この世のどこかに
雨の夜をさ迷うあなたの目の前にだけ
その店は現れると言う
それは 古びた橙色の灯りとともに―
【夢幻喫茶 Only Once.】
帰りたい
けれども帰れない
帰りたい場所は窮屈で
息苦しいし 生き苦しい
傘を持たない僕に霧雨が纏わりつく
腰かけるベンチも無く 歩くのも億劫だ
ぼんやり歩いて、歩いて、どこに来たのかわからない
足元の黒い水たまりに淡い光が揺れたのはその時だった
光はほのかにあたたかく
熱源の方へ顔を上げてみると
さっきまで何も無かったはずの場所に
小さなお店があるのが見えた
【夢幻喫茶 Only Once.】
「OPEN」
小さなプレートに
掠れた文字でそう書いてあった
かすかに香る雨の匂い
そして雨のすき間に漂うコーヒーの薫り
こんなお店があった事を
この地に長く住む僕はひとつも知らなかった
そういえば雨に濡れて冷えている
ポケットに手を入れるとじゃら、と音が鳴った
(一杯のコーヒーくらいなら飲めるだろう―)
僕は その木製の扉をそっと押した
ギィーーーーーー・・・・・・
小さく見えたお店は
扉の中に入ると思ったよりも広い
夜とも昼とも思えない真っ白な空間に
カウンターを挟んで椅子がひとつ
顔の見えないマスターがコーヒーを入れている
マスターは
どうやらこちらを見て
「どうぞ」と
席に座るよう促しているらしい
音の鳴らない椅子に腰かけて
「コーヒーをください」
いろいろな疑問はさて置いて そう伝えた
それほどまでに
店内はコーヒーのいい薫りで満ちていたのだ
コーヒーが出されるまでの間
僕は何も言わなかったし
マスターも何も言わなかったし
何かを訊ねる事もしなかった
BGMも流れていない
ほぼほぼ静寂一色の空間に
コーヒーが流れ落ちる音だけが響く
その僅かな時間の中で、
今日起こった悲しい事、
つらい出来事と改めて対峙する。
血より濃いものがこの世にあるとして、
血より強いつながりがこの世にあるとして、
僕らがお互いわかり合えるとは限らないし、
もしかするとわかり合えなくてもいいんだろう。
お互いの間に空白という距離があるからこそ、
どうにか共生できていて、
必要とし、必要としたいと思えるのではないのか?
明日にはまた悲しい思いをするかもしれないし、
けれどもそうではない未来かもしれない。
昨日の僕には想像もできなかった出来事。
たとえば今 この店にいるような出来事が―
また、起こるかもしれない。
悲しい事ではなくて、
それは希望かも、しれない。
一秒先の自分を、誰かを、
諦めなくても良いだろうか?
何度挫けても、苦しくても。
手放さなくても、良いだろうか?
――カチャリ・・・・・・
目の前に華奢なカップが置かれる
漆黒と琥珀の合間のような
優しい夜の色をしたコーヒー
季節と季節の合間の匂いにも似た
心をくすぐる薫りをした一杯
あたたかさ
そして
おだやかさ
ほろ苦さ
のち
香ばしさ
人生の厳しさ
その後に訪れる
些細な喜びの味を
静かに
しずかに
噛みしめるように
飲 ん だ ― ― ―
―――まぶしい・・・
いつの間にか 朝
僕は自室のベッドで眠っていた
いつからが夢?
すべてが夢?
(いいや あれは現実だ!)
室内には
あのコーヒーのひどく懐かしい匂いの
残り香が漂っているから
からだを起こして台所へ向かう
いつものようにインスタントコーヒーを入れて
一分かからず機械的に飲み干した
―きっと
あの店には二度と行けないのだろう
孤独に寄り添うような
あのコーヒーを飲む事は
人生で
あの夜一度きりなのだろう
「一度だけ」
はじめからあの古びたプレートは
そう告げていたのだから
※
タイトルにもあるように、このブログの元になった作。
思い入れが強く、一から今の言葉で書き直してみようと思いました。
非現実と現実が融合した世界を描ききってみたくもあります。
yu,
私の好きな珈琲の香りが。不思議な香りの訳とともに。
余韻が珈琲の香りのように漂いますね。
こんばんは。
日中は暑さ厳しく、そろそろ夜は秋の気配も。
以前、この手の作を、「詩物語」として書いておりました。
おそらく読みづらかったかと思いますが、
お読み下さり、ありがとうございます。。。
現実世界にこんな喫茶は現れてはくれませんが、
もしも現れてくれるなら、雨の夜に外へ飛び出していきます。
この世で一度きりのコーヒー、
一体どんな気持ちで飲むのか、自分も知りたいからです。
もうすぐコーヒーも、
地域によってはホットが美味しくなってきますね。
そんなところからも季節を感じます。
そう感じていただけてとても嬉しいです。
無い物を想像してもらえるように書くのは、
実は不得手なので。。。
好きなものをありったけ詰め込んだので、
想像するにも困難なものを書きましたが、
あたたかいお言葉をいただき、感謝申し上げます。
自分は ふと思いですことができましたーーーなんか山間でーー
思わず 『病気になったときはどうするの』と聞いてしまいましたーー
懐かしい 偶然だねーーーびっくりーーー
こんな喫茶店 行ったことがあります 山間にある一軒家のようなーーーー長い道の途中にある一軒家ーーー思わず 『病気の時はどうするの』と聞いたほどです
yuさんのイメージとは 乖離があることでしょうが―ー自分には
思い出される風景です
詩も絵も 一緒の景色ですーーー 思い出さてくれてありがとう
コメント、いつもありがとうございます。
実在しない場所を書きましたが、
わたしが行った事のある場所をモデルにしていました。
ところが!
これは以前、初めてこの作の原型を書いた時は知らなかった事なのですが、
わたしがモデルにした店は、喫茶店ではないとの事で。。。
つまりほぼほぼ、現実には存在しないものを、
想像のみで書いてしまったという事でした…。
saruruさんは似たような場所に訪れた事があるのですね!
コメントから、やさしい隠れ家のようなイメージを持ちました。
もしもこの世のどこかに、
本当に、一度しか行けないこんな喫茶店があるとしたら、
わたしは何を求めてそこに行くのか―
その日が来たら、コーヒーの味だけは噛みしめ覚えていたいものです。
ありがとうございました!