華コラム

スピリチュアル四方山話

言葉遣いと箸遣い

2024-09-10 14:32:00 | 日記
なぜ正しい言葉遣いを
しなければならないか。
こちらはイメージしやすいと思うのです。

言霊が宿るから。

汚い言葉を使っていると、
悪い霊を引き寄せて運が下がります。

また、品も無くなるため
自分自身の価値を下げます。

大したことがないと思われそうですが、
繰り返し積み重なると
魂が下層である人々が周りに集まり、
身動き出来ないような悪運に
彩られて(血塗られて)行きます。

身近で犯罪が起きたり、
事故に巻き込まれたり。
わかりやすく、財運も無くなります。

ビジネス上で、言葉が扱えないということは
無能の烙印を押されること。
教養が無く、努力もしない。
改善する気が無い人と見做されます。

同様に、まともな日本文が書けない人も
教養が無いと判断されます。
相手に対して、
わかりやすい文を書かないことは恥です。
伝える気がないのに、
わかって貰いたいという
他力本願で自分勝手な感覚が透けます。

善の言葉を使うこと。
他者を思い遣って文を作ること。
国語の授業の本質は、そこだと思います。


箸遣いに関しては、
特に現代の若い世代にとって
どうでも良いものでしょう。

「誰にも迷惑をかけていないから」
と思っている人は、とても多いです。

実際は違います。
格式高い料亭ではなくても、
ファミレスで隣の席の人が
変な箸の持ち方をしていたら
食欲が無くなるくらい、
気にする人もいます。

箸遣いはマナーです。
箸を正しく使えないことは
すれ違っても挨拶をしない人、
目上の人に敬語を使えない人と
同じくらいに見苦しいこと。

料理をしてくださったかたへの礼儀で、
丁寧に大切に頂くことでもあります。
食事で礼節を意識しない人は、
やはり普段から何事も適当にしています。

少しの練習で正しい箸遣いは可能なのに、
その労力を惜しむ人。
重要性が理解できない人。

自分で思っているよりも、
食事の仕方は見られています。

所作のみで育ちを判別される、
と言っても過言ではありません。

逆に言えば、どのような環境で育っても
言葉と所作だけを気をつけていれば
周囲からは好ましく映ります。

私は児童福祉施設で働いています。
子供達が損をしないように、
勉強や心のケアと共に
言葉遣い、話し方、正しい箸遣い、
筆記具の持ち方、物を大事に使うこと
などを教えています。

運が落ちないように。
品を落とさないように。

自分自身、まだまだ改善すべき点が
あります。
ふとした時に、悪い言葉が出てしまったり
することも。
テーブルの角に足をぶつけたりして。

持病のせいもありますが、
あまり姿勢が良くないので
バレエストレッチや太極拳教室に通ったり。

容姿だけを見たら美しくはないので、
背中をなるべく真っ直ぐ伸ばして
笑顔をいつも心がけています。






子育ては油断すると利子がつく

2024-09-04 17:25:00 | 日記
「子供は勝手に育つ」説があります。
それは事実です。
少なくとも不完全な大人には、なれます。

乳児期、幼児期さえ
ある程度気をつけていれば、
小学校入学後は放任しても
表向きは何とかなります。

私は小1から
親にネグレクトをされていましたが、
現在42才。生き延びました。
周囲の助けがあってこそですが。

自分が大人になり
結婚して母親になり
子育てをするようになり、気づいたこと。

子供に対して気を抜いた部分が、
後から子供の人格に影響力を及ぼす。
ある時期に楽をした分、
後々苦労することになる。

ちょっとお給料を前借りしたら、
だいぶ天引きされていた感じ。
または分割払いにしたら、実は
かなりの利子率だった感覚。

私には娘が1人います。
小さな頃から物分かりが良く、
ワガママを言わず。
赤ちゃん時代にもギャン泣きをせず、
危ないことも一切せず。
それはそれは楽でした。

子育てって楽チンかも!と
油断していたら、思春期で一変。
気難しい小さな大人のようになり、
理詰めで言い返して来ます。
とても頑固です。

そして、体が弱く入退院を繰り返していた
母親(私)のいない時期に我慢していた
愛情不足が噴出し、
辛辣な意見をしながらも
私にぴったりくっ付いて来ます。

愛情不足は、
過度な愛情欲求となり膨れ上がります。

娘の場合は
ちょっとした、愛情不足のはず。
けれども本人の性格とブレンドされて、
やがて異性関係にも特徴が現れます。

具体的に言うと
娘は彼氏を完璧にコントロールしています。
末恐ろしき12才です。

何だか夫の性格にも似ています。
そして私自身の親への愛情不足が、
子育てに影響しています。

「これくらい大したことないはず」
という意識が、娘には多大なる迷惑だった
ようにも思えます。
人によって、欲している愛情の量は
違うのだから。

根が深い問題だと捉え、
自分の心とも対話をして
子育てに向き合っています。

育児は、未熟な自分を
育てることでもあります。

娘には、愛情の不足分を
支払わねば。

娘の心が立て替えてくれていた分。
予想していたより、
規模の大きな利子付きで。

本来その時その時に注ぐべきだった愛情を、
これから返して行きます。






永遠を求めない

2024-09-01 11:40:00 | 日記
私は占術の仕事もしています。
恋愛や結婚についての鑑定をしていると、
永遠を求める人がとても多いのです。

〝永遠に愛されたい〟
〝永久に2人でいたい〟

泥々の男女関係や離婚を
1度でも経験すると、それがどれ程に
難しいことかわかるはずです。

人は変わります。
自分も変化します。

元々、育った環境が違う人と
カップリングしています。
価値観が似ているとしても、
全ての側面で微細に亘って同じなわけが
ありません。
カップルは、同一人物にはなれないから。

長い長いお付き合いの中で
譲り合い、思い遣りが必要になって来ます。譲歩がたくさん出来ないと、
幸せは長続きしません。

譲歩するということは、
我を曲げるということ。

と言っても、自分の色(個性)を
出さなければ相手は離れて行く。
一緒にいても、つまらないから。

人と人との関係は、とても難しいです。
友情関係ですら、一生涯仲良しで
いることは難しい。
ましてや異性。

根本的に脳の造りが違います。
性の構造も違います。

一方で、お年寄りになるまで
ずっとずっと連れ添って
天国にも同時期に召されて、
また転生して恋人になるカップルもいます。

こうした方々は、魂のレベルで
縁の深さが異なります。
神様から一緒にいなさいと
命じられている方々です。

一見、羨ましい仲かもしれませんが
自由が無く、選択の余地がありません。

誰かと永く共に在りたいと願うかたは、
それ相応の努力をしなければ。

自分の心を美しく保ち、
その人の為に尽くす。
率直に愛を表現して、
マイナスの感情は捨てること。

その人に選ばれ続ける自分を保つこと。
曲芸師のごとく。
至難の業を繰り返します。

永遠なんて、求めないほうが自然であって
楽なのです。


余談。
私の結婚生活は……
雑技団所属並みであります。
毎日が曲芸です。