教員というと、「学校の中で子どもたちを育てる職業」というイメージを持たれがちですが、時に、家庭内の問題で困っている子どものSOSに応じなければなりません。――引用
しかし、自分の経験上、教師の四分の三は虐待に気づかず、大なり小なり虐待を助長していました。
そんな人間に生きている資格があるのでしょうか?
教員というと、「学校の中で子どもたちを育てる職業」というイメージを持たれがちですが、時に、家庭内の問題で困っている子どものSOSに応じなければなりません。――引用
しかし、自分の経験上、教師の四分の三は虐待に気づかず、大なり小なり虐待を助長していました。
そんな人間に生きている資格があるのでしょうか?
【引用】私は、旧帝大の出身です。(中略)本当に勉強ができる人たちは「教員」にはならないということ。
「教員になる選択をしない」という表現の方が適切かもしれません。
給料形態や働き方まで考えると、本当にできる人は学校の先生なんて選ばないのでしょう。
だから、教師の多くがゴミということです。
努力の意味、価値、仕方もしらない、勉強ができず勉強を教える資格もない、
そんな人間が教師の大半を占めるという現実があります。
いったい、彼らはどの面さげて「勉強しろ」「努力しろ」
と言っているのでしょうか?
日々の子供たちとの関わりの中で、その言動や様子からちょっとした変化を見逃さないのがプロの教師である。また、保護者の養育態度や言動の中に潜む異常さを察知するのもプロの教師である。
そんな教師見たことない。
察知するどころか、四分の三の教師が虐待を助長した。
学生の方が見たのでしたら、どうか教師など信用しないでください。傷つくのは、苦しむのは、あなたです。
しかし、虐待を発見しやすい立場にある教師が、正しく適切な知識持っていなかったり、教職教養をロクに勉強していないために、間違った対応をとってしまい、悪化させたりしてしまう事案も、後を絶ちません。――引用。
まさに、虐待を助長する人間像がここにありますね。
Fランク大学卒、といった低学歴の人間が簡単になれることに問題があります。
そもそも、低学歴の人間に勉強を教える資格があるのでしょうか?
低学歴ということは、努力をしてこなかった人間ということで、生徒に努力しろなどとどの面をさげて言っているのでしょうか?
ダメな教師ばかりじゃない、みたいな意見がネットには見られますが、
自分が小学校に通っていて出会ったのは、四分の三は虐待を助長する教師でした。
そもそも、加害者と同じ立場の人間が事実を言える訳がありません。
自己弁護と、恥ずべき擁護に終始することになります。
そして、加害者を擁護する、教師を弁護する言葉は、教師の被害者にとって、
レイプに遭った方でいうところのセカンドレイプを受けたのと同じことになります。
教師に方々に言いたい。
あなたは、他人を傷つけて平気なのか?
良心も誠意もないのか。