花がいっぱい。

どんな花も無心に
咲いているから素敵なんだって。
無心になんかなれないよ。
どれもこれも気になっちゃってるんです

芸術新潮

2006年10月27日 | BOOK
再び出ました(?)仏像好きの私にもってこいの雑誌!
まあ表紙は、私が大好き~!って仏像ではありませんが、
私が大好きな弥勒さん(東大寺の弥勒仏坐像で「試みの大仏」)が載っている!
横顔で!!
けっこう正面はインパクト強烈!です。
   (久々の仏像ネタです)
『芸術新潮』
 11月号 10月25日発売 特別定価1500円
『愛蔵版大特集
 日本の仏像誕生!

解説……金子啓明[かねこ・ひろあき 東京国立博物館]
    岩佐光晴[いわさ・みつはる 東京国立博物館]
撮影……広瀬達郎[本誌]

インドで生まれ、中国でそだった仏像が、
日本の風土と出会ったとき、なにがおきたのだろう?
仏像史の謎にせまる大特集のはじまりです
◆グラフ 木彫仏1000年
◆第1章 日本の仏像ことはじめ
◆第2章 日本の仏はなぜ木なのか?

◇グラフ みんなカヤだった
◇その1 鑑真がやってきた!
 さきがけは唐招提寺
 キーワードは「栢木」
 そして一木彫がのこった
◇その2 檀像ってなに?
◇その3 一木一途な仏たち

◆第3章 鉈彫への旅

◆第4章 歩いた、彫った、笑った 円空と木喰
一木彫と出会える場所

展覧会案内ってことで現在東京国立博物館では、
『仏像 一木(いちぼく)にこめられた祈り』
という特別展示を行っている。

渡岸寺の十一面観音もきている!湖北(琵琶湖)の観音道とも言われる中で一番人気の観音といっていいのでは?

2006年9月号では、「飛鳥」特集だったが、今回もまたまたやってくれた!って気がした1冊。

買ったぞ! レミゼ 5冊

2006年10月18日 | BOOK
古書サイトにて 
新潮文庫 「レ・ミゼラブル」
ユゴー 佐藤朔訳 全5冊 (平成2年~3年刷)
を送料別で、1,000円にて購入。

しっかし・・新潮は、こんなに文字小さいっけ?というほど活字がちいさ~い。
いや~参った(笑)こんな小さな文字、久々かな?
これは岩波にすべきだったか・・・。

同じ新潮文庫でも、遠藤周作「王妃マリーアントワネット」のほうが、ちょっと活字が大きい。こちらは、まだ下巻を手にしていない。

さ~て文字は小さいし、以前レミゼの出演者が、少々読みづらそうなことをいっていたが・・・さて?
上下巻本探していたのだけれど・・とにかく読書の秋!
レミゼ 5冊 読破予定(?)

(現在発売されている新潮文庫の文字は、少々大きくなっているように思えるが、15年経って、価格も倍とはいかないまでもかなり高くなっていることを確認した:18日午後)

戸村文彦 著 「レ・ミゼラブル」を読んで

2006年10月11日 | BOOK
「レ・ミゼラブル」~十九世紀のフランス物語~
 2001年7月15日初版

この本を読み終わって・・まず思ったこと、
これは、来年の「レ・ミゼラブル」上演までに
やはりもうちょっと「レ・ミゼラブル」を読んだほうがいいかな。
岩波書店7冊?新潮社の5冊?講談社の6冊と角川書店の4冊(こちら2社は絶版らしいけど)?まだ岩波少年文庫の上下巻でいいかな?
さてさて・・・。(お勧め本が、あったら教えてください)

今回のリライト版ともいえる「レ・ミゼラブル」でわかったことは、
ガヴロッシュは、テナルディエ夫妻の長男で、エポニーヌは、姉にあたるってこと。
戸村文彦リライト版では、エポニーヌとマリウスとの接点は、まったくなし。
マリウスが、イギリスに向うであろうコゼットあての手紙を託すのは、ガヴロッシュだった。
それも父に恩義のあるテナルディエの息子を助ける意味もかねて手紙を託したこと。(これは、リライト版だけか?)

