HIP KOREAの録画に二度失敗しまして(T_T)
撮れてるのですが字幕部分が読めないという何とも間抜けなことになってます。(^_^;)
それでも見てみると先日の総合テレビの短縮版とは雲泥の差で。
「何だ、ちゃんとしたドキュメンタリーじゃない」
たかが15分
されど15分
話が繋がって良かった…満足しております。
字幕見てからゆっくりと感想を書き留めたいと思います。
さて。
今日は朝からスッゴい雨でした。
行きたい美術館があったのですが何だかカラダもだるくて挫折。
そんなわけで。
先日ふと放映5分前テレビ欄が目にとまり録画しました
ETV特集
「韓流シネマ抵抗の系譜」
を見ておりました。
こちら
ETV特集
韓流映画繋がりで今日はこんなネタです。
ちょっと堅いお話ですので
お暇な方だけお付き合い下さい。
彼に堕ちて
韓国に興味を持って
映画を見ながら
漠然とかの国の歴史についてはわかっているような…いないような…
そんな感じだったのですが。
今回のドキュメンタリーは総復習って感じ。
先日のびょんドキュメンタリーの?な部分を補足してくれている内容とも思えます。
では長くなりますが内容をご紹介しましょう。
ナビゲーターはあの映画プロデューサー李 鳳宇さん。
彼が韓国で映画関係者や資料館を訪ねながら韓国の映画の歴史、社会との関わりについてガッツリレポートしてくれております。
韓国映画の歴史は日本の占領下1910年頃から始まります。
35年間は日本軍の検閲、その後も政府の厳しい検閲との戦いが続き、
そこから生じた抵抗精神が韓国映画の真髄だ…李さんは語ります。
1919年3・1独立運動を背景に
映画「アリラン」
を発表したナ・ウンギュの抵抗精神。
1937年日中戦争時の日本の同化政策
(日本名を名乗らせる、神道や日本語を強要する、など)
志願兵政策の下
1940年朝鮮映画令が施行され
戦争のプロパガンダとして映画が戦意高揚の道具にされるようになった
時代背景の中、
俳優、監督共作品の中にささやかな抵抗精神を盛り込むことを諦めなかった歴史が当時のフィルムを基に語られます。
その後、終戦
大韓民国建国
南北対立
朝鮮戦争
映画界もリアリズムを追求した作品が出現します。
北朝鮮から韓国に逃げてきた越南民の貧困を描いた
ユ・ヒョンモク監督「誤発弾」(1961)
はその最たるものですが、
この映画は社会のうねりに巻き込まれることになります。
1960年
建国から大統領を務めていたイ・スンマンが退陣し、
民主化が期待されたのですが、パクチョンヒが軍事クーデターを起こし、
韓国の軍事政権時代が始まります。
リアリズムを追求し社会の貧困を描いた「誤発弾」は体制批判作品とされ、
上映禁止処分となります。
その後
1961年「反共法」が制定
映画の検閲が2回に渡るなど厳しい思想統制の時期を迎えます。
検閲に引っかからない娯楽興行映画ばかりを作りながら
監督たちは意義を見いだせず悩み、
そしてその矛盾を突き詰めると同族戦争の残したものだということに行き着く…
そんな時代だったようです。
そして社会はまた動きます。
1979年パクチョンヒが射殺され、
民主化の波が訪れます。
これが「ソウルの春」と呼ばれる時代です。
しかしながら春は長くは続かず、学生運動が盛んになると、軍は民衆を軍事力で鎮静化させる道を選び、大規模な暴動が起こる結果となりました。
これが5・18光州事件に代表される民主化運動の挫折です。
政権は軍部を掌握していたチョン・ドファンが握ることになりまた軍事政権時代が到来します。
この頃製作された映画が
イム・グォンテク監督「チャッコ」(1980)
北朝鮮からきた工作員とそれを追う韓国の刑事が刑務所の中で再会、激しく憎みあう話なのですが
その映画の中にあった大切なシーンが検閲でカットされたそうです。
