前回ブログ記事、松阪城下町巡りの続きです。
松阪では松阪城址を見て、城址公園内にある
”歴史民俗資料館”と”本居宣長記念館”見学。
その後、建物内部を公開している豪商の屋敷
”旧小津清左衛門家””旧長谷川治郎兵衛家”
この2か所を見学しました。見どころ満載でした。
次は武家屋敷、2か所を見学します。
”武家屋敷ゾーン”と”豪商屋敷ゾーン”、
同じ城下町でもちょっとだけ、離れています。
地図を見ながら、歩いてみました。
10分ほど歩くと、”武家屋敷ゾーン”に到着。
公開されている”原田二郎旧宅”を見学します。
ここは江戸時代末期の武家屋敷です。
”武家屋敷”と言っても、特別な家でした。
明治から大正にかけて活躍した実業家、
原田二郎が生まれ育った家だそうです。
生垣の続く、閑静な住宅地の中にありました。
この周辺はお城を警護する武士や、
お城の役人たちが住んでいた武家屋敷が
今も、ところどころに残っています。
この原田邸は、小さな武家屋敷です。
実業家の家にしては質素な感じです。
…というのは…? 原田二郎さんは、
松阪商人、豪商の家に生まれたのではなく、
松阪町奉行所に勤める同心と呼ばれる
役人の家に生まれたのでした。
とても優秀な方だったようで、若くして
銀行の頭取になったり、大銀行の再建に
関わったりして、実業家として活躍しました。
後に全財産を投じて”原田積善会”を設立。
全国の社会公益事業を助成したそうです。
投入した全財産は、今の150億円だったとか。
気の遠くなるような金額です…!
そんな実業家が、案外質素な感じの
武家屋敷で生まれ育ったとは…!
二階部分は二郎さんが自分の書斎として
増築したそうです。机など置かれています。
丸窓からやわらかな陽の光が差し込み、
とても落ち着ける素敵なお部屋でした。
次は、石畳の道の両側に生垣に囲まれた
屋敷が並ぶ、”御城番屋敷”へ…。
ちょっと他に見られない独特の景観です。
これはお城の警備をする紀州藩士の屋敷。
江戸末期に作られた建物が続いています。
20軒ほどの”武家屋敷長屋”といった感じ。
観光ポスターに登場しそうな風景です。
松阪木綿の着物をレンタルして、
この場所で写真撮影したら完璧です…!
美しく整った城下町らしい街並みでした。
この武家屋敷は、築150年以上経つ
木造住宅ですが、現在も現役で活躍中…。
武家屋敷、普通に人が住んでいるのです。
その中で1軒だけ、松阪市が借り受けて
内部を公開している屋敷がありました。
公開されている”御城番屋敷”は、平成元年に
整備、昔のとおりに復元されたものです。
原田二郎さんの旧宅より、さらに質素な印象。
一般庶民(?)の武士はこんな住居だった…。
お部屋は8帖2間と6帖2間、玄関と
土間があり、今の自分達の住まいと
それほど変わらないような建物でした。
ともかく150年以上前の武家屋敷が
城下町の美しい街並みに溶け込んで
当時のままの姿で”生きている”…!
それに、ちょっと感動した松阪の旅でした。
松阪と言うと、”松阪牛”を連想しますが、
”松阪牛のすき焼き”の店、手の届かないほど
高級そうなお店ばかりに見えました。
メニューにちょっとリーズナブルな
”松阪牛カレー”のあるお店もありましたが、
「駅の”まつさか交流物産館”で売っている
松阪牛レトルトカレーと同じなのでは…?」
…との声で、今回はパスとなりました。
もともとウチの家族は、”松阪牛のすき焼き
食べる贅沢するくらいなら、そのお金で
もう一度どこか旅行に行きたい”派です。
帰りの電車では、「松阪牛のすき焼き
パスしたんだから、代わりにどこへ行こう。」
…といった話題で盛り上がりました。
「明智鉄道で岩村に行って、城跡を見たい。
城下町散策して”かんから餅”食べたい。」
「まだ京都の本能寺、行ったことがないから、
一度近いうちに行ってみたい。」
「それ、いいね~。」、と言いながら、
ちょっと松阪牛のカレーにも未練がある、
私でした…。