そうなのです。
白状してしまえば、そういうことなのです。
コメントをくださった、ままちゃんさん、ゆりさんの仰るとおりなのです。
子どもだった時分に見ていた50歳の大人は、
果てしなく大人で、人生の達人で、なんでも知りえている存在でした。
疑いもなく、そう信じていました。
それに引き換え、わたしときたら、まるで成長の止まったような、
無知蒙昧を絵に描いたような、空洞人間のまま歳を重ねてしまっています。
世のなんたるかも、難しい話題も、上っ面のことしか見えていない、見た目だけの大人にしかなれていません。
難しいことがわからなくても、大切なことに気づけたことだけが救いかもしれないと言い聞かせて、
なんとか生きているといった具合です。
とはいえ、自分で知見を増やし、経験を積むことには時間という制約もある。
となれば、誰かの人生を聴かせていただいて、少しでも自分の人生を豊かにしたい。
まったく虫のいい話ですが、そうやって自らの人生を実りあるものにするために、
新しい仕事をはじめたというのが、事実なのです。
人生の先達、同年代の方々、若き時代を生きている皆さんのお話を聴かせていただき、
大波小波を乗り越えたいまだからこそ持てる回顧を楽しむ時間、
背負うものが多くなったプレッシャーを軽減させる時間、
将来に不安を抱きながら職場での不遇を解消する時間、
そういう時間を提供することができたのなら、
なんて素敵なことだろうという、あまりに単純な感情から、
後半生の幕を開けさせていただきました。
そうして、「人生の本番」を「あと50年続」けていけるように、進んでいこうと思います。