私は祖父母の介護のある家に生まれ(高齢者福祉)、
父から虐待を受けていた。(児童福祉)
その父が私が高校生の時に倒れ、(身体障害者福祉)
最重度の障害者となり、
途中で介護保険制度がスタートした。(介護保険)
若かりし日に付き合った人がロクでもなくて、DVを受けて、逃げた。(女性保護。デートDV)
その頃に何かを思い立って、ヘルパー2級を取得した。
介護保険を意識していたのかもしれない。
いろいろあって、結婚し、生まれたプチ姫は知的障害児。(知的障害福祉)
介護の仕事からのたたき上げで
父と死別し、
介護支援専門員を取得して、離婚した。(ひとり親家庭の福祉)
そこからは障害児の育児をしながら、役員活動を通じて、行政に働きかけ、
仕事をしながら、ひとり親家庭で生活していた。
受験資格を得るために勉強はしていたけどね。
という私は、『生きているだけで社会福祉士』という感じだった。
だけど、『社会福祉士』がなかった。
ヘルパー2級すら持っていなかった新卒時代・・・
『社会福祉主事』だけで、『特別養護老人ホーム』に『寮母職』
(※介護保険以前の『介護職』という名称がない時代)で働いた。
私は現場からのたたき上げである。
結婚して、介護保険の時代になった。
再就職し、しばらくして、また「福祉の仕事がしたくなった」・・・
ただ、その頃はプチ姫の障害を知らない私。
『養護学校教員免許』の取得のために
『東北福祉大学 通信教育学部』の『科目等履修生』になったら
プチ姫の障害が分かった。
その頃からかな・・・?!勉強熱心になったのは?!
いろいろな意味があった。
親として、プチ姫に精一杯のことをしたかった。
『母親の感情論』としないためにプロになりたかった。
仕事をしていた方が、プチ姫は『保育園』や『学童クラブ』という手厚い支援を受けられた。
仕事を普段して、託児を確保していれば、身内に協力者がいなくても勉強できた。
公的支援が強い味方だった。
仕事としても『ゆりかごから墓場まで支援出来る人材』になりたかった。
私のライフワークは『福祉』以外、考えられなくなっていた。
プチ姫という障害児の育児。
どーしても家族としては育児・障害支援・介護は仕事のハンデとなる。
ハンデを乗り越えるために資格が必要だった。
まして、ひとり親で生きていくために・・・
私の仕事は社会福祉。それは、自分自身を救うため。
私の人生はロクな事を知らない。
ただ、マイナスにしかならない苦労をプラスに変えるのは
ピアカウンセリングの要素を使って、仕事をすることしかなかった。
また、福祉系の仕事だから、プチ姫の理解を得られる。
父が勉強熱心で、技術屋だったので、遺伝的にも環境的にも影響を受けていた。
ただし、私のことをロクすっぽ、褒めたことはない。
今では無理なのを知っているけど、認めさせたかった。
まあ、そういういろいろな意味で、資格を取得したかったよ。
ただ、どこのどのタイミングで決心して!!というわけではない。
何となく、流されて(というか、適切な場所にたどり着いた。
不思議なことに納まるところに納まっている感じがする。)というか、
ありがたい不思議な縁に導かれて・・・という感じだろうか?
スキルアップしていくことが出来た。
父から虐待を受けていた。(児童福祉)
その父が私が高校生の時に倒れ、(身体障害者福祉)
最重度の障害者となり、
途中で介護保険制度がスタートした。(介護保険)
若かりし日に付き合った人がロクでもなくて、DVを受けて、逃げた。(女性保護。デートDV)
その頃に何かを思い立って、ヘルパー2級を取得した。
介護保険を意識していたのかもしれない。
いろいろあって、結婚し、生まれたプチ姫は知的障害児。(知的障害福祉)
介護の仕事からのたたき上げで
父と死別し、
介護支援専門員を取得して、離婚した。(ひとり親家庭の福祉)
そこからは障害児の育児をしながら、役員活動を通じて、行政に働きかけ、
仕事をしながら、ひとり親家庭で生活していた。
受験資格を得るために勉強はしていたけどね。
という私は、『生きているだけで社会福祉士』という感じだった。
だけど、『社会福祉士』がなかった。
ヘルパー2級すら持っていなかった新卒時代・・・
『社会福祉主事』だけで、『特別養護老人ホーム』に『寮母職』
(※介護保険以前の『介護職』という名称がない時代)で働いた。
私は現場からのたたき上げである。
結婚して、介護保険の時代になった。
再就職し、しばらくして、また「福祉の仕事がしたくなった」・・・
ただ、その頃はプチ姫の障害を知らない私。
『養護学校教員免許』の取得のために
『東北福祉大学 通信教育学部』の『科目等履修生』になったら
プチ姫の障害が分かった。
その頃からかな・・・?!勉強熱心になったのは?!
いろいろな意味があった。
親として、プチ姫に精一杯のことをしたかった。
『母親の感情論』としないためにプロになりたかった。
仕事をしていた方が、プチ姫は『保育園』や『学童クラブ』という手厚い支援を受けられた。
仕事を普段して、託児を確保していれば、身内に協力者がいなくても勉強できた。
公的支援が強い味方だった。
仕事としても『ゆりかごから墓場まで支援出来る人材』になりたかった。
私のライフワークは『福祉』以外、考えられなくなっていた。
プチ姫という障害児の育児。
どーしても家族としては育児・障害支援・介護は仕事のハンデとなる。
ハンデを乗り越えるために資格が必要だった。
まして、ひとり親で生きていくために・・・
私の仕事は社会福祉。それは、自分自身を救うため。
私の人生はロクな事を知らない。
ただ、マイナスにしかならない苦労をプラスに変えるのは
ピアカウンセリングの要素を使って、仕事をすることしかなかった。
また、福祉系の仕事だから、プチ姫の理解を得られる。
父が勉強熱心で、技術屋だったので、遺伝的にも環境的にも影響を受けていた。
ただし、私のことをロクすっぽ、褒めたことはない。
今では無理なのを知っているけど、認めさせたかった。
まあ、そういういろいろな意味で、資格を取得したかったよ。
ただ、どこのどのタイミングで決心して!!というわけではない。
何となく、流されて(というか、適切な場所にたどり着いた。
不思議なことに納まるところに納まっている感じがする。)というか、
ありがたい不思議な縁に導かれて・・・という感じだろうか?
スキルアップしていくことが出来た。