佐々木俊尚さんの Twitter
「日本人はなぜリスクをゼロにしようとするのか」
へのコメントのエントリーがあった。
そこでは、日本人は協調行動を重んじるので、
それを妨げるノイズ=一部の人のリスクテイク、
は常にゼロに近いレベルにしておきたいのだ、
と論じられている。
当たっているように思う。
そして、リスクテイクが稀なので、
そのための経験や知識やシステムが
蓄積されず、リスクテイクするリスクが
さらに大きくなっていると思う。
しかし「リスクをゼロにしようとする」
というのは言いえて妙だ。
「リスクを取らない(取れない)」
という表現よりも的を得ているように思われる。
お役所の過剰規制は「リスクをゼロに」の典型だし、
「無駄ゼロ」もまた、同じ思考形態に見える。
1円の無駄を無くすのに
100円使うようなことが
実際に行われたりしている。
全体としてのコスト-ベネフィットを考えて
そこそこのところで妥協する、
という形態がなぜ取れないのだろう?
コストーベネフィットで柔軟に考えるためには、
いちいち上位の階層まで情報を伝えて
判断していてはやってられないので、
現場に近いところでの判断が必要だ。
それができていない。
「これくらいいいよね」
という相場感的な判断は、
どうしても不公平や不均一を生みやすい。
そして、日本人は、そういうある種の
「不公平」に関して、とても敏感だと思う。
「あの人たちだけずるい」
というような・・・
そういう文句が出るのが面倒なので、
規則は一律適用になり、
結果、過剰規制でみんなが損をする。
一部の人が多少いい目を見たとしても、
それで全体のパイが大きくなって、
自分の取り分も少しは増えるのなら許容しよう、
というふうになぜならないのか?
個々人が普段から、全体的な構造や、
その中での相場感を身につけるように
訓練されていないためと思われる。
とすれば、結局は、文化と教育の問題か・・・
最初の問いへの答えは、
「リスクをゼロにしたがるから、
リスクをゼロにしたがるんだ。」
ということになる。
この悪循環を切るには、
かなりの衝撃が必要で、
明治以来100年以上たっても
変っていないのだから、
そう簡単には変らないだろう。
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