緑の切妻屋根の家が建つ

60代も後半になり、ひょんな事から一人住まいの実家を建て替えることになりました。

庭のブルーシートを被せた荷物が全て片付いた

2024-09-14 11:18:01 | 家を建て替えた

   9月に入ってのろのろ台風10号サンサンが去った後いいお天気が続く、元の車庫だった所に残してある物や、最後に庭に残った荷物を片付けるのには絶好の機会だった。8月は一日のうち必ず一度は夕立が降るような日が多かった。なので、被せていたブルーブルーシートをとって箱を動かすと箱の下は湿っていた。勿論下にもシートが敷いてあっても、被せたシートの隙間から入った雨水が染み渡っていた。そういったものも、天気がいい日が続くので乾かすことができた。

 車庫だったコンクリート床に移動した昔の衣装箱には、まだ食器や鍋などが入っていた。片付けているうちに結構新築のキッチンは収納できるところが多く、使わない物も含めて全部収納出来そうだということが分かってきたので、とりあえず食器類はほとんどキッチンに運び、使えないお鍋や長男の誕生祝いの引き出物として選び、貰っていって実際の使った家はあったのだろうか?と疑問をもってしまうような四角い電気で温めるおでん専用鍋などはもの置きにしまうことにした。まだ暑いので一気にやらず少しずつ片付け、ほぼ車庫の床に置いた箱の中には陶器類が入っていた木箱くらいになった。なので、解体しながら最後に残った荷物をS氏にも手伝って貰いながら出した物にやっと手を付ける事にした。荷造りし損ねたバッグとか、テープや紐とか掃除用具等だった。結構厳重に水に濡れないように荷造りしてあったので、雨水が入り込んだ形跡はなかったが、湿気は籠もっていたらしく。エディオンでもらったショッピングバッグとかカビだらけだった。最後のプラスチックケースの一箱は、地面の所からコンクリート床の方に、空にしたプラスチックケースを逆さにしてその上に移動しただけでまだ中身は片付けていないが、とりあえず庭の地面の所に置いてあったブルーシートを掛けた物は全部なくなった。下に敷いていたこたつの天板が二枚残るだけとなった。掛けていたブルーシートは結構土で汚れていたので、ホースで水を掛けて、車を洗うブラシで擦ってだいたい汚れを落とし、乾いてから物置にしまった。もう全て空になっているブリキ製の昔の衣装箱が二つ残っているが、粗大ゴミとして最終処分場にもっていくしかないだろうか?と考えている。今はとりあえず、隣の家との境にある溝に斜めに立てかけて乾かしている。

 長い鎌の切れが悪いので、砥石で研いだらもう少し切れるようになるかな?と今日は木曜日だし涼しくなったらレモンに買いに行こうと4時頃レモンにいったら、金曜日だった。なんでも木曜日と思っていたのだ。レモンの日ではなかったが砥石を買って帰った。金曜日ならTさんに電話してもいいだろうと思い、多分水曜日に1階洋室のクローゼットの棚の上の物を移動した時に見つけたリモコンがどの部屋用かを電話で聞いた。運良くTさんの携帯に電話したらすぐに出てくれて、2階和室用のリモコンだと言うことが分かった。すぐに和室に持って行って試してみた。全くどの部屋をリモコン有にしたのか少しも覚えていなかったのだ。それにしても、なんで2階和室用が1階の洋室のクローゼットの棚の上にあったのかが疑問だ。


固定資産税決定のための家屋調査

2024-09-11 07:59:50 | 家を建て替えた

 市役所から固定資産税の金額を決めるための家屋調査はいつ頃来るのかな?と思っていたら、一昨日市役所から都合のいい日を知らせて欲しいということとその際必要となる書類を知らせる封書が届いた。それと同時に、1年未満のアパートの入居の場合とられるはずの違約金を振り込む書類が来ないなと思い、ミニテックに問い合わせをしたら「忘れていた。」という返事だった違約金振り込み書類も来た。

