金ケ崎城跡・天筒山城跡碑と記された大きな石碑に、詳しい歴史情報が刻まれていました。 それは金ケ崎という場所で、歴史の転換点となる合戦が2度行われたというものです。一度目は南北朝時代で、二度目は戦国時代です。戦国時代の「金ヶ崎の退き口」という表現で知られる織田信長の撤退戦については、ドラマでも取り上げられることがあったので知っていたのですが、一度目の南北朝時代の合戦の知識は無かったのです。事典よると「南北朝時代の延元元年/建武3年(1336年)から翌延元2年/建武4年(1337年)3月にかけて、越前国金ヶ崎城(福井県敦賀市)に籠城する新田義貞率いる建武政権残党軍(のち南朝方)の軍勢と、それを攻撃する斯波高経率いる室町幕府・北朝方の軍勢との間で行われた戦いである。」と記されています。新田義貞については歴史上の有名人で、この石碑で見たときにも、「そうだったのか」という思いがしたのです。石碑には、これら南北朝時代、戦国時代の合戦に関わった人物の家紋が並べられ、武将の名前が記されています。
30秒の心象風景26860・合戦の歴史~金ケ崎城跡・天筒山城跡碑~
https://youtu.be/LJI7S2fr8gg