また、その手紙を受け取ったジャンバルジャンが、マリウスに対し嫉妬すること。
いやそれ以前から、コゼットが好意を抱くマリウスにジャンバルジャンが、嫉妬することが書かれており、またマリウスも、自分を死の淵から救ってくれたのが、ジャンバルジャンと知るまで彼に対し常に快く思ってはいないことが書かれている。
 ミュージカルのプログラムには、その2人の関係が書かれていたのだが、ミュージカルの舞台でそれを感じさせてくれた出演者はいなかったように思うのだが。
(あの手紙をもらうシーンでのジャンバルジャン・・「何だ?この手書きは?」と不信感こそ最初は抱いていただろうけれど、嫉妬心があったのだろうか?)
 
 また、ジャンバルジャンは、マドレーヌ市長から、自分と間違えたれて囚われた男を救い、自らは再び脱獄囚として捕われのみとなり、やがて脱獄、コゼットと連れ出すまでも、いろいろな出来事が起きていたのか!ということ。
 一方、マリウスも、コゼットに恋はすれども、どちらかといえば、アンジョルラスと同じような熱い青年であったこと。ゆえに瀕死の状態では血まみれのようであたこと(って他の本では違うのか?)

と登場人物に対しての描き方の違いを感じたのだが、
今回のこの本のよさは、19世紀初頭のフランスの時代背景、その様子がわかりやすく、章毎に書かれていたり、注意書きになっていたりする。

この本からミュージカル「レ・ミゼラブル」を見てしまうとちょっと違和感が、出てしまいそうだが、また新しい見方もできるかな?と思っている。
そして、ここで書かれていた事と、以前よんだ少年少女向け世界の、名作文庫「ああ無情」と、更に違った「レ・ミゼラブル」をよんで、さらに新しい「レ・ミゼラブル」を感じてみたい。
 ユーゴーの原作の翻訳本そのものより、リライトされたもののほうが、逆に著者がどのポイントを描きたかったのか?というのがわかる気もするが、本当はどう描かれているの?と気になるところでもある。

日本の「源氏物語」も写本により題名が違うようではないか。
あげくに現代語訳になると、有名なところでも与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子、瀬戸内寂聴などがあり、更には田辺聖子のように意訳という作品もある。
私が読んだのは、今泉忠義と瀬戸内寂聴だけだが・・。

「王妃マリーアントワネット」上巻をよんで・・

2006年10月06日 | BOOK
読書の秋日曜日に買い込んだ本2冊目
なんだか読まなきゃ良かったな・・そんな想いにふけってしまった
遠藤周作「王妃マリーアントワネット」上巻

歴史の時間はもちろん、マンガ「ベルサイユの薔薇」でも好きにはけっしてなれなれなかった女性
「マリー・アントワネット」
今回さらにそれを決定づけてしまいそうな「王妃マリーアントワネット」。

なに不自由なく・・いや不自由だらけで育ったのかもしれない。
オーストリア王室という高貴な家庭、そして偉大すぎる母マリア・テレジアに大事に育てられ、まだ幼き少女のまま、国と国の政略のため
フランスに嫁がされて、あげくその旦那は、夢見た王子さまでなく、
理想とはかけ離れたどんくさい男。
あげく、大人たちにいいように利用されて、
自分はこういう女性であるべきであり、王妃たるやこうあるべきと
自我を通してゆく。
確かに仕組まれていったがちがちの王室。
かわいそうという立場でもあるかもしれない、
幼きときに、母親マリア・テレジアは、
厳しい躾、学問を学ばせようとした。
王妃になるべき教育はした。
だが、それは母国では良かったのかもししれないが・・
嫁に出すに当たって・・好きでもない、見たこともない
男のもとに嫁がせることを教えはしなかった。
さらにその嫁ぐ意味さえわからず、相手を思いやる心を育てられず、
愛情すら求めるだけ、愛情を受けるだけの中途半端なまま嫁に出してしまったような気がしてならない。

そんな娘が・・誰からも好かれることをはき違え、贅沢を極め、
王という立場だけを愛し、立場の違った相手の気持ちなどわかろうとしない女性になった。

相手のことを考えないといえばマリグリットもだ。
彼女も不幸な身の上だ。
だが、彼女が他の女性のことを思いやったということはない。
生きることに精一杯。
ただ、唯一初恋のような、想いをよせた青年「ギイ」が、彼女との約束を守っていたら彼女も変わっていたかもしれないが・・。

