国立大の研究費、競争ばかりじゃだめだ、
格差拡大反対キャンペーンの一種。
研究費には、ごはん(日常的なもの)と
おかず(プロジェクト的なもの)がある。
独立行政法人になって、交付金が減らされていることもあり、
ごはんのほうも、選択と集中で、競争的になってきているが、
それでは、プロジェクトの種も生まれなくなる、というもの。
まっとうな主張で、
これ自体は珍しいものではない。
実際、研究者の世界でも、
富めるものはますます富み、
お金が取れない人はジリ貧、という二極化が
起こっているのは、韓国の「黄教授」の件などを
見ても事実らしいし、その弊害は確かに大きい。
スポーツや将棋の世界などでもそうだが、
頂点を高くするためには、広い裾野が必要で、
最初から競争的過ぎては、育つものも育たなくなってしまう。
問題があるとすれば、大学の研究者には引退制度、
あるいは、セカンドキャリアが無い、ということだろう。
創造性は通常、年齢とともに衰えてゆく。
日常研究費だからといって、一律に配っていては、
本当に研究能力が少なくなった人にも配られることになる。
それでもよいくらい少額にする、というのでは、
これから新しい発見をするべき若い人たちがかわいそうだ。
家が貧しくなったら、ごはんは将来ある若い人に優先して回し、
年寄りは遠慮する、というのがあたりまえであるように、
自然に、若い人たちに多めに配るようにするのが
良いと思う。
それと並行して、将棋界でも言われているように、
教育(普及)専念型や、研究支援に回るなど、
研究から早めに引退した後のキャリアパスを作って、
せっかくの能力を社会的に有効に活用することが必要だと思う。
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