり、
複雑な意思決定が得意な人と
そうでない人がいるはずだ。
少数のエリートが意思決定する
(政治家だろうと官僚だろうと)
のが効率が悪いのと同様に、
全員が意思決定する、
というのもまた効率が悪いだろう。
社会の中にたくさんいる
複雑な意思決定が得意な人に、
できるだけ適切に意思決定を任せてゆけるような
仕掛け(社会ルール)が必要なのだと思う。
オープンソースのように、
何か、ネットやITを使った
うまい解決は無いのだろうか・・・
amazonが象徴するように、
ITの発達によって流通は中抜きされているのだが、
政治(情報の流れと意思決定)、
経済(金の流れ)も、やがて
中抜きされるということはあるのだろうか?
宮台さんが、大きな社会の実現のためには、
教育も含めて、良いファシズムも必要かもしれない
というときには、「民主主義もファシズムだ」
というようなことがあるのだろうが、
教育のレベルから作り直さないと
なかなか難しいと思う。
そういうことも含めて、やがて、
10代でネットを使って人を集めて
起業する、というようなことが
ごく普通になってゆくのだろうか?
日本には、いや、世界には、
それだけの力がまだ
残っているだろうか?
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