この間、
それなりの数のお芝居や映画を観ていたんだけれど、
なかなか纏まったことを書くところまで至っていませんでした。
そこに私自身の生活実態があるわけで…、
そのことが悪循環を引き起こして、
さらなる表層的な日常のリフレインを生じさせるばかり…。
単に演劇や映画を「費消」しているだけの
「観る」という行為をただ繰り返しているだけの
感じに陥っておりました。
この陥穽もしくは埋没を
どこかでストップさせないと…。
てなことで、10月22日・23日の二日にわたって
東京・パルコ劇場で観てきた舞台「猟銃」の
中間総括的感想を認めることにします。
『猟銃』
原作:井上靖 翻訳:セルジュ・モラット
日本語監修:鴨下信一
演出:フランソワ・ジラール
出演:中谷美紀、ロドリーグ・プロトー
22日は一番前・中央よりの座席で
23日は中程・やや左の座席で鑑賞と、
なかなか恵まれた「猟銃」との対面ができました。
井上靖の原作小説の主たる構成要素たる
三人の女性の、一人の男に宛てた
それぞれが訣別の決意表明とも言える書簡。
これをどのように料理するのだろうか? と
興味津々の緊張感で芝居のなかに入っていきました。
冒頭の小説地の文ともいうべき部分は
池田成志による朗読が少し長めに録音で流れたのは、
興味を少し削ぐ感じがあって、演出的にはちょっと頂けませんでした。
朗読箇所がおわり、
舞台が仄かに明るみを帯びるなか、
中谷美紀嬢が登場しますが、
原作の三人女性の手紙を
延々と読み・演じるという「ひとり芝居」
といってもよいスタイルで構成されています。
舞台上で、おおきな動きはなく
静かに手紙を読み進めるように演技が
進んでいきます。
それは極めて「日本的」な象徴と表象で
構成されいます。
観終わったあと、
あまりにも贋作小説の書簡を
90分間美紀嬢が語り続ける構成に対して、
多少のフラストレーションを感じたのでしたが、
帰りの飛行機の中で、そして帰福してからも、
舞台のイメージや匂いや台詞の語感を
何度も何度も、反芻していました。
演出のフランソワ・ジラールも、演じる中谷美紀も
原作のもつエスプリのようなものを深く深く解釈し、
洗練された形で表象することに成功しているのではないか
と思えるようになりました。
原作の美しい文章と、その底に流れている心情・心性が
みごとに表現されていたのかも知れません。
三人の女性をひとりで演じ分け
延々とひとり語り続ける中谷美紀さんの
表現には感服です。
三つ目の彩子の手紙(遺書)での、
着物をひとり着付けながらの語りは
ひとつのクライマックスを
静かに静かに、しかししっかりと
表現していました。
来週末は、ここ福岡の地で
再度「猟銃」と対面します。
今度はどのように受け止められるのか
いまから愉しみにしています。
「猟銃」インタビューSPOT movie
「猟銃」舞台映像入り 地方公演SPOT movie
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