お久しぶりでございます。
まるで願掛けのように、
こうして、ここに綴ることを控えようと思ってから、
ずいぶんと時が流れておりました。
十数ヶ月前まで、ここに記していたものをお読みくださったみなさまに、
またこうして書き始めたことに気づいていただけたら、うれしいかぎりです。
願掛けの甲斐があったことを実感できるようになりましたので、
こうして、ここに綴ることも許されるかなと、
根拠もなく判断してみました。
齢五十を目前にして、人生の残された時間を、
どのように進めていくべきなのか。
これまでの人生を顧みたときに、果たして自分にできることとは、何なのか。
これからの人生を想ったときに、有意と思えることは、どういうことなのか。
逡巡しつづけ、後半生の一歩を弱々と踏み出していました。
***********************
大学教員の職を辞し、職名もない「聴くを生業とした個人」へと転身しておりました。
20人、50人、100人、150人、200人と、授業によりその規模は異なるとも、
一度に複数の人々へ発信する仕事から、たった一人の目の前の方のお話に耳を傾ける、
一見すると、取舵から面舵へというような舵切りにも思えます。
しかし、実際のところはそうでもないのです。
たしかに授業では、「1: 複数」という構図になりますが、
授業以外では、面談やカウンセリング、
はたまた卒業した元学生の職場にまつわる相談など、
さまざまな「1:1」の場を研究室で持つこととなります。
とかく、上下関係、一方通行といったイメージになりそうな教員と学生という立場ですが、
それは、教員の考え方、もっと言ってしまえば人柄によって大きく異なるものかもしれません。
研究室での「1:1」という関係性においてだけでなく、授業においても同じことはいえます。
十年一日のごとく、同じノートで同じ講義を繰り返す教員もいれば、
教員自身も迷い、悩みながら、学生の意見に目から鱗を落としながら、ともに学んでいくスタイルの教員もいます。
これは、昨今の大学教育改革の旗手となりつつある、
「インタラクティブ授業」「アクティブラーニング」を実践する先生方の実感するところだと思います。
そして、そのような授業では、「1:1」の場面が間々生じます。
***********************
研究領域が「日本倫理思想史」、
研究分野が「人生観」「死生観」といったわたしなどは、
いつまで経っても、何もわからず、暗中模索の日々を過ごしているような有様でしたから、
学生たちから気づかされることが山のようにあり、
いったい、どちらが学ばせてもらっているのか、というような塩梅でした。
けれど、そのことで、たとえば、
目の前の人の話をそのままに聴くこと、そしてそれによって相手の心に並びうること、
その結果、ほんの少し気が楽になる瞬間を目の当たりにできたこと、
そういう経験を蓄積することができたことで、
わたし自身の取り柄に気づくことができたのだと思います。
「聴く」という取り柄に。
何を言うことも、何をしてあげることもできないけれど、
自然に「聴く」こと、
そして「安心」をいっときでも感じられるような空間を用意することはできるのかもしれないと。
実は、これまでここで記してきたものたちは、そんな日々から生まれてきた言葉たちでした。
そういう半生を過ごしてきた人間の葛藤が言葉に変わったもの。
それが詰まったブログでした。
今となっては、そうして言葉に変えていったことで、
これからの道らしきものに、たどり着けたような気がしています。
***********************
先行き不透明な船出でしたが、首尾よく運ぶことができたら、
最良の環境も整えたいと思っておりました。
自然と歴史という悠久の環境の下で、
大切に時を進めていくことができたらと想像を膨らませておりました。
それがいよいよ現実に向かう段となり、近く逗子の地に移り、
わたしという人間を必要としてくれる方々と向き合わせていただこうと予定しております。
これまで看板を掲げずに、友人・知人からのご紹介というつながりで、広めていただいた個人事業。
古都の傍に遷るという念願を叶えさせていただけたこれからは、
そのような場があったらいいなと考えていらした方々を、
逗子の地でお迎えしたいと思っています。
***********************
とはいえ、新たな地での出発に向け、
その準備を進めていかなくてはならない状況、それ以上に生来のズボラさゆえ、
なかなか、定期的にブログを更新することもままならないような気がします。
それまでは、時間の許すときにアップする新たな日記と、
これまで記していたものの蔵出しという形で、
毎日更新させていただければと思います。
お休みをいただいておりましたが、
本日より、あらためて、お付き合いをいただければ幸いです。
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
まるで願掛けのように、
こうして、ここに綴ることを控えようと思ってから、
ずいぶんと時が流れておりました。
十数ヶ月前まで、ここに記していたものをお読みくださったみなさまに、
またこうして書き始めたことに気づいていただけたら、うれしいかぎりです。
願掛けの甲斐があったことを実感できるようになりましたので、
こうして、ここに綴ることも許されるかなと、
