「貧乏」という言葉の響き、私は好きではない。
私が生まれた昭和20年代終わりは、戦後の続きのようなもので、だれもが本当に貧しかった。
一日、一日食べるのが精一杯。
一部の富裕層は別として、庶民は娯楽やグルメなどとは全く縁がなかった。
文字通り、「貧乏」だった。
親たちは、子供たちが高校や大学の授業料などを、必死に稼いでくれた。
時には、保険を解約したり、退職金を前借しても・・・・。
今のように高校の授業も無料ではなかったのだ。
また子供の医療費も、きっちりと払わねばならなかった。
今はどうだろう?
おカネがないない・・・と言いながら、庶民が皆がスマホを持ち、リッチな外食をし、テーマパークにも出かける。
車も複数台所有している家庭も多い。
家庭内には、電気製品がそろっていて、見るからにリッチそうに見える。
これで、生活が苦しい・・・・・などと聞くと、古い人間の私は違和感を覚える。
まあ、本当に貧しい人は貧しいのかもしれないが・・・・・。
アベノミクスで、貧富の差も大きくなったのだろう。
安倍晋三は、「トリクルダウン」などと言って、上が潤えば下までカネが回ってくる・・・・などと馬鹿なことを言ってた。
カネは持てば持つほど欲しくなるものであり、富裕層がどんなに潤ってもそれを庶民に回すことなどあるものか。
それはさておき、同じ「貧しい」と言っても、昭和の時代とはニュアンスが全く違ってしまったような。
もっとも現在は、カネを使わなければ人並みの生活ができないような仕組みになってしまったのだろう。
それとも合理的な「倹約・節約」をする知恵がなくなったのか、欲望への歯止めが弱くなってしまったのか・・。
不適切な表現であるが、現代は『贅沢貧乏』のように見えてならない。
時代も変わったものだ・・・・・と昭和の爺はため息をつくのみ・・・・。
こんな時代に誰がした・・・・・・??