敦賀茶町台場物語 その12
茶町台場は文久三(一八六三)年三月末に完成した。雪の降る前に粗方出来上がっていたのだが、最後の仕上げが雪のために伸びた。なんと、大砲を八門も据えられる、敦賀一の規模を誇る台場となった。
しかし、又吉の不安はつのるばかりであった。大砲は旧式で、それほどの威力があるとも思えない。しかも、小浜藩の藩兵が敦賀湊の警備にやってくる気配はなく、藩主忠氏は摂津海岸の警固を命じられており、地元は手薄だ。それなのに、三月には他藩の大名に対して、京都防御のために若狭の守衛に当たる命令が出された。他藩の兵が敦賀の町をうろついて、物騒なありさまだ。何でも、探索や煽動の目的で密かに敦賀に入り込んでいる長州の浪人を取り締まっているのだという。
茶町台場の仕事が終わったと思うと、今度は金ヶ崎に台場を作ることになった。金ヶ崎の土を削って茶町の台場に運んだが、その削った所を台場とするのだ。又吉もまた、そこへの人足として行かなければならなくなった。ずっと、大工の仕事が出来ないでいる。いや、それよりも、金持ちは金銀をため込んで将来に備えているのに、貧乏人は何の備えも出来ないでいる。外国の軍艦が襲ってきたなら、自分はともかく家族はよそに逃がさなければならない。その時には金が要る。親戚は敦賀にしかいないから、みんな逃げるだろう。しかし、金がなければ、どこへ逃げても生きてはいけない。何とかしなければならないのに、金ヶ崎へ台場を作りに行かなければならないのだ。
お触れには次のように書かれている。
『町中一統へ
近日より金ヶ崎炮台場御普請のあるにつき、町中日雇人足残らず炮台場御普請へ出ること、普請頭取名子屋仁兵衛、増田屋源次郎へ申し付ける。よって、町中家蔵普請等に日雇を遣うのは、暫く見合わせるように。
右のこと町中に漏らさず触れるべし。
四月十四日』
台場工事期間中は家の普請をしてはならないから、大工の仕事はない。茶町台場の時と同じだ。気が焦るばかりで、結局なにも手につかないのは、又吉だけではないのだろう。
又吉は金ヶ崎からの帰りに町を警戒中の他藩の藩士に呼び止められたことがある。
「これ、その方、敦賀の町の者か?」
言葉で他所の藩のものと分かるが、役職までは不明だ。
「へ、へい。庄町の八軒長屋に住む大工で、又吉と申します」
警戒中の藩士に呼び止められ、不愉快な思いをしたという職人が何人もいた。それで又吉は、ことさら低姿勢で応対した。
「大工というくせに、道具箱も持たないではないか。手足は土まみれになっておるぞ。どこぞの屋敷にでも忍び込んでおったのではあるまいな?」
そう言って藩士が刀の柄に手をかけたので、又吉はびっくりした。
「め、めっそうもございません。まだ夕暮れで明るいのに、そんなはずはありません」
「何! 夜中ならば忍び込むと言うのか。お前は、長州の手先だな!」
カシャンと音がして、刀の銀色の刃が鞘から抜け出てきた。
又吉は悲鳴をあげて一目散に逃げた。いきなり逃げ出すとかえって怪しまれるかもしれないが、そんなことを思う余裕もなく又吉は全力で疾走した。だが、藩士は又吉を追いかけず、腹を抱えて笑い出した。又吉はからかわれたのだった。
こんなことがあっても、誰にも文句を言えない。又吉のような経験をする者が増えていた。親は娘を家の外に出さなくなった。
威勢のいい町の若者が藩士と喧嘩になり、切り捨てられた事件が起こった。その若者と好き合っていた娘に、藩士が強引に手を出そうとして喧嘩になったそうだ。奉行所では、他藩の藩士だからと言って調査もしなかった。
そんな事があれば人心は疲弊する。何とかしなければならないのに、何もすることが出来ない。焦るばかりの毎日だ。
材木屋のお絹にも、同じような焦りがあったのだろうか。
去年の暮れになって、お絹の材木屋に茶町台場で使う材木の注文が入った。だがそれは、お絹の思惑よりもずっと少なかったらしい。お絹の目論見が多過ぎたのだが、本人が気づいていないのだから仕方がない。お絹は亭主に黙って、法外な値を入れた勘定書を奉行所に提出した。奉行所側では、お絹の店から届いた材木の質の悪さと値の高さに驚き、同心を派遣して材木屋を取り調べた。亭主は何も知らないと驚くばかりだが、お絹は数字を間違えたのだと強気で言い訳をした。ところが、家の中を調べてみると、お絹は亭主にも内緒で、金塊や砂金に銀製品の数々を隠し持っていた。それについては、商人が財産をどれだけ持とうが役人には関わりのないことだとお絹は突っばねた。さらに、お絹は実家から金を融通してもらい、隠れて金貸しをしていたらしい。奉行所の役人にまで貸していたので、お絹は強気だったのだ。しかし、調べてみるとお絹が隠し持っていた金塊は、小判を鋳漬したものだと判明した。御禁制に触れたのだ。
三日間の取り調べの後、お絹は百敲きの刑に処せられることに決まった。
来迎寺横の刑場にお絹が引き出されたのは、年の瀬も押し詰まった寒い朝だった。刑場には町や村から大勢の人が集まり、白い息を吐いてお仕置きの始まりを待っていた。又吉も一家五人で出かけてきた。後ろから押され、前にも動けず、又吉は周りを見渡した。知り合いの顔がいくつも見える。お絹の亭主もいた。側にいる二人の子供はお絹の子か。十歳くらいの男の子と、まだ小さな女子だ。息子の方は歯を食いしばり、指先が震えているのは寒いからだけではないだろう。娘はまだ訳が分からないようで、兄の着物の袖をつかんでいる。