嗜好を志向する思考系ブログ。

田舎の先進性

田舎とは、「社会関係資本」を積極的に形成し、以て自らを活性化する地域形態をいう。   


などと小難しい事を書いてみましたが、先ほど地元の会合で進行係をやって頭が疲れ切ってまして、何も考えつかないままに思い出した単語を上げてみました。

「社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)」

地域”社会”における人間”関係”は、その地域の”資本”である。
簡単に言えば、”近所づきあいは地域の財産”とする社会学的な考え方です。
10年ほど前に、某まちづくり団体に参加していた時に教わった単語ですが、最初聞いたときは???状態。
資本とか資産とか、会計用語(?)みたいなのは聞いた事はあるけど、全然イメージがつかない。
けど、上記を理解して周りを見てみると、日本社会、特に田舎ではこういうことが昔から自然に実践されてるんです。
地域社会というものは、所属する人達の関係が密になる程に活性化して行きます。
田舎は、マンパワーが足りないが故に、地域を活性化させることでそれを補って来た訳です。


以前、義務と権利ということを考えた時に、「地域社会は義務から始まる」という考えに行き着きました。
おそらく日本全国どこでも、作業やら当番やらが地域で慣習化され、義務化されてるんじゃないでしょうか。
じつは、そうして義務という形で地域に関わらせることで、地域に孤立する者を作らない形になっています。
「地域社会って言っても、表面的な関係でしょ?」
と思われるかもしれませんが、地域に自分の役割があり必要とされている状況は自己肯定に繋がり、”所属の欲求”を満たすことで心のバランスが図られます。

また地域社会では、社会的弱者を地域で意識するようになり、日常の挨拶という形で安否確認が行われます。
阪神淡路大震災の時の話し。
淡路島の某地区では消防団の的確な救助活動により、死亡者を1名も出さなかったという伝説的な話しがあります。
そもそも消防団には近所の誰かしらが入っているんですが、近所づきあいの中で情報共有がしっかりなされており、的確な救助活動が可能だったとのこと。
東日本大震災の時もそうでしたが、地域社会(コミュニティ)というものは、非常時にこそ真価を発揮するんです。


「出事が多い」「監視されてるみたい」
こうした部分が田舎のマイナス面として言われますが、本来は弱者救済(共助)のシステムなんですよね。
田舎であるほどに、心が精神社会寄りになり、人の繋がりが大切になる。
都会であるほどに、心が物質社会寄りになり、人の繋がりが面倒になる。
受け止めの違いは、そういった差なのかもしれません。




ウチにあるもので写真映えするものを探したんですが、私物から1つ。
左はコカコーラ誕生100周年、右は西暦2000年の記念ボトル。
(35年前と20年前のモノですが、まだ若干炭酸は生きてます。)
東京オリンピック記念ボトルを期待してたんですが、中央になりました。


(。・ω・。)

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