こんにちは!はんなり伊豆高原です!
伊豆高原で、人気のケーキ&洋菓子屋さん
『レマンの森』
久しぶりに通りがかると、小さなお家ができてた!
何でもお父様が一人で造りあげたとか。。
どんどん『お菓子の家』のような雰囲気になって来ました。
ラベンダーをはじめ、様々なハーブが植えてあり、
ターシャテューダーが出てきそうです
テラスはわんこOKですョ!
~ターシャ・テューダー~
ターシャ・テューダー(Tasha Tudor、1915年8月28日 - 2008年6月18日)はアメリカの絵本画家・挿絵画家・園芸家(ガーデナー)・人形作家である。彼女の描く絵は「アメリカ人の心を表現する」絵と言われ、クリスマスカードや感謝祭、ホワイトハウスのポスターによく使われている。50歳代半ばよりバーモント州の小さな町のはずれで自給自足の一人暮らしを始め1800年代の農村の生活に学び、彼女の住む広大な庭で季節の花々を育て続けるライフ・スタイルは、日本でも注目を集めた。1915年8月28日、マサチューセッツ州ボストンで生まれる。父ウィリアム・スターリング・バージェスはヨットや飛行機の設計技師、母ロザモンド・テューダーは肖像画家で、二人ともボストンの旧家の出身だった。誕生時に父のミドルネームをとってスターリング・バージェスと名付けられたが、父が『戦争と平和』の登場人物ナターシャを気に入っていたため、すぐにナターシャと改名された。ターシャはナターシャの愛称であり、母の友人たちにはしばしば「ロザモンド・テューダーの娘ターシャ」と紹介されたため、家族以外にはテューダーが本名だと思われるようになり、ターシャ本人もターシャ・テューダーという響きを気に入り、後に筆名および本名とした。バージェス家とテューダー家はどちらも、電話を発明したベル等そうそうたる文化人と交流を持っていた。しかしターシャはそんな華やかな世界が好きになれず、社交界デビューを断ってパーティから逃げ出してばかりいた。ターシャには農場のほうが魅力的でいつも牛を欲しがっていたという。読書家で話好きだった父からは想像力が養われ、肖像画家だった母からは絵の手ほどきを受け小さい頃から絵本を作って遊んでいた。9歳のときに両親が離婚し、母ロザモンドに引き取られたが、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジに転居することになった母が子供の成育には都会よりも田舎の方が向いていると考えたため、コネチカット州レディングに住む両親の友人の家に預けられ、週末だけ母の住むニューヨークを訪れるようになった。ターシャはボストンよりも自然の多いレディングを愛した。13歳の誕生日に念願の牛を買ってもらったターシャは、15歳で学校を辞めて迷わず絵画と農業の道を選んだ。農業で培った経験は自給自足の精神を育て、子供たちに絵本を作ったり花を育てたりその後のライフスタイルに大いに影響することになる。1938年、23歳でトーマス・マクリーディとレディングで結婚し、同年夫の強いすすめでデビュー作の絵本『パンプキン・ムーンシャイン』(Pumpkin Moonshine)を出版した。長女ベサニー、長男セス、次男トーマス、次女エフナーと4人の子供に恵まれるが、1961年に46歳で離婚し、同年正式にターシャ・テューダーと本名を改めた。この時子供たちもテューダー姓に改名した。1960年代にアラン・ジョン・ウッズと再婚したが、数年で離婚している。生涯を通し80冊以上の本を出版。次々と出版された作品はそれまで古典が中心だった児童文学に新風を吹き込んだ。身近な世界が舞台となった話にアメリカ中の子供たちが夢中になった。1945年に77の詩に挿絵の入った『マザー・グース』という絵本で、絵本画家に贈られる最も権威あるコールデコット賞の次点作(オナー賞)に選ばれた。同年ニューハンプシャー州ウェブスターの古い農場を買い取って移住。その後、1957年に数字やアルファベットの絵本『1 is One』という作品で再びコールデコット・オナー賞を受賞する。コーギー犬が大活躍する絵本『コーギービル』シリーズはターシャの代表作である。1968年にルイーザ・メイ・オルコット著の『若草物語』の挿絵を描いている。若草物語に登場する末娘のエイミーにプロポーズする青年のモデルはマサチューセッツの氷を世界中に輸出して財を築いたターシャの曽祖父、フレデリック・テューダーである。1971年に児童文学に対する貢献を評価されて、リジャイナ・メダルを受賞する。晩年にバーモント大学から名誉博士号を授与された。1972年、57歳の時に思う存分庭造りをするためにバーモント州南部の小さな町はずれマールボロに移り住み、19世紀頃の開拓時代スタイルのスローライフな生活を営んだ。およそ30万坪の広大な土地に、家具職人である長男セスはターシャの希望する年季の入った古びた家になるように18世紀の工法を研究し、たった1人で家を造り上げた。家と庭の一帯を「コーギー・コテージ」と呼び、電気や水道等、近代設備は最小限に留め暖炉とベッドとロッキングチェアー、薪オーブンがあるような質素な室内と古い道具を使う昔ながらの生活を実践した。一日の大半を草花の手入れに費やし、小花模様のドレスやエプロンを手作りし山羊の乳を搾り、庭でとれた果実で、ジャムやジェリー(透明なジャム)を作りパイを焼いたりした。16歳の時にパン作りのコンクールで優勝したこともあるほど料理は得意で、料理の秘訣は「近道を探さないこと」がモットー。挿絵入りの料理本(『ターシャ・テューダーのクックブック』)を出版したこともあった。コーギー犬の「メギー」が良きパートナーで、他にもハトやニワトリなどの小動物と共に暮らしていた。16時半、庭先のポーチでお茶を飲むのが日課。日記代わりに周りの草花や動物達をスケッチした。毎日のように歩いて10分ほどのところに住んでいる長男のセスが訪ねてきて水遣りや買い物や力仕事など甲斐甲斐しく母を助け、高齢の母親の暮らしを見守っていた。2008年6月18日に自宅で家族、友人に囲まれて逝去。92歳没。3歳の時にベルの家に咲いていた中国原産のバラの花ロサ・ユゴニス(Rosa hugonis)を見て花の魅力に目覚め、将来自分もこんな花を咲かせる人になろうと心に決める。ベルがポケットにルピナスの種を入れて行く先々でまいてアメリカ中にルピナスの花を咲かせたという話をベルの娘の親友だった母から聞いて、とても感動し強く影響を受ける。思想家ヘンリー・デイヴィッド・ソローがマサチューセッツ州コンコード郊外のウォールデン湖のほとりで自給自足の暮らしを実践した著書『ウォールデン-森の生活』から、ソローの思想に大きく影響を受ける。ちなみに氷商だった曽祖父フレデリック・テューダーが人を雇ってウォールデン湖の氷を切り出させていたことから、同書の中にフレデリックに関する記述が登場する。。。