お彼岸の入りだし、天気も良すぎるというほどの快晴ではなく、ほどよく曇りがちだったので、午前中の涼しい内にと思い、1kmも離れていない墓地に行ってきた。9時少し杉に家をでた。お彼岸なので駐車場にも結構車が駐まっていたし、人も多かった。平日のせいかやはり年配の人達が多い。水道の所のバケツがほとんどなかった。いつもは卒塔婆立ての所に置いてあるブラシで墓石を擦ってその後水をかけているけど、今回から古めのタオルを持って行って墓地の水道の所に置いていくことにした。何しろ置き場に困るくらい沢山つかっていないタオルがあるということが、家を建て替えるための片付けでわかったからだ。
今回は杉の枝が墓地内に落ちていなくてよかったが、雑草は少し生えていた。掃除が終わった後、花とお線香、家の仏前に供えるお団子をエスポットで買って墓地に戻り花を供えた。蝋燭からお線香に火を付けるのに少し苦労して手間取った。全部終わると、11時近くになっていて意外と時間がかかったなと思った。
今、家を建て替えて新しい家に住めているのも親からの遺産のお陰だからこれからもきちんとお墓の守りは続けるのだけど、私が出来なくなったらどうしようか?と思う。両親の撮った写真や、私の本なんかも少しずつ処分していかなければならない。
世界文学全集のフランスの作家の異邦人とか少しも面白くなくて読み始めて頓挫している。
新書で「外国語学習の科学」は読み終わった。沢山のインプットだけでなくアウトプットしていくことが外国語の習得に欠かせないという本だった。凄く古い(1978)「ある盲学校教師の三十年」という新書は視覚障害を持つ児童に対する教育の黎明期からどうやって困難を乗り越えて環境を整え、周囲を啓蒙し、少しずつよりよい教育ができるようにと歩んできた方の回想録だが、まだ全部は読み切っていない。新書では、あらたに「日本語下」を読み始めた。
あと、北杜夫さんの「月と10セント」は4/5くらい読んだ。アポロ11号打ち上げの取材に渡米した作家の話だが、その頃はまだ外国からの記事を日本に送るのに、電話で読み上げて、それを速記者が聞き取って書き写していた。今だったら簡単にメールで送れるのにと思う。確かそのころ、テレビでアポロ11号が地球を離れ戻ってくるまで、生中継されて話題になったのが、「同時通訳」だったということを覚えている。ところで、その当時写真とかはどうやって送っていたのだろうか?
ダンボールに入っていた新島襄とその妻というのも半分くらい読んだ。京都に昨年の春行ったとき、哲学の小道ぞいに彼らのお墓があった。よくもまあ、神社仏閣の本拠地である京都にキリスト教系の学校を作ったものだ。