以前のプログ記事で松阪城址に行ったことを
お伝えしました。今日はその松阪の続きです。
近年、三重県松阪は”豪商のまち、まつさか”
観光地として、注目されるようになりました。
三井家をはじめ、江戸時代には松阪で
いくつかの豪商が生まれています。
松阪では、江戸時代の古い建物を補修して、
歴史を感じる街並みに整備されています。
このゾーン、松阪城址や宣長記念館とともに
楽しい歴史ウォークができるスポットです。
この城下町観光ゾーンでまず立ち寄ったのは
両替店、呉服商として栄えた豪商、三井家
発祥の地、元三井家の屋敷のあった地です。
ここは現在、”三井家発祥の地”のという
案内板があるだけで、非公開でした。
敷地内に立ち入ることはできません。
江戸時代の建物は何も残されておらず、
立派な御門の奥には、三井家のお墓が
ひっそりと並んでいるそうです。
この後、観光用に一般公開されている
豪商の建物を2軒を訪ねてみました。
最初は”旧小津清左衛門家”です。
小津家は江戸一番の紙問屋だったそうです。
江戸のお店が栄えても、お店の主人はずっと
松阪で暮していました。従業員も松阪で
雇い入れて、江戸に派遣していたそうです。
これ、ちょっと意外な感じがしました。
江戸で商いが繁栄したら、地元から離れ、
「ワシは大都会、江戸で成功した~!」、と
成功の証に、江戸に移り住みたくなるのでは
ないだろうか…?…と、思っていたので…。
今は都市の中心部から離れたところに住んで
リモートで仕事できる世の中になりましたが、
それに通じるようなことがあったのですね。
しかも、江戸時代の豪商と呼ばれる人が…。
知らなかったです。
いかにも豪商の住まいです。現在の建物は、
全盛期の5分の3程度の規模だそうですが、
それでも当時の繁栄を感じさせる建物です。
お座敷からは小さなお庭が眺められます。
蔵の内部は現在、資料館として公開中…。
当時の暮らしの様子を偲ぶことができます。
銅製の”万両箱”も展示されていました。
蔵の地中に埋められていたそうです。
”地下金庫”のような感じでしょうか…。
いかにも”豪商”の屋敷にありそうなモノです。
小津家見学の後、本居宣長の旧宅の
跡地に立ち寄りました。松阪城址にある
”鈴屋”の建物は元、ここにあったものです。
門の松は宣長さんが大切にしていた木です。
旧宅を松阪城址に移す時、この木も移植…、
と思ったのですが、移植は困難だったので、
枝ぶりの似た松を捜して植えたそうです。
…なので、松だけがこの場所に
当時のまま、残されていました。
次にもう一つ、豪商屋敷を見学しました。
”旧長谷川治郎兵衛家”です。
江戸で木綿問屋として成功した家です。
やはり江戸の商いは番頭さんに任せ、
主人は松阪に家族と共に住んで、
手紙でもって経営方針を指示していたとか…。
この屋敷もいかにも豪商の住まいらしい、
重厚で歴史を感じさせる佇まいでした。
屋敷の中では、松阪木綿の手織りの
実演もありました。お茶席もあります。
この店の主人は余暇に茶道や和歌を嗜み、
茶道家や学者のスポンサーとして
文化活動の支援をしていたそうです。
実に豊かさを感じるライフスタイルです。
屋敷を囲むようにして、立派な日本庭園が
広がっていました。ちょうど紅葉が美しく、
ちょっと豪商の奥さま気分で散策しました。
やはり蔵の中は資料館になっていました。
ここでは、昔ながらの年中行事に関する
いろいろな資料が展示されていました。
豪商の日々の生活は、四季折々の行事を
とても大切にして、楽しんでいたようです。
ここでは”千両箱”のレプリカが展示され、
千両箱を持ち上げて、その重さを感じてみる
体験ができました。「腰注意!」には笑えます。
では、持ち上げてみます。 きゃぁ~!
本当に、「腰注意!」の重さでした。
豪商の家に盗みに入って、千両箱を持ち上げ
あまりの重さでギックリ腰になって逃げだした
ドジな泥棒さんがいたかもね。
以上、2軒の豪商の屋敷を回りました。
これだけでも見ごたえ十分だったのですが、
さらにこの後、武家屋敷を見学しました。
次回ブログ記事に続きます。