健康と鍼灸マッサージ in キュアーズ長町 season 14 宮城県仙台市太白区長町七丁目にある鍼灸マッサージ治療院

ぴーちゃんによる鍼灸マッサージ雑学と独り言・14年目&食いしん坊な食べ歩き日記とクライミング雑記

東日本大震災 あれから1ヶ月 復興の道のりは遠く

2011年04月11日 | 独り言
3月11日14時46分の、東北地方太平洋沖地震発生から1ヶ月が経過した。
被災地の瓦礫撤去作業も少しずつ進み、商店やスーパーの店舗も順次再開し始め、震災前の生活に戻ろうとしている。
我が地区は依然としてガスの供給が行われておらず、相変わらず不便な生活をしている。
しかし、沿岸部の被災地では電気はおろか、ガスも水道も供給されていない地区も多くあり、電気と水道が復旧しているだけでも有り難い限りである。
故郷、気仙沼での電気も徐々に回復してきていると聞く。
JRも運転を再開し、大きな余震も減ってきた。
あぁ、やっと落ち着いて復興へ向かおうとしてるんだなと感じた。
しかし、その希望は脆くも打ち砕かれた。
4月7日23時32分、震災後最大級の震度6強という余震が襲う。
東北地方の大規模停電、JRの再度の損壊、東北自動車道の崩落、一部のガス復旧地区で再度の供給停止、3.11大地震で耐えた建物の倒壊など。
復旧作業に粉骨砕身で当たられている方々の、心が折れそうになるような事態。
昨日、妻と歩いていける距離にあるホームセンターへ行く途中、近所の郵便局が倒壊してペチャンコ状態になっているのを見た。
3.11大地震で倒壊し、4.7余震で止めを刺されたようだ。
今日、弟と耳鼻科へ行ったが、道路や歩道の隆起、陥没は激しさを増していた。
今の仙台も、3度目の大地震を耐え切れるのかは疑問である。
もちろん、我が家も、我が治療院も。
お願いだから、震度6強を超える余震、これ以上は勘弁して欲しい。
宮城県は復興計画に10年の年月を要するとしている。
初めの3年を復旧期、次の4年を再生期、最後の3年を発展期と位置づける復興計画。
復興の道のりは遠い。
4月11日14時46分、鎮魂の祈りを捧げつつ、一日も早い復興も同時に願う。
頑張ろう東北!
頑張ろう宮城!
頑張れ仙台!!
ガンバ!俺!!


東日本大震災 あれから4週間 震度6強の余震って?

2011年04月08日 | 独り言
東日本大震災発生4週間を目の前にして、昨夜の大きな余震はビックリした。
M7.4、震度6強の余震って、あり得ない強さ。
我が家の地区はガスの供給がまだなので、昨夜は仙台モンキーマジック仲間のセトさん家にお風呂を借りに行ってきたところ。
せっかくサッパリとした体でリラックスしていたのに。
完全に寝入りばなを教われた。
3月11日の大地震のときのように、「ドドドドドド…」という大きな地鳴りが!
半分以上寝ていたが、「来る!」と思い、妻を叩き起こして、枕もとの懐中電灯と携帯電話を掴んで玄関へ。
起き上がって数歩。
グラグラと激しい揺れが襲ってくる。
手の中では、タイミング遅れのエリアメールが「ビュー!ビュー!」と携帯電話を鳴らしている。
そんなことには構う暇も無く、避難路確保のため急いで玄関を開ける。
揺れは1分半くらいだったのだろうか?
真っ暗な中、ガラガラと音を立て、様々な物が落ちてきていた。
電気を点けてみると、前回の大地震ほどではなかったものの、部屋の中は再び物が落下し散乱していた。
携帯電話、今回の発信機制覇早かった。
直後から普通。
仕方ないので、片づけをしながらテレビを見る。
またもや大規模な停電、津波警報の発令、仙台市内の中継が放映されていた。
しかし、幸いなことに今回、我々の住んでいる地区は停電を免れることが出来た。
電話がダメだったので、震災以来、実家に非難してきている弟が走って我々の安否を確認に来た。
家の方も、大きな被害無く一安心。
結局気象庁の発表や、経済産業省原子力・安全保安院の発表などを見ながら、余震の余震を警戒していたら1時半を回ってしまった。
そしてまた、不安な寝不足の一夜を過ごすことになった。
今日は東北地方太平洋沖地震発生から、ちょうど4週間。
想定宮城県沖地震と同規模の大きな余震、一体いつまで続くのだろうか?
早く収束してくるれることを願う。