リニューアル☆姐さんの日記帳 gooバージョン

長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものこそ思へ

働き続けることがこんなにも難しい・・・その1

2012-02-17 20:25:39 | 子育て
それでも、私たち親子は挑戦し続ける。
真のノーマライゼーションを目指して!!

今日は『小学校の卒業証書』のコピーが届いた。
間違いがないか、確認するために。
間違いはなかったけど・・・

そもそも元夫が転勤族だったこともあって、プチ姫は
保育園は6度の入転園を繰り返している。
そのプチ姫が1ヶ所の小学校に6年通えた・・・
それだけでも奇跡的なことだと思う。
しかも殆ど、皆勤賞だ!!

1年生・・・スクールプログラムの療育で日1/月くらい休んでいた。病欠ではない。
2年生・・・私の父親の葬儀で忌引きで3日くらい休んだ。だから皆勤賞。
3年生・・・インフルエンザだったけど、学級閉鎖だった。だから皆勤賞。
4年生・・・皆勤賞。
5年生・・・皆勤賞。
6年生・・・皆勤賞(今のところ)

離婚の時に隣の市に引っ越しをしようと思っていた。
『学習発表会』の出来が良すぎて、もったいなかったからやめた。
別居と転居で『区域外通学』を申し込んで認められた。

思い起こせば、ずいぶん大変な入学だった。
普通の子が普通に地域の小学校に行けるのに、『就学相談』は大バトルだった。
入るだけですごく大変だった。

だから、うるっときた・・・
感慨深い。

ただし、入ってからは↑の通り。
皆勤賞で学校に通った。

Q小学校に通えたから、学童クラブを利用し、私は働き続けることが出来た。

学童があって、プチ姫の場合、運にも助けられ、
『障害児』の『2名枠』に泣くこともなく(追い出されもせず)
『介助員』の問題もなく(プチ姫には同じ先生が6年間介助員として付き添ってくれた。)
学童生活を6年間、楽しく送った。
その代わり、私は父母連役員を6年間やった。

その間に戦区の『学童クラブ』はずいぶん充実してきた。
入学式の日の1年生以外の保育の実施。
三期休業期間の8:15の開所。
障害児の2名枠の緩和。
障害児介助員の充実。

『障害支援』の方も進んだ。
ただし、『移動支援』に関しては『不服申し立て』を3回した。
『自立支援法』の『移行期』には『不服申し立て』が出来なくなって、
『東京都』や『自閉症協会』に相談して、
『行政処分』にして、『不服申し立て』を受け付けてもらえるようにした。

『緊急一時保護』は『日中一時支援』となって誰でも利用できるようになった。
『小学生』には支給のなかった『移動支援』もプチ姫が
3年生の時に小学生にも支給となった。

ガチガチの障害福祉課も私の離婚後はずいぶん、寄り添って支援してくれた。
学童で不足する分を『障害児』『ひとり親家庭』として、
『居宅支援』や『移動支援』を給付して対応してくれた。

感謝しています。
でも、そのためにものすごく頑張ってきました。
私以外の親が誰が出来るだろう???と思いながら・・・
「私に出来なければ、誰にも出来ない。」そう思った。
ただ、自分を通した『障害児支援』『子育て支援』を充実させるために
どれだけ、頑張ってきたか、分からない・・・

続きます。



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