なぜ正しい言葉遣いを
しなければならないか。
こちらはイメージしやすいと思うのです。
言霊が宿るから。
汚い言葉を使っていると、
悪い霊を引き寄せて運が下がります。
また、品も無くなるため
自分自身の価値を下げます。
大したことがないと思われそうですが、
繰り返し積み重なると
魂が下層である人々が周りに集まり、
身動き出来ないような悪運に
彩られて(血塗られて)行きます。
身近で犯罪が起きたり、
事故に巻き込まれたり。
わかりやすく、財運も無くなります。
ビジネス上で、言葉が扱えないということは
無能の烙印を押されること。
教養が無く、努力もしない。
改善する気が無い人と見做されます。
同様に、まともな日本文が書けない人も
教養が無いと判断されます。
相手に対して、
わかりやすい文を書かないことは恥です。
伝える気がないのに、
わかって貰いたいという
他力本願で自分勝手な感覚が透けます。
善の言葉を使うこと。
他者を思い遣って文を作ること。
国語の授業の本質は、そこだと思います。
箸遣いに関しては、
特に現代の若い世代にとって
どうでも良いものでしょう。
「誰にも迷惑をかけていないから」
と思っている人は、とても多いです。
実際は違います。
格式高い料亭ではなくても、
ファミレスで隣の席の人が
変な箸の持ち方をしていたら
食欲が無くなるくらい、
気にする人もいます。
箸遣いはマナーです。
箸を正しく使えないことは
すれ違っても挨拶をしない人、
目上の人に敬語を使えない人と
同じくらいに見苦しいこと。
料理をしてくださったかたへの礼儀で、
丁寧に大切に頂くことでもあります。
食事で礼節を意識しない人は、
やはり普段から何事も適当にしています。
少しの練習で正しい箸遣いは可能なのに、
その労力を惜しむ人。
重要性が理解できない人。
自分で思っているよりも、
食事の仕方は見られています。
所作のみで育ちを判別される、
と言っても過言ではありません。
逆に言えば、どのような環境で育っても
言葉と所作だけを気をつけていれば
周囲からは好ましく映ります。
私は児童福祉施設で働いています。
子供達が損をしないように、
勉強や心のケアと共に
言葉遣い、話し方、正しい箸遣い、
筆記具の持ち方、物を大事に使うこと
などを教えています。
運が落ちないように。
品を落とさないように。
自分自身、まだまだ改善すべき点が
あります。
ふとした時に、悪い言葉が出てしまったり
することも。
テーブルの角に足をぶつけたりして。
持病のせいもありますが、
あまり姿勢が良くないので
バレエストレッチや太極拳教室に通ったり。
容姿だけを見たら美しくはないので、
背中をなるべく真っ直ぐ伸ばして
笑顔をいつも心がけています。