マリーアントワネットも、マルグリットも・・相手に私のことをわかって!
と願うが、彼女たちは、なぜ立場の違う相手をわかろうとしないのだろう?
自分の痛みがわかっても、相手の痛みがわからない。
それだけの余裕がない?そうだろうか?
相手に注ぐべき愛情が生まれてこない・・。

一緒にいるだけで幸せという世界が、ない。
ここにいるだけで幸せ、満足ということがない。
(後にマリーアントワネットには、フェルセンがあらわれるのだろうけれど)

たしかに時代にも翻弄されている。
すべて自分の世界だけでものを見る。

なんだかとっても痛い!上巻だ。
(「ベル薔薇」の場合は、オスカルは、気がつかなくとも、アンドレという愛情をオスカルに密かに注ぐ形があった。まあ唯一、人がいいといか、おっとりして「事なかれ」のルイ16世だけ、はマリーアントワネットと一緒にいられれば幸せだったようだが・・。)
下巻はちがうのだろうか?違うだろうと思いたい。
相手を思いやる心がなければ、御伽噺でも悲劇を生むものだと。


ところで、私は、高校生のころ遠藤周作よりも「狐狸庵」先生が好きだったのでエッセイのような作品はよく読んだ。
「狐狸庵」&「どくとるマンボウ」(北杜夫)がセットだった。
今回、久々に読んで・・あっという間に読めてしまった読みやすさに驚いた・・が・・いやはや下巻は「図書館」で探そうかなっと。

モーツァルト

2005年10月02日 | BOOK
講談社学術文庫 吉田秀和著「モーツァルト」を読んだ。
ミュージカル「モーツァルト!」を見てから、
モーツァルトという人をもう少し知りたくなっていた。
最近では、スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」をみて、
「古事記」が気になって読んでみようという気になった同じ状態。
書店にて岩波文庫「モーツァルトの手書」上下を買いに行ったのだが、
下巻しかなく、近くの棚にあった「モーツァルト」を購入。
モーツァルトについて、中学で習ったことと、今回のミュージカル
とで知ったくらい。まあ、奇行に走ったというほうがなんだか記憶に
残っていたのだけれど。
今回、吉田秀和氏の「モーツァルト」で、
改めて・・・モーツァルトの生涯について
詩人アンリ・ゲオンが、
「モーツァルトの中には、二人の人間がいて、
一人が馬鹿をしたり大好物の玉突きに夢中になっている間も、
もう一人が絶えず音楽を考えていた」
という仮説があったことを紹介していましたが、
まさにミュージカルはそれだったのかな?とか、
ゲーテが、「モーツァルトは、人間を愚弄するためデーモンよって遣わされた」と
考えていたのかあ・・・とか。
ミュージカル1幕ラスト前、
コロラドと決裂する場面もアルコ伯爵に足蹴にされたことも書かれていた
(有名なことだったのかあ・・)
父と息子の関係も書かれ、父レオポルト死去のあと、
モーツァルトが、精神的打撃とかなり危険な病にかかっていたことが書かれていた。
もちろんフロックコート(灰色らしいけど)の痩身長大の男性が、レクイエム依頼も。
(このことが、有名ということを、最近知る)
その依頼を受けた後の彼の9月7日付けのイタリア語で書かれている
「・・・このレクイエムは私の白鳥の歌です・・・」いう手紙も面白く読んだ。
当時は、電話もないし、もちろんメールなども無く、
彼は、いろいろな人に手紙を書いていた。
ミュージカルもなんかとなく手紙がでてきている。

そして・・時代ごとの曲も紹介されている・・・
600を越す曲を35年間に書いたモーツァルト。
そのどこをどう聞くか?
ここ数年クラッシックなんてとんと聞こうと思って聞いたことなど無い!
しかし、昨今「モーツァルト100」なんていうCDも出ているようなので、
まず、そこから入ってみようか。
この本によると、指揮者で同じ曲がまたく違うとのこと。
ビギナー・・そこまではまだきっとわからないだろう。

10月再び「モーツァルト!」見る前に、
帝劇で見た時よりちょっぴり違う見方になるのかも。