大相撲 北天祐カメラに向かって「良し行くぞ-」…て組まず 突っ張りで 残念ながら負けた、しかし良い相撲だった !!
大相撲 昨日の白鵬 豪榮道の時間前の仕切りのような、仕切りをして貰いたい~ね ! 見てる方も気合いが入ってくるものね。
相手が両手を下ろす前にさっさと背を向けて塩を取りに行く姿は、頂けないものね ! 冷めてしまう…
相手が両手を下ろす前にさっさと背を向けて塩を取りに行く姿は、頂けないものね ! 冷めてしまう…
大相撲 何十年と大相撲フアンとして、ずうっと不満に思っていることは制限時間後の”待った”… やめて欲しい、解説者がもっと待ったとき直ぐに苦言を呈して欲しい、テレビなどでは一番フアンにも直接伝わるし力士の先輩の意見として力士にも伝わる様にも思われる。かって佐田の山理事長の時待ったを厳しくしていたことがあってが、審判が注意するだけでなくもっと具体的なことを考えるべきだ。
大相撲 先代貴乃花のことを、ふと思い出した彼は昭和40年新弟子だから、それから1,2年後のことと思われるが…
北海タイムス社主催の準札幌場所と名うって中島スポ-ツセンタ-で開催された時、若い私は場内整理していた。お相撲さん全員がそろって北海道で巡業することはなく、それで準本場としたと思われる。
序の口から順番に取り組んで行く中、まだお客さんが少ない客席に座って居ると当時花田で取っていた彼が同僚と2人で隣に座った、話を聞いていると「俺は、こうゆ形になると絶対自信があるんだ…」のようなことを話していたこと今も覚えている。
彼は幕下だったと思う、当時の横綱 初代若乃花の年齢の離れた弟として話題になっていたので新聞などで取り上げられ成績もダントツなので期待もし顔は知っていた。 その後次の年ぐらいに関取になったと思う。 懐かしい思い出…である。
北海タイムス社主催の準札幌場所と名うって中島スポ-ツセンタ-で開催された時、若い私は場内整理していた。お相撲さん全員がそろって北海道で巡業することはなく、それで準本場としたと思われる。
序の口から順番に取り組んで行く中、まだお客さんが少ない客席に座って居ると当時花田で取っていた彼が同僚と2人で隣に座った、話を聞いていると「俺は、こうゆ形になると絶対自信があるんだ…」のようなことを話していたこと今も覚えている。
彼は幕下だったと思う、当時の横綱 初代若乃花の年齢の離れた弟として話題になっていたので新聞などで取り上げられ成績もダントツなので期待もし顔は知っていた。 その後次の年ぐらいに関取になったと思う。 懐かしい思い出…である。
戦後テレビも無い時代だったけど相撲は面白く楽しんでいた、家にはラジオは」無かったけど同級生がラジオやさんで毎日聞きに行っていた。新聞結果を見て、映像は映画を見に行くと始まる前にニュ-ス映画がありそこで取り組みが見られた。照國、鏡里、起重機…明歩谷、千代の山、技能派 北の洋、信夫山、等星取り表で一喜一哀していた。