昨日はノーモアヒロシマの日だったから、
夜中〜朝方にお祈りをした。
(8:15には寝ていたけど…)
広島ばかり注目されがちで、
長崎を忘れている若い世代が多いけど。
9日11時2分、祈ろう。
原爆の被害者の写真は、なかなか直視できない
けれど、さっき少し見て、改めて祈った。
小さい子の。
今日はちょっと体調不良なせいもあり、
写真を見て泣く。
体調が悪いと、なぜか次から次に
怖い歴史に触れてしまう。
ベトナムで、フランスの人が
処刑を行っていた頃の画像が出てきて、
一気に動悸が始まった。
つい数日前
多嘉良と『戦場のピアニスト』を
観ていて、ユダヤの人々への迫害と
虐殺のシーンが多すぎて、気持ち悪くなり
4分の1くらい観て、止めて貰った。
史実から目を背けてはいけないのだけど、
祈るために観なければならないにしても、
受け止めることが出来ないタイミングだった。
小学生(5年)の時、
やたらと世界中で起きた残虐な歴史を
読み漁っていて、その頃はなぜか平気だった。
自分自身に起きていることが、圧倒的に
悪かったので本の中のことが
遠く感じられたのかもしれない。
そして、中2で出会った多嘉良もまた
なぜか、それらの話に詳しくて。
多嘉良は、
「無知は罪」という考えかただった。
それにしても、やっぱり戦争の写真を
見たのは良くなかった。
嗅いだことがないにおいがしたり、
その時代の音、声、空気の持つ力が感じられて
しばらく苦しむ。
夢でも繰り返し見る。
でも、それはその度に祈ってほしい人の魂が
現れているということ。
しかしどうして、体調不良時にこそ
こうなるのかが不思議だ。