それは画面に映ったテレビから流れる外国人教授のコメント
「朝鮮半島は米ソ両大国の将棋盤にすぎない」
このテレビを聞き自分たちが将棋の駒に過ぎなかったと悟る主人公2人の心情はそのシーンがカットされることにより、エンディング2人が共に死を選ぶことで終焉を迎える方法しか当時は表現が許されなかった…と語られています。
巨匠イム・グォンテク監督はこうも語っています。
検閲で引っかかるであろう部分を最初からカットする自分に気づく。
自分が自分を検閲することになるのはとても恐ろしいことだと。
その後
イム・グォンテク監督はご自分のお父様が左派に荷担したという過去の事実、母の自殺、ご自身も連座制による差別を受けた経験をふまえ、そんな社会を背景に「太白山脈」という作品を製作。
製作過程でも「アカ」に映画など撮らせるなとの執拗な嫌がらせがあったようです。
それでも左派にも右派にも媚びない映画を作り、
エンディングに鎮魂のシーンを入れ、因縁からの解放を願ったと語っていらっしゃいました。
時代は80年代
映画界に新しい波がやってきます。
ニューウェーブの騎手と言われた
イ・チャンホ監督が有名。
「風の吹く良き日」(1980)ではリアリズムの復活を唱え、綺麗ごとでない現実を映し出し、現代のソウルの急激な発展、貧富の差などの矛盾を鋭く指摘。
そして検閲との厳しい戦いはまだ続きます。
このイ・チャンホ監督に影響を受け、大学では映画研究サークルの活動が盛んになり、イ・チャンホチルドレンと呼ばれる学生出身の監督が台頭し始めます。
映画を手段として社会の変革への努力をする。
80年代の映画は90年代の布石だという時代の到来です。
1998年キムデジュン大統領が北朝鮮との対話路線を打ち出し映画保護政策がとられるようになると386世代と呼ばれる監督の活躍が始まります。
ご存知パクチャヌク監督はこの世代。
JSAが多くの大衆に受け入れられた理由を
「タブーへの挑戦による解放感、植え付けられた北のイメージから抜け出し、同じ人間と考えることで当たり前の真実を手にした解放感が受けたのであろう」
と答えています。
386世代は日常化した暴力の中で苦痛、恐怖を体感し、
それを克服したという自負がある。
それが特徴だ。
とも語っていました。
イ・チャンドン監督は「ペパーミントキャンディ」(1999)の中で
時代に飲み込まれ暗い過去を背負い、心を壊した若者を描いています。
未来の姿を知るために過去の姿をみることが必要。
現代の痛みを深く知るために過去を手繰ることはとても重要だと語ります。
青春時代に人間を肯定し人を信じることを知るはずが、光州事件に巻き込まれ、人間への信頼を持てない絶望感を描き出しました。
それは学生時代の軍と対峙した実体験が基になっているようです。
ポンジュノ監督は
「殺人の追憶」(2003)
を撮るにあたり
何故犯人を捕まえられなかったのか自分なりの観点を見いだす作業から始めたと語っています。
あの映画の舞台は1980年代後半
民間防災訓練として度重なる灯火管制が布かれていた街はとても暗かった。
そしてそれ以上に
第5共和国(軍事政権)は暗い時代暗い社会で悪い時代だった…
その観点から描こうと思ったそうです。
ポンジュノ監督は超大国アメリカに強迫観念を抱いているのは確かなようで
この映画の中でも
ソウルから来た刑事がFBIの捜査を支持するのを田舎の刑事であるガンホさんがバカにするシーンがあります。
韓国の刑事は足で捜査するんだ
自慢げな彼は
「ナイス」という偽ブランド商品を買い「ナイキ」だぞと言う。「ナイス」ですよと指摘され、「んなもん大した違いじゃない」と言う。
こうした対立根を仕込み
光州事件で大量に民衆を殺戮した軍部の横暴を黙殺したアメリカへの不信感を田舎の刑事を通して描きつつ
