4/29から2週間程、大分実家に帰ってました。
理由は、突然訪れた衝撃で、実母が5/6他界したことです。葬儀・初七日を済ませ、まだ身辺・心の整理が終らないまま、社会復帰しなければならなく、ふく丘でやっと母を偲べる時間が出来ました。
想像以上の参列の方のご弔問・会葬で、母は、地域の皆様に愛され、支えて頂いていたことが、実感出来ました。
母は、幸せ者です。ありがとうございました。
79歳の生涯で幸せな日々を田舎で過ごしていたのです。喪主として沢山の方からお声を掛けられ、支えて頂いたことに大変感謝しています。 人は、本当に1人では、生きていけないと思います。 棺の中の母に最後のお別れと思い頬に手を添えました。柔らかい頬の感触は、忘れることはないでしょう。
私1人になると父そして母との小さい頃の思い出が走馬灯のごとく、「日本の原風景」と思われる田舎の風景が頭をよぎります。
他愛も無い単なる昭和の日常生活や畑で釜で切って食べた瓜、スイカ、ハマグリの貝堀り、親戚の家へ行き椎茸、みかんちぎり、子ども会で行った別府高崎山、楽天地、水族館・・・・・・・・全て白黒写真で走馬灯が回ります・・・・・・・・それは、亡き父と母が私に残してくれた心の財産なのでしょう。
用事のある時、お金の無い時だけ実家に帰り、ふく丘で生活してたバカ息子でも、母は明るく、文句一つ言わず受け入れてくれました。
今思うに母の病魔は、
父が他界した頃から始まっていたかもしれません。それを言わずに、頑張っていたのでしょう。早く変化に気が付いてあげればよかった。もう少し大事にしてあげれば良かった。もう少し助けてあげればよかった。
今、涙を流しても遅かった。
父を支え、私達子供を育てくれた母の旅立ちの為に費やした2週間は、短く、貴重な時間でした。
5/8葬儀が、皮肉にも子供たちからの「母の日」のプレゼントになってしまいました。祭壇の一部の花に紛れてカーネーションが飾られてました。
去年から入退院を繰り返し、今年になり、余命宣告を2度3度受け、私は、平常心で生活するのが辛かった。母には、最後まで病名告知しませんでした。
ブログには、出来るだけ明るい話題を書き続けることにしました。 Journey to a fantasy かもしれません。
沢山の方々から声を掛けて頂いた時に、母の状況が頭をよぎり、生返事したり、約束を守れなかったことが沢山ありました。申し訳ありません。
しかし、日常的に声を掛けて頂いたことは、気持ちが落ち込むことなく本当に心の支えになました。
皆様にご心配、ご迷惑お掛け致しました。 ありがとうございます。
最後に母に捧げます。 生まれて、育てられ、子供として
ありがとう
The Light Of The Spirit と・・・・・・・・・
理由は、突然訪れた衝撃で、実母が5/6他界したことです。葬儀・初七日を済ませ、まだ身辺・心の整理が終らないまま、社会復帰しなければならなく、ふく丘でやっと母を偲べる時間が出来ました。
想像以上の参列の方のご弔問・会葬で、母は、地域の皆様に愛され、支えて頂いていたことが、実感出来ました。
母は、幸せ者です。ありがとうございました。
79歳の生涯で幸せな日々を田舎で過ごしていたのです。喪主として沢山の方からお声を掛けられ、支えて頂いたことに大変感謝しています。 人は、本当に1人では、生きていけないと思います。 棺の中の母に最後のお別れと思い頬に手を添えました。柔らかい頬の感触は、忘れることはないでしょう。
私1人になると父そして母との小さい頃の思い出が走馬灯のごとく、「日本の原風景」と思われる田舎の風景が頭をよぎります。
他愛も無い単なる昭和の日常生活や畑で釜で切って食べた瓜、スイカ、ハマグリの貝堀り、親戚の家へ行き椎茸、みかんちぎり、子ども会で行った別府高崎山、楽天地、水族館・・・・・・・・全て白黒写真で走馬灯が回ります・・・・・・・・それは、亡き父と母が私に残してくれた心の財産なのでしょう。
用事のある時、お金の無い時だけ実家に帰り、ふく丘で生活してたバカ息子でも、母は明るく、文句一つ言わず受け入れてくれました。
今思うに母の病魔は、
父が他界した頃から始まっていたかもしれません。それを言わずに、頑張っていたのでしょう。早く変化に気が付いてあげればよかった。もう少し大事にしてあげれば良かった。もう少し助けてあげればよかった。
今、涙を流しても遅かった。
父を支え、私達子供を育てくれた母の旅立ちの為に費やした2週間は、短く、貴重な時間でした。
5/8葬儀が、皮肉にも子供たちからの「母の日」のプレゼントになってしまいました。祭壇の一部の花に紛れてカーネーションが飾られてました。
去年から入退院を繰り返し、今年になり、余命宣告を2度3度受け、私は、平常心で生活するのが辛かった。母には、最後まで病名告知しませんでした。
ブログには、出来るだけ明るい話題を書き続けることにしました。 Journey to a fantasy かもしれません。
沢山の方々から声を掛けて頂いた時に、母の状況が頭をよぎり、生返事したり、約束を守れなかったことが沢山ありました。申し訳ありません。
しかし、日常的に声を掛けて頂いたことは、気持ちが落ち込むことなく本当に心の支えになました。
皆様にご心配、ご迷惑お掛け致しました。 ありがとうございます。
最後に母に捧げます。 生まれて、育てられ、子供として
ありがとう
「あなたの笑顔に出会えて良かった。」
The Light Of The Spirit と・・・・・・・・・
素晴らしいコメントありがとうございます。少し恥ずかしくなります。
元気盛造で頑張って行くしかありません。
厳しいお達しで、時期が来たら磯釣り誘ってください。
どうもトムさんが山に行きたがっています。油布岳でも行きますか・・・・
これもご母堂様の愛情を一心に受け継がれたからでしょう
ご母堂様のご逝去を悼みご冥福をお祈りいたします。