 どうせやらなければならないことならば、早めに行ってしまおうと思い市役所の課税課に電話をした。平面図は分かるけど、業者からファイルされてもらった建築図面一式というのが何を指すのかよくわからず、仕様書っていうのでいいんですか?と聞いたらいいということだった。そう言われたので、電話をした後仕様書を見ると、実際につかわれているのと違うキッチンが書かれていたりする。ラインでS氏に明日家屋調査になったということと、仕様書と実際のキッチンは違うっていうことについて確認するラインを送った。メーカーの違いでどうこうということはないと市役所にも確認した。しかし、仕様書ってこんなに実際と違って、明日の調査の使い物になるのだろうか?と思い、床についてはどうだろうか?と、見てみると一階の洋室もLDKも同じ床が使われている表記だ。なのでインテリアのTさんの事務所に電話をしたら、運良くTさんが居た。勿論仕様書が違うってことの確認だったのだが、Tさんに日付をちょっと見てくださいと言われてみてみると1月21日の契約時の頃のものだった。この時点ではインテリアもキッチンも決まってないので違って当たり前だ。TさんがS氏に連絡してくれると言った。Tさんとの電話を終わってすぐS氏から電話が来て、家屋調査に必要そうな書類を一式、明日持ってきてくれるということになった。なので、平面図のコピーも市役所の人にして貰わなくて済むこととなった。平面図のコピーについてコピー機がないから一々コピーをしに行かなきゃいけないしと言ったら、市役所の人が午前中に家によって平面図を市役所でコピーしてきてくれることになっていたのだった。

 家屋調査の前には急に辞令が出て宮崎に転勤することになったN證券のK氏とその後を引き継ぐ人が挨拶に来ることになっている。最初は午後1時ということだったが、12時に来ることに後から変更の電話が来た。なので、その日は色々な用事を午前中に済ませなければならないと思い、朝一で近くのセブンに違約金を振り込んで、8時半に来たS氏に書類を貰ったついでに確定申告などの話も聞いて、10時過ぎに買い物に行って、11時台にお昼を食べた。

 12時にまずはK氏が来たが一人だった。引き継ぐ方は後でもうすこししたら来るということだった。K氏に座って少しはなしていると、K氏の携帯が鳴った。どうも新しい方は家の入り口がわからないようだったのだ。K氏が外に出てみますと返事していたが、私がダイニングの窓から外を見るとちょうど、車が家の出口の前の道路をゆっくり通るところだったので、手を振って合図をした。でもそのまま通り過ぎたのは、後ろから車が来ていたからのようだった。しばらくして、外に出たK氏と新しいM氏が一緒に玄関に入ってきた。外には同じ車種の車が二台あった。営業にはN證券は社用車が使われるようだ。N證券儲かっているのだろう。また、頻繁に社員を異動させるから自家用車は使わせづらいということもあるのかもしれない。

 40代というには痩せているせいかもう少し年配に見えるM氏は、初めて聞く姓だったが出身の長野市辺りでは良くある姓なのだそうだ。日頃YouTube等で見られる煽り動画からの情報で心配している「今後アメリカが崩壊したらどうなってしまうのでしょうか?」という質問をしてみた。アメリカの崩壊=資本主義の崩壊ということになるから、アメリカのキングメーカーの人達もそういう人は大統領にさせないだろうというようなことをM氏は言った。そうであれば、トランプ氏が当選してアメリカの経済状況も良くなり、投資をしている一般庶民も恩恵を受けられるが、マスコミやネット上では、多様性などを使ってグローバリスト達がアメリカや各国の社会を崩壊させるだけでなく、人類の多数を人口削減で減らしてごく少数の人達だけが生き残ろうとしている勢力が猛威を振るっているようで心配だ。たとえ金融資産を日本の中で災害が少なそうな所の農地などに変えたとしても、いざ何か起こったときにそこに居るあるいはそこまで行かなければならない。運良くそうなるとは限らない。本当に心配な時代に人生の後半を過ごすことになってしまったものだが、若い人達はもっと大変だ。何も天変地異や社会の崩壊などが起こらなければ、お洒落で住みやすく新築された家に長く住めるのになと思う。