ラストではFBIから届いた紙切れ一枚で挫折するソウルの刑事の姿に悲哀を描きたかったと語っています。
386世代のこの3人について
李さんは
光州事件
朝鮮戦争
アメリカ
こうした過去の出来事が生み出した根源的矛盾に彼らは答えて来たと語っています。
そしてこの先も答え続けることが韓国の映画監督の使命なのだと。
美学的政治的に少しでも前へ進み、安全な選択はしたくないと語る
パク・チャヌク監督。
美しい場面
消えない台詞を生み出すのが映画的突破口だと語る
ポン・ジュノ監督。
お互いに理解しあえているのか
常に観客と向き合っていきたいと語る
イ・チャンドン監督
映画人の精神のリレーはどんな未来を描くのか。
最後はそう締めくくられておりました。
さて感想を少し。
チェ・ミンシクssi
アン・ソンギssiが
映画から社会を変えようと努力してきたと熱く語る様子を。
この一世紀の間
政治の圧力と戦いつつ
鏡として
窓として
社会を映し出し続けた映画を目の当たりにし、
真実を
民衆の心を
映し出し続けようとした監督たちの姿を眺めながら。
やはりかの国の歴史の奥深さと
綿々と続くその複雑な歴史の流れを
感じずにはいられませんでした。
過去があるから今がある。
そして今も続いている過去がかの国に落としている影。
影があるから
並々ならぬパワーがあるのかもしれない…そんなことを思います。
HIP KOREAが
明るい未来…
アメリカで華やかに活躍する2人を光として扱っている様子とは
また違う視点で現在の韓国を映し出している点がとても興味深かったです。
このドキュメンタリーを見ながらあの日の彼を思い出していました。
諸先輩たちと寒空に肩を並べ韓国映画の未来を真剣に見つめていた彼。
スクリーンクオーターで韓国映画と相対するハリウッド映画を背負い
韓国でプロモーションする彼の胸には何が浮かんでいるのかな。
李鳳宇さんが番組の最後に語った過去の出来事が生み出した根源的矛盾に答え続けること。
きっと彼も考えているんじゃないかなぁ…字幕まだ見てないのですが
韓屋で自分が何も知らないと語る彼に
漢江を誇らしいと語る彼に
「夏物語」を選んだ彼に
母国に対する愛と誇りを感じずにはいられず。
きっと外に出たものだからこそ見えるものを手にして
彼なりに根源的矛盾に対する答えを提起してくれるのではないか…。
そう期待したいと思います。
こうやって改めて見ると彼って未開拓の地に踏み出しているんだなぁ…と。
凄い勇気だなぁ…と本当に感心してしまいます。
人の後ろを歩くのは簡単だけど。
一番前は大変だよね。
でもきっと彼なら楽しみながら歩いてくれると思います。
そんな彼を
つかず離れず
眺めていけたらいいかなぁ。
改めてそう思いました。
実は
ここ数日。
「一夜限りの愛」のせいじゃなくて(笑)他のことが原因で
もう潮時かな…そう思ってここを閉めることを真面目に考えておりました。
結局はこうして記事を書いております。
彼のことを信じることが出来なくなったらきっと私はここを閉めると思います。
見失うこと…この先もあるかもしれない。(笑)
誰も歩いていない獣道を歩む彼に付いていくのは方向音痴の私にとっては至難の技。
しかもちょっと離れて眺めたいなんて我が儘な人なので。
しかも彼の周りはいっぱいいっぱい人垣があるし。
でもこのドキュメンタリーに出会えたのはやっぱり縁っていうか。
そんなことを感じております。
昨晩は夢に彼が出てきて握手してくれました。
大きくて温かい手でした。
やましいことでもあるのか(笑)
サービス満点。(*^_^*)
…というわけで
ビョンホンssiには是非自分の信じる道をドドーンと歩んでもらって
作品見せてもらってそれで充分ってことにしたいと思います。
携帯で書いたけどかなり長いかな?
