名古屋城の”本丸御殿”を見学しました。
名古屋城は、1610年、家康が西国大名に
命じ、天下普請として築城を開始しました。
お城は1612年に完成し、家康の子、義直が
入り、尾張徳川家のお城として栄えたのです。
しかし、太平洋戦争の空襲で焼失しました。
天守閣は、戦後にコンクリート造りで再建…。
近年、耐震性に問題があることを指摘され、
閉鎖されています。そこで、新たに木造で
天守閣を建て替えることが計画されました。
木造で再建する計画がなかなか進まない…。
いろいろな問題が浮上して、関係者の間で
協議がず~っと繰り返されています。
天守閣、いつになったら再建されるのかな~。
この日は、2018年に復元された名古屋城
”本丸御殿”を見学…。ここは初めてです。
”本丸御殿”は、尾張藩主の住まいとして、
また、尾張藩の政庁として建てられました。
空襲で焼失したものを復元公開しています。
観覧申し込みをすると、御殿に上がる前、
”見学時の注意事項”を映像で見ます。
「携帯電話の使用は控えるのじゃ~!」
「撮影時、フラッシュは控えるのじゃ~!」
さて、靴を脱いで御殿の中に入りました。
まず広々とした玄関から見学スタートです。
ぴっかぴかでキラキラの障壁画や飾り金具、
圧倒されました。絢爛豪華に飾られています。
玄関は虎の障壁画。虎一家が描かれます。
本丸御殿を訪れた人はまず、ここに通され、
藩主さまとの対面を待つのだそうです。
次に表書院を見学します。この部屋は
藩主さまと正式な対面をする部屋です。
金地に松の障壁画がとても豪華な感じ…。
上段の間は藩主さまが座る場所でした。
なんだかこのお部屋に入ると緊張する感じ。
そんな格調高い雰囲気の広い部屋でした。
床と違い棚、付け書院、帳台構もあります。
そしてさらに極彩色、豪華絢爛なのは…!
一番奥にある”上洛殿”のお部屋でした。
ここは3代将軍家光の上洛に合わせて
増築されたもの、贅を尽くした建物です。
障壁画、欄間の彫刻、飾り金具、天井…。
もう、日光の東照宮並みの華やかさです。
”徳川家の世界観”が復元されている…?
いや、家光さんの趣味だったのかなぁ~?
まさに”徳川家”のカラー、絢爛豪華です。
ところで、私が名古屋城で気になるのは…?
”石垣”です。名古屋城の石垣は、西日本の
大名20名が協力して作ったと伝えられます。
石垣の中で、ひときわ大きな石があります。
この石は、”清正石”と呼ばれています。
戦国武将、加藤清正は築城の名手でした。
名古屋城の築城にも大いに貢献しました。
でも実は…。この大きな石のある場所は、
黒田長政が担当するゾーンだったとか…。
長政さん、「これ、”長政石”なのじゃが…。」
…と、言っているかもしれないですね。
名古屋城の敷地内には、石の上に乗って
音頭をとる”清正公石曳きの像”があります。
ま、清正さんの活躍は間違いないことです。
この名古屋城の石垣の中には、不思議な
記号&文字が付けられた石も…。諸大名が
自分の運んだ石につけた”刻印”でした。
他の大名の石と区別するため付けた印です。
たくさんの石の中に少しだけある”刻印捜し”
お城マニアさんには、たまらない魅力だとか。
そういえば、岐阜県本巣市上之保地区には
旗本大嶋家に関する話が伝えられています。
93歳で関ヶ原の戦いに参戦した伝説の武将、
大嶋雲八の子孫は、名古屋城の築城当時、
領地であった本巣からお城まで、石垣の石を
運んで藩主に献上した、という話があります。
これが献上した石の残り、刻印のある石です。
”大し”の刻印の石が現地に残っていました。
石垣は西国の大名達で作られたそうですが
当時、旗本だった雲八さんの子孫たちも、
名古屋城石垣作りに協力したのでしょうね。
今度、名古屋城に行った時には、”大し”の
印のある”大嶋家の石”を捜してみようかな~。