高校野球鳥取大会の出場を辞退した
というニュースがあった。
陽性になったのは、選手ではなく、
野球部関係者でもなく、学校関係者、ということのようで、
現場の方々の気持ちを思うと、
かなりやりきれない・・・
他の県では、感染者が出ても、
いろいろな大会に参加している事例もある
というコメントが多くあったが、
感染が判明したのが 7/16 で、
7/17 には試合が組まれていたらしい。
推測に過ぎないが、
選手や野球部関係者への迅速 PCR 検査のようなものは
済ませても、結局、時間が足らず、
鳥取県高校野球連盟などが定めた
学校関係者の感染が確認された場合の規定
をクリアできなかったということなのかもしれない。
だとすると、どんな規定だったのだろう?
それは全国共通だったのだろうか?
といったあたりが気になるが、
詳しくは報道されてはいない。
今後も同じことが起こりえるので、
結果的にみれば、この事前に決めた規則が
厳しすぎたのではないか?
ということは、もっと検証されても良いと思う。
事前にいろいろなリスクを考えると、
どうしても厳しくなりがちなのだが、このことは、
過剰なコンプライアンス意識などとも共通して、
今の日本社会の在り方を象徴している感じもする。
リスクをゼロにしたがる、
リスクを許容できない社会。
積極的な挑戦でも失敗すると辞職、
ドロップアウトで、
セーフティーネットは最低限、
敗者復活もあまり支援されない。
結果的に、誰もリスクを取りたくなく、
杞憂に杞憂を重ねて失敗しない人が
組織の中で消去法で昇進してゆく。
不祥事が無いことが称えられ、
そのために失ったコストは評価されない。
結果的に、不祥事は隠蔽され、
あるときに一気に噴き出したりする。
と言う印象が定着している。
リスクが取りにくいということは
挑戦しにくいということだ。
最近でこそ、また若い人の起業やスタートアップ指向が
盛んになっているのは良いことだが、
いわゆる大企業が没落した結果であって、
社会全体としてリスクを取りやすくなっている
というわけではなさそうな印象だ。
もちろん、リスクは小さいほうが良いのだが、
今のように、社会のあらゆる面で不確実性がとても高くなっている場合、
リスクゼロではなく、コストに見合ったリスク管理
という考え方を社会に根づかせることが必要だ。
そして、それは、個人に背負わせる責任のあり方と
密接に関連している。
大航海時代に生まれた「保険」の考え方が世界を変えたように、
何か新しい仕組みが必要なのだろうか?
追記:どうやら、出場できるようになったようで、
とりあえずは良かったと思うけれども、
根本的な問題は残っていると思う。
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