最後まで読んで下さってありがとうございました。
撮れてるのですが字幕部分が読めないという何とも間抜けなことになってます。(^_^;)
それでも見てみると先日の総合テレビの短縮版とは雲泥の差で。
「何だ、ちゃんとしたドキュメンタリーじゃない」
たかが15分
されど15分
話が繋がって良かった…満足しております。
字幕見てからゆっくりと感想を書き留めたいと思います。
さて。
今日は朝からスッゴい雨でした。
行きたい美術館があったのですが何だかカラダもだるくて挫折。
そんなわけで。
先日ふと放映5分前テレビ欄が目にとまり録画しました
ETV特集
「韓流シネマ抵抗の系譜」
を見ておりました。
こちら
ETV特集
韓流映画繋がりで今日はこんなネタです。
ちょっと堅いお話ですので
お暇な方だけお付き合い下さい。
彼に堕ちて
韓国に興味を持って
映画を見ながら
漠然とかの国の歴史についてはわかっているような…いないような…
そんな感じだったのですが。
今回のドキュメンタリーは総復習って感じ。
先日のびょんドキュメンタリーの?な部分を補足してくれている内容とも思えます。
では長くなりますが内容をご紹介しましょう。
ナビゲーターはあの映画プロデューサー李 鳳宇さん。
彼が韓国で映画関係者や資料館を訪ねながら韓国の映画の歴史、社会との関わりについてガッツリレポートしてくれております。
韓国映画の歴史は日本の占領下1910年頃から始まります。
35年間は日本軍の検閲、その後も政府の厳しい検閲との戦いが続き、
そこから生じた抵抗精神が韓国映画の真髄だ…李さんは語ります。
1919年3・1独立運動を背景に
映画「アリラン」
を発表したナ・ウンギュの抵抗精神。
1937年日中戦争時の日本の同化政策
(日本名を名乗らせる、神道や日本語を強要する、など)
志願兵政策の下
1940年朝鮮映画令が施行され
戦争のプロパガンダとして映画が戦意高揚の道具にされるようになった
時代背景の中、
俳優、監督共作品の中にささやかな抵抗精神を盛り込むことを諦めなかった歴史が当時のフィルムを基に語られます。
その後、終戦
大韓民国建国
南北対立
朝鮮戦争
映画界もリアリズムを追求した作品が出現します。
北朝鮮から韓国に逃げてきた越南民の貧困を描いた
ユ・ヒョンモク監督「誤発弾」(1961)
はその最たるものですが、
この映画は社会のうねりに巻き込まれることになります。
1960年
建国から大統領を務めていたイ・スンマンが退陣し、
民主化が期待されたのですが、パクチョンヒが軍事クーデターを起こし、
韓国の軍事政権時代が始まります。
リアリズムを追求し社会の貧困を描いた「誤発弾」は体制批判作品とされ、
上映禁止処分となります。
その後
1961年「反共法」が制定
映画の検閲が2回に渡るなど厳しい思想統制の時期を迎えます。
検閲に引っかからない娯楽興行映画ばかりを作りながら
監督たちは意義を見いだせず悩み、
そしてその矛盾を突き詰めると同族戦争の残したものだということに行き着く…
そんな時代だったようです。
そして社会はまた動きます。
1979年パクチョンヒが射殺され、
民主化の波が訪れます。
これが「ソウルの春」と呼ばれる時代です。
しかしながら春は長くは続かず、学生運動が盛んになると、軍は民衆を軍事力で鎮静化させる道を選び、大規模な暴動が起こる結果となりました。
これが5・18光州事件に代表される民主化運動の挫折です。
政権は軍部を掌握していたチョン・ドファンが握ることになりまた軍事政権時代が到来します。
この頃製作された映画が
イム・グォンテク監督「チャッコ」(1980)
北朝鮮からきた工作員とそれを追う韓国の刑事が刑務所の中で再会、激しく憎みあう話なのですが
その映画の中にあった大切なシーンが検閲でカットされたそうです。
