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白駒二葉様
ご家族に見守られた中で、目覚めの時をお迎えになられたことと思います。
そして、今方まで見ていた夢の中に、これからあなたが会うべき方がいらしたことを、ご理解いただけたかと思います。
それが、あなたの霊の終着駅であり、そのためのわたくしの使命でした。
その時は、もう目前に迫っております。
それまでにこの文を完結させて、超常月の瞬間をお迎えいただこうと思います。
面影の 忘らるまじき 別れかな
名残を人の 月にとどめて
あなたが最も大切にしている歌であり、あの夜、わたくしが詠じた一首です。
西行の歌を詠む時、必ずあなたの耳の内には、彼の声が響ました。
そして、その声を西行のものと信じて疑いませんでした。
殊に恋歌を詠む声は、圧倒的にあなたの心に届きました。
けれど一首だけ、声の響かない歌がありました。
そうです、それがこの歌でした。
この歌だけは、どうしてもあなたの耳には届きませんでした。
そこで、その理由をあなたは考えました。
悲恋の相手が待賢門院だと確信していたあなたにとって、この歌が、彼女に向けてのものであることは明白でした。
さすれば必然、この歌は恋慕の相手を想って詠んだ、西行がもっとも届けたかった、それでも届けることのできなかった歌だということに思い至ります。
届けることができなかったというのは、彼が唯一詠わなかった歌、つまり、生涯声に乗せなかった歌だったのではないかと考えたのです。
声に出すことのなかった歌だからこそ、その声があなたの耳には届かないのだと。
そう考えたとき、この歌が西行にとっての最愛しい歌だと思えたのです。
そして同時に、あなたにとっても最愛しい一首となったのです。
その通りなのです。
西行が、決して伝えてはならぬ想いを込めた、渾身の一首だったのです。
伝えることのできない、届けることのできない歌故に、自ら詠わずと誓ったのです。
まさしく、彼自身によって封印された歌だったのです。
その封印された歌を、彼は待賢門院様の棺に、璋子様の胸上に納めたのです。
わたくしは生前、西行より聞き及んでおりました。
あなたの耳に、平安末期の歌人たちの声が響いていたこと。
西行の声を、聞き分けられたこと。
誰のものより、その声に惹かれたこと。
唯一聞くことのできない一首が、待賢門院様へ捧げられたものと確信していたこと。
それもそのはずなのです。
なぜならあなたが、あなた自身が、待賢門院様その人だったのですから。
それは、あなた自身の記憶だったのですから。
璋子様に、捧げた歌。
それでも、届けられなかった歌。
璋子様に、伝えたかった想い。
それでも、届けられなかった想い。
声に出せば、この世で廃る。
声に出さねば、永遠での結び。
そろそろ刻限が迫ってきたように思います。
超常月の下で、お迎え致します。
望月に 蝶の揺蕩い 舞い踊る
桜を仰いで まどろみを
源季正
(完)
白駒二葉様
ご家族に見守られた中で、目覚めの時をお迎えになられたことと思います。
そして、今方まで見ていた夢の中に、これからあなたが会うべき方がいらしたことを、ご理解いただけたかと思います。
それが、あなたの霊の終着駅であり、そのためのわたくしの使命でした。
その時は、もう目前に迫っております。
それまでにこの文を完結させて、超常月の瞬間をお迎えいただこうと思います。
面影の 忘らるまじき 別れかな
名残を人の 月にとどめて
あなたが最も大切にしている歌であり、あの夜、わたくしが詠じた一首です。
西行の歌を詠む時、必ずあなたの耳の内には、彼の声が響ました。
そして、その声を西行のものと信じて疑いませんでした。
殊に恋歌を詠む声は、圧倒的にあなたの心に届きました。
けれど一首だけ、声の響かない歌がありました。
そうです、それがこの歌でした。
この歌だけは、どうしてもあなたの耳には届きませんでした。
そこで、その理由をあなたは考えました。
悲恋の相手が待賢門院だと確信していたあなたにとって、この歌が、彼女に向けてのものであることは明白でした。
さすれば必然、この歌は恋慕の相手を想って詠んだ、西行がもっとも届けたかった、それでも届けることのできなかった歌だということに思い至ります。
届けることができなかったというのは、彼が唯一詠わなかった歌、つまり、生涯声に乗せなかった歌だったのではないかと考えたのです。
声に出すことのなかった歌だからこそ、その声があなたの耳には届かないのだと。
そう考えたとき、この歌が西行にとっての最愛しい歌だと思えたのです。
そして同時に、あなたにとっても最愛しい一首となったのです。
その通りなのです。
西行が、決して伝えてはならぬ想いを込めた、渾身の一首だったのです。
伝えることのできない、届けることのできない歌故に、自ら詠わずと誓ったのです。
まさしく、彼自身によって封印された歌だったのです。
その封印された歌を、彼は待賢門院様の棺に、璋子様の胸上に納めたのです。
わたくしは生前、西行より聞き及んでおりました。
あなたの耳に、平安末期の歌人たちの声が響いていたこと。
西行の声を、聞き分けられたこと。
誰のものより、その声に惹かれたこと。
唯一聞くことのできない一首が、待賢門院様へ捧げられたものと確信していたこと。
それもそのはずなのです。
なぜならあなたが、あなた自身が、待賢門院様その人だったのですから。
それは、あなた自身の記憶だったのですから。
璋子様に、捧げた歌。
それでも、届けられなかった歌。
璋子様に、伝えたかった想い。
それでも、届けられなかった想い。
声に出せば、この世で廃る。
声に出さねば、永遠での結び。
そろそろ刻限が迫ってきたように思います。
超常月の下で、お迎え致します。
望月に 蝶の揺蕩い 舞い踊る
桜を仰いで まどろみを
源季正
(完)