汽車に機銃掃射のあとやあちこちの地がすり鉢状に大きな穴になっていたり、唐松林の中に木の枝で作った小屋の中で機銃掃射がダダダ…に恐怖で震えながら過ごした日々から逃走することになり、何日で大泊へ着いたのかは分からない…が、8月の暑い日が続く日々だったと思う、まだ終戦前で軍艦で樺太から脱するべく乗り込んだ。母親と3人の小さい子連れのため優先で我々は乗り込めたのだと思われる、艦内は暑く荷物は沢山持てない中もっていた沢山のおにぎりが腐って食べれなくなっていた、艦から配給された食べ物で空腹を満たし稚内に向かった。