それは画面に映ったテレビから流れる外国人教授のコメント
「朝鮮半島は米ソ両大国の将棋盤にすぎない」
このテレビを聞き自分たちが将棋の駒に過ぎなかったと悟る主人公2人の心情はそのシーンがカットされることにより、エンディング2人が共に死を選ぶことで終焉を迎える方法しか当時は表現が許されなかった…と語られています。
巨匠イム・グォンテク監督はこうも語っています。
検閲で引っかかるであろう部分を最初からカットする自分に気づく。
自分が自分を検閲することになるのはとても恐ろしいことだと。
その後
イム・グォンテク監督はご自分のお父様が左派に荷担したという過去の事実、母の自殺、ご自身も連座制による差別を受けた経験をふまえ、そんな社会を背景に「太白山脈」という作品を製作。
製作過程でも「アカ」に映画など撮らせるなとの執拗な嫌がらせがあったようです。
それでも左派にも右派にも媚びない映画を作り、
エンディングに鎮魂のシーンを入れ、因縁からの解放を願ったと語っていらっしゃいました。
時代は80年代
映画界に新しい波がやってきます。
ニューウェーブの騎手と言われた
イ・チャンホ監督が有名。
「風の吹く良き日」(1980)ではリアリズムの復活を唱え、綺麗ごとでない現実を映し出し、現代のソウルの急激な発展、貧富の差などの矛盾を鋭く指摘。
そして検閲との厳しい戦いはまだ続きます。
このイ・チャンホ監督に影響を受け、大学では映画研究サークルの活動が盛んになり、イ・チャンホチルドレンと呼ばれる学生出身の監督が台頭し始めます。
映画を手段として社会の変革への努力をする。
80年代の映画は90年代の布石だという時代の到来です。
1998年キムデジュン大統領が北朝鮮との対話路線を打ち出し映画保護政策がとられるようになると386世代と呼ばれる監督の活躍が始まります。
ご存知パクチャヌク監督はこの世代。
JSAが多くの大衆に受け入れられた理由を
「タブーへの挑戦による解放感、植え付けられた北のイメージから抜け出し、同じ人間と考えることで当たり前の真実を手にした解放感が受けたのであろう」
と答えています。
386世代は日常化した暴力の中で苦痛、恐怖を体感し、
それを克服したという自負がある。
それが特徴だ。
とも語っていました。
イ・チャンドン監督は「ペパーミントキャンディ」(1999)の中で
時代に飲み込まれ暗い過去を背負い、心を壊した若者を描いています。
未来の姿を知るために過去の姿をみることが必要。
現代の痛みを深く知るために過去を手繰ることはとても重要だと語ります。
青春時代に人間を肯定し人を信じることを知るはずが、光州事件に巻き込まれ、人間への信頼を持てない絶望感を描き出しました。
それは学生時代の軍と対峙した実体験が基になっているようです。
ポンジュノ監督は
「殺人の追憶」(2003)
を撮るにあたり
何故犯人を捕まえられなかったのか自分なりの観点を見いだす作業から始めたと語っています。
あの映画の舞台は1980年代後半
民間防災訓練として度重なる灯火管制が布かれていた街はとても暗かった。
そしてそれ以上に
第5共和国(軍事政権)は暗い時代暗い社会で悪い時代だった…
その観点から描こうと思ったそうです。
ポンジュノ監督は超大国アメリカに強迫観念を抱いているのは確かなようで
この映画の中でも
ソウルから来た刑事がFBIの捜査を支持するのを田舎の刑事であるガンホさんがバカにするシーンがあります。
韓国の刑事は足で捜査するんだ
自慢げな彼は
「ナイス」という偽ブランド商品を買い「ナイキ」だぞと言う。「ナイス」ですよと指摘され、「んなもん大した違いじゃない」と言う。
こうした対立根を仕込み
光州事件で大量に民衆を殺戮した軍部の横暴を黙殺したアメリカへの不信感を田舎の刑事を通して描きつつ
