京都旅行最終日。朝食後、朝一番で向かったのは「東寺」
#1年以上掲載遅れて、、漸く最終日(^^)
朝5時から参拝可能な世界遺産です。
正式名称は「教王護国寺(きょうおうごこくじ)」
794年 平安京遷都の際、朱雀路を中央に「東寺」と「西寺」が設立され
その名の通り、「東寺」は東日本を「西寺」は西日本を守る役割が与えられているとか
(王城鎮護ってやつです)
823年に嵯峨天皇は、唐で密教を学んで帰国した弘法大師空海に、東寺を託します。
これ以降東寺は空海の説く「真言密教」のお寺として今に至ります
敷地の南側、堀に沿って進んでいくと 佇んでいる生き物が、、
我々が段々近づいて、写真を撮ったりしている間もピクリとも動きません。何かを悟っているのか、、
鳥を横目に「南大門」正面に到着。
東寺の正門で、慶長6年(1601年)に三十三間堂の西門として建てられたものを
明治28年(1895年)にここに移築したんだとか。
例によって、中は撮影禁止なので文章中心で、、
【金堂】
東寺が創建されて、最初に作られたのが金堂。桃山時代の代表的な建物で
オリジナルは1486年に焼失。いまの建物は、関ヶ原の合戦後に落慶(新築)された物。
ご本尊は薬師如来。これを中央に右側は、日光菩薩。左側は、月光(がっこう)菩薩。
これらの仏像も1486年に焼失してしまい、その後桃山時代を代表する仏師、康正(こうしょう)により復興
東寺が空海に下賜された823年(弘仁14)までには完成していたらしいのですが密教だったら
普通は大日如来が本尊のはず、、空海に託される前に作られたことが分かりますね。
【講堂】
東大寺の敷地の丁度中央に839年に完成。空海のプロデュースによる立体曼荼羅が壮観。
こちらも1486年に金堂、南大門などとともに焼失しているのですが、5年後には再建され今に至る。
立体曼荼羅は、大日如来を中心に五智如来(5体の如来)。で、如来郡の右側に、五大菩薩
左側に、不動明王を中心にした五大明王が配置され、更にその外側には四天王、梵天、帝釈天
が囲むように配されています。
如来は仏様ランキングで言うと最高位。その中でも密教の核となる大日如来が中央に来ていて、
菩薩は出家前のお釈迦様。明王は仏では無くて神様を仏教世界に反映したもので空海が日本に
伝えたと言われているもの。それを囲むようにインドの古代神が由来の**天が配されて
焼失を免れた創建当時からの仏像の多くが国宝指定になっています。
【五重塔】
高さは約55メートル、木造の建築物としては日本一の高さ。
建立は50年を要する一大工事でしたが、僅か4年後に落雷によって焼失。
その後も雷火や不審火で4回焼失し、現在の塔は1644年(寛永21)に
徳川家光の寄進で建てられた5代目
五重塔は、仏陀の遺骨を安置するストゥーパが起源とされていて、
東寺の五重塔には、弘法大師空海が唐より持ち帰った仏舎利(釈迦の骨)が
塔を貫く心柱の下(?)に埋まっているのだとか。(火災の際にどうにかならなかったのか。。)
写真を撮っていて気になったこれ、、、
屋根を背負っている「邪鬼」なのだそうで。「重いぜ」って表情してますよね。
基本的に仏像に踏まれてるイメージが、、、アマノジャク(天邪鬼)の語源と言う説も。
また、現代の東寺のお楽しみとしては毎月21日の弘法市
空海入寂の3月21日を期して毎月21日に御影堂で行われる御影供が行われるのですが
現在では多数の露店が立ち並ぶ縁日となっているようです。
また、毎月第一日曜日には骨董市(がらくた市)も開催されており
毎年、このタイミングに行けたらなぁ、、なんてひそかに狙っているのでした。
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