千歳川と石狩川の合流点より発信…

水彩画と近況 思い出

コラ-ジュ廊下展  公民館 新19

2013-04-25 10:01:23 | 終戦
  寮に入ってまもなくの頃、母の兄弟も終戦になって帰ってきたのだろう、鉄道状況の悪い中はるばるリック一杯に食料を持ってきてくれた、旭川とか帯広からだからね、しかも汽車には簡単に乗れないの、何日も並んで切符を買わなくてはならない。しかも客車とは限らない機関車の後ろの石炭の上にも機関車の横にも鈴なり状態だった。
 叔父の帰りの切符を買うため並ぶのは私の役目だった、駅前に住んでいたので比較的良かったが何日か並ばなければいけないので、けっこう大変なことだった… よ 
母の親兄弟達も皆樺太だから引き揚げ者だった。なんと言っても食べ物を調達することが大変だった。一度など食料調達に往復10キロぐらいの所を、あれは米だったのではなかったかと思うが、大きなリックに一杯背負って歩いたのとがあるね、栄養失調のしかも病み上がりの小学生が、今思うと人間はすごうい力を備えているとつくづく思う! ひょろひょろで歩くと内股になって学校では馬鹿にされていたからね…