ラストではFBIから届いた紙切れ一枚で挫折するソウルの刑事の姿に悲哀を描きたかったと語っています。
386世代のこの3人について
李さんは
光州事件
朝鮮戦争
アメリカ
こうした過去の出来事が生み出した根源的矛盾に彼らは答えて来たと語っています。
そしてこの先も答え続けることが韓国の映画監督の使命なのだと。
美学的政治的に少しでも前へ進み、安全な選択はしたくないと語る
パク・チャヌク監督。
美しい場面
消えない台詞を生み出すのが映画的突破口だと語る
ポン・ジュノ監督。
お互いに理解しあえているのか
常に観客と向き合っていきたいと語る
イ・チャンドン監督
映画人の精神のリレーはどんな未来を描くのか。
最後はそう締めくくられておりました。
さて感想を少し。
チェ・ミンシクssi
アン・ソンギssiが
映画から社会を変えようと努力してきたと熱く語る様子を。
この一世紀の間
政治の圧力と戦いつつ
鏡として
窓として
社会を映し出し続けた映画を目の当たりにし、
真実を
民衆の心を
映し出し続けようとした監督たちの姿を眺めながら。
やはりかの国の歴史の奥深さと
綿々と続くその複雑な歴史の流れを
感じずにはいられませんでした。
過去があるから今がある。
そして今も続いている過去がかの国に落としている影。
影があるから
並々ならぬパワーがあるのかもしれない…そんなことを思います。
HIP KOREAが
明るい未来…
アメリカで華やかに活躍する2人を光として扱っている様子とは
また違う視点で現在の韓国を映し出している点がとても興味深かったです。
このドキュメンタリーを見ながらあの日の彼を思い出していました。
諸先輩たちと寒空に肩を並べ韓国映画の未来を真剣に見つめていた彼。
スクリーンクオーターで韓国映画と相対するハリウッド映画を背負い
韓国でプロモーションする彼の胸には何が浮かんでいるのかな。
李鳳宇さんが番組の最後に語った過去の出来事が生み出した根源的矛盾に答え続けること。
きっと彼も考えているんじゃないかなぁ…字幕まだ見てないのですが
韓屋で自分が何も知らないと語る彼に
漢江を誇らしいと語る彼に
「夏物語」を選んだ彼に
母国に対する愛と誇りを感じずにはいられず。
きっと外に出たものだからこそ見えるものを手にして
彼なりに根源的矛盾に対する答えを提起してくれるのではないか…。
そう期待したいと思います。
こうやって改めて見ると彼って未開拓の地に踏み出しているんだなぁ…と。
凄い勇気だなぁ…と本当に感心してしまいます。
人の後ろを歩くのは簡単だけど。
一番前は大変だよね。
でもきっと彼なら楽しみながら歩いてくれると思います。
そんな彼を
つかず離れず
眺めていけたらいいかなぁ。
改めてそう思いました。
実は
ここ数日。
「一夜限りの愛」のせいじゃなくて(笑)他のことが原因で
もう潮時かな…そう思ってここを閉めることを真面目に考えておりました。
結局はこうして記事を書いております。
彼のことを信じることが出来なくなったらきっと私はここを閉めると思います。
見失うこと…この先もあるかもしれない。(笑)
誰も歩いていない獣道を歩む彼に付いていくのは方向音痴の私にとっては至難の技。
しかもちょっと離れて眺めたいなんて我が儘な人なので。
しかも彼の周りはいっぱいいっぱい人垣があるし。
でもこのドキュメンタリーに出会えたのはやっぱり縁っていうか。
そんなことを感じております。
昨晩は夢に彼が出てきて握手してくれました。
大きくて温かい手でした。
やましいことでもあるのか(笑)
サービス満点。(*^_^*)
…というわけで
ビョンホンssiには是非自分の信じる道をドドーンと歩んでもらって
作品見せてもらってそれで充分ってことにしたいと思います。
携帯で書いたけどかなり長いかな?