 14時半に市役所の人が2人一組で来た。年配の男性と若い男性の2人組だった。若い人が説明をしている間に、年配の人が外廻りを点検した。色々必要書類に記入も済ませた頃、外を見ていた人も戻ってきたので中を2人でまわってみた。トイレの天井の高さを測るのに普通のメジャーでなくて、赤外線使用のメジャーだった。建物を傷つけないような配慮でそれを利用しているのだそうだ。2階も二部屋しかないので、あっという間に中の点検も済んだ。最後に新築記念樹木引き換え券をもらった。引き換えられる樹木の中に、この家を新築するためにとってしまった姫リンゴの木もあった。姫リンゴの木と紅梅の木をとってしまったのだが、枝を持ち帰り、挿し木用の土や発根促進剤なども買って挿し木をしようと思ったが上手くいかなかった。なので、春になったら姫リンゴの木を貰おうか?と考えた。秋に良い匂いの花を咲かせるキンモクセイなどもいいかもしれない。

 隣のTさんは家屋調査結構時間がかかり細かく見るよといっていたが、家も小さいせいか30分弱で終わってしまった。


瑕疵の直し

2024-09-08 09:32:56 | 家を建て替えた

 金曜日に家を建てる監督だったM氏が家の瑕疵を直しに来てくれた。まず、入る前に玄関のノブのところに最初から気になっていた線状の疵を治して貰おうとしたが、何か鋭い物でひっかいてしまって出来た線状の疵のようで、斜め上から見るとしっかり線の溝が見える。色々やってくれたがその状態だ。

 その後家の中の壁の山吹色っぽい汚れを取ってくれた。ちょっと私が家から外に出ると、隣のハイムに住んでるTさんに声を掛けられた。要件は何だったかというと、8月に組の中の班で行ったバーベキューで参加しなかった家には返金あるのかな?とSGさんに聞かれたんだけど、あるかもしれないしないかもしれないね。って答えたんだけど班費の取り扱いについて話し合ったときどう決まったんだっけ?」という質問だった。

 3年前の2021年に班長の役がまわってきた。以前は集金常会が2ヶ月に一度開かれた時に班長が月々500円の班費を2ヶ月分1000円ずつ集めていた。ちょうど、私が班長になった2021年はコロナの真っ最中の年だったため、集金常会がなくなって班長が一軒ずつ集金してまわらなければならなかった。14世帯が全長500mくらいの範囲に広がっている。週末に集金に行くようにしていたが、必ずしも行った時に在宅のお宅ばかりではない。班費を集めているのは組の中に3班あるうちの私の属している班だけだ。集める目的は班で行うバーベキューのためだ。大抵、夏に班長が企画してバーベキューを行うのが、昭和のいつ頃かのならいになっていた。昔の私の父母だけが参加しているバーベキューの時に撮った写真が、結構残っている。コロナになる直近の年では、バーベキューをする代わりに房総半島の方までバスでいって浜焼きのお店でお昼を食べる。とか、時の栖で地ビールの飲み放題、食べ放題のこともあった。私は、バーベキューをしていた頃は参加したことはなかったが、コロナの少し前のそういった催し物には参加した。参加費は安くて集めている班費から補助が出る。バーベキューみたいに準備や後片付けもないし、参加費も安いから参加しやすいと思っていた。私のように1人参加の家もあれば、家族が複数人参加する世帯もあった。参加した人の参加費では足りない分は全部、班費からまかなっていた。行かなかった家にお土産くらいは、班長が気を利かして班費から買っていたかもしれない。