根拠もなく判断してみました。
齢五十を目前にして、人生の残された時間を、
どのように進めていくべきなのか。
これまでの人生を顧みたときに、果たして自分にできることとは、何なのか。
これからの人生を想ったときに、有意と思えることは、どういうことなのか。
逡巡しつづけ、後半生の一歩を弱々と踏み出していました。
***********************
大学教員の職を辞し、職名もない「聴くを生業とした個人」へと転身しておりました。
20人、50人、100人、150人、200人と、授業によりその規模は異なるとも、
一度に複数の人々へ発信する仕事から、たった一人の目の前の方のお話に耳を傾ける、
一見すると、取舵から面舵へというような舵切りにも思えます。
しかし、実際のところはそうでもないのです。
たしかに授業では、「1: 複数」という構図になりますが、
授業以外では、面談やカウンセリング、
はたまた卒業した元学生の職場にまつわる相談など、
さまざまな「1:1」の場を研究室で持つこととなります。
とかく、上下関係、一方通行といったイメージになりそうな教員と学生という立場ですが、
それは、教員の考え方、もっと言ってしまえば人柄によって大きく異なるものかもしれません。
研究室での「1:1」という関係性においてだけでなく、授業においても同じことはいえます。
十年一日のごとく、同じノートで同じ講義を繰り返す教員もいれば、
教員自身も迷い、悩みながら、学生の意見に目から鱗を落としながら、ともに学んでいくスタイルの教員もいます。
これは、昨今の大学教育改革の旗手となりつつある、
「インタラクティブ授業」「アクティブラーニング」を実践する先生方の実感するところだと思います。
そして、そのような授業では、「1:1」の場面が間々生じます。
***********************
研究領域が「日本倫理思想史」、
研究分野が「人生観」「死生観」といったわたしなどは、
いつまで経っても、何もわからず、暗中模索の日々を過ごしているような有様でしたから、
学生たちから気づかされることが山のようにあり、
いったい、どちらが学ばせてもらっているのか、というような塩梅でした。
けれど、そのことで、たとえば、
目の前の人の話をそのままに聴くこと、そしてそれによって相手の心に並びうること、
その結果、ほんの少し気が楽になる瞬間を目の当たりにできたこと、
そういう経験を蓄積することができたことで、
わたし自身の取り柄に気づくことができたのだと思います。
「聴く」という取り柄に。
何を言うことも、何をしてあげることもできないけれど、
自然に「聴く」こと、
そして「安心」をいっときでも感じられるような空間を用意することはできるのかもしれないと。
実は、これまでここで記してきたものたちは、そんな日々から生まれてきた言葉たちでした。
そういう半生を過ごしてきた人間の葛藤が言葉に変わったもの。
それが詰まったブログでした。
今となっては、そうして言葉に変えていったことで、
これからの道らしきものに、たどり着けたような気がしています。
***********************
先行き不透明な船出でしたが、首尾よく運ぶことができたら、
最良の環境も整えたいと思っておりました。
自然と歴史という悠久の環境の下で、
大切に時を進めていくことができたらと想像を膨らませておりました。
それがいよいよ現実に向かう段となり、近く逗子の地に移り、
わたしという人間を必要としてくれる方々と向き合わせていただこうと予定しております。
これまで看板を掲げずに、友人・知人からのご紹介というつながりで、広めていただいた個人事業。
古都の傍に遷るという念願を叶えさせていただけたこれからは、
そのような場があったらいいなと考えていらした方々を、
逗子の地でお迎えしたいと思っています。
***********************
とはいえ、新たな地での出発に向け、
その準備を進めていかなくてはならない状況、それ以上に生来のズボラさゆえ、
なかなか、定期的にブログを更新することもままならないような気がします。
それまでは、時間の許すときにアップする新たな日記と、
これまで記していたものの蔵出しという形で、
毎日更新させていただければと思います。
お休みをいただいておりましたが、
本日より、あらためて、お付き合いをいただければ幸いです。
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
お帰りなさい。
拝見させていただきまして・・・
どうりで・・・でした。
人生の本番はこれからだと思います。
100歳現実は夢の世界ではないことを周りの方々で感じておりますもの!
再びよろしくお願いいたします。
こころが溶けるコメントを、ありがとうございます。このような温かいお言葉を掛けていただけるように、進んでまいりますので、あと50年もよろしくお願いいたします。
いくつもすみません。すっかり遠ざかっていたことで、タイトルを記す手順を忘れておりました。
ただいま、でございます。
ご無沙汰いたしておりました。
ただいま、戻りました。
戻ってくるなり、懐かしのゆりさんテイストに、励まされ、癒されました。
凡庸な感性でも、いつでもピカピカに磨いて、人生の本番に進んでいこうと思います。
わたしの方こそ、再び、よろしくお願いいたします!