最後まで読んで下さってありがとうございました。
「韓流シネマ抵抗の系譜」録画してあるのですが未見です。
haruさんのレビュー読んでみなくていいかなんて思っています(大丈夫ちゃんと見ます)
HIP kOREAで誰が話していたか思い出せないのですが、「恨」を「心残り」と言っていたのが
それこそ心に残っています。
>他のことが原因でが気になりますが
夢にまで出てきた彼信じてやってください(笑
殺人の追憶。この映画大好きです。そして、「韓流シネマ抵抗の系譜」。李 鳳宇さん。彼も外からと中から見ています。わずかに16年なんです。今のように映画が撮れるようになったのが。この事実は、衝撃的でした。
その前から、先輩がたのしてきた努力で、やっと自由に撮れる世の中ですが、今が、もしかしたら一番大変なのかもしれません。ちょうど経済的にも、世の中も変わりつつある、今、何が求められるものか定かではなくなりつつあり、どうやって、映画を盛り上げていこうかと、頭を抱えているような気がします。
だからこそ、イ・ビョンホンさんのような先駆者がいるのだと思います。外から見えるものと、中で感じるもの、その矛盾と葛藤が、よりよく自分の心を映し出しているような気がします。
「恨」はパワーの源であり、乗り越えるものであるのかもしれません。
今の世の中、大変な世の中です。見失いがちになってしまう自分の心を、もう一度、じっくり考えてみると、その先にあるものが見えてくるかもしれません。未来を作るのは、自分自身なのです。
haruさん。空は、いつも変わらなくきれいです。冷たい雨と感じるのも、優しい雨と感じるのも気持ちしだいです。
温かいと感じる手は、きっと、haruさんの心の温かさだと思います。
季節は、梅雨を経て、夏へと向かっています。太陽の光は、同じように全世界を照らしていると思います。
HIP KOREA、されど15分だったわけね。
私まだ、見ていないんだけど。
>「殺人の追憶」
これ、好きなんだけど、また見たくなったわ。
こういう背景と監督の気持ちを知ると、もっと深く観ることができる気がするね。
映画にしろ絵画や文学、音楽、とにかく表現することって時代や政策に左右され、表現者は葛藤し、闘いながら創り出していくんだよね。
俳優である彼も、表現者として自分は何がしたいのかって考えながら進んでるんだろうと思う。
彼の露出でついつい浮足立っちゃうんだけど、鬱陶しい梅雨空を眺めながら、自分の内側を見つめたいな~って思うの。
haruさんも、そうなのかな…
なんて、思ったりね。
HIP KOREAまだ字幕付き観ていないので(T_T)
恨は心残りとはちょっとニュアンス違いますね。
「恨」という感情はとっても表現するのは難しい。
でも、『恨』はエネルギーの源だと思います。
夢に出てきた彼は狭い会場の通路を分け入ってみんなと握手してくれました。
そうですね。サービス満点でしたから。
お久しぶりです。
お元気そうで何よりです。
あれから毎朝空を眺めています。
季節がら8割方曇り空です。
爽やかに晴れておひさまが燦々と照らしてくれる日は残念ながら記憶にありません。
そうですね。
私もこのドキュメンタリーを見つつ
今はとても大変な時代だ・・と思っておりました。
彼が新しい時代を切り拓くのでしょうね。
私が思っている以上に広く波荒い海に航海に出た彼。
でも、彼はきっと大丈夫ですよね。
見失ったのは彼の姿ではなく
きっと私自身の姿なのだと思います。
まあ、ぼちぼちと空を見上げつつ
想いのままに
何かを書きとめられればと思っております。
早く夏来ないかな・・
いっぱいのおひさまを浴びて日光浴をしたい気分です。
「韓流シネマ抵抗の系譜」私は見ていないのですが、みた方に内容を少し話してもらいました。
日本とは比べようにないほど、韓国は、つい最近まで、不自由な国だったのですね。自由に門戸が開かれたように思う今は、別の意味でまた不自由になってきているのかもしれませんが。
となりの国だけど、ビョンちゃんがいなかったら、全然知らなかった国です。彼が今背負っている大きなものを想像することしかできないけれど、まじめな彼は苦しみ悩みながら、進むべき道を模索していることと思います。
彼の国のことも、彼のこともほんの一部しか知らないけれど、でも、やっぱり、私、彼をなが~い目で見ていたいし、信じていたいな~と今は思っています。
だって、理由はなくて、(あげればきりがないけれど、そんな理由よりも)
ただ、彼が大好きなんだの・・・
夢に登場し、握手してくれた彼はharuさんにアイ・ラブ・ユーを言いにやってきてくれたんだと思うんだけどな~
久しぶりのコメが長くなってしまって、ゴメンなさい。
お互いに、その時々のペースで、無理せずに、じっくり彼を見守ってあげましょうね。彼の俳優人生も私たちの人生も先は長いので・・・
されど15分。
私としては「どうしてここを削ったんだろう」と思うところも多く。
本当に人によって大切と思うものは違うのね~と改めて感じました。
「殺人の追憶」お好きですか。
そうですね・・こうやって監督の思い入れを聞くと愛着湧きますね。
彼は何をしたいのかな・・・。
自分の内側か・・・。
なんか最近カラッポな気がするんだよね。
憂欝な季節だからかな。
どうもいけないです。
とりあえず、カラッポでも中身を覗いて見ることにします。
良かったね・・・彼が握手してくれて
離れて欲しくなかったんだよ、きっと。
久し振りのなが~い記事、感動です。
haruさんみたいなファンが居るって事が嬉しくて。
>凄い勇気だなぁ…と本当に感心してしまいます。
人の後ろを歩くのは簡単だけど。
一番前は大変だよね。
キャリアを重ねて20年、とうとう先頭に立っちゃった。
もっともっと応援したいっ!