 コロナが始まって、もう班で何もやらないのに集金をしていた。そしてコロナ2年目、私も同様に集金をしていた。そして、なかなか一度で班費は集まらないし、集めてもどんどん残高が貯まっていくだけだ。もうそれが50万を超えていた。そして、一軒一軒まわると、もう配偶者が亡くなって一人暮らしとか、私のように老親との2人暮らしの家も結構ある。中には、一人暮らしで足が悪くとても近所のバーベキューでも参加無理かもという方の一人暮らし世帯もあった。そういった中で、班費使わないのに集める必要があるのか?また、班費だけ払っても何の行事にも参加出来る人が1人もいない世帯からも班費は集め、参加した人数に応じて補助を班費から出すのでは、あまりにも不公平ではないか?今の時点ではちょうど、一世帯あたり4万円ずつ返金すれば、一万未満の残金だけ残るので、一旦返金して当分班費については集めないようにした方がいいのではないかと思うようになった。なので、結構年寄りばかり多くなった世帯を中心に意見を聞くと、賛成してくれる人も多かったので、思い切って常会を開き班費をどうするかについて提案をする事にした。

 実際に提案をすると、私に賛成意見を言っていた人はだんまりだった。昔からこの班内に地縁血縁もある世帯があり、集まって何かするのが好きな家庭に嫁いだ私より一つ下の元幼稚園教諭のお嫁さんが「せっかく昔から長く続いてきたことだから、ここで全部チャラにするのは惜しい気がする。」と言った。お隣のやはり元幼稚園教諭のTさんも「全部無しにしなくても・・・」と言うようなことをいったので、結局4万円ずつは返せず、3万円ずつ返すこととなり、また、班から引っ越す人が居た場合は残った金額からお餞別を出すことや、事務費とか雪かきをして貰った時の燃料費等班全体に関わることに班費を使うが、もし班のイベントに出費した場合、不参加世帯にも相当の返金をするというようなことを決めた。私はそれを文書にして回覧板で回し、班のノートにも貼り班費で買ったUSBにも入れて次のTさんに渡したが、肝心の自分のPCには残しておかなかった。

 Tさんは、偶々話しかけられたSGさんにいい加減に答えてしまったから話し合いでどう決着したかを私に確認したいようだった。Tさん家は私の次に班長だったから引き継ぎはしっかりしないとと思い、回覧板で回した文書も写真に撮っておいたというが、一年くらいで削除してしまったのだそうだ。私も、たしか班全体の事に班費は使うとなったと思うということについては覚えていたが、文書にまとめた本人なのに少しもしっかり覚えていなくて、たしかバーベキュー参加者募集の回覧板が回ってきたときに一人参加費1000円とあって、「えー、これでバーベキューできるの?」と思ったことや「会計報告がまわってきてやはり6万近くかかっているから、班費からかなり補助してるよね。」と思ったというようなことを話した。Tさんは私に確認したっかったのに肝心の私がしっかり覚えておらず、次の年に班長だからとしっかり覚えておこうと思ったTさんの方が色々覚えていた。とりあえず、私がその時の班長だったので、一応バーベキューを企画したMさんに確認してみるということになった。私の後に回覧板が回るTさんも、同年代の人もいないしいいかと思ってバーベキューに参加しなかったということだった。Tさんによると多分4世帯か5世帯ほどの参加だったんではないかと思うということだった。

 私自身、バーベキューの会計報告が回覧板が回ってきたとき、これでは以前の不公平な班費の使い方のままだなと思ったが、すっかりそのことは忘れていた。

 Tさんと話し終わってから家の中に入ると、Mさんがフローリングが剥がれそうな所を補修していてくれた。

だったのが

となったのだが、かえってめだつような気もする。

 