彼が楽しんで歩いていけるように、彼が喜ぶような方法で。
「まだまだ出来る!機会を逃したくない!」
って言う彼、愛おしくて泣けてくるよ
そんな彼を信じられなくなる自分が想像できません。
私も少し離れて・・・なんて書ける様になると良いんですが、楽屋楽屋と頭の中で欲がぐるぐるぐるぐる・・・
386世代、同級生かぁ~何と自分の幼稚な事・・・
外の滝雨にでも打たれたい気分です
haruさんが握手してもらったとき、私も混ぜてもらってたの?
ありがと。ありがと。
私嬉しそうだった?嬉しかっただろうな~~
haruさんは嬉しかった?
私も色んな彼についての事を考えすぎて
あれ?これって・・・?
って思う事あるよ。
でも、いつもその後また考えるんだ。
彼に対しては、あまり深く考えずに
自分の気持ちのままに進んでいこう。
ミーハーでいいのよ。
だってスキなんだもん仕方ないよ。
その中で、「〇なこと、×なこと、
自分で分けていけばいいじゃん」って。
一緒に握手したharuさんも、
ただただ、そんな気持ちで・・・どう?
またミーハーしようよ~~~♪
(全然的を得てなかったらごめんなさい。)
何があったのか、想像もつきませんが
haruさんが立ち止まってしまった・・・ということ自体に、思うところがありました。
彼なら何でもいい、なんて思っていないから、
ときどき「エッ?」と思わせられることがあって、途方に暮れてしまうことも少なくありません。
そんなときに、月曜日のアフガニスタンのドキュメンタリー。相変わらず韓国語はわからないのだけれど、心地よいバリトン・ヴォイスの響きに聞き惚れながら、そして、何を言っているのか半分想像しながら見ていました。もちろん映像は大変なシーンばかりでしたけど。
そして、いつだったか、韓国のイラク派兵に反対する集会でスピーチをしている彼の姿を思い出しました。
今回、ICWRのインタビューのなかで(どの番組だったか忘れました)・・
「年齢を重ねるってどういうことですか」みたいな質問があって、
彼は「責任が増えていくこと」って答えていましたね。
政治的な発言はほとんどしないし、またイデオロギーに偏った思想の持ち主でないこともわかっていますが、
それでも、彼が母国に対してなみなみならぬ熱い思いを持っていることはよくわかります。
社会に対して時に責任ある行動をとろうとするのもいろいろなところで、観てきましたよね。
だから、その辺の役者とは違うんだ(語弊があったら、ごめんなさい)、と何度も思いなおし、引き戻されてきたような気がします。
李鳳宇さんは、「パッチギ」や「フラダンス」でも注目してきましたが、波瀾万丈の?(本人に言ったら、きっとはぐらかされそう・・)半生ながら、鳳宇さんも運命に導かれて今の仕事にたどり着いた、と思わせられる人です。
いつもながら、彼のおかげで、たくさんの出会いがある、そんなことに感謝し、私自身の運命?に思いを寄せています。
haruさん、彼に握手してもらってよかったですね。わたしも、お相伴したかったわ(笑)