7年ぶりに長男と会った

2024-09-04 14:07:17 | ヘミシンク

 台風が去って、なんだかすっかり秋の陽気になってきた。8月28日に突然長男から9月3日に帰省してお墓参りに来るが、家に泊まると連絡があった。私はそれを2日登美間違えていて、2日の家の瑕疵を治して貰う日程を一旦キャンセルしてしまった。2日に中々連絡が来ないと思ったら、3日って連絡したはずだというので確認したら3日だった。だったらリスケして貰わなくても良かったなと思った。

 3日15時5分の御殿場到着予定のバスで来ると言うことだったが、そんなに早く来ることもないだろうと思って3時少し前に向かえに行った。外に出てからお墓参りということなので、また家に入って和ローソク一本とライターを持って出た。向かっている途中で、予定時刻に「今ついた」と連絡があったことに気づいて、「もうすぐつく。」と返信した。

 待合室の外のベンチに座っている姿が見えたが気づかないようなので、クラクションを鳴らした。それで気がついたようだった。今の車は初めて見るらしかった。つまり、2017年の秋以前が最後に会った時だったという事になる。コロナ中の祖父の葬儀にも来なかったので、7年ぶりに会うという事になる。インスタなんかで見て、なんだかちょっと太ったなと思っていたが、実際はかなり太っていた。

 天気予報では3時頃から雨ということだったので、翌日にお墓参りするつもりだったらしいが、予定を変更して大沢原墓地にお墓参りに行って家に戻った。

 長男の太ってしまった言い訳としては、コロナの頃に幼稚園時代からの友人に、文字は印字になっている古い文献から、地震に関連する情報を拾い出してそれをエクセルに記録していくという仕事を貰って糊口を凌いでいた時期があったため太ったという。その友人と長男は幼小中高と友人で大学も同じ京都市内の大学に進んだが、彼はそのまま大学院に進み、今では任期付きらしいが東大の助教だ。長男が言うには、同じ学年で博士号を持っているのはそのO氏のみなんではないかと言う。偏差値の高い進学校卒でもなく、大学も偏差値の高い大学ではないのだが、研究者となってしかもちゃんと職を得ているというのは凄いと思う。本来は院生のアルバイトだったりするらしい。しかし、長男も歴史遺産学科だったので、そこで学んだことが役にたってそのアルバイトをこなすことができたという。どこで、何が役に立つか分からないものだ。そのアルバイトが修了した後、ついた職場で鬱病で仕事が出来なくなり2ヶ月私が支援をした。でも、コロナ終了と共にインバウンド需要で今は結構稼げているらしい。なので、夕飯は普通に作ろうかと思ったが、長男が外食がいいというので近くのくら寿司に行ったが、長男のおごりということになった。

 次男同様、長男も地元に対する評価が非常に悪い。というか嫌っている。長男の居た中学校は当時かなり荒れていて、中学時代いい思い出がなかったということだ。確かにここは自然環境に恵まれているということくらいしか、メリットはないということは同意できる。都会の便利さになれてしまったら、とても不便に感じるのは仕方ないし、長男の仕事も都会だからこそ需要があり成り立つ仕事だろう。「40歳まで結婚待ってやる。そうしなければ財産は全部市に寄付する。」とか偉そうに言う父親にもかなり不快感をもっている。他人の立場に立って物事を考えられないという点では私と長男の夫に対する見解は一致している。機能不全家庭に育ったから、結婚といったことにも積極的にはなれないようだ。長女は今後生きていく支えとして、家族は欲しいから結婚したいと言うことで、アプリを使ってだけど婚活を頑張って再婚することができた。あと、嶽之下宮から卒業できず、そこに人生を乗っ取られて終った人という夫に対する見解も一致している。

 それにしても、夫は長男を結婚させたかったら、自分の親同様に自分も子どもの婚活にもっとコミットすべきなのではないかと思うが、偉そうに子どもを脅すだけだ。結婚して地元に戻らなければ財産は渡さない的な事をやはり長男にも言っているようだ。良い夫婦というお手本を見てこなかった長男は結婚することに自信が持てないでいる。それが理解できる私としては、結婚を強要する気にはとてもなれない。